柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

きつい

2008-02-12 08:42:34 | Weblog
文藝春秋三月号芥川賞作品掲載されてます。今年は直木賞ともども女作家が受賞して、それはそれで華やかなこと、でも題名がどっちもどっちで、読書欲をそそりません。帯を読むともっとだめ。いえ、これは私の感想です、私の好みです。ですから読んでません。最近のこの両賞作品で読んだのは、何年か前の坊さんの書いたやつだけでしょうか、すみません私の趣味です、書評しようというのではありません。その文藝春秋に選評が載っていて、石原慎太郎がいつもの口調でバッサリです。こっちが面白くて書いてます。この作品を評価しなかったということで将来私が慚愧することは恐らくあり得まい、って。あり得ないだろう、とか、あり得ないと書かずにあり得まいと書くのがこの人の癖で。あるいは、あり得はしまいに、とか。これも勝手に一人で面白がってることでした、すみません。
 文藝春秋からもう一つ、松本隆の寄稿。これがまた面白いです。松本隆といえば稀代の作詞家、昨日の話じゃありませんが拓郎に多く歌詩を書いている人、阿久悠の向こうを張る人です。この人はプレイヤーとしても名を為した人、幻のバンド「はっぴぃえんど」のメンバーです。あの曲群はストレートなロックンロールに馴染んでいる頭には「前衛」のテイスト、私にはリアルタイムではとても聞けないモノでした。大滝詠一はぐっと歌謡曲側の曲作りますから分かり易い、細野晴臣はけったいな曲、鈴木茂のギターはシャープでしたがそれもあのけったいな曲あればこそのものに思えました。松本隆の名はやはり作詞家として知っているものでした。拓郎の曲の詩はいいですよね。この人が書きます、(今の歌手達の自作曲を指して)自分の言葉で歌わせる風潮はどうかと思う、詞の水準の低さが音楽のパワーを低下させているって。全くそう思います。今の歌手達の言葉は歌詞じゃないですよね、日記か走り書きのレベル。宇多田ヒカルもそう、私に言わせればミスチルもそうです。言葉が生に過ぎます。さだまさしとか谷村しんじ(漢字忘れました)とか、あそこまで外連味を出さずともいいのですが、あれくらいに歌詞というからには言葉を選ばねばならぬと思うのです。なるほどなるほど、と思いながら読みました。面白いですよ。
 長嶋がリハビリ特集番組に出てました。病気してから初めて肉声が電波に乗ったのではないのでしょうか。構語障害が前景でした、インタビュアーの質問には的確に応えてましたから(そう見えました、編集してあったなら知りません)。でも、悲しいかな病人でしたね。ご覧になった方多かったんじゃないでしょうか、いかが思われましたか。どうして敢えて人前に出てくるかな、と思ってしまう方です私は。画材とすればものすごくビッグな人、よくわかります。この人でもこんなに頑張っているんだ。言いたいことはわかります。でも、晒し者じゃないですか?「本人が望むのだから」きっとこれが放送側の言い訳でしょうね、そうなんでしょう、長嶋本人が受諾した放映だったのでしょう。でも、きつい。見る方はきついです。目を背ける思いでした。ニコニコ笑いながら、明るく振る舞っていればいるほど、あの現実は見るにきついことでした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 共感 | トップ | 判断 »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事