柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

本音

2008-02-19 08:40:18 | Weblog
餃子事件、どうなるんでしょうね。いつの間にかのうやむやってのが第一、中国が国内での混入なり塗布なりではないと公式に発表する、そんなことはないと日本が反発する、そのままで終わる、が第二、その三は犯人を挙げてただの些末な怨恨事件に仕立てて終わりにする。仕立てるというのは隠すという意味ですもちろん、じゃぁ何を隠すんだ?自国(中国)の衛生事情食品事情、北京オリンピックを前にして悪評はまずいです。もう一つ、今盛り上がっている反日運動に水を差すわけにはいかないです、日本に頭を下げることはしたくないでしょう。包装ラップ材の外側に振りかけてあったり、穴が開いていて袋の中にも農薬が検出されたりすれば、これは日本ででもできることでしょう、でも穴の開いていない袋の内側にもあり、餃子の皮にではなく具の中に検出されたとなるとこれは製造過程での出来事でしょう、そんな区別は素人でもできますわね。そう攪乱するために犯人は更に手の込んだトリックを考えていた!なんてことになると、これは大量殺害を意図した(サリンのような)テロではなくてそれこそひと迷惑な怨恨事件だということです。中国がどう出るかですな。こんな事で日本に借りを作りたくない、頭を下げたくない、が本音でしょうからね。
 東芝が撤退決めました、ハイビジョンディスク競争。昔のVHSとベータとの争いに準えて、同じ繰り返しだと新聞は非難調でもあります。誰かもっと早くに解決できなかったんかい?!といういつもの後出しじゃんけんですが、大きな市場と踏めばこその競争だったんでしょうにね。どのタイミングで決めてもその時点で負ける(損する)人がいるんです、無茶を言うてはなりませぬ。で、今朝の天声人語上手く言っています、ハイビジョンのレコーダー(プレーヤー)が普及しても、インターネットからデータをそのままパソコンに取り込めばディスクもプレーヤーも要らぬという寸法、VHSが大勝ちしたときのようにはならぬだろうと話を振って「鍋から口へとはしを運ぶことを、礼儀作法では下品と言い、映像ビジネスの世界では進化と呼ぶ」と。なるほど。コラム子はこのフレーズが浮かんだとき嬉しかったでしょうね。うまい!でしょう?
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資質

2008-02-18 08:40:41 | Weblog
浅田真央は一段高見に上がりましたね、安藤を見下ろしている風情です。もう村主さん追いつけません。もともと眉間にしわを寄せる顔をカメラに向けない人でしたが、体が大きくなったのかんのというわかったような批判もものかわ、笑顔が大人びてきて技術が十分に伴い凌駕しましたねぇ。余裕綽々にさえ見えます。はっきり勝負がつきましたね、この人の時代になりました。
 ベルリン国際映画祭、これがどれほどのものなのか知らないのですが賞好きのマスコミがまたまた大騒ぎして、このアワードで宮崎駿が受賞したんですってね、すわ今回は山田洋次かって、そう言えば監督、吉永小百合、浅野なんとかって男優が貰えるもんだって顔でインタビュー受けてる(もちろん日本の報道陣からだけですよ)映像を何度かTVで見ましたか、煽って煽って例の如くでしたが、これまたいつもの如く落選、作品だけでなくあるいは主演女優賞(そんなのがあるのかどうか、アカデミー賞ですかそれは)かと期待していたのにそれもダメだったそうです。おお、いつまで続く神風待ちの空騒ぎ。獲らぬ狸の皮算用ってのはこのことなんでしょうにね。で、下馬評にも挙がらなかった日本の新人監督が新人賞当てちゃって。誰もこの手の、品のない、物欲しげな卑しい感じすら漂わせる報道を止めようとしないんですな。質の劣化ここに極まれりですけれどねぇ。
 卑しい感じと言えば、これもお定まり、スポーツ実況の品のなさ。昨日のサッカー、北朝鮮戦、ご覧になりましたか。日本が勝つはずだ、相手の善戦は許さないってどうしてそこまで偏って実況しますかねぇ。ここは日本だって言うんです、中東はじめ、えこひいきを公然と許す国柄や国民気質じゃないんです。北朝鮮のシュート力やら当たりの強さをどうしてもっとそのままに評価しませんかねぇ。解説の金田何とかも、この人よく出てくる人で元日本代表なんでしょうが、まるで昔の金田正一や掛布のやる巨人戦解説風です、失敗したら「まだまだ」惜しくも何ともない場面で大仰に褒める、玄人っぽい言い方で素人煙に巻いて、結局ドローになったら「負けないことが大切です」って。プレイヤーもプレイヤーなら取り巻きも悪いわ。岡ちゃんも言い訳してましたね。これじゃぁ、何時まで経ってもダメなんでしょうねこの競技。国歌(君が代)吹奏の場面から見ましたが、ワーワーガーガーうるさいこと。また日本のサポーター達恥さらしが、と思って聞いてましたところ、この場所は中国重慶、日本からのサポーターは何度もカメラが追ってましたほんの一握り、数えられるくらいの数、ええ?それじゃぁこの声は相手からかい。まぁやるもんですわ、中国人達。マナーがどうのこうのよりも、反日です。ゲーム中もアナウンサー言ってました、完全にアウェーです!と。ま、こんな性格性質をお人好しって言って日本人はこうだからいけないんだ、だから国際競争に勝てないんだっていう論がありますが、そんな中で勝てばいいんですわ、知らん顔して勝てばいい。ニコニコ笑いながら勝てばいいんです。「中東の笛」も辞さず、反則アンフェアも辞さずってそんな勝ち方を潔しとせず、真っ正面から勝つ。その方向は決して間違っていないのでしょうが、しかし何ともその方法論が甘いンですわ外野から見ていると。それをお人好しって言うんだ!ですか。ううん、でもそれはそれで愛すべき日本人の資質のように思ってもいます。いかがですか。
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思惑

2008-02-17 10:32:46 | Weblog
教育指導要領の新案に向けて、左翼(日教組御用学者でしょう)学者は未練たらたらで言います、主要教科の時間数を更に増やし教育現場から更にゆとりを奪えば、できる子だけを伸ばす「古い教育」に逆戻りするだけだ、と。あなた方の言うゆとり教育とやらが大失敗だったから現状があり反省があり変更があるんでしょうに、全くひと事、人の所為です。いつもの通り。集団のレベルを上げるにどうするが有効でしょうか、考えてごらんになったことがありましょうか。こっち系の教員はこう考えます「底上げ」です、下の者を持ち上げようとします。これは私の経験したことです、学校の学業レベルを上げるために手を拱くのではなく対策して見せろと言ったところ、赤点の基準を上げますなんて答えを出してきました。平均点の四割を五割とか六割にしますなんて案です。びっくりして同時に怒りも湧いてきたこと、昨日のように思い出します。そんなことで全体のレベルが上がるわけがありません。そうでしょう?赤点に関係のない連中には何の効果ももたらしませんから。私はその時言いました、そうじゃない、上の奴らをどんどん引き上げろ、褒めて尻を叩いてどんどんやらせる、すればその層に続く連中がまたやり始める、グンと伸びていくんだ。下の者を少し上げて褒めたところでそれは上の奴らの意欲を削ぐ効果しかもたらさない、と。これは今も正しいと信じています。でも蛙の面に小便状態、教員達は苦笑いしているだけでした、ここは私立校ではないからなんて理由です。ああ、こんな事言っているようでは(こんな連中がここに居座っている限りは)百年河清を待つばかりと暗澹たる気持ちになりました。これが左翼による破壊行為なんでしょうね。平等公平を誤解釈する、そのまま大きく敷衍する。それが間違いだったことは明々白々です、60年掛けた実験結果は間違い失敗と出たのです。その張本人達が未だそれを認めない。盗人猛々しく言い募る。呆れてしまいます。ゆとりなんて大間違いだったでしょう?みんな気づいていることですよね。
 その一連、先に日教組の会合にプリンスホテル側がその使用を拒否して、裁判沙汰になって、ホテル側が負けたけれどもそれでもホテル側は使わせないと曲げない、日教組が怒っているって事件ありました。これについて曾野綾子が産経新聞に書いてました、そんな高級ホテル使わずに、身内で田舎に広い館持ってる人がいくらでもいるでしょうに、そこでやればいいことじゃないですかって。その通り。でも、今度はお仲間の連合(労働組合の集まり)がプリンスホテル系列のホテルを今後使わないようにって傘下の労組にお達しを出したって記事です。仕返しですね。なんとまぁ、幼稚なことですな。傲慢な資本家に対する搾取される貧しい労働者っていう色を未だに消さずにそういう立場でモノを言っておきながらリッチな会場を選ぶは世論を敵に回します、そういう所には全く無頓着、どこを使おうが勝手だろうにって平気。何でもかんでも人の所為にして、俺達は正義の味方、弱者の味方って鼻の穴膨らませてる。高級ホテル使う整合性はどこにあるんだ?使っていけない理由はどこまで行っても感情論を越えないものだけれど、ここを選ばねばならぬ理由に客観性はあるのか。どこを使っても保障された自由の権利だろうがというものであるなら、どうしてわざわざにこんな高級ホテルなんだ?という感情論を凌駕できません。挙げ句はこうやって仕返し通達を出して拗ねる。馬鹿馬鹿しいことです。どこで開催するかが会の位置づけだなんて俗にまみれるなら、あまり大口を叩かぬが得策でしょう。プリンスホテルはこう見解発表しているようです、集会の自由は国家・公的機関との関係で保障されたもので、民間に会場提供を強要するものではないと。顧問弁護士の言葉でしょうが、拒む自由も保障されているという前提のもとですね。その通り!
 市川監督の各紙の記事見ながら気づいたこと、朝日や日経は56年とか80年とか表記します。西暦表示ですが’56とか ’はもう加えません。一方産経新聞は31年とか58年で、こちらは元号表記です。昭和31年は1956年です。戦後間もなく、なんて言葉は46年とかより昭和21年と表記するほうががしっくりくると思うのですがいかがですか。いえ、特に昔の共産党が息巻いていたように天皇制廃止が左翼の思想の中心ですから、元号を使わないのは連中のイデオロギィーそのものです、朝日やら毎日、日経はずっと西暦表記です、今に始まったことではありません。が、今回妙にコントラストがついて、面白いことと思いました。やはりビルマの竪琴は56年ではなく昭和31年の作品でしょう。こちらの方がしっくりくると思います。如何ですか。
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断腸

2008-02-16 08:43:31 | Weblog
福田岩国市長、盛んにTVに露出します、政府の歴々に面談です。昨日は河野自民党県連会長と長谷川幹事長を伴って国会内で自民党幹部との面談場面が放映されてました。前市長とのコントラストというか、こうやって国策は果たされていくという手順を天下に示しているというか、既成事実化してこの若い市長に嫌とは言わせないとう大圧力というか。町村さんやら石破さん伊吹さんの妙な笑顔がそう言ってます。この市長なら意のままでしょうからね、彼らにすれば。その為に河野、長谷川両氏が後見役(証人と言うべきですか)でついていっているんです。政府は歓迎します、の意思表示。マスコミも囃し立てるばかりです。
 山口長門農協職員の二億円着服事件、この事件そのものじゃなくて、組合長の謝罪会見です。いちいち上が頭下げずともと思うくらい、確かに監督不行届ではあるのでしょうが判で押したようにマスコミが集まりフラッシュがたかれて爺さん達が頭を下げる絵柄には飽きましたね。見るからに飾り物風の組合長こう言いました、こんな事件を起こしたことに対し断腸の思いでおり・・。違うでしょう?泣いて馬謖を斬る、っていうニュアンスで使う言葉でしょうこれは。これでは職員を守っている様に聞こえます。こんな事件を起こしてしまって情けない、恥ずかしい、申し訳ないという意を伝えるには、慚愧に堪えない、でしょう。何だか違和感でした。
 小中学校の学習指導要領案が出されて、ゆとりから学力重視へ戻ったという評価のようです。新聞各紙が取り上げてます。悪名高かった(象徴として取り沙汰されていた)円周率を3にするという愚策が3.14に戻ったそうです。毎日は週休二日は間違いだったと打ちます。まぁ、舌の根も乾かない内によくもぬけぬけと、です。安倍さんが盛んに言挙げしていた教育改革、少しは進みそうですが、例によって朝日は黙っていません、社説で噛みつきます、授業時間を増やすだけで学力が上がり、日本の子供たちの弱点である考える力が育つのだろうか、とか、道徳心を教えるようになったことを指して、特定の価値観を画一的に押しつけるようになっては困る、具体策は現場の教員に任せろ、なんて。この60年の、いやゆとりがどうのこうの言いだしたここ20年の反省が全くないのです。グダグダに緩んでしまったこの秩序意識、規範意識は誰の所為なんですか。どの口で言うか?!です。こっち勢力の恣意に任せたことの反省は今こそなされるべきです。
 
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見えみえ

2008-02-15 08:44:28 | Weblog
市川昆と昨日書きました、崑が正しいです。訂正します。映画評論家の追悼文が紙上に載ります。東京オリンピックの映画、記録性か芸術性かの論議は、時の大臣(現衆院議長のおやじ)が言ったことだそうです。こういうことを人が死んでから知るわけです。棺の蓋を閉めてから人の評価が定まるなんて言いますが、世の多くの人は死んでからやっとその人を詳しく知るんです、そういう順序なんですね。生きているうちに褒めてくれよってことですが、それは生きているうちには人の評価など求めてはならぬってことでもあるのでしょう。深いことのようですが実はごく単純なこと。行蔵は我にあり、です。
 九大AO入試を廃止するんだそうです。縁のない方には知る必要もないことですが、AO入試とは(何の略語か正式には知りません)通常の学力考査ではなく、面接とか論文とかで「その人の特性で選ぶ」という方法、一芸に秀でた者を引き上げるなんて利点を挙げてました。でも、こっちで入学した者はその後成績不良なんですって。ははは、そんなこと目に見えていたこと、高校で入試勉強できぬ奴にその延長にある大学での勉強ができるはずがないです。学業成績で判断するというのは正しいんです。勉強に向いてない奴がどうして大学に行かねばならぬのでしょうね。やっと気づいたか馬鹿ども、って気持ちです。今流行りのKY読みすれば「アホでもOK」だそうですが。
 神奈川県教委、公立高校で日本史必修にするそうです。これは英断。前に履修不足問題の際に色々私達も知りました、世界史が必修で日本史が選択科目であるって事。何たる事じゃと憤慨もしましたが、そういえば私達の頃からそうでしたね。一も二もなく世界史を択っていたように思います。入試の科目としては高校生達にはどちらでもいいことではありましょう、でも、日本の歴史をちゃんと知らせるは大事なんでしょうね。せっかくの英断、もう一つお願いしたいは、縄文弥生はいいから日本史で一番面白いところ、幕末から明治維新、日清日露戦争、大正デモクラシー、帝国主義、昭和前期の動乱から逆向きに教えて欲しいと思います。きっと生徒も面白いと思います。わたしたちの時は明治まで届きませんでしたでしょう、時間がないとかで。日教組らの勢力の思惑でもあったのでしょうが、一番面白いところを教員が取り上げないは間違いです。彼らもこの辺り教えたいでしょうに。と、思いました。
 鳩山法相、謝罪してます、そんなことなら初めから言うなよ。朝日が社説で叩きます、仏の顔も三度だ!って。あんたが仏さんかい?その三度、ひとつは死刑促進論、死刑確定したのなら早く施行しろって言いました。二つ目、アルカイダの友人発言。そして今回が三度目。後者二つは肯きますが、前者はいいこと言いましたよね。一緒くたにしなさんな。そうやってあれもこれも一緒に潰そうってのが見え見えです。はぁ・・
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ご用心

2008-02-14 08:42:28 | Weblog
市川昆監督と言えば、私のような普通に映画を見る者にとればやはり東京オリンピックなんでしょうか。リアルタイムで見たわけじゃぁありません。TVにちらちら流されるスローモーション画像(トップアスリートの筋肉の動きに目を奪われます)やコマ送り画像(チャスラフスカの前転模様のあれです)、記録映画じゃないですわね、まるでプレイヤー用の教育映画のような様相。斬新、だったんでしょうね。そして私の趣味で言えば白黒映画「ビルマの竪琴」安井昌二と三国連太郎のやつ。戦後間もない頃の映画です、見る方にとってもリアルだったでしょうね、そういう風に思いを致せば白黒映画の迫力は心惹きます、昔の映画の醍醐味はここにあるんでしょうね、と思ってます。合掌。
 沖縄事件、県議会が抗議議決したってことですが、ここの県議会こんな事ばかりですね、全会一致なんでしょうまた。集団自決教科書問題の時と同じように。手続きとしてやっているだけ、二重三重外側から叫んでいるだけです。こんな議題なら、どこで決議しても全会一致で抗議可決ですわね、そこらの小学校の学級会でもそうでしょう。おまけに懲りずにここの知事は自分で喋りません、カメラの前だというのに大使と一対一の場面で抗議文原稿棒読みですわ。情けないことですねぇ、次の場面では米大使がもちろん顔を上げて堂々と(原稿読まずに)謝罪の弁明してました。どういう爺さんなんでしょうね、役人の文章読むばかりの政治屋なんでしょうね、自分の言葉で喋れない。ああこれなら女知事のほうがよかったんじゃないんですか。今朝の各紙は基地に米兵に依存している周辺の飲食店(飲み屋)の事書いてます、沖縄だけじゃなく佐世保やら岩国。米兵に対する態度はどっちに振れなければならぬのでしょうね、友好的に?警戒して?大人は前者。じゃぁ、子供は?こっちに県の方針指針はあるんでしょうかね。
 18才成人論、鳩山法相の意図や奈辺に。時を同じうして鹿児島の選挙違反検挙無罪事件は冤罪じゃないって。このおっさんも外連が多すぎです。スタンドプレーというべきか。冤罪の定義が明確じゃないからなんてわからぬ言い訳してます、富山でしたか痴漢の人違いは歴とした冤罪らしいです。この人粛々と判決に従って刑を受けた後の無罪判決でしたね。冤罪の定義が不明確なんじゃないですね、この人はちゃんと区別してますから。何かやりたくてうずうずしているんでしょうね、舛添さんやら冬柴、渡辺さんばかりでなかなか自分に出番が回ってこないもんだから。きっとそんな理由なんでしょう。18才問題は例の改憲国民投票法に引っかけての事らしいですが、明治以来の文化をひっくり返すは大変だなんて新聞は「科学的」に解説しています。変えると決めたらみんな変えなければならぬ事、そこが問題じゃなくて、昔ならいざ知らず、今の18のガキどもに成人なんてそんなのありですか?ってことですよね。馬鹿馬鹿しいことになってます、問題がすり替わっていきます。ご用心、ご用心。
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判断

2008-02-13 08:44:10 | Weblog
韓国の南大門(焼肉屋の屋号に多いので何だか変な気分ですが)焼失を書いた今朝の各紙のコラム、中国と毎日が三島由紀夫や水上勉の「金閣寺」を引き、日経が芥川龍之介の「羅生門」を引用してます。この辺りがコラム子の腕の見せ所なんでしょうが、所詮は人は(同類の人は)同じことを考えるって証拠でした。数々の戦禍をくぐってきた木造建築物が放火でなんて・・という色の論調ですが、その戦禍に豊臣秀吉の侵攻をも数えるところが(中国新聞)こっち系の新聞らしくていいなと思いました。そうか、韓国は戦場になったことがないのか、でも日清戦争は戦場が韓国じゃなかったですかね、日露は北朝鮮から満州です、大東亜戦争ではここまでB29は来なかったんでしょう?朝鮮戦争もここまでは北朝鮮攻め込めなかったはずですよね。なんて考えて、豊臣秀吉かぁ、です。京都人の笑い話、この前の戦争で・・と年寄りが言うときの戦争はアメリカとの戦争じゃない、応仁の乱だ、って類。
 愛媛宇和島病気腎移植の万波医師、保険医取り消しですって。すっかり忘れられて、一体あれはどうなったんだい?という話題になってしまいました。アメリカの学会で確か結局発表したんでしょう?ああいう画期的な実績は闇に葬ってはなりません、これは何度も言います。借り腹貸し腹問題とはレベルが違います、りんりりんりと夜も寝られず、にごまかしちゃなりません。と、その話は措き、保険医取り消しのこと、これは一大事。つまり、万波さんがする医療行為に保険が利かなくなるんです、こういう人を勤務医として雇いません病院は。国も嫌らしいことをすることです。ちんけな不正請求するその辺の馬鹿医者と一緒くた。もっと別のお咎めしたらどうですかね、結局岩国と同じ兵糧攻めです。気の毒に思います。都会の美容外科のように全て自費診療なんてこと、田舎の泌尿器科でできるはずがないです。それともこの人やりましょうか、全額自費で腎移植。需要はあるんでしょうねぇ。 
 岩国福田さんの当選を待っていたかのように沖縄で米軍不祥事。米軍を受け入れるという一方で米軍による無体。福田さんもこっちの話題に引っ張られる気配です。政治家達は遺憾遺憾の連呼。あの沖縄知事見ましたか、あれだけの事言うのに紙見ながらの棒読み。おまけに被害者を被疑者と読み間違える。あんな高慢ちきジジィに女子中学生になんちゅう事を、なんて道徳論言って貰いたくないですわね。でも、先に岩国に来ている兵隊が広島で同じようなことやって、こっちは二十歳過ぎてましたか、大騒ぎでしたが、起訴しないって事になって。合意がどうのこうの。今回は未成年ですから合意もくそもないのだという理屈はわかりますが、さて広島と同様、この娘に非はなかったのか。例えば白昼いきなり連れ去られて「暴行」されたのであればこれは無体、まさに犯罪であうが、各紙の少しずつの記載を合わせれば、誘われてこの娘はついていったんでしょう。中学生が、しかも女子中学生がその辺りの判断できないわけがありません。ノコノコついていく方がどうかしている、親はどういう教育を躾をしているんだ?!って論は間違いですかね。米軍がいるからこんなことになる、だから米軍出て行け!と言いたいのなら、この論は筋違いというかこんな考え方はどうでもいいことでしょう、こういう事件を待っている向きには。猟奇的な強姦事件暴行事件じゃないでしょう。いえ、だから問題にしなくてもいいと言うのでもありません。でも、この娘にも咎めは及ぶはずでしょうに。そうです、こうマスコミが取り上げると、当事者の問題ではなくなって、沖縄対米軍、日本対米軍の問題に変わってしまいます。米軍兵隊についていくなってちゃんと全県的に教育しているんでしょうかね。きっと、個人の自由だからとか何とか言ってね、左翼の強い土地柄そのままに。どっちもどっちだから、何十年経っても変わらないんですよ、きっとそうですね。
 
 
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きつい

2008-02-12 08:42:34 | Weblog
文藝春秋三月号芥川賞作品掲載されてます。今年は直木賞ともども女作家が受賞して、それはそれで華やかなこと、でも題名がどっちもどっちで、読書欲をそそりません。帯を読むともっとだめ。いえ、これは私の感想です、私の好みです。ですから読んでません。最近のこの両賞作品で読んだのは、何年か前の坊さんの書いたやつだけでしょうか、すみません私の趣味です、書評しようというのではありません。その文藝春秋に選評が載っていて、石原慎太郎がいつもの口調でバッサリです。こっちが面白くて書いてます。この作品を評価しなかったということで将来私が慚愧することは恐らくあり得まい、って。あり得ないだろう、とか、あり得ないと書かずにあり得まいと書くのがこの人の癖で。あるいは、あり得はしまいに、とか。これも勝手に一人で面白がってることでした、すみません。
 文藝春秋からもう一つ、松本隆の寄稿。これがまた面白いです。松本隆といえば稀代の作詞家、昨日の話じゃありませんが拓郎に多く歌詩を書いている人、阿久悠の向こうを張る人です。この人はプレイヤーとしても名を為した人、幻のバンド「はっぴぃえんど」のメンバーです。あの曲群はストレートなロックンロールに馴染んでいる頭には「前衛」のテイスト、私にはリアルタイムではとても聞けないモノでした。大滝詠一はぐっと歌謡曲側の曲作りますから分かり易い、細野晴臣はけったいな曲、鈴木茂のギターはシャープでしたがそれもあのけったいな曲あればこそのものに思えました。松本隆の名はやはり作詞家として知っているものでした。拓郎の曲の詩はいいですよね。この人が書きます、(今の歌手達の自作曲を指して)自分の言葉で歌わせる風潮はどうかと思う、詞の水準の低さが音楽のパワーを低下させているって。全くそう思います。今の歌手達の言葉は歌詞じゃないですよね、日記か走り書きのレベル。宇多田ヒカルもそう、私に言わせればミスチルもそうです。言葉が生に過ぎます。さだまさしとか谷村しんじ(漢字忘れました)とか、あそこまで外連味を出さずともいいのですが、あれくらいに歌詞というからには言葉を選ばねばならぬと思うのです。なるほどなるほど、と思いながら読みました。面白いですよ。
 長嶋がリハビリ特集番組に出てました。病気してから初めて肉声が電波に乗ったのではないのでしょうか。構語障害が前景でした、インタビュアーの質問には的確に応えてましたから(そう見えました、編集してあったなら知りません)。でも、悲しいかな病人でしたね。ご覧になった方多かったんじゃないでしょうか、いかが思われましたか。どうして敢えて人前に出てくるかな、と思ってしまう方です私は。画材とすればものすごくビッグな人、よくわかります。この人でもこんなに頑張っているんだ。言いたいことはわかります。でも、晒し者じゃないですか?「本人が望むのだから」きっとこれが放送側の言い訳でしょうね、そうなんでしょう、長嶋本人が受諾した放映だったのでしょう。でも、きつい。見る方はきついです。目を背ける思いでした。ニコニコ笑いながら、明るく振る舞っていればいるほど、あの現実は見るにきついことでした。
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共感

2008-02-11 10:17:57 | Weblog
岩国、福田さんの勝ち、米軍移転容認派の勝ちでした。結果からあれこれ遡るは簡単です、暫く玉石混淆の評論が次々に現れるでしょう。失礼ながら私は井原対反井原と思っていました、井原対福田ではなく。いえ、前回の市長選は大差の勝負でした、福田さんでなければ今回の選挙は勝てなかったでしょう、岩国事情を考えれば。福田さんだから勝てたという説には与します、が、これだけ岩国には反井原もいたという事実です。実質まことに賛否二分していたという結果です、得票見ると。嫌気、厭気、閉塞感。国に反対するはいいのだけれどどうにも動かない状況、岩国事情をどう整えようと変わりそうにない状況、市民には見えていますから。井原さんがここまで引っ張ったからこれだけ市民の意見というのがはっきり見えたということでもあるのでしょう。おそらくどの地でこの手の判断があったとしても岩国の如く賛否半々になるんでしょうね、これはいい雛形、前例になるんじゃないんでしょうか。政治学とか社会学の学者達には格好の事例になるのでしょうね。ひとつ感心したのは(もっと強調するべきとも思いましたが)当確が出た後のインタビューで福田さんが井原さん支持の人達に宛てて岩国のために伴にやりましょうという趣旨のことを言っていました。まさに半々であったことを踏まえて見ても、これはいいコメントでしたね。争点(艦載機移転問題)をはぐらかされたというのが井原さんの敗戦の弁でした。これが勝者と敗者の差ではあるのですが、諸行無常を感じたことでした。
 時津風部屋前の親方、逮捕されて保身に汲々としています、いかな弁護士に誘導されているとは言え報道にこぼれてくるのは、俺は知らぬ、皆勝手に弟子達がやったことだ、しごきの現場など見ていないなどなど言い逃ればかり。実行犯の兄弟子達は、親方の命令は絶対だからやったんだと言います。こんな親方の元にいたのかと思うと連中も情けないでしょうね。横綱の品格をあれこれ問う前に、って事になりますわねこれじゃぁ誰が聞いても。一親方の資質の問題、性格の問題に終わらせようとする相撲協会の態度が問われますか(すでにワンワン叩かれていることですが)。名選手必ずしも名監督ならずです。叩かれてきた人はきっと叩きます。しごかれてきた人はきっとしごきます。この連鎖(学者が使う、新聞がよく使う単語です)をどう断つのか。元力士に経営させている所から変えるべきなんでしょうね。大金掛けて手に入れる利権です、はいそうですかって連中手放すわけがないですけれど。
 「結婚しようよ」という映画見ました。言わずと知れた拓郎の大ヒット曲、拓郎をメジャーに引き上げた曲です。ベストテンのずっと前、芳村真理の夜のヒットスタジオ華やかかりし頃、夜の8時台に歌謡曲番組がいくつかあった時代があって、記憶に強いのは愛川きんやが司会していたヒット30だったかの番組、森田健作、チューリップ、朱里エイコのいい時代、その時代にこの歌が売れて、でも拓郎TVに出ないんです。フォーク歌手はTVに出ないってフォーム作ったのもこの時代でしたか。心待ちにして、出てこないことをそれなりに楽しんでいた心持ちを覚えています、TV少年でしたから、高校生時分よく覚えています。その後、このラインに乗って売れてもTVに出ないのが中島みゆきであり陽水であり矢沢永吉でしたね。ま、それは措いて映画の話。三宅裕二と真野響子の演ずる夫婦の物語なんですが、後ろに拓郎の曲が散りばめられるんです。劇中、拓郎の曲を若いバンドが唄います、これもまたそれなりによし。中の森バンドっていう(おじさん知らない)女バンドが出てくるんですが、おお、このボーカル上手。キャンディーズの曲カバーするんです、そうあの拓郎作曲の二曲。泣けましたよ。拓郎フリークにはもちろん、そうでない人でも私と同世代の人ならすぐに入っていけます。是非ご覧になるといいです。映画見ながら、拓郎の曲が流れるたびに、最近急にトリビュートCDやらDVDやらが慌てるように出されることや、コンサート中止の情報を聞いたりして感じていたこと、ああ、拓郎もうすぐ死ぬのか・・という思いが湧きあがり、それでまた泣いてしまうって繰り返しでした。同時代に生きていられて(それは音楽に限りません、スポーツでも政治でもどの分野についてでもです)幸せだったなと思える人が何人かいるでしょう。リアルタイムに見ていられた、その人の声を聞けたという幸せ。私にとって拓郎はまさにその一人です。拓郎を好きでよかった、拓郎を聞き続けてきてよかった、という思いになるわけです。好きだから聞いていただけのことですけれどね。この人は亡くすには惜しい人だと、本当に思います。大才能ですから。おそらくこの映画を見て多くの人が同じ思いになったんじゃないかと考えてました。是非ご覧下さい。共感してもらいたいと思います。
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稚拙

2008-02-10 09:49:05 | Weblog
日本の国会はちんたらちんたらやってます、盛んに国会中継やるもんだから、議員連中も意識しちゃって下手なパフォーマンスばかり、あのフリップ代も馬鹿にならぬ事でしょうにね。もっと天下国家を話したらどうなんですかね。今朝のTBS番組であのオームで有名になった江口女史が言ってました、解散の選挙のとミミッちぃことばかり言ってると、その通り。小沢さんの戦略なんでしょうが、こんなちまちましてたんじゃぁ所詮は参議院だけかいって世間も気づいてしまいます。そう納得してしまいます、衆議院の2/3は大きいと。だから、次の選挙だ!衆院選だ!鳩山さんのよく言う直近の民意を反映しろ!です、そこの方針はよくわかりますが、自民党がポテポテ転けるのにそこを突けない、自民党は白々しくも民主党の焦りを嗤うように岐阜一区の公認を野田聖子に決めたなんて呑気を発表して耳目を集めます。菅が出てきてもなんだか理屈ばかりで、利権を突くなら突くでもっとグサリと刺せるだろうにうだうだ言ってる、きっと脛に傷があるんでしょうね。渡部の爺さんが出てきたら慇懃無礼でかわされる。岡田は相変わらず眉間にしわ寄せて原理原則主義を振り回すだけ。大阪知事選大負けしましたから、直近の民意というフレーズは使えなくなりました。民主党、こんな方針でいいんでしょうかね。訂正変更したほうがいいんじゃないんでしょうかね。もう聞いてる方も飽き飽きしてます、足元の事ばかりグダグダぐだぐだ。牛歩戦術なんていう引き延ばし手口しかないんですかね。今回もそうでしょう、予算案やら給油法の審議の筈が、年金のガソリンの道路特定財源のと持ち出して混乱を惹起する、予算が成立しないまま新年度が始まってしまうなんて不祥事の責任を問う、内閣総辞職か総解散かなんて。もっと違う、真正面からの、堂々の正面突破を戦術として採れないですかねぇ。もっともっと世論を盛り上げる、世論を味方に付けるやり方があるんじゃないんでしょうかね。参院選の勝利の温さが残っている内に、という焦る気持ちはわからぬでもないですが、拙速ですね。且つ幼稚。国会では自民党のアラを突けるだけ突いて評判を落として、その悪評のうちに選挙へ、なんてね、国会をTV放映される劇場かなんかと捉えて、国会の中でケリを付けようなんて思っている。でも出てくる役者がなんとも大根で且つ貧弱、大向こうは白けてます。唸るどころか呆れてます。こんな事で勝てると思ってるんでしょうかね。民主党の提案する対論聞いていても五十歩百歩です。公務員、天下り役人、そして利権議員、族議員に落ちていく金を絞ればすぐに解決することが多いんでしょうに、そこに菅さんは触れようとしてますが殴り込めない、額が違うだけでこっちも賄賂賄の世界の住人に違いないという証拠です。どうしましょうかね。どうもなりませんかね。誰が役人になっても同じことをする。このことわざは真理ですから。
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