写真①:「英彦山神宮」の参道にある珍しい銅鳥居
=福岡県添田町で、2011年5月7日午後1時30分撮影
修験道の里
「英彦山」を漫遊しました
――福岡県添田町
5月7日、福県川崎町の〝雪舟さんの「魚楽園」〟を訪ねたあと、近くの添田町にある霊山・英彦山にドライブしました。天忍穂耳命(あまのおしほみのみこと)を主祭神とする「英彦山神宮」の参道にある国指定重要文化財・銅鳥居(かねのとりい)=写真①=は、江戸時代初期の寛永14年(1637年)に肥前佐賀藩の初代藩主・鍋島勝茂公が寄進した珍しい青銅製で、高さ7㍍、柱周り3㍍で、風格がありますね。「英彦山」の額束は、江戸中期の享保19年(1734年)に霊元(れいげん)法皇から下賜され、このころから「英彦山」と称されるようになったという。
「英彦山神宮」の急な参道を登るのは大変なので、山麓の駐車場そばにある「英彦山スロープカー」=写真②=に「幸駅」から搭乗、次の「花駅」で降りました。
写真②:英彦山の急な参道近くを走る「英彦山スロープカー」(右は「花駅」)
「幸駅」そばに「英彦山神宮」の参道があり、「英彦山修験道本山霊泉寺」=写真③=が建っていました。参道は最大幅12㍍で、江戸時代初期の1684年ごろ、豊前小倉藩第二代藩主・小笠原忠雄(ただたか)公が現在の同神宮奉幣殿まで整備、両側に坊や商店約50軒を集めたという。
写真③:「英彦山神宮」参道沿いにある「英彦山修験道本山霊泉寺」
参道の一角には、中世末から幕末まで英彦山の山伏を輩出した坊家・「松養坊(しょうようぼう)」=写真④=と解説板もありました。
写真④英彦山の山伏を輩出した坊家・「松養坊」と解説板(右の立て札)
参道の左右は今、新録に包まれています=写真⑤=。英彦山修験道が盛んなころ大講堂と呼ばれた建物で、豊前小倉藩初代藩主・細川忠興公が江戸時代初期の元和2年(1616年)に再建・寄進したという「英彦山神宮」奉幣殿は、この地点から「英彦山スロープカー」の「花駅」のもう一つ次の「神駅」で降りたあと、さらに参道を上った所にあります。疲れもあったので、奉幣殿にはまたの折に訪れることにし、山麓の駐車場に戻りました。
写真⑤:新録に包まれている「英彦山神宮」の参道
このあと、地下1,500㍍から湧き出す天然温泉という英彦山中腹にある「英彦山温泉しゃくなげ荘」=写真⑥=で、露天風呂に浸かって一休みしました。
写真⑥:天然温泉の露天風呂もある「英彦山温泉しゃくなげ荘」
添田町野田にある「道の駅 歓遊舎ひこさん」=写真⑦=にも立ち寄り、地元産の新鮮な野菜やシイタケを買いました。
写真⑦:地元産の新鮮な野菜が販売されている「道の駅 歓遊舎ひこさん」
「英彦山スロープカー」(福岡県添田町。℡0947-85-0375)。駐車場あり。
「英彦山スロープカー」幸駅
(十字の所)