拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ジャミラ

2023-04-14 10:07:57 | 日記

毎朝の認知度チェックは朝うどん作りで。「うどん」「肉」「野菜」「めんつゆ」をちゃんと入れたか。その尺度で言うと今朝は不調。肝心のうどんを入れ忘れた(もはやうどんではない)。だが悲観することはない。パンツを履くのを忘れて出勤しようとする女子アナがいるというし。入ってないことに気づけばまだ大丈夫である。うどんが入ってないのにうどんを食べたと言い張ったなら、それは危ない証拠である。

それより問題なのは昨日のJアラート。「ミサイルが北海道付近に落ちる」と発表した後、「その可能性がなくなった」として「訂正」。え?「訂正」ってことは間違ったってこと?するとその後、「訂正」を「取消し」に「訂正」した。なにごともなくて良かったが、狼少年のたとえ話もあるしねぇ。

高田馬場に行くのに神楽坂から歩いた。馬場下(早大の正門近く)から左に穴八幡を見ながら高田馬場に向かう通りが上り坂になっていた。

で、しばらく行くと今度は下り。

そうか!早稲田は「田」というくらいだから低地。近くに神田川も流れてるし。その低地と高田馬場の間が台地になっているのだな。45年前、学生だったときは、ブラタモリをやってなかったから、そういうことには無頓着だった。

通りの途中に早稲田松竹(映画館)があった。

おお!昔もあった!「タクシードライバー」を見たのはここだっけ?

ということで、映画の話である。昨日、「科学特捜隊」について触れたが、北野武監督の作品の中で、科学特捜隊のパロディーみたいなのが出てくるのは「みんな〜やってるか!」。「世界の北野」を尊敬するファンは、この作品については口をつぐむそうだ(ネタバレあり)。なにしろ、ダンカン扮するヒーローが透明人間になって女湯に入ったりして、最後はハエ人間になって、それに対峙するのが科学特捜隊もどきであり、その隊長を演じてる小林昭二は、まさにウルトラマンの科学特捜隊のキャップである。因みに、ダウンタウンの松本人志が監督した「大日本人」って映画があるが、ちょっとテイストが似ている。

ついでだ、この俳優さんがよくこんな映画に出たな、と思うものを挙げておこう。メリル・ストリープが出た「永遠に美しく」と、デミ・ムーアが出た「絶叫屋敷にいらっしゃい」。どっちも、馬鹿馬鹿しくて笑える。私は好きである。後者は、なんかのコンクールで「最低作品賞」と「最低主演女優賞」を獲得した。

因みに、初代ウルトラマンの副主題歌的な歌に「科学特捜隊のうた」って言うのがあって、ちょっと口ずさんでみた。「わーるいやーつらをやっつけるー」……「悪い奴ら」って怪獣のことだが、怪獣を悪者ととらえるのはあくまでも人間目線である。怪獣からしてみれば、自分達を攻撃する人間こそが悪者である。「ウルトラマン」では、そういう目線にたった回もあった。例えば、ジャミラ(ネタバレあり)。私らが小学生のとき、セーターを頭までかぶってジャミラの真似をしていたが、このジャミラは、元人間の宇宙飛行士だったのが宇宙で置き去りにされて怪獣に変身し、地球に舞い戻ってきたもの。その事実をひた隠しにする科学特捜隊のパリ本部は日本の科学特捜隊にジャミラの駆逐を命ずる。動揺する隊員たち。最後、ウルトラマンの水攻撃で絶命するときのジャミラの赤ん坊のような泣き声が胸にささる。このときの監督は実相寺昭雄。子供番組とは思えない重い回だった。実相寺昭雄が監督のときはそういう話が多かった。


ゼットン

2023-04-13 08:55:41 | 

ウチのお嬢たちは肉球をさわらせてくれる。日頃、私に大いにお世話になってるから、せめてサービスで肉球くらい触らせてやろうと思ってる風である。

早いもので、もう初夏の陽気である。春になって虫が土から出てくる様を啓蟄というが、この時期、ウチの猫らは土ではなくコタツから出てきて、ケメ子は重役椅子が定位置となる。

この椅子は「腹筋くん」とかいう言う名前がついていて、私が腹筋を鍛えるために通販で買ったモノだが、本来の用法(腹筋)に用いられてことはほとんどなく、もっぱらケメ子の居場所となっている。それでよい。ある先生が言っていたが、声楽に必要なのは横隔膜の動きで、六つに割れてるような腹筋は不要だそうだ。管楽器にも同じことが言えよう。合宿で、二人一組で腹筋をやったのは、大学の合唱団だっけ?高校の吹奏楽部だっけ?因みに、中学の陸上部の顧問の先生は、「うさぎ跳びは百害あって一利無し」と言って生徒にやらせなかった。慧眼である。

肉球の話ついでに脚の話。ティラノサウルスは後肢に比べて前肢が異様に小さいと言われるが、人間だって、脚と腕の太さはまるっきり異なる。ただ、さすがにティラノサウルスほどの差はない。アロサウルスくらいの差だろうか。因みに、ティラノサウルスは白亜紀に生きた恐竜。ジュラ紀にいたのはアロサウルス。だから、映画「ジュラシック・パーク」にアロサウルスが出てこなくてティラノサウルスが出てくるのは本来変なのである。実は、私はティラノサウルスよりアロサウルスを先に知った。小さいとき読んだ「太郎の冒険旅行」に出てきたからである。この二種の比較であるが、ティラノサウルスの方が大きくてパワーがあるが、アロサウルスは俊敏だったそうな。例えて言うなら、ティラノサウルスがジョージ・フォアマンで、アロサウルスはムハメド・アリであり(ある)。

恐竜の話ついでに怪獣の話。だが、怪獣は通過点で怪獣と日夜格闘したウルトラマンの話。アマゾン・プライムで「シン・ウルトラマン」を見た。劇場で見て以来である。こないだ「シン・ウルトラマン」について、「テレビではスペシウム光線発射のシーンと、それが怪獣に当たるシーンが別々だったが、映画では、横長のスクリーンなので、2つのシーンを同時に見れてうれしかった」と書いたが、これは記憶違いであった。スペシウム光線はたしかに横にびよーんと延びてすごかったが、そのシーンに怪獣は映っておらず、命中するのは次のシーンだった。因みに、「シン・ウルトラマン」にはゼットンが登場する。「ゼットンって、テレビ放送の最終回で、ウルトラマンを倒したんだよね」と言って通じる相手は同年配……とも限らない。同年輩でも全員がウルトラマンを見ていたわけではないし、逆に、もっと若い世代でもビデオで見て知ってるかもしれない。例えば、私は、リアルタイムでビートルズを聴けた世代ではないが、レコードを聴きまくって大概の曲は知っている。そのゼットンを倒したのは人間(科学特捜隊)である。地球人は、すべてにおいてウルトラマンにおんぶにだっこではなかった、という制作側のメッセージだろうか。スターウォーズのスピンオフのある回で、敵のドロイドの大群を結局ルーク・スカイウォーカー1人で倒し、なんだルークがいればそれだけでよかったのか、と思ったのとは対照的である。


高齢者(フィレンツェ)

2023-04-12 09:01:33 | 音楽

今日のあさイチで、福岡グルメの「キャベツと豚肉炒め」を作っている間のBGMがメンデルスゾーンの「イタリア」だったのはなぜだろう。BGMには隠れたヒントがあって、そこに音声さんのウィットが垣間見えて楽しいのだが、今回は不明である。だが、当ブログの今日のネタにとっては良い前振りであった。

ということで、イタリアのフィレンツェの話。「屋根のない美術館」と形容されるこの街の見所の一つはアルノ川にかかるヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ。写真はウィキペディアから引用)。

この橋の名を聞いて、オペラ好きは「ジャンニ・スキッキ」のラウレッタのアリアを思い浮かべるだろう。娘が父に、お願いを聞いてくれなきゃヴェッキオ橋から飛び降りると脅迫する歌である。

このアリアはきわめて叙情的だが、叙情的なのはここだけ。他はドタバタ劇。しかも、主人公のジャンニ・スキッキが死人になり代わって偽の遺言をするという、私文書偽造罪の間接正犯に問われるようなとんでもない話である。ジャンニ・スキッキは、言うなれば、ヴェルディのファルスタッフに相当する。だが、ファルスタッフが好きなのは女性であるのに対し、ジャンニ・スキッキが好きなのはお金である。

そのフィレンツェで大昔、幅を効かせてきたのがメディチ家。「メディチ」(medici)は「医者」(medico)の複数だから(イタリアの名字は大概複数形である)、この一族はもともと医者の家系?この想像は当たりのようだ(ウィキペディアによれば)。

そういうことを書いてやろうと思ってたら、BSの「世界ふれあい街歩き」の舞台が偶然にもフィレンツェ(こういう偶然は極めて多い)。あれ?と思ったのは、街の人が取材班と別れるときみんな「アリベデル『シ』」と言っている。イタリア語の「ci」の発音は「チ」と習うが、多くのイタリア人が「シ」と言うことは知っている。NHKのイタリア語講座に出てたジローラモさんが、いつも陽気に「チャーオ!アミーシ!」と言っていた。お!ってことは、フィレンツェの人は、メディチ家を「メディシ」と言うのだろうか。言いそうである。日頃シーシー言っていて、「Medici」の「ci」だけ「チ」とは言えないだろう。

ところで、「アミーシ」のジローラモさんはナポリの人だから、私は「シ」は南部の方言だと思っていた。だが、フィレンツェってローマより北。そこでも「シ」って言うの?そうかと思えば、番組の舞台がフィレンツェの少し南のシエナに移ると、そこの修理屋さん親子は「アリベデルチ」って言ってる。え?南に行ったら逆に「チ」なんて……じゃあ、南部の方言だと思ったのは間違い?それとも、その親子は北部から移住してきたとか……分からん。

いやしかし、フィレンツェは本当に良い街のようだ。番組で、マーブル紙を染める女性の職人さんを紹介していたが、本当に魔法のようだった。その女性は、マーブル紙に恋してると言っていた。あら残念(なにが?)。

「ci」を「チ」だったり「シ」だったりいろいろのイタリア人でも、ヴェルディの「仮面舞踏会」のリッカルドの開口一番の「Amici miei 」(私の友(複数)よ)を「アミーシ・ミエーイ」と歌うのを聴いたことはない。「アミーチ」である。やはり標準語は「チ」なんだなー。「シ」と歌ったら直されるんだろうか。

ポンテ・ヴェッキオの「ヴェッキオ」は「old」の意味。つまり、「古い橋」と言うことである。「old」だから「年寄り」の意味もある。いったい人は何歳から「ヴェッキオ」(女性なら「ヴェッキア」)になるのか。日本では「前期高齢者」になったとき、という人がいるが、そういう説には絶対与しない(目前なので)。歳は関係ない。若いと思ってるうちは若い、と言っておこう。因みに、「ジャンニ・スキッキ」にはツィータという女性が登場するが、この人は「ラ・ヴェッキア」と呼ばれている(スコアにも「la vecchia」と表記される)。この人の歳をプッチーニは「60歳」と指定している。前期高齢者以前である。極めて不愉快だが、まあ、時代が違うということで大目に見て進ぜよう。


猫がイカを食べて脚気になる件

2023-04-11 10:26:32 | グルメ

昨日アップした中華の合成写真の一部に「イカとニンニクの芽炒め」があった。単独で、あらためて掲載しよう。

中華料理の名前は、主要な食材を二つぐらい並べて付けるという。ここで名前に選ばれた食材はイカとニンニクの芽。しかし、写真で分かるとおり、使われてる食材はその二つに限らない。「落選」した中には、キクラゲとニンジンとメンマがある。キクラゲなんかは他の料理では主役の扱いなのに(料理名にその名を冠するのに)、ここでは群衆扱い。さぞや口惜しいことだろう。

実は、一夜明けて、写真を見て、すぐに「イカとニンニクの芽炒め」という料理名が出てきたわけではない。これなんだったけ?と思ったモノが鱗のようなブツブツのあるコレである。

「中華 ブツブツ」でググると「蕁麻疹」がヒットしたりしてなかなか正解が出てこない。食感と味を思い出して、イカだった、と気づいた次第である。フェイントとなったのはまさにその「ブツブツ」。イカは軟体動物であり鱗はない。なのに、包丁で切れ目を入れてわざわざ鱗を作っている。これが正解(イカ)到達への障碍となった。因みに、魚やは虫類の鱗は、体の防御のためにある。もし、防御のために一枚の固い殻で体をおおったら動きが鈍くなる。一枚を細分化して鱗にすれば動きやすくなる。ということだ。なるほどね。鱗のない軟体動物に含まれるのは、イカ、タコのほか、水の中では貝類、陸上ではカタツムリやナメクジなど。軟体動物のデフォルトは貝殻付きであり、イカ、タコ、ナメクジはそれが退化したそうだ。なるほどね。

なーんてことを書こうと思ってたら、BSの動物番組で、小笠原のカタツムリを紹介していた。貝殻のほとんどが退化していてナメクジのようだが、わずかに貝殻が残ってるのでカタツムリだそうだ。その番組の主役はダイオウイカとマッコウクジラ。マッコウクジラがダイオウイカを食べるが、ダイオウイカも大人しく食べられるわけではなく、吸盤の付いた腕で激しく抵抗する(ライオンとヌーの戦いのよう。ヌートバー選手のヌーイングでヌーの大群を思い出すワタクシである。それにしても、鯨って、大人しくプランクトンを食べてるのかと思ったら、ダイオウイカのような大物を食べる種類もあるのだね)。ダイオウイカはダイオウイカで、自分より小さなイカを食べている。われわれに食べられるイカに同情する資格はない。こうやってイカを食べているのだから(今回の記事のジャンルも「グルメ」である)。

西洋には、海にはクラーケンと言うイカだかタコだかのお化けが住んでいて、船を襲うという伝説がある。映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」にも登場する。その大元はダイオウイカだという説があるそうだ。

因みに「猫がイカを食べると腰を抜かす」という。これは、美味しくて嬉しくて腰を抜かすのではなく、具合が悪くなって腰を抜かすのである。タマネギなどと違って猫にとっての毒が含まれてるわけではないが、イカにはビタミンB1を分解する酵素が含まれていて、食べ続けることによってビタミンB1不足になる、だから腰を抜かすのだそうだ。ってことは、イカを食べて腰を抜かす猫は脚気ということになる。

因みの因みに、江戸では町民はひたすら白米を食べていた。だから脚気が多かったという。白米を食べるのは当時グルメの証しだったろう。イカを食べる猫もグルメだろう。すると、今回の結論は、「グルメは脚気になる」である。


2023-04-10 11:42:49 | 音楽

麹味噌合唱団(仮称)の練習のあと、久しぶりに独りではない反省会。帰り道のM戸で飲むと必ず病的酩酊状態になるのをM戸のせいにして(M戸には私を乱れさせる何かがある!)、綾瀬まで逃亡し、そこでお一人様を決め込んでいたのだが、そんなことを続けていると永久にM戸で飲めない。実は、M戸は、40年前、サラリーマンになったときに入った独身寮があった場所である。そうしたゆかりの場所で飲めないのは寂しい。三谷幸喜はもともと猫アレルギーだったが、その猫のモフモフに密着するという荒療治によって免疫を得たそうだ(昔、新聞の連載に書いていた)。私も、逃げてばかりいないで免疫をつけなければ。と思い、M戸で飲む覚悟を決めたのである。昨夜は大丈夫であった。早くも免疫効果だろうか?

その麹味噌合唱団の指揮者先生が練習中に「カウンターテナーは(声帯の)裏声で歌ってるのではない。仮声帯を使って強い声を出しているのである」とおっしゃってた。なるほどー。私も、アルトを歌うとき、話したり男声で歌うときと鳴ってる場所が違うなー、だから風邪で声が出なくてもアルトで歌えたりしてたよなー、どこが鳴ってんだろ?」と思っていた。我が意を得たりである。と言っても、その場所の名前が「かせいたい」だと分かっても、これまでと何かが変わるわけではない。前から強いアルト声を出すことを目標にしていた。現在、アルト、テナー、バスの各パートの中で、私が一番響く声を出せるのはアルトである(男声が「へらへら」だから、とも言える)。

だいたい「裏」という呼び名がよくない。「裏口入学」「裏金」「裏街道」等々、マイナスイメージの言葉が多い。だからか。私が子供の頃、日本海側を「裏日本」と呼んでいたが、いつの間にか「日本海側」に変わっていた。そもそも、大陸から見れば、日本海側こそが「正面」である。私にとっては、裏声(だから先生に言わせると「裏声」ではないのだが)こそが表声である。

その歌と並行して、楽器もあれこれやっているが、セッションやソロ・コーナーがあると、それがモチベーションとなって、そこでやる曲を練習する気になる。私は、怠惰な人間で、そういうモチベーションがないと、ブログばっかり書いていて、なかなか練習をする気にならない。しかも、練習しようかな、と思っても、音楽室(兼書斎=ブログを書く場所)には楽器がぞろぞろあって、さてどれから始めようかと思ってるうちに日が暮れてしまったりする。だからセッション等は、今の私にとって生活のリズムを刻んでくれるメトロノームなのである。

あらためて、写真を見る。やはり中華は数人で行くのがよい。いろんな種類を頼める。卵高騰のおり、キクラゲと卵と豚肉炒めに大量の卵が使われてるのもうれしい。因みに、餃子は、ホントは左右がもうちょっと短い。写真の加工の際に若干引き延ばしたものである。

因みに、読者は「M戸」でどこを思い浮かべるだろうか?水戸なんかはいい町である。同じ茨城の廻戸は「まわりど」ではなく「はさまど」と読むそうだ。


浴びせ倒しで鯉の勝ち

2023-04-09 09:52:46 | 日記

広末涼子演じる朝ドラ主人公の母親が好きだった白い小さな花はバイカオウレンと言うんだそうな。私も、白くて小さくて群生している花は好きで、見ると撮る。

でも、これはバイカオウレンではなさそう。バイカオウレンは、5片の花びらは慎ましいが、その中は花火のようににぎやかである。次に白い花を見つけたらそこんとこに注意して見ることにしよう。

広末涼子が早稲田大学に入学したとき、朝日新聞の夕刊が、大隈さんの銅像の前を歩く広末の写真を一面に載せていたのを覚えている。一発でうまく撮れなかったので二度歩いたんだっけ?因みに、私が広末涼子の出演映画で一番印象に残ってるのは浅田次郎原作の「地下鉄(メトロ)に乗って」……と書いたところで裏をとるためにググる。え?広末涼子は出てない?なにと勘違いしたんだろう?たしか、ドラム式洗濯機に入って過去に行くんだった。分かった、「バブルにGo」だ。タイムスリップするところで混同したのだな。浅田次郎原作の映画は、「地下鉄……」のほかに「椿原課長の七日間」や「憑神」を覚えている。どっちにも西田敏行が出ていた。因みに、西田敏行がお尻を見せたのは「ザ・マジックアワー」。レナート・ホワイティングがお尻を見せたのはオリヴィア・ハッセーと共演した「ロミオとジュリエット」(本人の同意なしにそのシーンを公開したとして、半世紀経った今になって訴訟になっているそうな)。塩沢ときが自ら胸をはだけたのはタモリの「今夜は最高」である。「今夜は最高」が終わったのはずっと前。「タモリ倶楽部」が終わったのはついこのあいだ。「ブラタモリ」はずっと続くことを祈っている。

昨日の記事(溜池)を書くにあたって、随分、古地図と錦絵(浮世絵)を参考にした。知らなかったが、江戸の古地図って随分と売られてるようだ。是非欲しいのだが、種類が多すぎてどれがいいのか分からない。こういうときは、ネットではなく、実際に本屋さんで確認するのがいいだろう。歌川広重の「名所江戸百景」は、「百景」のほとんどに水(海や川)が描かれている。江戸は、水の都だったんだなー、と納得。ヴェネチアも真っ青である。

水と言えば、洗い物をしてる最中に他のことをしなければならなくなり、水道を出しっぱなしにせざるを得ないとき心が猛烈に痛む。砂の惑星(デューン)ではあり得ない。現実の世界でも、中央アジアの砂漠地帯ではあり得ない(そこらでは、食器は砂で洗うそうである。最初はジャリジャリするのが気になるが、慣れればどうってことはないらしい。猫砂のお掃除効果を知ってる身からすると「砂で洗う」にはさほど違和感はない)。ここは砂の惑星でも中央アジアでもない。水は豊富にある、あるものは使ってよい、と言うかもしれないが(誰が?)、それでもときどき水不足になって節水が求められたりする。

と書き連ねてきたので、最後は水のある風景である。

神田川上流である(冒頭の白い花も神田川沿いに咲いていたもの)。鴨と鯉がなかよく一緒にいるのが一見不思議である。喧嘩になれば、大きさにモノを言わせた鯉が浴びせ倒しで勝ちそうである。


溜池

2023-04-08 10:29:32 | 日記

港区の溜池という地名は大したものである。一般名詞が固有名詞となり、全国溜池があまたあるにもかかわらず「溜池」と言えば人は港区の溜池を思い浮かべるのだから。これは富士山でもなしとげなかった快挙である(「山」と言っただけでは富士山にはならない)。その溜池がまだ本当の意味で溜池だった時代、そこから流れ出ていたのは汐留川。よし、今回の歩き旅は旧汐留川の川跡をたどって溜池までのルートにしよう(って、分かる方は分かりますね。ブラタモリの影響です。ただ、私の場合はブラブラではなく、シャキシャキ歩きましたが)。

スタートは、浜離宮。

左が浜離宮(南の辺)で右が竹芝埠頭。この先が汐留川の隅田川への開口部である。竹芝埠頭が埋め立てられる前は、この地点が開口部であった。川はここで角度を変えて、浜離宮の西の辺に沿って流れる。

汐留川はほとんど埋め立てられてしまっていて、現在、見ることのできるのはこのあたりだけ。浜離宮を過ぎてからしばらくは、川跡をたどる旅は埋め立てた川の上を通した高速道路に頼ることになる。しばらく行って出くわしたのが新橋。

旧汐留川にかかってた橋の一つ。その橋柱が残されているのである。新橋駅から少し離れてるが、こここそが「新橋」という地名の由来である。その向かいに「銀座9」の看板文字。

すぐ隣は銀座8丁目。銀座は8丁目まで。ここ(=高速の下)は、元々川床だったから住所はなかった。だったら、銀座9丁目にしよう、ねぇそうしてよ、という「願望」の表れが「ギンザ・ナイン」だという(だが、「銀座9丁目」は実現してない)。

さて、しばらく行ってJRの線路にぶつかるあたりで高速道路が右(北)に向きを変えるが、汐留川はまっすぐのまま。川跡をたどる旅は、高速道路と袂を分かつこととなる。川の跡地は細長く、細長い地形に適しているのはホテル、だから川の跡地はホテルの敷地になっている(ブラタモリ情報)。だから、線路をくぐった後はホテルが川跡探索の道しるべとなる。その第一号が第一ホテルである(第一つながり。第一は、ハ長調の属七和音から始まる(関係ない))。

その横(かつての川岸)を進む。同じような区画が続き、同様の幅のビルが続く。すると、大通りにぶちあたった。国道1号線、すなわち桜田通りである。

グーグルマップでは、この写真の真ん中のあたり、桜田通りの中央分離帯の位置に「虎ノ門跡」の印。そして、右側の古そうな建物の主は財務省。そう、こここそが官庁街の霞ヶ関である。心なしか、歩いている人達がみなえばってるように見える私は小市民。で、虎ノ門が現存した頃の様子がこれ(写真はウィキペディアから借用)。

ここまで歩いてきた川跡が「跡」ではなく、実際の川だった時代。滝の上の橋が土橋で、橋を通る道が現在の桜田通り。その突き当りが虎ノ門であり、このあたりの地名の由来である。後に財務省の建物が建つのはこの右奥。土橋の下は堰になっていて、滝は、そこから流れ落ちる水流である。

汐留川は、土橋の先で左に向きを変える。現在の桜田通りよりちょっと斜めに入った、金比羅神社がある通りがそのルート。その金比羅神社を過ぎたところで今度は右に向きを変える。そのあたりを歌川広重が描いた錦絵がこれ(ウィキペディアから借用)。

描かれた提灯に「金比羅」の文字が見える。川に沿って登っている坂が葵坂。江戸時代、名を馳せた坂だったらしいが、明治になって削られて坂ではなくなっている。その坂を登り切ったあたりにまた滝(堰)がある。私、当初、この堰と、虎ノ門前の土橋の堰を混同していた。「堰があってその先が溜池」という情報はつかんでいたのだが、堰は一個だと思っていたからだ。すると、いろいろと辻褄が合わない。今時点での私の理解では、堰は土橋と葵坂の二箇所にあった。二つの堰の間はまだ川の延長。葵坂の堰の向こうに至ってようやく広大な貯水池が現れ、それが溜池である(以上は古地図から確認できる)。下の写真は、葵坂の堰があったあたり(坂の名残のわずかな傾斜を手前から登ってきて(登るというほどの角度はないのだが)、それが終わったあたり)の現在の様子である。

左方向に車列が伸びているのが外堀通り。溜池は、ここから、この外堀通りに沿って赤坂見附あたりまで西北に細長く広がっていた(溜池交差点はもうちょっと先だから、溜池の中頃に位置していたことになる)。

再び広重の錦絵(ウィキペディアから借用)。今度は赤坂見附から見た溜池の様子。

現在はこんな感じ。

曲がってる角度とかは同じだ!

ちょっと堰(滝)の話に戻る。汐留川の堰は、ダムの役割のほか、東京湾からの海水の逆流を防ぐ役割もあった。「汐留」という名はそこから来ている。ただし、既述のように、堰は二つあったと思われるところ、どっちが「汐留」だったのかは不明である。両方ひっくるめてそう呼んだのかもしれない。明治になって溜池を埋め立てる際、堰の石垣を低くしたら、あっという間に水がひいて、池はみるみる小川に変貌。そして埋め立てて、外堀通りを作ったそうである。そう言えば、私が育った横浜市の中山にも鬱蒼とした森の中に池があった。グリム童話に出てくる怖い妖精が住んでいそうな不気味な池(というより沼)があったが、団地造成のためにあっという間に水が抜かれて消滅した。

さて、ブラタモリ風の視点に立つと、溜池のあたりは、全般的には丘陵地帯が始まる地帯なのだが、ところどころに谷間があり、そこを利用して溜池を作ったとのこと。そう言われてみると周囲は高い。例えば、池の端にあった日枝神社の境内も高台にあるし、

赤坂見附の先は台地である。

だから赤坂見附が溜池の北西端になったのだろう。

浜離宮から赤坂見附まではざっと6km。汐留・新橋と赤坂見附が陸続きであるのは当然と言えば当然だが私の頭の中ではつながってなかった。今回初めてつながった。歩いた時間は1時間半。稼いだ歩数は1万歩あたり。23区って意外と狭いんだねー。

ところで、新橋あたりを歩いてるとき、いきなり「いーじませんせー」と呼びかけられてた。え?こんなところで一体誰?と思ったら資格予備校んときの教え子だった。私の教え子たちは、みんな偉い先生になってるが(青は藍より出でて藍より青し)、その中でももっとも羽振りのいい一人である。「なんでこんなところに?」と聞かれたから「いやー、リタイアしてブラブラしてんだよ」(嘘偽りない)と答えると、なーるほど、と納得の彼が「私の事務所、そこ」と指さした先にある立派なビルに彼の名を冠した事務所名が書いてあった。家賃高そう(「藍より青い」は経済的にも言えること)。だけど、よく私だって分かったね。見分けがつかなくなるほどは変わってはいない、ということか。ちょっとホッとしたワタクシであった。


今日にも男を連れてきて!(Heute noch!)

2023-04-07 09:54:01 | 音楽

新しい朝ドラで主人公の少年は「坊」(ぼう)と呼ばれている。「鎌倉殿」の「殿」同様、「坊」は場所(僧のいる)を表す言葉だったが、転じて人を言うようになった。だが、なぜ、僧ではない子供のことも言うようになったかは私は知らない。その区別であるが、語尾に「ちゃん」がくれば子供(その場合は、読みが「ぼっ」になる)、「さん」がくれば僧のことである。漱石の「坊ちゃん」は私の愛読者の一つ。読むたびに道後温泉に行ってみたいと思う。そうだ!再婚旅行は道後温泉にしよう!

袈裟……坊主にくけりゃ袈裟まで憎い……ではなく今朝のあさイチでは朝ドラウケがなかった。ゲストの大竹しのぶを待たせてはいけなかったから?だとしてなぜ?大竹しのぶが「大女優」だから?それとも、MCの博多華丸大吉さんの会社の大先輩のさんまさんの元妻様だから?大竹しのぶを初めてテレビで見たのは今から40年以上前、水谷豊と共演したドラマだった(ググってみて、可能性があるのは「オレの愛妻物語」)。泣き笑いの表情が印象的だった。その後、「男女七人」あたりがマックスにファンだった。

上野は、ソメイヨシノは既に葉桜だが、八重桜が満開。

不忍池にも鴨がいた。

このあたりの格式が高そうな珈琲店に入ったら、支配人風が登場して居並ぶ客に「黙りな!静かに!くっちゃべらないで!」。この後、人生劇が演じられるという。作者は小川さんって人。と、そこに登場したのは老紳士風。「子供なんてろくなもんじゃない」と不平をぶちまける。その不平の種である娘が登場。父親と同年配。ってことは、生物学的な親子ではないし、養親子でもないかもしれない(年長者を養子とすることは日本では禁じられている)。紳士の妻(うーんと年上)の連れ子、その可能性はある。で、その娘が「コーヒーが飲みたい、コーヒーが飲めなきゃ死んじゃう」と騒いでいる(珈琲店らしい演目)。「娘のコーヒー中毒」、これこそが老紳士の悩みの種であった。父親が何を言っても娘はコーヒーを止めようとしない。そこで、父親は奥の手(水戸黄門の印籠)を出す。「コーヒー止めなきゃ男を見つけてやらないぞ」。コーヒーより男、これが娘の本音(「花より団子」の逆)。一転して、「男、男、男が欲しい。お父さん、コーヒーを止めるから今日にも男を連れてきて!」これで、家庭内不和は解消、めでたしめでたし(だが、影で、コーヒーはこっそり飲めばいい、と舌を出す娘であった)。いやいや、楽しうございました。チェンバロで全体を仕切り、見事にまとめあげたのは「緑の美女」である。

実は、この芝居はドイツ語で演じられた。冒頭の支配人風の「黙りな!静かに!くっちゃべらないで!」は拙訳である。ihrに対する命令形なのでため口にした。他の可能性としては、
(松重豊風に)「黙れ!静まれ!しゃべるでないぞ!」
(おすぎ風に)「あら黙ってちょうだい!静かにしてね!しゃべっちゃいやよ」
(丁寧に言うと)「お黙りくださいませ。ご静粛に願います。ご会話は固くお断り申し上げます」(元が「Schweigen Sie……」だったらこれでもよい)

ところで、その珈琲店に、旧友がいた。コロナ前にいろんな会でよくご一緒していた某氏である。なんと、某氏は、私よりちょびっと年上だがこの春から音大生になった。知識豊富な彼のことだから、学校でももてもてだそうである。私もあやかりたいところである(どの点に?)。新しい知己が増える一方で、こうして旧交をあたためることできるのもありがたい話である。

 


ワンパンパスタ

2023-04-06 09:05:38 | グルメ

うろこ雲が出てた。

うろこ雲って秋に出る雲だと思ってたら、4月の空にも出るんだなぁ。他にもいろんな雲が出てて、オールスター劇場であった。

そう言えば、3月は弥生(やよい)、5月は五月(さつき)と言うが、4月は?卯月(うづき)だそうだ。弥生や五月に比べて卯月という言葉の印象が薄いのはなぜだろう。人の名前も、「やよい」「さつき」は聞くが「うづき」は聞いたことがない。競馬でも、弥生賞や皐月賞(次は違うが)があるが卯月賞って聞いたことがない……と思ったら地方競馬にはあるそうだ。失礼しました。

馬の話が出たので。「ゾンニッヒ」という馬がいる。競馬関係者はみな「ゾンニッ」(「ニ」にアクセント)と呼んでいるが、ドイツ語では「ゾンニヒ」(「ゾ」にアクセント)である。だが、日本馬の馬名になった時点で日本語だからドイツ語でどう言うかは関係ないとも言える。命名した馬主さんがどう呼んでいるかは聞いてみたい。因みに、先週の土曜日のレースでは3着に来て、複勝が大当たりであった。

アクセントと言えば、大阪弁の気象予報士さんが、「同じ樹」の「樹」を「きぃ」と発音していた。「ぃ」の方が若干キーが高かった(駄洒落どす)。へー、と思った。

話が飛ぶが、昨夜、わが家の食卓に乗ったアーリオ・オーリオは「ワンパン」、つまりフライパン1個で作ったものである。すなわち、フライパンでニンニクを炒めたら、そこにお湯を少量入れて(このときいったん火を止めないとバチッとはねるから要注意)、麺を投入、茹で上がる頃には水分も蒸発して出来上がり!という代物である。以前は「邪道」と言われてたらしいが、水の節約になるし、味的にも結構とろみがついて旨いのである。で、これと併せたのが肉野菜炒め。

ここで問題が生じた。パスタはフォークで食す。炒め物は箸で食す。では、この二つが並んだらどちらを使う?マンマ・ミーア!パスタをオハーシでなんてムリデース!ダケドネ、イタメモノをフォークでっていうのもソレムリアルヨ。ということで、右手は箸、左手はフォークで使い分けましたとさ(ボエームごっこか)。

因みに、アーリオ・オーリオに赤唐辛子を入れるとアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(略してペペロンチーノ)になる。「エ」は「e」であり「and」の意味である。じゃなんで、ペペロンチーノが入らない場合「アーリオ・エ・オーリオ」と言わないのだろうか?疑問ついで。ペペロンチーノを1個でなく数個入れても「ペペロンチーニ」にはならないのだろうか。たしかに、赤唐辛子を数個入れたら相当辛くはなるが。

「駄洒落どす」と上記したが、これは京言葉。大阪では「駄洒落だす」だそうだす(朝ドラ「あさが来た」で習った)。


お化け

2023-04-05 08:46:37 | 日記

近くのスーパーで「訳ありほうれん草」が1把39円。不動産の「訳あり」はお化けが出るかしれないが、野菜の「訳あり」にお化けが潜んでることはないだろう。葉っぱの先っちょがちょっとしおれてるくらいである。なら「買い」である。

ただし、買ったらなるべく早く食べるべし。じゃないと「溶けて液体になる」と書いたのは先日のことだが、カビがはえることもある。先日買った茄子は端っこがカビた。端がカビたらカビ菌は全体に及んでいるから全部捨てるべしって話を聞いたかもしれないが、聞かなかったことにして、端っこだけ取って食べた。このまま病気にならなければ私の勝ちである。

「勝ち」はイタリア語で「ヴィットーリア」。語尾が「ア」だから女性である(戦いの神様は女神である)。日本ならさしづめ「勝子」である。男もこの名前にあやかりたいときは、イタリアなら語尾を「オ」にして「ヴィットーリオ」にするし、日本では「子」を「男」にして「勝男」にすればよい。「ヴィットーリオ」は「ひまわり」「自転車泥棒」のデ・シーカ監督のファーストネームである。だが、あくまでも、大元は女性(女神)である。私が「ヴィットーリア」で思い出すのはオペラ「トスカ」の第2幕。カヴァラドッシが「ヴィットーーーーーリア!」と叫んでいた。私が「ヴィットリア」ではなく「ヴィットーリア」と伸ばして表記するのはこのシーンが頭にあるからである。

「訳あり」の話に戻る。映画「フィールド・オブ・ドリームズ」のトウモロコシ畑はまさに訳あり物件(以下、ネタバレあり)。鬼籍に入ってるはずの往年のメジャーリーガーがぞろぞろ出てくるのだから。この「出てきた」メジャーリーガーをどっかのアナウンサーが「お化け」と呼んだことに対して「それは違う」と書いたワタクシであった。「お化け」=「異形の者」(Q太郎のような)のイメージがあるからだ。だが、「幽霊」も違う気がする。「幽霊」は透けてるイメージがあるが、メジャーリーガーの霊たちはいかにも現存してる風で透けてないからだ。あの世に行ったはずの人が「化けて出る」と言うから「お化け」でもよい気がしだした。

映画は、「お化け」の集うフィールドを目指して多くの車が巡礼よろしく列をなすシーンで終わる。これって、「汚れなき悪戯」が、奇跡により聖地になった修道院に巡礼が列をなすシーンで終わるのと似てる。このシーンのBGMは、あるときテレビで見たときはバッハのカンタータ第4番の第2曲(合唱の第1曲)だったが(最後の「ハレルヤ」が映画のラストに見事にはまっていた(東急ジルベスターコンサートのカウントダウンのようだった))、次に見たときは別の曲だった(スターウォーズのエピソードⅥの本編のラストシーンの音楽も後に差し替えられた。私は差替前の方が好きだった)。

「Q太郎のような」と書いたが、実は、あの白い外観はQ太郎の服であり、その中にお化けの実態がある。「お化け界の鉄則」により、Q太郎は決して服の中身を人に見られてはならないのである(スターウォーズのスピンオフに登場するマンダロリアンが、決して人前でヘルメットを脱いではいけないのと同じである。因みに、同スピンオフに「アソーカ・タノ」という女性のジェダイが登場し、私は大ファンなのだが、先日その話を人に言ったら、「え?麻生太郎が出てるの?」という反応が返ってきた)。

因みに(因んでない)、昨日、長らく冷蔵庫で眠っていて、既に私の心中ではお化けに等しかった「くさや」を意を決して食した。

オーブンで焼いたのだが、焼いてる最中の臭いが、部屋干ししているダウンジャケットに移るんではないか、と気が気でなかった。そう、「ダウンジャケットも家で洗える。だけど、不可の表示があったらあきらめよう」の後半だけ聞かなかったことにして、洗濯機で洗ったのである。乾いてモフモフになればヴィットーリアである。


自転車泥棒(途中映画を経て、最後は料理の話)

2023-04-04 08:59:25 | グルメ

土日と2日続けて綾瀬駅前から歩いて帰宅したのだが、その綾瀬は23区内での地価の値上がり率が最高なのだという。近く、駅前にタワーマンションが建つのだが、そのマンション価格が9000万円でお手頃だって言って人気が出てるのだそうだ。「9000万円」で「お手頃」と考えるような人種は綾瀬を含む足立区の原住民にはいないはず。今後、綾瀬は、われわれ原住民と新たな移民者の二極化が進みそうである。

その足立区は、犯罪が多い印象で心証が悪かったが、しょぼい犯罪が多く、金額の大きい犯罪はお金持ちが棲息する東京西部に多いという話を裏付けるような話。足立区で一番多い犯罪は、窃盗等を抑えて「自転車泥棒」なんだと。ここで疑問。自転車泥棒には、占有離脱物横領罪のほか窃盗罪も入る。窃盗であっても客体が自転車の場合は別カウントなのだろうか。なお、酔っ払いが乗り捨てた自転車を奪った場合において、酔っ払いがちゃんと場所を覚えていれば窃盗罪が成立し、覚えてなければ占有離脱物横領罪が成立する。また、被害者も飲んで自転車をこいだのだから道路交通法違反の犯人である。だが、それはそれ、自転車泥棒がそのことを主張しても自分の罪を逃れることはできない。

自転車泥棒と言えば、「自転車泥棒」というイタリア映画がある。監督は、ヴィットーリオ・デ・シーカ。見たいと思ったときのために録画をとってあるしリストも作ってある。昨夜は、その鑑賞。作られたのは私が生まれる10年前(戦後すぐの頃。以下ネタバレあり)。仕事のためにどうしても必要になり、ベッドのシーツを質に入れてまでして買った自転車(当時は高価だった)を盗まれた男が、取り返すべく息子と共に街中を探し回る。なんだ、主人公は自転車泥棒ではなくて、その被害者だ。映画「プライベート・ライアン」ではライアンが主人公ではなく、ライアンを探す陸軍大尉(演:トム・ハンクス)が主人公なのと同じだ……と、思ってたら、最後に、主人公自ら自転車泥棒になってしまった。息子の目の前で皆にとりおさえられてFine。救いようのない、オペラ「リゴレット」のようなお話でありました。

関連する話その1。劇中で、父子がなけなしのお金を持って「ピザを食べよう」と言って高級レストランに入る場面がある。で、ピザを注文すると、店の人に「リストランテ(レストラン)ではピザは出さない」と断られる。某合唱団の練習後、神楽坂のリストランテに入ったときも同じことがおきた。思ったのは、ジャポネーゼの私はともかく、イタリア人でも、そのこと(リストランテではピザを出さない)を知らない人がいるんだなー、二極化だなー、ということ(ってことは、上記のタワーマンションが完成した後は、ピザを出さないイタリアンが綾瀬にもできそうである)。

その2。私が小さかった頃、親から自転車を買ってもらったのだが、当時まだまだ自転車は高価だった。だから、私が友達に「自転車を買ってもらったんだい!」と言うと、その友達に「ウソだぁ」と言われたものである。で、その友達を家に連れてって、家の中の板の間に鎮座ましまして、進水式を待つ自転車を見せて、ようやく「ホントだぁ」と言わせたのである。そう、買ってすぐ、しばらく自転車は板の間に飾ってあった。そして、ある日、まだ補助輪を付けたまま、進水式のごとく公道に乗り出したのである。

因みに、足立区のイージマ食堂は、ピザを出す。

キクラゲと豚肉の辛味噌炒めも出す。

今夜はお好み焼きを出そうと思ってる。


「タケノコ」「メンマ」「シナチク」の関係

2023-04-03 08:43:14 | 日記

麹味噌合唱団の練習に向かう途中の電線。異常事態である。

夕方のこの時間、いつもはあんなに群がってギャーギャー鳴いていたムクドリが一羽もいない。季節鳥ではないはずなのに。鳥獣保護法により勝手に駆除はできないはずなのに(Wikipediaには、駆除が難しい理由の一つとして法的問題を挙げていた)。

異変と言えば、ついこの間まで、ダイコン、ブロッコリー、長ネギが植えられていた畑が一新、別の野菜畑になっていた。

これはなんの野菜だろう?新しい朝ドラの牧野博士に聞けば教えてくれるだろうか。だが、今日の放送ではまだ子供である(博士になってない)。

田園風景から一転、ビルの建設現場。おお!クレーンだ。こないだのチコちゃんのお題は「建設中の高層ビルのクレーンはなぜいつもてっぺんにあるのか」だった。チコちゃんによると、マストをクレーンが這い上がるからなのだが、そのマストの延ばし方には二つあって、一つはマストをビルの中に立てて、ある程度ビルの高さが増すたびにマストを上に移行させる方法。

もう一つは、マストをビルの脇に立てて、どんどん上に継ぎ足していく方法である。

おかげで、日頃は見過ごしていた工事現場も、格好の被写体となった。さて、練習後、いつもの「独り寂しく呑もう」会は最近よく行く綾瀬の中華。

マイブームであるキクラゲと卵と豚肉の炒め物を注文。ときどきお疲れなのだが(今注目の高校生スイマーがスランプのときは泳ぐ前から疲れていた、と。高校生だって疲れるんだから、半世紀余分に生きている私が疲れてもなんら不思議はない)、疲労の解消には、やはり「食」(と睡眠)。炒め物は家でも作るが、お店の具だくさんにはかなわない。具だくさんこそ疲労回復の切り札!そうした中でも、この日の具だくさんぶりはかなりのもの。歓喜にうちふるえながら具の種類を勘定する。料理名に入っている「キクラゲ」「卵」「豚肉」のほか、「もやし」「キャベツ」「タマネギ」「ニンジン」「小松菜」「タケノコ」……いや待て、「タケノコ」は「メンマ」か?いや、「シナチク」という言葉も脳裏に浮かんだ。この際、整理してみた。「メンマ」はマチクという種類の「タケノコ」を発酵させたもの。「シナチク」と「メンマ」は同義である。「パクチー」「コリアンダー」「シャンツァイ」が同じモノであるごとし。だが、「パクチー」等々はそれぞれタイ語、英語、中国語なのに対し、「メンマ」と「シナチク」はどちらも日本語。すなわち、「シナチク」は原料のマチクが中国産であったことによる呼称であり(ラーメンも「志那そば」と言っていた時代があった)、「メンマ」は「ラー『メン』に入れる『マ』チク」を縮めた呼称だそうだ。他の具に移ろう。む?マッシュルームをスライスしたみたいなヤツがある。中華にマッシュルーム?ググってみた。「中華 マッシュルーム」と入力したところで「中華 マッシュルームみたいなもの」が出てきた。多くの国民が抱く疑問なのだな。で、その答えは、「フクロダケ」であった(家庭ではマッシュルームでいいわね)。

だいぶ、飲んで食べた。とくれば、綾瀬から歩くしかない(もはや、ウォーキングは強迫観念である)。

大昔、放置自転車の山だった駅前はきれに整備されて、夜桜もきれいである。


神よ、憐れみ給え

2023-04-02 11:12:53 | 音楽

昨日の記事の「私のお相手」のアプリーレ・シェルツ嬢の「シェルツ」の綴りは「Scherz」。これに「o」を付けてイタリア語にすると「スケルツォ」。そう、ベートーヴェンが交響曲の第3楽章に取り入れた形式であり、音楽でなく「音学」の世界では「諧謔」などと訳されてるが、ありていに言えば「冗談」であり(ベートーヴェンが初めてスケルツォを用いた第2交響曲の第3楽章など、まさに冗談音楽である)、「バカ言ってんじゃないよ」の「バカ」もぴったり。それからファーストネームの「アプリーレ」で思い出すのは、ソプラノのアプリーレ・ミッロ。アメリカ人だから「エイプリル」と発音しそうなところだが、イタリア系なのだろうか、「アプリーレ」と呼ばれていた。この人、私と同い年だ。デビューしてすぐあたりの頃聴いたんだな。素晴らしかった。

自転車に乗るときのヘルメットが「努力義務」になった。そう言えば、ウチに原付に乗ってたときのヘルメットがあったはず。あった。だが、重いし、キツい。最近のはもっとかぶり心地が良いだろう。足立区の指定店で買うと2000円補助が出るらしいから今度見てみよう。

昨夜はU会の月例会。ソロ・コーナーでは、歌のお供にヴァイオリンを弾かせていただいた。曲はバッハのマタイの「Erbarme dich」(憐れみ給え)。M上さんからご指名をいただき1巡目で弾いたら、F井さんも2巡目で同じ曲を歌われるというのでそちらでも弾かせていただいた。昨夜のご指名は以上の2名。それでもお店(?)でトップの成績であった。

弾くにあたって楽譜を作った。

ヴォーカルスコアのピアノ伴奏からヴァイオリンだけ抜き出したものである。もちろんヴァイオリン用の楽譜があるが、ピアノ譜が元のままだとヴァイオリンと音が重なってしまう。そのための作業である。元の楽譜は、こう。

あらま、ここから一個一個音符を移されたの?ご苦労様でした。大変でしたでしょう?そうなんです、とっても大変でした、でも、あなたのためにがんばりました……と言ったら昨日のエイプリル・フールの続きである。実は、楽譜作成ソフトの「癖」をつかんでるのでちょちょいのちょい。要領ばかり良くなるワタクシである。

だが、肝心の演奏の方は、要領で弾けるものではない。たくさん練習をしたけれど、本番でうまく弾けるかしらん?下手に弾いたら素晴らしい歌をぶち壊してしまう。それこそ、「神よ、憐れみ給え」の心境。で、結果。大事故はおきず、見事に歌い切った歌い手さんの足をさほど引っ張らなかったと思えて一安心。またのご指名をお待ちしてます!

いや、実際、私自身、とっても勉強になったし、表現行為=自己実現の場をいただけたわけだし、なんともありがたいことである。

会場に行く途中の橋から眺めた神田川の桜。

約10日前に、源流から歩いてきて、行き倒れた地点である。そのときはこんな。

咲き始めの頃だったんだな。

 

 


餃子になりそこねたハンバーグ

2023-04-01 09:33:41 | グルメ

実はドイツ人と付き合ってます。相手の名前はアプリーレ・シェルツさんです。

終わった朝ドラの台詞で気に入らなかったヤツ=「年甲斐もなくなくワクワクしてます」。ワクワクするのに歳は関係ない。

来週からの新しい朝ドラは、植物学者の話だそうだ。そそる!草木の名前をたくさん覚えられる……だろうか。油断は禁物。「ちむどんどん」は料理がテーマだって言うから期待してたら3人の脚本家が揃って料理のことは何も知らなかったし。脚本家が自分の得意分野に持って来られるか、である。過去、落語が大好きの脚本家が書いた「ちりとてちん」には落語知識が満載であった。

さて。昨夜作ったハンバーグもどきがこれ。

「もどき」と書いたのは、もともとハンバーグを作る予定はなく、餃子を作ったのだが、具が余ったので、もどきにしたから。餃子の絵はこれ。

構図は毎度おなじみだが、今回、具材のラインナップをがらっと入れ替えた。4番のキャベツはそのまま。豚肉に代わる鶏の胸肉はときどき代打で登場するが、ほうれん草、セロリ、長ネギは今回初出場だし(見切り品コーナーで買ったほうれん草とセロリを使いたかった。色が緑っぽいのはそのせい)、香辛料としてのクミンは前回ちょこっと使って期待外れだったので、今回は一瓶まるごと使って挽回を期した。セロリは正解。十分にその食感と香味を伝えていた。だが、クミンは、あんなにどどっと入れたのに全然効果がない(トルコ風ハンバーグのときはあんなに主張するのに)。いや、実は、今回使ったヤツは開栓してから10年以上は経っている。そのせいで香りがとんでしまったのだろうか。うーん、やはりとっとくことがよいとは限らない。使うときに使ってしまわないと。因みに、昨夜餃子にしたのは、餃子の皮の賞味期限が2か月前に切れていたことが判明したからである。考えてみたら、2か月も3か月も同じだからあわてる必要はなかったかもしれない。今朝、胃腸の具合はなんともない。

「餃子になりそこねたハンバーグ」というタイトルは、しかし正確ではない。ハンバーグが餃子に進化したわけではない。共通の「具」があって、そこから一方は餃子に、他方はハンバーグに枝分かれしたからである。人間が猿から進化したのではなく、猿と共通の祖先から枝分かれしたのと同様である。人間と原人の関係もそうである。因みに、原人にもいろいろあって、アウストラロピテクスなどは脳の容積から見ると人間よりゴリラに近いが、ネアンデルタール人ともなると、現在の人間=ホモサピエンスとかなり近く、両者間の混血もあったようである。なお、ネアンデルタール人を現代の会話風に発音すればネアンダータール人。バッハの歌詞の語尾の「er」を「アー」と言う人が、「ネアンデル」と発音していたら、私は憤慨するに違いない。

混血と言えば、虎とライオンの間でも混血が可能で、トラが母親の場合はライガーで、ライオンが母親の場合はタイゴンと言う。ちょっと思った。「鬼畜米英」と言っていた時代、野球の「ストライク」を「よし」と言い換えていた時代、動物園でライオンのことを「獅子」と言い換えていたのだろうか。もしそうだとして、ならライガーやタイゴンはどう呼んだんだろう。まあ、これらは当時の動物園にはいなかったろうから今そんな心配をする必要はない。因みに、「ストライク」を「よし」と言うのは意味的には間違いである。「打てっ」が正しい読替えである(いい球だから「打てっ」と審判が打者に命じているのである)。