拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

お化け

2023-04-05 08:46:37 | 日記

近くのスーパーで「訳ありほうれん草」が1把39円。不動産の「訳あり」はお化けが出るかしれないが、野菜の「訳あり」にお化けが潜んでることはないだろう。葉っぱの先っちょがちょっとしおれてるくらいである。なら「買い」である。

ただし、買ったらなるべく早く食べるべし。じゃないと「溶けて液体になる」と書いたのは先日のことだが、カビがはえることもある。先日買った茄子は端っこがカビた。端がカビたらカビ菌は全体に及んでいるから全部捨てるべしって話を聞いたかもしれないが、聞かなかったことにして、端っこだけ取って食べた。このまま病気にならなければ私の勝ちである。

「勝ち」はイタリア語で「ヴィットーリア」。語尾が「ア」だから女性である(戦いの神様は女神である)。日本ならさしづめ「勝子」である。男もこの名前にあやかりたいときは、イタリアなら語尾を「オ」にして「ヴィットーリオ」にするし、日本では「子」を「男」にして「勝男」にすればよい。「ヴィットーリオ」は「ひまわり」「自転車泥棒」のデ・シーカ監督のファーストネームである。だが、あくまでも、大元は女性(女神)である。私が「ヴィットーリア」で思い出すのはオペラ「トスカ」の第2幕。カヴァラドッシが「ヴィットーーーーーリア!」と叫んでいた。私が「ヴィットリア」ではなく「ヴィットーリア」と伸ばして表記するのはこのシーンが頭にあるからである。

「訳あり」の話に戻る。映画「フィールド・オブ・ドリームズ」のトウモロコシ畑はまさに訳あり物件(以下、ネタバレあり)。鬼籍に入ってるはずの往年のメジャーリーガーがぞろぞろ出てくるのだから。この「出てきた」メジャーリーガーをどっかのアナウンサーが「お化け」と呼んだことに対して「それは違う」と書いたワタクシであった。「お化け」=「異形の者」(Q太郎のような)のイメージがあるからだ。だが、「幽霊」も違う気がする。「幽霊」は透けてるイメージがあるが、メジャーリーガーの霊たちはいかにも現存してる風で透けてないからだ。あの世に行ったはずの人が「化けて出る」と言うから「お化け」でもよい気がしだした。

映画は、「お化け」の集うフィールドを目指して多くの車が巡礼よろしく列をなすシーンで終わる。これって、「汚れなき悪戯」が、奇跡により聖地になった修道院に巡礼が列をなすシーンで終わるのと似てる。このシーンのBGMは、あるときテレビで見たときはバッハのカンタータ第4番の第2曲(合唱の第1曲)だったが(最後の「ハレルヤ」が映画のラストに見事にはまっていた(東急ジルベスターコンサートのカウントダウンのようだった))、次に見たときは別の曲だった(スターウォーズのエピソードⅥの本編のラストシーンの音楽も後に差し替えられた。私は差替前の方が好きだった)。

「Q太郎のような」と書いたが、実は、あの白い外観はQ太郎の服であり、その中にお化けの実態がある。「お化け界の鉄則」により、Q太郎は決して服の中身を人に見られてはならないのである(スターウォーズのスピンオフに登場するマンダロリアンが、決して人前でヘルメットを脱いではいけないのと同じである。因みに、同スピンオフに「アソーカ・タノ」という女性のジェダイが登場し、私は大ファンなのだが、先日その話を人に言ったら、「え?麻生太郎が出てるの?」という反応が返ってきた)。

因みに(因んでない)、昨日、長らく冷蔵庫で眠っていて、既に私の心中ではお化けに等しかった「くさや」を意を決して食した。

オーブンで焼いたのだが、焼いてる最中の臭いが、部屋干ししているダウンジャケットに移るんではないか、と気が気でなかった。そう、「ダウンジャケットも家で洗える。だけど、不可の表示があったらあきらめよう」の後半だけ聞かなかったことにして、洗濯機で洗ったのである。乾いてモフモフになればヴィットーリアである。