柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

差別

2011-06-19 09:10:20 | Weblog
広島市長の被被爆者に向けられた発言問題は舌禍に至らずでしょうか、今朝はどこも載せません、今後どうなるかわかりませんが。昨日舌足らずで終わりましたのでもう少し。原爆から66年です。つまり被爆者のみなさんは66年生きながらえて来られたわけです。市長はここを言うわけですね。元気で(ここには反論もあるのでしょうが)66年も生きながらえてきた人と、瞬間亡くなった多くの人、原爆症で差別を受け隠れるように亡くなっていった人達(「黒い雨」や「原爆の子」などの映画で抉られてます)との違いはどうなんだ、と言いたいわけです。被曝したことは事実なんでしょうが、例えばこれだけ時間が経っていれば医学的な因果関係はどんどん薄れていくのは当然です。「医療費まけてくれ」と言う表現(言葉)が適切だったかどうかは別にして、事実はそれです、補助金補償金とはそういうことです。支援団体の人の言葉、我々は国家賠償(補償)を求めているのだ、感謝しろとかどうとか言われる筋ではないという言葉が正しく示してくれていますが、被曝したこと、原爆投下された時に近くに居たことが問題であって、症状がどうこうではないということです。今となっては原爆による直接の健康被害なんてのは彼らも口にできないのでしょう、8月6日、9日にどこに居たかなんです。事実、黒い雨の降った範囲というのが今更のように問題化されています。線引きされた2m先には黒い雨は降らなかったなんてこととても証明できません。そこをねじ込んでいるんでしょうが、もう長い時間が過ぎてます。胎児被曝した人でさえ66歳なんですよ。66年間生きて来られたんですよ。差別を受けて生きて来た人も中にはおられましょう、誰が聞いても保護や補償を受けて当然という状態で生きて来られた方も中にはおられましょう。そこの差はどうなの?と市長は言いたいわけです。交渉の場に出てきて元気に主張する人達を目の前にして、市長の思い、発言はそれほど非難の対象になることではなかろうと私は思います。支援団体長の発言もマニュアル通りです、前言を繰り返すばかりです、被爆者こそが最強者です。被爆地の首長として自覚が足りぬとか見識を疑うとかの憤りばかりです。論点をすり替えます。こういう「被爆地」市長がやっと出てきたという感慨はきっと多くの人が感じているんじゃないでしょうか。画期。まさに画期でしょう。市長もここで引かないで、突っぱねて進んでもらいたいと思います。元厚労省官僚だそうですね、らしくないと言えるんでしょうが、こんな「やんちゃ系」もガチガチに固まった弱者強者の偽善システムを揺すぶるための天の配剤じゃないんでしょうか。画期ですよねぇ。思われませんか。
コメント
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