吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈催事〉0204:「伊能ウオーク」にぎわう⑦

2012-09-01 10:45:20 | 行楽催事

 

写真①:「伊能忠敬の見た津屋崎千軒」について講演する松尾弘道さん(立っている人)

      =2010年8月16日、福津市津屋崎4丁目の「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で撮影

 

「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」
3年がかりで忠敬の津屋崎測量2百周年記念事業を実現

⑦ボランティアの力を結集


  「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」の企画事業が8月25日、無事に開催できたのは3年がかりの取り組みと、同ツアー実行委員会に結集したボランティアの力があったからでした。

  私が所属している町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が2010年8月16日、福津市の「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」で開いた講演会「伊能忠敬の見た津屋崎千軒(伊能忠敬 200年を超えてのメッセージ)」=写真①=が、「伊能ウオーク」企画をスタートさせるきっかけでした。津屋崎中、宗像高校、九州大工学部を卒業後、建設省と千葉県で土木の事業に携わり、伊能忠敬の生誕地である同県在住の「ちば河川交流会」会員松尾弘道さん(66)を講師に迎え、会場は松尾さんの同級生の宗像高校第15回卒業同窓生を中心に45人の受講者でいっぱいになり、松尾さんを囲み、熱っぽい歴史談義が弾みました。

 この講演会で、松尾さんが旧宗像郡内を測量した忠敬一行の宿泊場所について「文化9年(1812年)7月26日に神湊村で、27日に勝浦で、28、29日に津屋崎浦で泊まりました。2012年は、忠敬が津屋崎に来てちょうど2百年になります。勝浦の宿泊地は、『伊能忠敬測量日記』には〈止宿本陣大庄屋長嶋源五郎、酒造家なり〉と記載されていますが、今のどの家かわかりません」と話し、今後の調査待ちの結論に。

  「海とまちなみの会」は2012年1月29日、第7回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」として「伊能忠敬の歩いた道をたどる」津屋崎踏査ウオークを開催。会員ら男女22人が、忠敬らの津屋崎~勝浦の宿泊場所を結ぶ測量コース=酒造業・「佐治徳左衛門」屋敷跡~「大庄屋長嶋源五郎」屋敷跡=約6㌔を、松尾さんと「海とまちなみの会」ガイドの案内でたどりました=写真②=。ところが、「大庄屋長嶋源五郎」屋敷跡と見込んでいた家は、その後の調べで永島一族の旧「浦庄屋」・永島家屋敷跡と分かりました。

 

 写真②:勝浦浜の浦庄屋・永島家屋敷跡に着いた「伊能忠敬の歩いた道をたどる」津屋崎踏査ウオーのク参加者

     =2012年1月29日撮影

 

 私が〈大庄屋長嶋源五郎〉の存在を裏付ける古文書を探したところ、福津市勝浦東の「年毛(としも)神社」の永島俊一(としかず)前宮司(永島家十五代。故人)が昭和56年(1981年)に50年かけて作成した永島家の家系図・『筑前宗像永島系譜』(原本)に、「松賀屋」三代大庄屋源五郎勝義であることが確認できる記述=写真③=を見つけました。永島俊一氏の長女で、永島家十六代の永島淑子「年毛神社」現宮司から門外不出の同家系図を見せていただいたおかげです。

 

 写真③:〈大庄屋長嶋源五郎〉が「松賀屋」三代大庄屋源五郎勝義であることが確認できる記述(『筑前宗像永島系譜』原本)

 また、永島家の一族で、同市桂区の永島信行さん(66)や同市松原地区に住む元教諭で、桂区にある第二次大戦の慰霊碑「忠霊塔」を祀る宗教法人「相愛会」会長の小島正弘さん(76)の話から、大庄屋「長嶋源五郎」の屋敷は、勝浦小学校の敷地に以前あった旧「勝浦幼稚園」の跡にあり、木造2階建て瓦葺、入母屋の大きな家で、敷地は道路を隔てて西側にある「忠霊塔」の所まで続いていたほか、勝浦小西側の道路向かいにある理髪店(花田政夫さん経営)の所は、大庄屋の酒造所があったことが判明。永島淑子・「年毛神社」宮司からは、「屋敷は、よその三階建てぐらいの高さがある見上げるような二階建てだったが、戦後間もなく取り壊された」との証言も得ました。

 大庄屋「長嶋源五郎」屋敷跡を突き止めることができたことから、松尾さんらの要望で「伊能ウオーク」企画を今夏もしくは今秋に開催をと検討しましたが、参加応募者の受付事務の大変さや開催費用の工面など多くの課題に直面。福津市観光協会や福津市いきいき健康課、郷育推進課など関係方面に主催できないか申し入れしましたが、引き受け手は現れませんでした。このため、「海とまちなみの会」が7団体に働きかけ、7月9日に福津市まちおこしセンターで主催団体として「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー実行委員会」を設立、実行委員長に吉村勝利・「海とまちなみの会」会長、事務局長に石津宏介・同会副会長兼事業企画委員長を互選いただきました。

  「伊能ウオーク&探訪ツアー実行委」に加わった他の7団体(五十音順)は、篠栗そばの会とサンピア福岡、福岡そばの会、福津市観光協会、福津市まちおこしセンター、みなとタクシー株式会社、宗像高校第15回卒業同窓会有志です。これに福津市観光協会の後援、宗像タクシー協会の協力をいただきました。劇団民藝の創立者宇野重吉さんらが訪れた手打ちそばの名店・「多め勢(ためせい)」(福岡市早良区室見1丁目)の大将田口俊英氏のそば教室で腕を磨いた〝名人〟たちが、手打ちそばでの町興しボランティア活動を目的に平成13年に設立した「福岡そばの会」(会員73人)の守男・同会師範(篠栗町)と、同師範が指導している「篠栗そばの会」(同26人)の平尾幸政会長には5月20日、「海とまちなみの会」の事務所・「貝寄せ館」にお越しいただき、町興しのため「伊能ウオーク」開催でそば打ちの実演とボランティア価格で手打ちそばの提供をしたいとのご提案を受け、開催当日はスタッフ計11人を派遣してもらいました。

  「福津市まちおこしセンター」と福津市には、「伊能ウオーク」の講演会場の和室と、そば打ちのための調理室、体験コーナーなどの無料使用や、付設駐車場の案内整理員の提供と参加者の受付事務を担当していただき、助かりました。福津市観光協会理事で地元の市会議員でもある大峰重美実行委員には、PRチラシのB4判用紙2千枚を寄贈いただいたほか、「伊能ウオーク・ツアー」客の当日受付係もしていただきました。

 「サンピア福岡」(福津市西福間4丁目)の柳章美社長には、夏休みの繁忙期にもかかわらず、町興しに役立つのならと、「忠敬御膳を味わう会」の開催を快諾いただき、割安価格で2百年前の忠敬の接待食を模した豪華料理を提供、ご招待した〝伊能忠敬そっくりさん〟の井手米夫さん(福岡県太宰府市)の分は、無料でサービスいただき、感謝申し上げます。

  「海とまちなみの会」の賛助団体会員でもある「みなとタクシー株式会社」(宗像市赤間駅前2丁目、古野浩社長)には、バスツアー用の「みなと観光バス」2台=写真④=を割安価格でチャーターさせていただきました。「宗像高校第15回卒業同窓会有志」の松尾さんと永島信行さん、白石裕二さん(宗像市)には実行委員として、講演会の講師や、〝忠敬そっくりさん〟の江戸時代の測量再現パフォーマンスのために、測量用具の竹竿製の「梵天(ぼんてん)」作りと寸劇の出演、バスツアー参加者募集などにご奮闘いただきました。

 

写真④:福津市勝浦の国道495号線を勝浦浜に向かう「みなと観光バス」2台(左車線手前から)

     =2012年8月25日撮影(正岡功・「海とまちなみの会」会員提供)

  このほか、「海とまちなみの会」会員や活動支援の方6軒から「忠敬御膳を味わう会」に使うお膳計62個を無料で借用させていただきました。宗像市で8月17日から「大赤間展」を開催された町興しボランティア団体・「赤間塾」(中村哲一郎塾長)の女性スタッフお二人からは、〝忠敬そっくりさん〟の着物の提供と着付け=写真⑤=まで付き添ってお世話いただき、ありがたく存じます。また、〝忠敬そっくりさん〟が被る陣笠は、宮地嶽神社から無料で拝借させていただき、お礼申し上げます。

  

写真⑤:「赤間塾」の女性スタッフお二人から着物の提供と着付けを受ける〝忠敬そっくりさん〟の井手米夫さん

     =8月25日午前8時50分、福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」和室で撮影

 最後に、「伊能ウオーク・ツアー」開催の事前告知記事を福津市広報誌「広報ふくつ」8月1日号に掲載いただいた同市と、8月8日付の「福岡都市圏版」のトップに「伊能忠敬の足跡たどろう」の見出し付き記事を載せていただいた西日本新聞社、8月24日にRKBラジオ番組「中西一清スタミナラジオ」に「伊能忠敬ウオーク」実行委員長・吉村勝利を生出演させ、イベントPRにご協力いただいたRKB毎日放送の皆様に心より感謝申し上げます。 

        (終わり)

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