日経コラムは今日も言葉狩りの様相です、政治屋達の言葉の軽さには賛同しますが。石原さんの集団ヒステリー発言を採り上げて、いやしくも一国の民意をヒステリーとは、と呆れてます。私も先日同じように書きましたが(イタリアの国民投票の結果ですから、それはそれで重たいのです)、でも国民投票という方法がいいのかそうでないのかの議論が閑却されてます。一国の民意。民意という言葉が独り歩きしてますから、ここに釘刺さねばならぬと思うのです。民主主義と衆愚政治との境目についてはそれこそフランス革命の頃からずっと警鐘が鳴らされ続けていて、チャーチルの言うようにこれより適当な形態がないからしかたなしに民主主義でやってるけれどこれが最上であるわけではないわけです。住民投票(国民投票)が最後の手段とか一番の民意とする価値づけ位置づけはとても危険だと思わねばならぬでしょう。誰の責任でもない、多数決の究極形です。だから頭のいい世情に長けた優れものに正しく舵を切ってもらおうというのが議会民主主義だったはずで、しかし今更言わなくてもいいことですが議員連中がここまで劣化すると、本来の目的もどこかへ飛んでしまう。でもだからといってもっと原始的な先祖がえりを選択していいものかどうかです。大衆の多数決が正しいですか?本当にあなたもそう思われますか?違いますね。もとより正しい選択を求める手段ではないわけです、主導する連中もそんなこと思ってはしません、勝てると思うから、自分の主張に箔をつけたいだけです、お墨付きが欲しいだけです。大衆相手です、どうアジるかの勝負です。だから集団ヒステリーという評価は正しいのです。要は言い方、表現の仕方というだけです。だから言葉狩り。昨日も書きましたが、石原さん、オヤジのように確信犯であるなら、こういう理を言い続けることでしょうね。しないでしょうけれど。菅さんの妙なはしゃぎぶりもTVで報道されてました。孫正義に持ち上げられて、加藤登紀子の顔も見えてました、お仲間たちの会ではなんと楽しそうなこと。俺の顔見たくないのならとっとと法案を通せなんて叫んでます。何と軽い奴。どいつもこいつも。コラムの本筋、政治家の言葉の軽さ批判には賛同します。賛成。
上関原発着工にかかる知事の意見表明に先立ってあちこちの自治体議会から意見が上がってます。当の知事は相変わらず(この期に及んで、と言うべきでしょう)国の方針待ちと言ってます。裁量権が県にあるのか国にあるのか問い合わせていると言います。でも国交省はすでに許認可権限は県(知事)にありと解答してるのに。つまり自分で決めたくないんでしょうね。役人さんなんですね、官僚気質が沁みついてるわけです、国の方針が、国の命令がないと決められない、決めたくない。これが橋下さんなら違いましょうよ。役人上がりの首長と橋下さんとの違い。本当にくっきり明瞭ですね、どちらも態度がはっきりしてますからわかり易い。で、もう一つ。交付金対象の自治体が次々に中止や凍結議決を出してますが、光市や周防大島町の首長さんは、こういう議決と交付金とはリンクしない、とか、交付金自体は原発の是非を問う問題ではないので交付金は受けつけてそれを当てにして行政計画していくなんて言ってます。ああ、そうなのね。実は悩んでも何にもしてないってわけです。それとこれとは別だって。原発嫌だけど、お金は頂戴って言ってるんです。びっくり。こういう前提なら、何言ってもいいわなそりゃ。皆さんもそう思ってらっしゃいましたか?
上関原発着工にかかる知事の意見表明に先立ってあちこちの自治体議会から意見が上がってます。当の知事は相変わらず(この期に及んで、と言うべきでしょう)国の方針待ちと言ってます。裁量権が県にあるのか国にあるのか問い合わせていると言います。でも国交省はすでに許認可権限は県(知事)にありと解答してるのに。つまり自分で決めたくないんでしょうね。役人さんなんですね、官僚気質が沁みついてるわけです、国の方針が、国の命令がないと決められない、決めたくない。これが橋下さんなら違いましょうよ。役人上がりの首長と橋下さんとの違い。本当にくっきり明瞭ですね、どちらも態度がはっきりしてますからわかり易い。で、もう一つ。交付金対象の自治体が次々に中止や凍結議決を出してますが、光市や周防大島町の首長さんは、こういう議決と交付金とはリンクしない、とか、交付金自体は原発の是非を問う問題ではないので交付金は受けつけてそれを当てにして行政計画していくなんて言ってます。ああ、そうなのね。実は悩んでも何にもしてないってわけです。それとこれとは別だって。原発嫌だけど、お金は頂戴って言ってるんです。びっくり。こういう前提なら、何言ってもいいわなそりゃ。皆さんもそう思ってらっしゃいましたか?