吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年11月16日/〈津屋崎まちなみ散策〉001・〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉12・馬車鉄道跡

2007-11-16 10:44:15 | 津屋崎まちなみ散策
〔お断り〕
 これまで〈海とまちなみの会〉のカテゴリーで〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉を11回(「オガンタン」)まで連載してきましたが、2007年9月に「津屋崎千軒 海とまちなみの会」のホームページブログが開設されたのに伴い、今後の連載を〈津屋崎まちなみ散策〉の新カテゴリーに掲載することにしました。


写真①:〝馬つなぎの松〟があった「馬車鉄道跡」に建つアパート
     =福津市津屋崎天神町で、2007年11月15日午前7時32分撮影

〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 12 

:天神町の馬車鉄道跡

 福津市津屋崎天神町の「津屋崎橋」のすぐ東に「馬車鉄道跡」があることを知っている人は、あまりいないようです。

 今は、2階建てのアパート「セジュール天神」が建っています=写真①=。私が小学生だった昭和30年代初めまでは空き地で、松の木が何本か立っていた記憶があります。この松は6本あり、津屋崎馬車鉄道の終点で馬をなわでつなぐ〝馬つなぎの松〟と言われていたそうです。

 この終点から馬鉄のレールが、東側の津屋崎公民館のある所に向かって敷かれていました=写真②=。


写真②:天神橋から見た〝馬つなぎ松〟跡と「津屋崎公民館」方向
     =福津市津屋崎天神町で、11月15日午前7時32分撮影

 馬車鉄道は、明治40年(1907年)に設立された「津屋崎軌道」が経営。九州鉄道(国鉄)福間駅前から宮司の「宮地嶽神社」鳥居前停車場を経て津屋崎駅まで延長3.8㌔を運行、線路幅91.4㌢の小鉄道を1頭立ての馬車で木製の客車(乗客16人乗り、前後に御者台付き)を引き、時速約10㌔でした。

 明治41年に開業した福間―宮司間を約12分、翌42年8月開業の宮司―津屋崎間を約13分で結び、福間―津屋崎間を約25分で走りました。駅員だった津崎米夫さん(82)(福津市新東区)によると、運賃は福間―宮司間が片道13銭、往復20銭。当時、うどん1杯が5銭、豆腐2丁が10銭だったという。

 馬車は客車9両、貨車2両あり、御者12,3人、主に女性の車掌が乗務。大正8―10年(1919-21年)の最盛期には、年間約18万人の乗客を運んでいましたが、昭和初期に登場したフォードの4人乗りの幌付き自動車(通称〝銀バス〟、10人乗り)のスピードに圧倒され、客を奪われました。

 大正13年(1924年)には、博多湾鉄道汽船(湾鉄)に合併され、乗合バス時代の到来で衰退、宮司―津屋崎間が昭和8年ごろ廃止、福間―宮司間も同14年3月廃止となりました。津崎さんが昭和14年に撮影した馬鉄の写真が『津屋崎町史 通史編』に掲載されています=写真③=。


写真③:津崎さんが昭和14年に撮影した馬鉄
     =『津屋崎町史 通史編』掲載

馬鉄跡
福津市天神町の馬車鉄道〝馬つなぎの松〟跡・位置図
      (ピンが立っている所)
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