鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

思い出の赤坂プリンスポテルの火が消えるのも自民党凋落の一端か

2010-04-30 | Weblog
 東京・赤坂の「グランドプリンスホテル赤坂」が来年3月で閉館されることとなった。赤プリの愛称で知られる同ホテルには数々の思い出があり、名古屋から東京へ出てきた鈍想愚感子にとって東京の文化を代表するホテルでもあった。建物が老朽化したこととホテル業界の競争激化で収益が低下したのが理由とされているが、最大の顧客であったはずの自民党が政権を奪われて以前のように頻繁にホテルを使えなくなったことが大きいのではなかろうか。
 赤坂プリンスホテルは1955年10月に開業されており、丁度東京のど真ん中に位置し、近くを首都高速道路が交差するところに屋外プールがあって、いかにも都心のホテルというムードがあった。それでいて、帝国ホテルのような格式ばらずに気軽に足を運べるような雰囲気があり、外側の道から見える屋外プールでは外人の家族連れが泳いでいて、ゴージャスな感じを醸し出し、テレビの歌番組やバラエティ番組の収録にも使われていた。東京へ出てきた昭和46年当時に健康保険組合の割引券で、1、2度屋外プールに泳ぎに来たことがあったが、期待したようなゴージャスな気分には浸れなかったことを覚えている。
 それから数年後に名古屋で結婚式を挙げて、新婚旅行でグアム島へ行ったが、一旦東京へ来て、泊まったのが赤坂プリンスホテルだった。親戚の旅行代理店に勤めている従兄に手配を頼んだので、偶然そうなったのだが、いまから考えると、よくよく赤坂プリンスホテルとは縁があったのだ、と思い返される。
 そして、さらに20年後、今度は勤めていた会社が赤坂プリンスホテルとは目と鼻の先の永田町へ引っ越して、ランチにホテル内のレストランに行くのはもちろん、社内のパーティや発表会などによく赤坂プリンスホテルを利用するようになった。イベントを手がける仕事柄、定期的に赤坂プリンスホテルを利用してきた。故丹下健三氏が設計した新館のクリスタルパレスや、五色の間などは度々利用させてもらってきた。
 新館40階の最上階にある「トップオブアカサカ」などは眼下に見える高速道路を行き来るする自動車のヘッドライトが光線となる夜景は絶景の趣きがあり、仲間との楽しいひとときを過ごすのに最適の場所でもあった。また、明治時代の雰囲気を残す旧館は重々しいムードがあって、これまた格別の場所でもあった。
 それだけに閉館されると聞いて、感慨深いものがある。とはいえ、こうした施設を運営しているのは民間企業であり、採算上経営が成り立っていかないとなれば、閉館されるのもむべなるものかな、と思わざるを得ない。
 赤坂プリンスホテルは西武鉄道グループの国土建設興行の傘下にあり、経営実態は明らかにされていないが、総帥堤義明氏の胸先三寸ですべてのことが決められてしまうので、閉館の実際の理由など推定の域を出ないのだろう。堤義明氏の関係か、赤坂プリンスポテルが自民党本部や砂防会館のある永田町と隣接していることもあって、自民党代議士のよく利用するところとなっていた。ロビーなどで、テレビで見かける代議士の顔をよく見かけたものだった。その自民党が昨年8月に政権の座を追われて以来、めっきり赤坂プリンスホテルでの会合なるものが減ったのではなかろうか。代議士の数も減ったし、会合費の名目の機密費も出せなくなったことだろう。
 思い出が続くのも金次第ということなのか、これも時代の流れというしかにのかもしれない。

追記 気になってかみさんに36年前の新婚旅行初日の宿泊ホテルはどこだったかを聞いてみたら、ホテルニューオータニだ、という。まだガーデンコートのできていない時期で、豪華な印象が残っていないので、てっきり赤坂プリンスホテルだった、と思いこんでいた。当時の財政状態から見て、一流のホテルニューオータニになんか泊まれるはずがない、とも思っていた。かみさんの言う通りなら、最近目立つ勘違いで、当時、従兄が奮発してサービスしてくれたのだろう。いまさらではあるが、感謝申し上げる次第である。
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