拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ロット、ボニー、オッター

2023-04-21 09:03:38 | 音楽

カルロス・クライバーがウィーン国立歌劇場の来日公演で「バラの騎士」を振ったとき、こんな完璧な演奏があるのかと舌をまいたものだが(あまりに完璧すぎて現実感がなかった、というのも正直な感想である)、その完璧な演奏の立役者が、三人の女声陣、フェリシティ・ロット(元帥夫人)、バーバラ・ボニー(ゾフィー)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(オクラヴィアン)である。今回は、この3人を最初に聞いたときの話。日本では当時無名だったが私はいち早くファンになった、つまり私が聞く耳を有していることの自慢話であり、みなさんが大好きで私が大嫌いな下ネタは出てこない(予定)なので悪しからず。

ロットは、主に、グラインドボーンのオペラのライブ映像で見ていた。魔笛のパミーナも良かったが、特に印象的だったのは、ストラヴィンスキーの「道楽者の成り行き」とリヒャルト・シュトラウスの「インテルメッツォ」。知的でのびやかな美声に加えて、演技が上手かった。一瞬にして表情を変えて聴衆の笑いを誘っていた。このときの「インテルメッツォ」は英語上演。後に、サヴァリッシュがミュンヘン・オペラでリヒャルト・シュトラウスのオペラの全曲上演をしたとき、「インテルメッツォ」の夫人役はロット。今度はオリジナルのドイツ語上演である。♪ブンタカッタッタ的なアリアの歌詞なら数カ国語で歌うこともたやすいだろう。しかし、リヒャルト・シュトラウスのオペラの歌詞は会話の延長だから、分量が多く込み入っている。ロットは完璧にやってのけた。頭のいい人なんだなー、と思った。そして、クライバーの「バラの騎士」の元帥夫人に抜擢され、絶賛を博したことは皆が知るところである。

ボニーを最初に視聴したのは、ショルティ指揮の「バラの騎士」のレーザーディスク。可憐で高音も良く出ていてゾフィーにぴったりだった。バロン・オックス(私ではない)に「まだ肉付きが足りない」と言われるシーンも現実感があった。そのときから私は「ボニ子ちゃん」のファンになった。ところが、音楽雑誌のビデオ評は、元帥夫人を歌ったキリ・テ・カナワのことばかり褒めていて、ボニーの「ボ」の字もなかった。書いた人、お耳がついてるの?と思った。その後、日本でもあっという間にブレイクした。因んだ話その1。このときのボニーは、それまで見たどのゾフィーよりもオクラヴィアン(17歳の青年役をメゾソプラノが歌う)とべたべたしていた(最後はオクラヴィアンと「できる」のだからよいのだが)。そのボニーにはバリトン歌手の夫がいて、夫婦で録音したレコードのジャケット写真では夫とべたべたしていた(まあ「夫婦」なのだからよいのだが)。その2。後年、ビッグネームとなったボニーが若手に公開レッスンをする映像を見た。ある若者は、注意されればされるほどどんどん下手になっていった。人に教えるって難しいな、と思った。その3。なんかのオペラのときボニーが客席にいた。小柄で全然普通ぽかったがやはり可愛かった。その4。ボニーの歌も生で何度か聴いたが、アバド指揮の「フィガロ」のスザンナは素晴らしかった。告白します。第4幕のアリアのとき、私、ルチア・ポップからボニ子ちゃんに浮気しました。

トリはオッター。最初に聞いたのは、ロイヤル・オペラの引越公演の「コシ・ファン・トゥッテ」のドラベッラ。モーツァルトの繊細なメロディー・ラインを細筆書きできちっと歌う様が好ましかった。フィオルディリージのキリ・テ・カナワが太い毛筆でベターッと歌う感じなのとは対照的だった。音楽雑誌の批評は、やはりキリ・テ・カナワのことばかり褒めていて、オッターの「オ」の字もなかった。この人、お耳がついてるの?と思った。このあたり、上記のボニーのときのまったく同じ。私にとってキリ・テ・カナワ(とこれにこびへつらう批評家)は、常に仇役として登場する(因みに「クヮルテット」という映画(音楽家が入る老人ホームが舞台)で、主人公チームと張り合う入居者(仇役)を演じているのは、往年の大ソプラノのギネス・ジョーンズである)。オッターも、その後、日本であっという間にブレイクした。因んだ話その1。ドイツ語学校に来ていたスェーデン人に聞いたら(オッターはスェーデン人である)、発音は「オッテル」が正しいそうである。その2。そのオッテルはバロックも歌い、サルツブルクで上演されたオールスターキャストの「ジューリオ・チェーザレ」(ヘンデル)にも名を連ねていたが、このときの演出家はやたらに歌手を脱がす。ジャルスキーも上半身裸になった。そしてオッテルも?アリアを歌いながら脱ぎ始めた。どきどきしたが、うまく露出を避けながら舞台裏に引っ込んで事なきを得た。「今回は下ネタはない」という公約を果たすことができたのはそのおかげである。