柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

反論

2011-06-20 08:00:56 | Weblog
昨朝のTBS情報番組でコメンテイターが言ってました、日本は広島長崎の経験と水俣の経験を世界に示さなければならないのに、この為体は・・と。被爆国としての経験、つまり原爆投下後どういう事態になったか、どういう処理をしてどういう経過になったか、それを爾後どう生かしているか。もう一つは水俣だと。こっちは一企業の環境汚染に対して事態を過小評価して、隠蔽を重ねて最後に真実を認めてという対応のまずさの経験です。一企業と言いますが、当時のこのチッソ会社は日本が右肩上がりに経済発展する(日本中であらゆる産業が煙を上げてフル操業している時代です、環境や労働条件やらは後回しの時代です)中でのいわば基幹工場の一つ、地域の雇用の場としても重要なものだったのです、そう東京電力と同じようなポジション。つまり反省が足りないと言うわけです。検証が何もなされてない。犯人捜して罰して賠償してそれで終わり。過ちや災難から何も学ばない。爾後に何も役立てられない。いつも同じ過ちを繰り返す。そういう非難です。なるほど。その通り。どうしましょうか。ここなんですけれど、ここには言及なかったです。尤も言及した所でごくごく当たり前の抽象論だったでしょうけれど。こういう時にびしっと(こういうところは欧米は追及が厳しいですからね)できるようなら何度も災いが繰り返されはしまいという話ではあります。これが日本人の特性なんです。犯人を見つけて、その上司や責任者(実は何も知らない奴らです)の首を切って、チョン。こっちが切る前に早々に連中辞職します。事件そのものが闇に葬られます。武士の情けとか死者に鞭打つなとかそういう言葉でごまかされます。アメリカの司法取引なんて制度は、傍から見ているとそんな甘い・・と思ってしまいますが、洗いざらい原因を喋らせるためには必要な手続きなんだと知ります。そしてそこで失脚した筈の奴がいつの間にかどこかに復帰して、またまた同じような失敗をやらかす。末期の日本軍の組織的欠陥として(敗戦の重要な要素として)よく挙げられる点ですが、そのままどの分野のどの事例にも当てはまります。何かあるとそこの偉いさん達が(当事者じゃなくて)揃って頭下げてる、あの絵です。あれはマスコミとの予定調和に過ぎぬのですが、あれで終わってしまうから、被害者も浮かばれないし、何も残らないというわけです。ですね。その通り。どうしますか?法律で縛りますか、欧米のように。まずはそれからでしょうか。トホホではあるのですが。
 その広島長崎の経験の話題で、昨日の中国新聞に論説主幹さんが稿を載せてます。中国新聞は反核、被爆者支援新聞ですから、こういう話題は執拗です。でも、論はなんだかペラペラの抽象論です、がっかり。日本被団協の方針も引いてます、これじゃぁ市長さんのあの発言に対する反論にならないですぞ、そんなつもりはないと言うんでしょうけれど。原爆落された国なのにどうして原発がこんなに多くあるのか。こう書き始めて、反核と言うと欧米では反原発を含めることが多いが、核の軍事利用と平和利用は別物だと言い続けられて安全神話が生まれて、メディアが後押しして、でも昔から反対していた人はいたと紹介します。放射能の怖さを知りながら二つの間に橋を架ける想像力も努力も足りなかった、と〆ます。あらら、なんて陳腐な。こんな総論ならもう出尽くしてますよ。この時期に仰々しく主幹様が述べられる内容ではなかったですか。しっかり市長に反論してもらいたかったことでした。
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差別

2011-06-19 09:10:20 | Weblog
広島市長の被被爆者に向けられた発言問題は舌禍に至らずでしょうか、今朝はどこも載せません、今後どうなるかわかりませんが。昨日舌足らずで終わりましたのでもう少し。原爆から66年です。つまり被爆者のみなさんは66年生きながらえて来られたわけです。市長はここを言うわけですね。元気で(ここには反論もあるのでしょうが)66年も生きながらえてきた人と、瞬間亡くなった多くの人、原爆症で差別を受け隠れるように亡くなっていった人達(「黒い雨」や「原爆の子」などの映画で抉られてます)との違いはどうなんだ、と言いたいわけです。被曝したことは事実なんでしょうが、例えばこれだけ時間が経っていれば医学的な因果関係はどんどん薄れていくのは当然です。「医療費まけてくれ」と言う表現(言葉)が適切だったかどうかは別にして、事実はそれです、補助金補償金とはそういうことです。支援団体の人の言葉、我々は国家賠償(補償)を求めているのだ、感謝しろとかどうとか言われる筋ではないという言葉が正しく示してくれていますが、被曝したこと、原爆投下された時に近くに居たことが問題であって、症状がどうこうではないということです。今となっては原爆による直接の健康被害なんてのは彼らも口にできないのでしょう、8月6日、9日にどこに居たかなんです。事実、黒い雨の降った範囲というのが今更のように問題化されています。線引きされた2m先には黒い雨は降らなかったなんてこととても証明できません。そこをねじ込んでいるんでしょうが、もう長い時間が過ぎてます。胎児被曝した人でさえ66歳なんですよ。66年間生きて来られたんですよ。差別を受けて生きて来た人も中にはおられましょう、誰が聞いても保護や補償を受けて当然という状態で生きて来られた方も中にはおられましょう。そこの差はどうなの?と市長は言いたいわけです。交渉の場に出てきて元気に主張する人達を目の前にして、市長の思い、発言はそれほど非難の対象になることではなかろうと私は思います。支援団体長の発言もマニュアル通りです、前言を繰り返すばかりです、被爆者こそが最強者です。被爆地の首長として自覚が足りぬとか見識を疑うとかの憤りばかりです。論点をすり替えます。こういう「被爆地」市長がやっと出てきたという感慨はきっと多くの人が感じているんじゃないでしょうか。画期。まさに画期でしょう。市長もここで引かないで、突っぱねて進んでもらいたいと思います。元厚労省官僚だそうですね、らしくないと言えるんでしょうが、こんな「やんちゃ系」もガチガチに固まった弱者強者の偽善システムを揺すぶるための天の配剤じゃないんでしょうか。画期ですよねぇ。思われませんか。
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画期

2011-06-18 08:04:31 | Weblog
イチローが通算600盗塁だそうです。最近ヒットが出ずに先発外されたりして、さすがのイチローも・・という流れでしたが、積み上げた記録がこの人を支えます。と言うか、雑音を消します。歴代記録が載ります、一番が福本1065、二位が南海広瀬で596、次が柴田で579。ああ、こりゃすごい記録じゃないの、です。福本は化け物です、1シーズンに100何個も盗塁する人でしたから別格。その次です。あれだけヒット打つだけで十分なのに、というのが素人考えなんでしょう、優れモノはどれもこれも優れているというわけです。才能の有る無しは斯くも残酷なのです。人は平等公平ではないのです。つくづく思い知らされます。こういう前提が如何に間違いでいかに虚偽、幻であるかを教えてくれます。
 昨日の中国新聞に、広島弁の話し言葉そのままの記事が「広島市長発言要旨」との見出しとともに載ってました。市長が被爆者と面会した際にこう話したというのです。要旨、と打つ割にはえらく詳しく、細かく載ってます、要旨じゃなくてあなたの編集だねこりゃとツッコミ入れながら読んでました。内容の「要旨」はこんなことです、被爆者だからといって医療費等の補助をどんどん要求するのはいかがなものか、その時に死んだ人が一番ひどい被害を受けたのだから。権利要求ばかりじゃなく、感謝されないと、と。これを広島弁そのまま載せてます。この意図や奈辺に。「原爆で死んだ人は何も言えんのじゃけぇ」「残った人は死んだ人に比べたら助かっとる、と言うことをまず言わんのんですね。悲劇だ、悲劇だと。それはねぇだろう」です。うむ、ここが気に入らなかったんでしょう、こういう物言いが、こういうタメ口が気に入らなかったんでしょうね、だからそのままに載せたんでしょう。中国新聞は被曝者支援新聞ですから当然の反応なのでしょう、県の被団協の理事長や会長、「黒い雨」被害者の会連絡協議会事務局長の非難の声を合わせて載せます。被曝者は国家補償を求めているのであって援護は施しではない、感謝云々を市長に言われる筋ではない、とカンカンです。被爆地の市長の言葉の重みを自覚できてない、そうです。これはよく聞くフレーズですか。記事は続きます、中国新聞の取材に対して市長はこう答えたんだそうです、ありがたいと思うべきでしょ。でしょ、です、でしょうではなくて。ここにアリアリと思惑が見えますね。そんなにあなた(記者)が腹立ててどうするのよ、です。記事に記名があります、記者は女です。だからどうしたではありませんが、少しく偏り過ぎてやいませんか?今日の新聞では「市長発言撤回せず」と叩いているのが中国新聞、朝日は「発言謝罪」日経と毎日は「釈明」読売と産経は無視(記事なし)。発言は間違いじゃないと言ってます市長。うむ。やっとこういう市長が広島に出てきたというわけです。平岡、秋葉と左の市長が長く続いて、核にこれでもかとアレルギー反応を示して、被爆者という最強者を作りあげてきた行政でしたから。国家無答責の筈なんです、あの時は国挙げて戦争してたんです、誰が悪いじゃない筈です。国家補償なんてのが間違いと言う話ですがここまで遡れないことでもあります。やっとこういうトップが出てきたという画期です。長崎もこうなるべきなのではないでしょうか。私はこう思います。
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民意

2011-06-17 08:12:35 | Weblog
日経コラムは今日も言葉狩りの様相です、政治屋達の言葉の軽さには賛同しますが。石原さんの集団ヒステリー発言を採り上げて、いやしくも一国の民意をヒステリーとは、と呆れてます。私も先日同じように書きましたが(イタリアの国民投票の結果ですから、それはそれで重たいのです)、でも国民投票という方法がいいのかそうでないのかの議論が閑却されてます。一国の民意。民意という言葉が独り歩きしてますから、ここに釘刺さねばならぬと思うのです。民主主義と衆愚政治との境目についてはそれこそフランス革命の頃からずっと警鐘が鳴らされ続けていて、チャーチルの言うようにこれより適当な形態がないからしかたなしに民主主義でやってるけれどこれが最上であるわけではないわけです。住民投票(国民投票)が最後の手段とか一番の民意とする価値づけ位置づけはとても危険だと思わねばならぬでしょう。誰の責任でもない、多数決の究極形です。だから頭のいい世情に長けた優れものに正しく舵を切ってもらおうというのが議会民主主義だったはずで、しかし今更言わなくてもいいことですが議員連中がここまで劣化すると、本来の目的もどこかへ飛んでしまう。でもだからといってもっと原始的な先祖がえりを選択していいものかどうかです。大衆の多数決が正しいですか?本当にあなたもそう思われますか?違いますね。もとより正しい選択を求める手段ではないわけです、主導する連中もそんなこと思ってはしません、勝てると思うから、自分の主張に箔をつけたいだけです、お墨付きが欲しいだけです。大衆相手です、どうアジるかの勝負です。だから集団ヒステリーという評価は正しいのです。要は言い方、表現の仕方というだけです。だから言葉狩り。昨日も書きましたが、石原さん、オヤジのように確信犯であるなら、こういう理を言い続けることでしょうね。しないでしょうけれど。菅さんの妙なはしゃぎぶりもTVで報道されてました。孫正義に持ち上げられて、加藤登紀子の顔も見えてました、お仲間たちの会ではなんと楽しそうなこと。俺の顔見たくないのならとっとと法案を通せなんて叫んでます。何と軽い奴。どいつもこいつも。コラムの本筋、政治家の言葉の軽さ批判には賛同します。賛成。
 上関原発着工にかかる知事の意見表明に先立ってあちこちの自治体議会から意見が上がってます。当の知事は相変わらず(この期に及んで、と言うべきでしょう)国の方針待ちと言ってます。裁量権が県にあるのか国にあるのか問い合わせていると言います。でも国交省はすでに許認可権限は県(知事)にありと解答してるのに。つまり自分で決めたくないんでしょうね。役人さんなんですね、官僚気質が沁みついてるわけです、国の方針が、国の命令がないと決められない、決めたくない。これが橋下さんなら違いましょうよ。役人上がりの首長と橋下さんとの違い。本当にくっきり明瞭ですね、どちらも態度がはっきりしてますからわかり易い。で、もう一つ。交付金対象の自治体が次々に中止や凍結議決を出してますが、光市や周防大島町の首長さんは、こういう議決と交付金とはリンクしない、とか、交付金自体は原発の是非を問う問題ではないので交付金は受けつけてそれを当てにして行政計画していくなんて言ってます。ああ、そうなのね。実は悩んでも何にもしてないってわけです。それとこれとは別だって。原発嫌だけど、お金は頂戴って言ってるんです。びっくり。こういう前提なら、何言ってもいいわなそりゃ。皆さんもそう思ってらっしゃいましたか?
 
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仲間

2011-06-16 08:07:36 | Weblog
日経のコラムが先の国歌国旗起立裁判を皮肉ってます。別の裁判官の付帯意見、つまり反対意見です、を引いてます。起立は儀礼的所作であるけれど、斉唱は歌うという動作であり強制できない、んだそうです。まぁここまで屁理屈言うか?と呆れますが、もっともこのコラムの締めが、今度は口パク禁止令でも出すか、と言った茶化しです。お仲間の意見ですからこんなことでしょうが、さて。国歌をちゃんと唄えという訴えでしたかね。訴状に詳しくありませんのでここまでですが、少なくとも橋下さんのあの物言いでは(思想良心の問題ではなく儀式のマネージメントの問題、というあれです)国歌を歌えでもあるんでしょうがそれよりみんなが起立する時にちゃんと立てということですね。口パクでも構いはしません、真一文字に閉じていても結構、ただし儀式を潰すな、ですね。まさか無理やりに君が代を唄わせるなんて条例じゃないでしょう。こんな連中にかかれば無理やりに口こじ開けられて後ろから羽交い締めにでもされて脇腹に匕首突き付けられて「唄え!」と脅迫強要されるイメージなんでしょう。どう想像しようとそれこそあなたの自由だけれど、話はとっても単純なことなんですわ、常識の範囲でちょっとは我慢しなさいな、です。せっかくの儀式を潰しなさんな。高々国歌3分の間が我慢できないのか?そんなことであなたの信条や信念を測りゃしないっての。そういう話です。それを立つと唱うとでは違う、なんて屁理屈こねる。問題をすり替える。ま、いつもの手口、いつもの連中の手順ですが、日経さんもお仲間ってわけでした。知ってましたけれど。
 谷垣さん、奥さん亡くなったそうです。いや、こんな時期に・・ですが、この人よくこらえたですねぇ。そういう環境にあったとあれば、少なくともTVやマスコミには言わず、つまり国民に隠して通常の態度(それを嫌というほど非難批判していたわけですが)で通せたは立派でしょう。萎えますよ。さぞや脱力でしょう。女房が死ぬか生きるかの境にいる時に、いつもマイクやカメラに晒されるこの仕事は辛かったでしょうに。私も最近本当に強く思うようになっているのですが、女房いてくれりゃこその今ですわ。さて谷垣さん、持ちこたえられますかね。エネルギーがどうでしょうかね。嫌な言い方すれば、自民党もトップをすげ替えるいい理由ができたってもんですが、さて石破さん、どうします?
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狐狸

2011-06-15 07:55:30 | Weblog
自民党石原幹事長がイタリアなどの反原発気運に対して集団ヒステリーと評したそうです。いつものような前後の文脈外しての、悪意に満ちた、マスコミ得意の言葉狩り「切りぬき報道」ですが、それにしても言葉尻を捕まえられるような幼稚を何度やりますかねぇ連中。ヒステリーという言葉には病的、誤った、尋常あらざる、というニュアンスがつきます。イタリアは国民投票の結果ですからね。確かに94%が反対なんていう極端は北朝鮮のような恐怖政治下でなければ世論の大風、アジテーション、集団心理(陶酔)の結果に違いありません。あの欲どおしい、勝手気ままな(感じの)ベルなんとか首相もしおらしく従う意向ですよ。正常な判断のできない病的状態、ではあるのでしょう。じゃぁ今後どうするんだ?なんては誰も考えない。そこまで考えろとは誰も言わないし聞きもしない。危険な原発は要りますか要りませんか?と問われれば、要らない!ですわね。世論操作ですか。反対派にとれば千載一遇の大チャンスですからこの勢いで押すばかりです。石原さん、言ってることは正しいんだけれど、言い方ですわ。ま、これもこの人の資質を表す一端ではありますが。親父のような太さがないんですね。震災当時に大叩きされた「我欲」「天罰」を、オヤジは未だに使ってますよ。集団ヒステリー、この非難をずっと使い続けられるか、この論理で原発政策を押し通せるか、です。思いつきで言ったのなら単なる舌禍。つまらぬ話ではあります。
 上関原発建設に対する周辺自治体議会や首長の発言が続きます。交付金対象の田布施町議会も凍結議案を出したそうです。当地柳井市議会は「いったん凍結」という文言をいれて議案化したとの記事です。いったん(どうして「一旦」じゃなくて平仮名なのか、そんなところに妙な意味があるのかと勘繰るような不細工な表記です、これだけでがっかりします、誰が考えた?)がミソのようです、どの新聞もこのまま載せてます。どうして?上関の町長が正直です、交付金が下りないと大変なことになると。聞けば(大まかには知ってます、どんどん子供が減ってるというのに立派な温水プール作ったり、素人目に「大丈夫?」と訝しむくらいの箱ものラッシュです)今も将来に向けても、町おこし目的の観光化目的の箱モノ建設がどんどん続くんだそうです。人を呼ぶために大きな建物(何ちゃら会館、センター、振興協会、道の駅の類)作ってはメンテナンスもできなくなって寂れて、その時の責任者はとうに辞めていないという事例だらけですこの日本の過疎地は。原発推進し続けてきた上関の元町長も辞めた途端に上関からいなくなっちゃったし、そんなことです、金もらうには使い道が要る、建物が一番簡単だから申請書に書き並べる、下りてきたらそのまま計画通りにとやるだけ。仕方なしに書いた作文だったはずなのに、決まった途端に金科玉条になる、役人世界の掟です。首長に役人上がりをつけるデメリットはここなんです。町民の為に、地域振興の為に、観光の為に、人が集まれる場所を作ります、建物や施設を調えます。作っても誰も来ないです、そんなものはどこにでもあるからです。わざわざ遠い所まで誰も行きませんから。上関の人口は3550人だそうです。年間の税収は二億五千万円。言い方悪いですが年寄りばかりの町です。原発が着工されれば84億円が下りてきます。税収の40年分!!下りてこないと、当て込んでもう始めている工事がたちまち危ないです。そう町長は言ってます。なんて正直な人だ。呆れるくらいです。なんてわかり易い誘致だったんだ。中国電力が周辺の漁業関係者に撒いた金は半端じゃありません。どっちもこっちも冷や汗滲んでます。凍結!こんな狡い言い方もないもんですね。どっちにせよ今は止めるしかいんですから。さてさて、タヌキの化かし合いの様相ですか。
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現実

2011-06-14 08:08:30 | Weblog
参院に復興特別委員会ってのができて、その委員長にあの舌禍大臣、柳田稔さんが選ばれたそうです。法務大臣時代、国会答弁では二つ覚えておけばそれで済むなんて言い放ったタコです。ぐだぐだ抵抗してましたが結局斬られた(罷免された、辞任という形でしたか)御仁です。まだ誰も忘れてませんよ、どうしてそんなのをわざわざに持ってくるかなぁ、です。さすがに自民党が反対して、こんな場合には異例だそうですが選挙になって、正式にこの人が選ばれたといういきさつらしいですが、他に居ないの?ですね。人材不足ってわけなのか、まじめに考えてないということなのか。菅さん懲りずに役に立たぬ委員会ばかりまだ作り続けているということでしょうから、後者ですか。誰でもいいなら、もっと他の誰かがいるでしょうに。鳴り物入りだった復興会議もあの為体なのに(未だに増税目的の案しか出してません、瓦礫と被災民を見ないんだもの連中は)、こっちにどれだけを期待するというのでしょうか。形だけ。「ご意見をいただきまして」式のシャンシャン手拍子足拍子。勝手にしろ、ですが、こんな時にまだやるかなの呆れは湧きますね。
 原発がらみの議会が当地上関周辺自治体で相次いで始まりました。光市長は反対表明、下松の爺さん市長は保留、柳井の若い衆市長も態度保留です。光市には交付金が下ります予定通りなら。下松には下りません。が、この市長は古参自民党員です、原発政策を押してきた方です、簡単に白黒言えないというのが本音でしょう。柳井市長は民主党(元)。国、県の方針を待つと保留しました。住民投票はしないと言いました。こういう話題に住民投票がなじむかどうか、そもそも住民投票の結果と議会議決との軽重論議は如何、という問題をそのままにしてなだれ込むは間違いです。直接民主主義がどうのこうのなんですが、すり替える必要もなく住民の意見が正しいという前提の間違いです。だからここの市長の判断は正しいと思いました。が、今後はわかりません。何と言っても交付金が目の前にぶら下がってます。金に目が眩むなんて下世話ではなくて、これは大問題、悩むべき大問題です。さて各自治体議会、首長さん達、どう出ましょうかね。
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記憶

2011-06-13 08:04:16 | Weblog
中日岩瀬がセーブ記録日本タイだそうです。まだ元気ですからタイトルホルダーになるのは間違いないことでしょう。セーブなんてタイトルができたのはいつのことだったですかね。江夏の時代ですね。セーブと言えば誰を思い出しますか。江夏、大魔神、高津、与田、郭泰源、津田、藤川・・巨人にもいましたね、名前忘れました。セーブなんてタイトル(呼び名)のない時代のリリーフエースといえば巨人の宮田(古いですよ、8時半の男)阪急の山口高志あたり。投手が分業されてない時代、先発完投が価値だった時代とは比べようもないことですが。私も結構長く見ているんですねと、改めて気付くというか。
 昨日BSで演歌番組見てました。私は若いころから演歌は好きで、というか例の懐古趣味がこっちにも伸びていて昔の歌手の昔の歌が好き、NHK「思い出のメロディー」ファンでした。女房は見向きもしなかった(どころかバカにしてましたが)のですが、歳をとってきたからこっちもいいと最近言い出してます。そういう方々、多いのではないでしょうか。で、昨日の番組。西郷輝彦と野口五郎が自分の歌をたっぷり歌ってました。あれ?野口五郎ってこんなに唄下手だったのかい?びっくりしました、声が全然出てないんです。もともと喉を絞るような声の出し方ではあったですが、郷ひろみ、西条秀樹との比較では唄がうまいという評価でしたから、びっくり。つまり久しぶりに聞いたというわけで、おいおい、もっと練習しろよ!でした。昔のヒット曲を歌うのです。野口五郎と言えば何ですか?そんなに数がないですよ。昨日思いました、ああ、やっぱり郷ひろみの方が多いなヒット曲、でした。青いリンゴ、オレンジの雨、甘い生活、私鉄沿線 です。どれも歌えるでしょう?同年輩の皆様。でも、下手なんですよこれが。びっくりしました。ええ?でした(しつこいですが)。西郷輝彦は、こちらはすっかり役者さんですからね、唄は余興のレベル、こっちもそう聞いてます、あんなもんでしょう、大下手。でも懐メロです、これでいいんです。星娘、星のフラメンコ、君だけを、この三曲でいいんです(うちになんと星娘のシングルレコードがありますよ当時の。それだけ売れてたというわけです)。もっと言えば、これ以上は要らない、これ以外は唄いなさんな。でした。ううむ。怖いもの見たさ(聞きたさ)で終わるべきものでしょうかね。ああ、聞かぬほうがよかった・・なんですが、でも、聞かないとこうも思えないわけです、懐メロ歌手さん達は(一発屋さん達は)この予定調和に助けられているというわけです。ま、こんな解説こそ要りません。野口五郎、もっと唄練習しろ!
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議決

2011-06-12 09:31:50 | Weblog
節電という脅迫は電力会社の作戦なのでしょうが原発反対運動でもあるのでしょう。クソ暑い夏に向けてクーラー使えなくなりますよ、工場が止まりますよ、だから原発が要るのですよ、わかってくださいよと電力会社は慇懃無礼に言葉丁寧に頭を下げながら人質に匕首を突きつけて迫ります。一方、原発は危険で不要なモノ、こんな危険なものにこれだけ依存しているんですよ、原発が止まるとこんなに被害を受けてしまうんですよ、原発から脱却する秋なのですと、回りくどい反対運動も後押ししてます。そしていつものように有識者や専門家達は総論賛成各論灰色になっていきます。原発は危険だから廃止すべきという総論、でも電力不足には妙手はないなんて床屋政談の域を出ないものです。浜岡原発だけでなく現在稼働している原発地域もきっとそうです、あれだけ金をばら撒かれていれば文句も言えませんから。原発はなければない方がいいけれど、このおかげでいい暮らしができているんだからという現実です。当地上関原発が建設予定されているのですが、もうすぐに知事が県議会で方針の表明をするという状況を受けて、周辺の自治体の議会がさかんに声を挙げます。福島原発の事故に倣って30㎞の円を書くと一部かかる周南市、殆どがかかる下松市、この両市には交付金が下りません、下りませんから率直に言えます、中止や凍結要請を議決しました。交付金対象自治体、当地柳井には20数億円が下ります、二市四町もそろりそろりと反対方向の議案が出されてます。金は欲しいが露骨にも言えず、です。世論(という名の偽善ですが)に阿ると危険なものには反対せねばなりません。が、金は欲しいのです。そろりそろり、です。知事も周辺自治体がこぞって反対すれば、常々当該自治体の意向を尊重すると言い続けてきた人ですから、簡単にはGOサインは出せないでしょう。だから周南市と下松市はパパっと出した(出せたんです、交付金出ませんからここには)。でも、でも、です。大金を前にして黙りこんでいるのです近隣自治体は。誰が(どこが)先に言い出すか、息を殺しているの図です。例えば柳井が賛成すれば周りも右倣えできるでしょうから。仕方ないのう、で済むわけです。玉虫色の、どっちにでも読めるような議決文が出来上がるんでしょうね、誰もが想像することです。安全対策を十分にするという条件のもとに可とする、という内容をどう修飾するか。要は作文能力の問題にすり替わる。ですか?
 村上春樹がスペインでの何やらの受賞講演で原発事故を強く批判したという報道でした。広島長崎の原爆と同列に並べて、日本は核を避けるべきだったのだとの内容でした。え?えらくストレートで、素人っぽい意見だこと。まずそう思いました。原発事故に対する数多くの批評や批判文を読みました、考え方の標準は原発事故は原爆とは別物だ、つまり核兵器と核の平和利用とは別にして考えねばならぬ、という前提でした。読む方も自然にその前提で正しいのだろうと思ってます、そこにこの人の意見でした。唯一の被爆国として核に対してはもっと敏感でなければならなかったという意見でした、核兵器反対運動、広島長崎市長が熱心に(ここの首長の義務化されています)旗を振るあの運動の趣旨そのものです。ああ、そうなんだと違和感でした。広島長崎まで遡るの?もっと早くに意見しなさいよそう思ってるんなら、という違和感でした。日本で言ったの?わざわざスペインで?それは外国メディアを意識してのこと?と次々に湧いてきます。ちょうどその日に古館の番組でその話題、コメンテイターは寺島さんでした。寺島さんは原発推進側の論者で、どう話すかと聞き入りましたが、さすがに世界的な小説家相手となるとにべに否定もできぬのでしょう、原爆と原発はコインの裏表だと村上さんは言っている、核には違いのないことだからそれはそれで正しいことだが、と一旦受けておいて、エネルギー源としての平和利用と核兵器との区別から持論を述べてました。それに対して古館が反対する、古館は村上氏の意見をそのまま受け容れていました。銘々の意見はそれぞれで結構なのですが、遡っても今現在の事態の収拾に役立てばいいけれど、議論を紛糾させるだけのものであれば、発言に影響力のある者は公言する環境(TPO)を考えるべきだと思いますね。尤も今回の意見は素人頭にもわかりやすい考え方ですから混乱は生まないでしょうが、原発事故と原爆経験とを同列に並べるのはやはり間違いでしょうね。原爆を忘れたのか?の声に竦むばかりではならぬでしょうし。オサマビンラディンが日本がアメリカにいつまでも尻尾振ってる事を指して「広島長崎を忘れたのか?」と言い放ったことを思い出します。そのことと原発事故とは、やはり違いますよね。違いましょうか。
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節電

2011-06-11 08:07:38 | Weblog
岡田幹事長が被災地訪問してますが、なんとも重装備。防毒マスクにゴーグル。説明している、県か自治体の役人でしょうが、ヘルメットだけの軽装、このコントラスト。真っ白の宇宙服が、連中のTVに出てくる際の、会議に出ている際のまっさらの作業服とおんなじで、こいつら現場を無視しやがってという思いにさせます。どうせすぐに帰っていくんでしょう、何しに来たんだよ!です。菅さんがそう、蓮舫がそうでしたね。こいつら!ほんと、何のために行くんでしょうか。回りを怒らせてるだけなのに。
 昨日国会中継を少し見ました、自民党の元アナウンサーの女議員が質問してました。お茶の放射線汚染に対する規制が厳しすぎるというものでした。あとで漢字で見れば何とかわかりますが、話し言葉でナマチャのアラチャのセイチャのと言われても素人にはわかりません。採り入れ前(採り入れた時)の放射線量と、洗って乾燥して後の線量とでは大きく違うのに、一律で規制をかけるはいかがなものか、の糾弾でした。首相や農相にそんな具体的なことがわかる筈もないこと、手元のデータを読むばかり、何の進展もなし。その後は今度はまたまた震災当日のベントがどうしたこうしたの話。もうええ!っての。そんなことは誰か現場の人間にきちんと報告させればいいこと。遡っての検討は別の場面でやれよ。今は瓦礫が、腐臭が、電力が、放射線が、の急場でしょう。こうやって追い込みたいと思ってるんでしょうが、これじゃ自民党にも何もできないだろうなと思わせるばかりです。つまらんことです。この女議員の問題ではなく、国会議員達の資質の問題ですか。
 関西電力までが節電と言ってます。何~に考えてる?本当に日本潰す気か?腹が立ちます、こんなことを平気で言わせる政府に対してです。東が潰れそうな時に西が火を吹くほどにフル回転しないでどうするんですか?西から東に(その逆も)電力を容易に送れない周波数の違いの問題は今言っても仕方のないことです、後で(同時進行で)必ず大金かけて共通のものにしなければならないのでしょうが、ならば西へ拠点を移して何とかやろうとしているところへこれです。どう考えても日本潰しの意図があるとしか思えません。他の原発止めてどうするの?今安全に動いているものを止めてどうするのよ。浜岡止めたからどこもかしこもっていう、つまり原発反対勢力の力ですか、世論(大衆)を怖れる大企業の腰の弱さですか、それより何よりここで踏ん張ろうとしない政府の無策ですね。こういう時だからこそみんな働け!ですよ。電力も石油も何もかもガンガン供給して立ち直らねばなりません。そうですよね。どこもかしこも縮みあがってどうするんですか。橋下知事が怒ってます、あんたは真っ当。あなたが言うようにたとえ関電がデータ揃えてきても、許さないでもらいたい。安全な原発をフル稼働して余分を東に送るくらいの意気込みを、肚を見せてもらいたいところ。こんなことはきっと橋下さんしか言えないことです。官僚上がり、役人上がりの首長には言えないセリフでしょう。やったれ!
 
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