写真①:伊藤伝右衛門夫人が泊まったという明治の老舗旅館「不老館」
=吉村青春著『津屋崎学』から
児玉恒次郎氏が経営していた明治の老舗旅館「不老館」
「伊藤伝右衛門夫人が宿泊」の〝証言〟裏付けか
津屋崎・「新泉岳寺」で発見の柳原義光伯爵揮毫石碑から推論
福津市津屋崎の町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が主催した第3期ボランティアガイド養成講座8日目の現地研修で24日、同市天神町の「新泉岳寺」境内に柳原白蓮の兄、伯爵柳原義光の揮毫石碑が発見されたのを機に、同寺を大正2年(1913年)に建てた地元実業家の児玉恒次郎氏が、津屋崎で明治の老舗旅館「不老館」=写真①=を経営していたことを思い出しました。これで、「不老館」に〝筑豊の炭鉱王〟・伊藤伝右衛門夫人が宿泊していたという話も信憑性が裏付けられた気がします。
伝右衛門夫人が宿泊していたという〝証言者〟は、私が所属している「海とまちなみの会」の最長老ガイド・津崎米夫さん(大正13年1月生まれの87歳、福津市津屋崎在住)。津崎さんは津屋崎東舟津の海辺の「玉乃井旅館」東側にあった明治の老舗旅館・「不老館」=写真②=に伝右衛門夫人が泊まったと、子供のころ人づてに聞いています。明治43年(1910年)に45歳で亡くなったハル夫人だったのか、翌44年再婚した才媛歌人の白蓮(びゃくれん。本名柳原子=あきこ=。伯爵柳原前光の次女)夫人なのかは不明。「不老館」の建物も、今は残されていません。
写真②:筑前津屋崎町(潮湯御宿)不老館=昭和初期の写真(吉村青春著『津屋崎学』から=津崎米夫氏提供)
児玉恒次郎氏が旧津屋崎町の観光開発に貢献した業績として、伝右衛門らと渡半島突端の蛭子元(えびすもと)での「活洲場(いけすば)」開設のほか、潮湯御宿「不老館」の経営が知られています。
「新泉岳寺」境内に「楠樹 還暦祝賀記念 児玉恒次郎」と刻まれた石碑=写真③=が建っています。側面に「大正十五年 九月二十二日 誕生日植之」と刻まれています。数え年61歳の還暦記念とありますから、同寺を建てた大正2年(1913年)は数え48歳だったことになります。伝右衛門は、大正2年は54歳で、翌3年には大正鉱業株式会社を設立して社長に就任していますから、児玉氏にとっては兄貴格の実業家だったのかもしれません。
写真③:境内に建つ「楠樹 還暦祝賀記念 児玉恒次郎」と刻まれた石碑
=「新泉岳寺」で、2011年11月24日撮影
京都の不老館 に泊まった事があるようでが(記憶はなく写真があります)この不老館は、その不老館でしょうか、または、別の不老館でしょうか?
京都の不老館に、近い所でしょうか。
京都の不老館は初耳です。
津屋崎の不老館と同じかどうか、分かりません。
津屋崎の近くお住まいになら、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の観光ガイド拠点事務所・「貝寄せ館」(福津市津屋崎3丁目18番16号)きょう1月8日(日曜)11~13時なら、私がガイド担当で居りますので、ごつごうがよければお立ち寄りください。
今後のお問い合わせは、E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jp で吉村青春までメールでどうぞ。