柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

空疎

2011-06-05 08:36:35 | Weblog
早く菅さん辞めろ、そうしないと協力できない。石原幹事長はこればかり。俺たちにやらせろとは一切言わない。人に言葉で訴えるという、連中(政治家)にとって生きる術そのもの、そしてそういう場を与えられ続けるのに首相も首相なら野党も野党、どいつもこいつも喋れない。今朝もフジTVの討論番組で石原さん出てましたが、菅さんやめたら協力するとばかり。本当に歯がゆい。そして石原さんでは弱い。この人はおばさん風(おばさん達には失礼な物言いですが)で、総論一般論を振り回すだけで具体策が見えません、他人の言葉尻を捉えてグジャグジャ言いたてる、もっと目立つのは人がまだ喋ってるのに被せていく癖。言葉数は多いけれど内容に乏しい人。石破さんが人気高いのも(世論調査とやらに左右され過ぎですが)頷けます。この人も喋り出すと長いけれど内容も濃いことが多い。この人にスポークスマン代わるべきじゃないですかね。というか、谷垣さんを降ろさねばならんですかね。で、民主党。松木、横粂(この人「最後の」TV出演しているを偶々見ましたが、まるで子供ですよ、喋り方も言う内容も。どこの選挙区?比例?選挙民を疑うばかりでした)を即座に除名除籍しておきながら、またまた小沢さんにはお構いなし。こういうグジャグジャさを(民主党からすればこれが不可触の掟なんでしょうが)許し平気でいるところですね、いよいよ信頼を失いましょう。岡田さんもこの期に及んでも四角四面で原理原則振り回すだけ。この人にも目がないでしょうね。前原さんですか。あそこでさっさと退いたのが賢明でしたか。与野党どちらもどちら。東北の人達の思いもものかわの態。どう表現されますか?呆れて物も言えない?言わんとわからん連中ではありますがねぇ。
 被災地に大相撲の面々が慰問に行って、の報道です。どうぞ、公益法人護持に向かって偽善を積み重ねていけばいいのでしょう、次の場所は開催できることになりましたから文科相も人気取りに走りましたし。慰問がどうこう言うのではありません、そうではなくて引っかかったのはこうです。マイク向けられた小学生と思しき男子が照れる仕草を浮かべながらこう言ってたことです、心が傷ついていたけれどこういうことで慰められたと。ううむ、すっかり浸透しています、こういう時にはこう言えばいいんだと子供達すら学習しています、こういえば大人たちは満足するのだろう、褒めてくれるのだろう、マスコミ受けするのだろうと。心が傷ついた、心が痛む、癒された、元気をもらった。軽薄な言葉を安易に使いすぎなのです。心が傷ついた?傷ついた心なんて見えないもんだから言われるままです。精神科のバカ医者が病気に仕立てる、心理士か霊媒士か知らないけれど怪しげな連中がわんさか寄って来て話を複雑にして逃げていく。悲しく思いました、辛かったです。それでいいんです、そういう場面に晒されれば誰でもそういう感情が湧くんですから。でも、時間が経てば必ず回復します、正確には、忘れます。その時間をどう過ごすか。それだけのことなんです。が、もちろん歴然たる個人差があります、ケロリとしているのもいればひどく落ち込んでしまうのもいるでしょう。だから医者やその関連業者の餌食になる、商品になる、金儲けのマーケットになるわけですが、それにしても手をかけすぎです。世話を焼き過ぎです。学校で何かが起こるとすぐに心理士を派遣して心のケアを、なんてのがマニュアル化してます。あれです、すっかり商品化してます、予算がついてるんですから連中の儲け口です。傷ついたと口にすればいいと、子供たちは知ってます。そう大人たちがやらせてます。そして予定調和で応ずる連中が出てきます。ったく馬鹿馬鹿しい。校長はオタオタして、しかつめらしく慎重に心のケアをしていくなんて眉を顰めている、これもマニュアルです。悲しい時には悲しがらせておけばいいんです。辛い時には我慢させるしかないです。時間の経過を待つしかないのですから。泣きながら待てばいいんです。理不尽に対して大声出せばいいんです、暴れればいいんです。そこを泣かせないから、叫ばせないから、暴れさせないから、周りからあれこれ手を入れ過ぎて抑えてしまうから、本来の回復過程に入れないんですね。大なり小なり誰にでも覚えのある話でしょう?放っておいてくれ!という時があるでしょう?ワンワン泣けばスッとするんでしょう?そこを、これも集団暴力の一種と思うのですが、善意という名の刃物が、がんばろう、みんな仲間だなんていうベタベタの偽善が、泣くのも悲しむのも許さない笑顔を強要する思い遣りとやらが、ローラーを引いて整地するが様相で「要らん世話じゃ!」という本人達の反発を押し潰します。そういう背景で持って、頭のいい子供ならこのくらいのセリフは吐くわけです。こんなガキに心が傷ついたなんて言わせる背景です。入れ知恵でしかないわけですね。これが幼稚園や低学年の女の子が言うなら、まぁこまっしゃくれたことで、と笑い飛ばせることもできましょうが、高学年と思しき男子児童とあれば学習効果でしかないですから。何だか気味の悪さ、薄ら寒さを感じたのは、社会全体が空疎な観念だけの偽善で覆い尽くされたバーチャルな見世物になっていることへの怖れが元でしょう。私達大人が、50代60代の人間が肚を据えて足を地につけて間違いを正していかねばならぬのではないですか。こういう子を孫を生んできた責任です。そうは思われませんか。誰かを叱るんじゃなくて、自分が正す。誰彼の所為にするんじゃなくて自分達が正して行く。そう思います。
コメント
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