写真①:「津屋崎駅」と表示の青い4文字が外された西鉄宮地岳線「津屋崎駅」正面(右側は閉店した西日本シティ銀行の「津屋崎ATMコーナー」)
=福津市津屋崎天神町で、2007年4月1日午前7時24分撮影
3月限りで廃止された福津市津屋崎天神町の西鉄宮地岳線「津屋崎駅」は一夜明けた4月1日、朝から閑散とした〝廃駅〟の様相を示しています。駅舎正面の屋根に表示されていた「津屋崎駅」の青い4文字は無残に外され、駅舎出入り口の戸は閉鎖されていました。また、駅舎右前にあった西日本シティ銀行の「津屋崎ATMコーナー」も閉店され、利用できなくなっています=①=。
津屋崎駅前にあった踏切は、レールの上からアスファルト舗装され、道路両端から線路に入れないように封鎖されていました=写真②=。もちろん、駅ホームに昨日まで停車していた黄色い電車の姿はありません。通りかかった乗用車が、踏切前で一時停車することなくスイスイと渡って走り去るのが空しさを醸します。
写真②:レールの上からアスファルト舗装され、道路両端から線路に入れないように封鎖された「津屋崎駅」前踏切(向こうの駅ホームに電車の姿はありません)
=福津市津屋崎天神町で、1日午前7時15分撮影
どこかに「津屋崎駅」の痕跡はないか、と探したら、ありました。駅前の「新浜山児童公園」にある観光案内板に「津屋崎駅」とまだ表示が残っていました。赤い文字で「現在地」と大きく書かれたそばに、単線の線路表示とともに、「西鉄津屋崎駅」と「西鉄宮地岳線」の2つが黒い文字で書かれていました=写真③=。
写真③:「新浜山児童公園」北端にある観光案内板に残る「西鉄津屋崎駅」と「西鉄宮地岳線」の表示
=福津市津屋崎天神町で、1日午前7時25分撮影
ところが、悲しむべきことに、まだ津屋崎駅に電車が入って来ていた3月31日午前、福津市のある地域づくり実行委員会が編集・発行し、なごりを惜しんで同駅に詰め掛けた市民や鉄道ファンに無料配布した「福津市 歴史&自然散策マップ」の表紙=写真④=には、「知っていますか? 福津のいいところ」というサブタイトルがうたってあるのに、津屋崎の誇りある〈津屋崎千軒〉通りの文字も紹介記事もメーンストリートに載っていませんでした=写真⑤=。マップの発行日は平成19年2月付なのに、すでに西鉄宮地岳線の軌道や津屋崎、宮地岳、福間3駅の表示もありません。
写真④:福津市のある地域づくり実行委員会が編集・発行し、西鉄津屋崎駅で乗客らに配布した「福津市 歴史&自然散策マップ」の表紙
=福津市津屋崎で、1日午前8時14分撮影
写真⑤:「藍の家」と「魚センター」は表示されているが、〈津屋崎千軒〉通りの文字はない「福津市 歴史&自然散策マップ」津屋崎地区部分
=福津市津屋崎で、1日午前8時02分撮影
「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称「海とまちなみの会」)は、江戸時代から海上交易で栄え、〈津屋崎千軒〉と囃された古い町並みの歴史的、文化的な価値を知ってもらおうと、31日も午前9時から会報季刊紙『津屋崎千軒新聞』創刊号「春」号を乗客や市民に無料配布していただけに、残念です。
2005年1月、旧宗像郡津屋崎町と福間町が合併して福津市が誕生したのは、いったい何のためだったのでしょうか。西鉄宮地岳線津屋崎ー新宮駅間が廃線になったうえ、誇りある古い町並みとして津屋崎のアイデンティテイーであり、06年2月には水産庁から全国の〈未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選〉に選ばれ、福津市にとっても顔というべき〈津屋崎千軒〉が入っていない「福津市 歴史&自然散策マップ」なんて、意味がありません。市が同年12月、津屋崎漁港岸壁の市営「お魚センター」駐車場に建てた津屋崎漁港周辺図の表示に〈津屋崎漁港と津屋崎千軒〉の案内文=写真⑥=を載せているのをご存じないのでしょうか。
写真⑥:「津屋崎漁港周辺図」表示に掲載された〈津屋崎漁港と津屋崎千軒〉の案内文
=福津市津屋崎浜の町の市営「お魚センター」駐車場で、06年12月7日午前9時23分撮影
「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら言挙げせぬ国 しかれども言挙げぞ我がする」(『万葉集』)と歌にもあるように、ことさら言葉に出して言いたてることを「言挙(ことあ)げ」といいます。言葉に呪力があると信じられた上代以前には、むやみな「言挙げ」は慎まれたそうですが、私たち津屋崎人は津屋崎弁でここは、はらかいて(怒って)「言挙げ」すべきではないでしょうか。
すべての津屋崎人、そして全国にいる津屋崎出身の皆様に呼びかけたい。津屋崎の住民の意見をもっと聞いてくれ、津屋崎の浮揚策を共に考えてくれ、「津屋崎福間共同の地域づくり」にしてくれ、――と今こそ、言挙げを!
=福津市津屋崎天神町で、2007年4月1日午前7時24分撮影
3月限りで廃止された福津市津屋崎天神町の西鉄宮地岳線「津屋崎駅」は一夜明けた4月1日、朝から閑散とした〝廃駅〟の様相を示しています。駅舎正面の屋根に表示されていた「津屋崎駅」の青い4文字は無残に外され、駅舎出入り口の戸は閉鎖されていました。また、駅舎右前にあった西日本シティ銀行の「津屋崎ATMコーナー」も閉店され、利用できなくなっています=①=。
津屋崎駅前にあった踏切は、レールの上からアスファルト舗装され、道路両端から線路に入れないように封鎖されていました=写真②=。もちろん、駅ホームに昨日まで停車していた黄色い電車の姿はありません。通りかかった乗用車が、踏切前で一時停車することなくスイスイと渡って走り去るのが空しさを醸します。
写真②:レールの上からアスファルト舗装され、道路両端から線路に入れないように封鎖された「津屋崎駅」前踏切(向こうの駅ホームに電車の姿はありません)
=福津市津屋崎天神町で、1日午前7時15分撮影
どこかに「津屋崎駅」の痕跡はないか、と探したら、ありました。駅前の「新浜山児童公園」にある観光案内板に「津屋崎駅」とまだ表示が残っていました。赤い文字で「現在地」と大きく書かれたそばに、単線の線路表示とともに、「西鉄津屋崎駅」と「西鉄宮地岳線」の2つが黒い文字で書かれていました=写真③=。
写真③:「新浜山児童公園」北端にある観光案内板に残る「西鉄津屋崎駅」と「西鉄宮地岳線」の表示
=福津市津屋崎天神町で、1日午前7時25分撮影
ところが、悲しむべきことに、まだ津屋崎駅に電車が入って来ていた3月31日午前、福津市のある地域づくり実行委員会が編集・発行し、なごりを惜しんで同駅に詰め掛けた市民や鉄道ファンに無料配布した「福津市 歴史&自然散策マップ」の表紙=写真④=には、「知っていますか? 福津のいいところ」というサブタイトルがうたってあるのに、津屋崎の誇りある〈津屋崎千軒〉通りの文字も紹介記事もメーンストリートに載っていませんでした=写真⑤=。マップの発行日は平成19年2月付なのに、すでに西鉄宮地岳線の軌道や津屋崎、宮地岳、福間3駅の表示もありません。
写真④:福津市のある地域づくり実行委員会が編集・発行し、西鉄津屋崎駅で乗客らに配布した「福津市 歴史&自然散策マップ」の表紙
=福津市津屋崎で、1日午前8時14分撮影
写真⑤:「藍の家」と「魚センター」は表示されているが、〈津屋崎千軒〉通りの文字はない「福津市 歴史&自然散策マップ」津屋崎地区部分
=福津市津屋崎で、1日午前8時02分撮影
「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称「海とまちなみの会」)は、江戸時代から海上交易で栄え、〈津屋崎千軒〉と囃された古い町並みの歴史的、文化的な価値を知ってもらおうと、31日も午前9時から会報季刊紙『津屋崎千軒新聞』創刊号「春」号を乗客や市民に無料配布していただけに、残念です。
2005年1月、旧宗像郡津屋崎町と福間町が合併して福津市が誕生したのは、いったい何のためだったのでしょうか。西鉄宮地岳線津屋崎ー新宮駅間が廃線になったうえ、誇りある古い町並みとして津屋崎のアイデンティテイーであり、06年2月には水産庁から全国の〈未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選〉に選ばれ、福津市にとっても顔というべき〈津屋崎千軒〉が入っていない「福津市 歴史&自然散策マップ」なんて、意味がありません。市が同年12月、津屋崎漁港岸壁の市営「お魚センター」駐車場に建てた津屋崎漁港周辺図の表示に〈津屋崎漁港と津屋崎千軒〉の案内文=写真⑥=を載せているのをご存じないのでしょうか。
写真⑥:「津屋崎漁港周辺図」表示に掲載された〈津屋崎漁港と津屋崎千軒〉の案内文
=福津市津屋崎浜の町の市営「お魚センター」駐車場で、06年12月7日午前9時23分撮影
「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら言挙げせぬ国 しかれども言挙げぞ我がする」(『万葉集』)と歌にもあるように、ことさら言葉に出して言いたてることを「言挙(ことあ)げ」といいます。言葉に呪力があると信じられた上代以前には、むやみな「言挙げ」は慎まれたそうですが、私たち津屋崎人は津屋崎弁でここは、はらかいて(怒って)「言挙げ」すべきではないでしょうか。
すべての津屋崎人、そして全国にいる津屋崎出身の皆様に呼びかけたい。津屋崎の住民の意見をもっと聞いてくれ、津屋崎の浮揚策を共に考えてくれ、「津屋崎福間共同の地域づくり」にしてくれ、――と今こそ、言挙げを!