吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈催事〉0598:津屋崎の石碑写真展

2021-06-25 21:43:10 | 行楽催事

 

写真①:津屋崎千軒民俗館『藍の家』前に立てられた「津屋崎の石碑写真展」の案内板

   =福津市津屋崎4丁目で、2021年6月25日撮影

 

津屋崎千軒民俗館『藍の家』で「津屋崎の石碑写真展」開催中


 石碑が語る津屋崎の人々の暮らしに触れてみませんか――。福津市津屋崎4丁目の津屋崎千軒民俗館『藍の家』で、「津屋崎の石碑写真展」=写真①=が6月28日まで開かれています。藍の家保存会(古閑由美代表)主催で、入館無料。

 

 『藍の家』の座敷に、古閑代表らが撮影した約40点の石碑のカラー写真が解説文付きで、所在地が分かる地図とともに展示されています=写真②=。「津屋崎の石碑写真展」の見出し付き解説パネルには「風景の中に静かに石碑は建っています。この石碑は何を伝えるために造られたのだろうか、と思うようになり、碑文を読んだり、調べるうちに『千軒と呼ばれるほど栄えた津屋崎』という一面しか知らず、千軒を支えた周辺の農村に生きる人々の暮らしに目を向けていなかったことに気づかされました。人々は懸命に生きてきたのだ」と書かれ、この展示が、津屋崎をより深く理解して頂くきっかけになれば幸いです、としています。

写真②:『藍の家』の座敷に展示された石碑のカラー写真や所在地が分かる地図

 

 展示された石碑写真のうち、勝浦浜区の北方地蔵堂の右手にある「八角塔」=写真③=は、「大塔様(おおとうさま)」とも呼ばれています。江戸時代中期の寛政4年(1792年)、長崎・雲仙の普賢岳噴火に伴う大地震で眉山が崩落し、島原の海に停泊中だった勝浦浜「山賀屋」の2隻の商船“三社丸”と“四社丸”が遭難、積み荷と16人の乗組員もろとも行方不明となってしまい、この宗像郡最大の事故の犠牲者を供養するためにこの塔が建立されたという。

写真③:「大塔様」とも呼ばれている「八角塔」

 また、「数学師 谷口茂一郎(たにぐちもいちろう)顕彰碑」=写真④=は、在自の金毘羅神社の一の鳥居の右手に建立されています。解説文によると、「谷口茂一郎は江戸時代から在自村(あらじむら)に住み、農業のかたわら算術を学び、習得した学者で、福岡県はもとより佐賀県、長崎県、熊本県などからその教えを求めて数千人の人々が集いました。農家に生まれながらも、学問の奥義を究めるべく心を砕き教育に尽力した谷口茂一郎をたたえ、明治36年(1903年)に門下生たちがこの顕彰碑を造刻した」としています。

写真④:「数学師 谷口茂一郎顕彰碑」

 

 藍の家保存会の古閑代表は「石碑写真展で津屋崎の人々の暮らしをご覧ください。ほかにも津屋崎のここに石碑があるとご存じの方は、教えてほしい」と話しています。

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