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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2014年10月25日/〈日記〉546・「新天橋」橋脚補修工事

2014-10-25 16:59:42 | 日記

 

写真①:橋脚補修工事が進む「新天橋」(向こう左の4階建ての建物は旧「魚正」)

     =福津市津屋崎3丁目「津屋崎浜」で、2014年10月25日午前11時50分撮影

 

福津市津屋崎の「海岸道路」

「新天橋」の橋脚補修工事進む

  福津市津屋崎3丁目の県道津屋崎線(通称・「海岸通り」)で、新川(「在自川」下流)に架かる「新天橋」の橋脚補修工事が進んでいます=写真①=。

  「新天橋」は旧津屋崎町時代の昭和39年(1964年)、旧往還・〈津屋崎千軒通り〉にある「天神橋」の「新川」下流の町道「津屋崎海岸線」に完成。「津屋崎海岸線」は都市計画道路として整備され、同42年(1967年)に県道渡―津屋崎線(通称・海岸道路)に昇格しました。

 「新天橋」の橋脚補修工事は福岡県北九州県土整備事務所宗像支所の発注で、2015年2月6日までに完工の予定。現在、「海岸道路」南側にある福津市の無料駐車場が、臨時の資材・車両置き場になり、「新天橋」の橋脚の補修が午前8時から午後5時まで行われています。無料駐車場から「津屋崎浜」に散策や貝殻拾いに出る市民には、一帯は歩きにくい状態です。

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2014年10月3日/〈日記〉544・関門小旅行(4)

2014-10-03 06:20:01 | 日記

 

写真①:「カモンワーフ」を散策する行楽客

     =山口県下関市で、2014年9月23日午後1時25分撮影

 

門司港レトロと下関・唐戸巡り(4)

「カモンワーフ」と「唐戸市場」

  山口県下関市の「みもすそ川公園」からは、サンデンバスに乗ってシーサイドモール「カモンワーフ」へ到着=写真①=。レストランや関門の海産物、お土産店などが2階建てビルに入っています。2階の「からと屋」で、OB会・「読売西部同人会」メンバーの健康を祝して生ビールで乾杯、遅い昼食をいただきました。

 昼食後、2階の遊歩道から「カモンワーフ」を見下ろすと、海のそばのボードウオークでの猿回しに人だかりができていました=写真②=。跳び箱の上で空中回転するなど高難度の技を次々と披露、観客から大きな拍手を浴びる芸達者のお猿さんで、楽しい大道芸です。

  

写真②:大勢の観客に囲まれた猿回しの大道芸

 「カモンワーフ」から歩いて、隣の「唐戸市場」=写真③=へ。ここが、フクの競りでテレビ・ニュースや新聞に掲載される有名な卸売市場か、と期待が膨らみます。

  

写真③:「唐戸市場」の建物外観

  「唐戸市場」の建物内には、鮮魚やウニ、海藻類などの露店が並び、ウニ丼、フク料理などが食べられる席もあり、祝日とあって家族連れや観光客ら大勢の人で活気にあふれていました=写真④=。

  

写真④:露店が並び、大勢の人で賑わう「唐戸市場」

  「唐戸市場」から下関港の「関門連絡船」乗り場へ歩いて向かう途中、「聖フランシスコ・サビエル下関上陸の地」の記念碑が目につきました。=写真⑤=。ポルトガルを出た宣教師・サビエルが1550年、大内義隆に会うため下関に上陸、大内領内でのキリスト教の布教を認められ、下関にも教会堂が建てられたと、碑文に刻まれています。〈たとえ全世界を手にいれても自分の魂を失ったならば、なんの益になろうか〉(マタイ福音書16章26節)という「サビエルが日本に行くことを決意させた聖書のことば」は、胸に突き刺さりました。

 

写真⑤:「聖フランシスコ・サビエル下関上陸の地」の記念碑

  下関港の「関門連絡船」乗り場の唐戸桟橋に着くと、巌流島行きの遊覧船の案内看板が立てられていました=写真⑥=。

 

写真⑥:巌流島行きの遊覧船の案内看板が立つ唐戸桟橋

  午後2時59分、唐戸桟橋発の「関門連絡船」に乗り、船室の窓ガラス越しに関門橋を眺めながら門司港へ関門海峡を突っ走り、爽快でした=写真⑦=。

 

写真⑦:船室の窓ガラス越しに関門橋が眺められた「関門連絡船」

 5分で門司港レトロ地区の桟橋に着いた「関門連絡船」から上陸後、JR門司港駅から小倉駅へ向かいます。夕方からは、福岡市中央区赤坂へ移転する平成16年まで読売新聞西部本社があった北九州市小倉北区のホテルで「読売西部同人会」の懇親会に細君と出席。昭和39年(1964年)の西部発刊記念日の9月23日に合わせて開催された「門司港レトロ」と下関・唐戸巡りの小旅行とともに、今年は格別な「秋分の日」になりました。       

                                    (終わり)

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2014年10月2日/〈日記〉544・関門小旅行(3)

2014-10-02 20:32:42 | 日記

 

写真①:「出光商会創業の地」の記念碑

      =北九州市門司区で、2014年9月23日撮影

 門司港レトロと下関・唐戸巡り(3)

「関門トンネル」を踏破

  北九州市門司区の老舗料亭「三宜楼」を観覧後、「門司港レトロ」観光小旅行コースを歩いて門司港へ向かう途中、「出光興産」の前身である「出光商会」の創業地の記念碑=写真①=を見ました。百田尚樹の歴史経済小説『海賊とよばれた男』のモデルとなった出光翁の、ここが飛躍の踏み台の地か、と同じ旧宗像郡出身者として親近感がわきました。

 記念碑によると、出光商会は明治44年(1911年)、この地で石油販売業の第一歩を踏み出し、創業者の出光佐三氏は門司商工会議所会頭として「門司みなと祭」開始の音頭を取るなど門司市の発展に尽力、昭和33年に初の門司名誉市民に選ばれているという。

 次は、「門司港レトロ地区」へ足を踏み入れました。建築家黒川紀章氏が設計した高層マンション「レトロハイマート」が、偉容を誇っています=写真②=。

  

写真②:高層マンションが偉容を誇る「門司港レトロ地区」

 今回の関門小旅行の楽しみの一つだった平成筑豊鉄道株式会社が運行の「門司港レトロ観光列車・潮風号」=写真③=には、「出光美術館駅」から乗車。

  

写真③:平成筑豊鉄道株式会社運行の「門司港レトロ観光列車・潮風号」

  2両編成のトロッコ列車・「潮風号」はほぼ満員で、次の駅の「ノーフォーク広場駅」を過ぎてトンネルに入ると、車内が暗くなって青色の天井に様々な魚の映像が映し出され=写真④=、幻想的な雰囲気に――。

  

写真④:「潮風号」の客車天井に映し出された様々な魚の映像

  トンネルを出ると、終点の「関門海峡めかり駅」です。下車して、海沿いの舗装道路を歩いて「関門トンネル人道入口」へ。エレベーターで地下に降りると、西日本高速道路㈱の「関門トンネルのご案内」掲示板が目につきました。昭和33年(1958年)に完成した海底トンネルで、人道(海底部780㍍)は車道の下にあり、人や自転車も通れると説明されていました=写真⑤=。

 

写真⑤:「関門トンネルのご案内」掲示板

  海底トンネルを歩いて、下関市へ入り、エレベーターで地上に出ます。関門海峡に面した道路を南へ歩くと、「関門橋」が見えてきました=写真⑥=。大きなコンテナ船が、橋の下をくぐり抜けて行きます。

 

写真⑥:関門海峡をまたぐ「関門橋」

  やがて、壇之浦古戦場を一望できる「みもすそ川公園」へ。二位の尼の辞世の歌〈今ぞ知る 身もすそ川の 御ながれ 波の下にもみやこありとは〉(長門本平家物語)から地名が付いたという。この公園は幕末の攘夷戦で外国船を砲撃した砲台跡、百円硬貨を入れると発射音と煙が砲身から噴出する長州砲=写真⑦=が据えられており、粋な演出効果に感心しました。

 

写真⑦:百円硬貨を入れると発射音と煙が砲身から噴出する長州砲

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2014年10月1日/〈日記〉543・関門小旅行(2)

2014-10-01 08:12:52 | 日記

写真①:坂道の上に建つ木造三階建ての老舗料亭「三宜楼」

     =北九州市門司区清滝3丁目6-8で、2014年9月23日撮影

 

門司港レトロと下関・唐戸巡り(2)

「三宜楼」

  北九州市門司区の「門司港レトロ」観光小旅行で9月23日、JR鹿児島線「門司港駅」の次に訪れたのは、山手側の小高い丘の上にそびえる数寄屋造りの木造三階建て、延べ床面積1,200平方㍍超の老舗料亭「三宜楼(さんきろう)」=写真①=です。

 「三宜楼」は明治44年(1911年)に建てられ、昭和6年(1931年)に現在地に移転、昭和30年代に廃業するまで、門司港発祥で知られる出光興産の創業者・出光佐三社長をはじめ、政財界人らの宴席で賑わったという。土地売却の話が出たことから、市民らが寄付金2千万円で購入、市が平成24年(2012年)から補修工事を行い、工事終了後の今年4月25日、2階の通称「百畳敷」の大広間で披露の宴が催されており、ぜひ立ち寄りたかったスポットです。

  坂道から石段を上り、1階玄関から天井が高い帳場の間に入りました=写真②=。

写真②:「三宜楼」1階の帳場の間

  俳人の高浜虚子ら文人や芸術家らも利用した高級料亭だった歴史を紹介する「『粋』を結集 門司港の文化発信拠点」との見出し付きのパネルが、掲示されています=写真③=。

写真③:高浜虚子らを紹介したパネル展示

  狭い階段を上って2階の通称「百畳敷」の大広間へ。座敷の端には、能舞台=写真④=があり、格式の高さがうかがえます。

写真④:大広間座敷(手前)の端に設けられた能舞台

  大広間の壁には、屋号「三宜楼」の額=写真⑤=が掛けられていました。

  

写真⑤:大広間の壁に掛けられた屋号「三宜楼」の額

 障子の上壁の一角には、数寄屋造りに特徴的な「下地窓」=写真⑥=が施され、贅をこらした大広間に見合った意匠です。

 

写真⑥:障子の上壁の一角に施された「下地窓」

 3階の部屋の見所は、「俳句の間」=写真⑦=です。

写真⑦:3階にある「俳句の間」

  床の間には、高浜虚子に私淑した北九州市の俳人杉田久女が詠んだ「谺して山ほととぎすほしいまゝ」の名句の掛け軸=写真⑧=が掛っていました。

写真⑧:杉田久女が詠んだ名句の掛け軸

  「俳句の間」からは、関門海峡が一望できました=写真⑨=。「北九州一の偉観」とされた往時と違い、ビルが景観を遮っているのが惜しまれます。

写真⑨:「俳句の間」から遠望する関門海峡

 部屋数が20室以上あり、福岡県に残る希少な木造三階建てで、昭和初期を代表する料亭建築・「三宜楼」は、優雅な風情のある大規模建造物でした。



 

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2014年9月30日/〈日記〉542・関門小旅行(1)

2014-09-30 05:28:38 | 日記

写真①:JR「門司港駅」改札口から見た2面のホーム

     =北九州市門司区西海岸1丁目で、2014年9月23日撮影

 門司港レトロと下関・唐戸巡り(1)

「秋分の日」、小旅行を楽しみました

  「秋分の日」の9月23日、北九州市門司区の「門司港レトロ」と山口県下関市の唐戸巡りの観光を楽しみました。読売新聞西部本社(福岡市)のOB会「読売西部同人会」が、読売新聞の西部発刊50周年を記念した小旅行に、OBとして細君同伴の参加です。「門司港レトロ」と下関・唐戸巡りと題して、連載リポートします。

 OBの一人で、北九州市観光案内ボランティアをしているAさんが、ガイドを買ってくれ、楽しい町歩きになったのに感謝です。

 久しぶりに訪れたJR鹿児島線「門司港駅」=写真①=は、大正3年(1914年)にネオ・ルネサンス様式で建設された左右対称の建物外観が瀟洒で、国指定重要文化財の木造駅舎が老朽化したため保存修理工事が行われていました。2面あるホームの間には、日本の鉄道開業百周年を記念して建立された九州の鉄道起点を示す0哩(マイル)標がありました=写真②=。

写真②:九州の鉄道起点を示す0哩(マイル)標

  駅構内の洗面所には、大正3年の建設当時からある「幸運の手水鉢」=写真③=が残っており、〈戦時中の供出からもまぬがれ、現在も鋳造時の形のまま長寿を誇っています〉との説明分が掲げられています。

写真③:「幸運の手水鉢」

  「幸運の手水鉢」のほかにも、大正3年の駅建設のころ洗面所に開設されて以来、旅行者に門司の「おいしい水」を供給し続けているという水道(水呑処)・「帰り水」=写真④=が残っています。「帰り水」の説明文には〈戦前の海外旅行者をはじめ、終戦後の復員や引揚の人達が門司に上陸して安堵の思いで喉を潤したところから「帰り水」と呼ばれる様になりました〉と書かれていました。

写真④:旅行者に門司の「おいしい水」を供給し続けている「帰り水」

  門司港駅は、関門トンネル開通までは九州の鉄道の玄関口として、関門海峡を隔てた山口県下関市とを結ぶ関門連絡船との中継駅でした。駅構内には、「関門連絡船通路跡」=写真⑤=も残されています。

写真⑤:門司港駅構内に残る「関門連絡船通路跡」

   「関門連絡船通路跡」には、旧日本軍の命令で戦争末期に設置された渡航者の旧監視孔(窓)=写真⑥=も残っていました。そばに〈門司港は外国航路寄港地の為、関門連絡船の通路は、戦時下の不審者を監視する絶好の場所でした。監視孔は反対側にもあり、内部が分かりにくい構造で、横に入り口を塞いだ跡があります〉と説明文が掲示されています。

写真⑥:関門連絡船通路跡にある渡航者の旧監視孔

  以前、門司港駅を訪れた際は、レトロな駅舎の外観に目が行きました。今回は、駅舎が保存修理工事中で幕で覆われ、仮駅舎で営業しているとあって、構内の様々な歴史的資産に触れられたのが収穫でした。

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2014年8月17日/〈日記〉541・メガソーラー景観

2014-08-17 21:22:26 | 日記

 

写真①:西竪川の旧「津屋崎塩田」跡地を覆うメガソーラー・パネル群(手前は「津屋崎干潟」)

     =福岡市渡の「東郷公園」から、2014年8月17日午後5時55分撮影

 

旧「津屋崎塩田」跡地覆うメガソーラー・パネル群

福津市・「東郷公園」からの景観一変

 

 福津市渡の大峰山(標高114㍍)山頂の「東郷公園」を8月17日午後訪れ、同市西竪川の旧「津屋崎塩田」跡地が建設されたメガソーラー(太陽光発電設備)・パネル群に覆われ、景観が一変=写真①=しているのに驚きました。

 「津屋崎干潟」の東に隣接した西竪川の旧「津屋崎塩田」跡地では、三井松島産業(福岡市)の子会社・MMエナジー株式会社(同)が、約3万2千平方㍍の用地に総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千5百枚を建設=写真②=

 また、「津屋崎干潟」奥の福津市渡池尻の用地約5万5千平方㍍では、「百田興産」(福岡市)の太陽光パネル約8千枚(総出力約2千㌔・㍗)が建設されました=写真②=。

 

写真②:福津市渡池尻のメガソーラー(手前は「津屋崎干潟」)

      =「東郷公園」から、17日午後5時55分撮影

 周辺2か所にメガソーラーが建設された「津屋崎干潟」には、世界に約2千羽しかいないという環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠA類」指定のクロツラヘラサギ(トキ科)10羽前後が毎冬、朝鮮半島から渡来。池尻のメガソーラー・パネル群の東に接した水路は、同干潟とともに福岡県鳥獣保護区に指定されています。これまで同水路は、冬の渡り鳥・クロツラヘラサギやヘラサギ(トキ科)、留鳥のカワセミ(カワセミ科)、バン(クイナ科)など野鳥の採餌や休息の楽園になっており、10月末にもクロツラヘラサギたちの今季初渡来が予想されます。

 「津屋崎干潟」周辺2か所に出現したメガソーラー・パネル群を上空から〝鳥の目〟で見降ろし、乱反射するメガソーラーの景観をどう感じるでしょうか。太陽光パネルの下の地面は日光も届かず、地上付近の気温も以前と違うようになり、野鳥たちが渡来地の環境変化で「津屋崎干潟」の居心地が悪くなっていないか、気がかりです。

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2014年6月17日/〈日記〉540・「夕陽風景時計」23日着工へ

2014-06-17 21:26:45 | 日記

 

写真①:宮地浜「夕陽風景時計」の時計版を製造する株式会社オオサカネーム

      =福岡市東区社領1丁目で、2014年6月17日撮影

 宮地浜「夕陽風景時計」23日、着工へ

設置費の市民募金21万円に達しました

  福津市のボランティア団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(会員58人)は6月17日、福岡市東区社領1丁目の株式会社オオサカネーム(井手隆二社長)=写真①=に宮地浜「夕陽風景時計」設置事業を担当するプロジェクトチームの3会員が訪れ、ステンレス製の時計版設計の校正作業を終了、23日に宮地浜で設置工事を始めることを決定しました。設置費に充てる募金(1口千円以上、目標額40万円)の寄付金額も、17日までに市内外の106人と1団体からの計21万円に達し、心から感謝しております。

  夕陽の沈む時刻と方位、水平線の島々が描かれたパノラマ風景が分かる「夕陽風景時計」(実用新案登録・緒方義幸「海とまちなみの会」会員)は、緒方会員が宮地浜バージョンとして無料で設計。福津市宮司四丁目2所在の「海の家 大阪屋」下の砂浜に、古賀建設が築造するコンクリート土台(2.3㍍四方、高さ40㌢)の上に据え付け、7月4日完成の予定。「夕陽風景時計」の版面=写真②=は幅1.1㍍、高さ90㌢、奥行き70㌢です。

 

写真②:校正作業を終了した「夕陽風景時計」の版面

     =株式会社オオサカネームで撮影

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2014年5月5日/〈日記〉538・うどん店オープンへ

2014-05-05 06:02:16 | 日記

 

写真①:「まりものうどん」津屋崎店が6月1日にオープンする名物ラーメン店・「宝来軒」跡

     =福津市津屋崎3丁目11-19で、2014年5月4日撮影

津屋崎の人気ラーメン店「宝来軒」跡に

6月1日、「まりものうどん」オープンへ

 営業56年間余で2013年6月末に惜しまれながら暖簾を閉じた福津市津屋崎3丁目の豚骨味の名物ラーメン店・「宝来軒」(木造平屋)跡に6月1日、「まりものうどん」がオープンします=写真①=。

 「宝来軒」は、江戸時代から昭和まで〈津屋崎千軒〉の〝職人町〟だった旧天神町の東はずれにあり、観光客にもお薦めのラーメン店として福岡の情報誌にも再三紹介された名店。チャーシュウや海苔、硬めの麺が入ったラーメンは、塩分少なめの淡い豚骨スープが美味しく、私も昭和30年代の子供のころからなじんだ懐かしい味でした。〈津屋崎千軒〉の観光ボランティアガイドで、町歩き後の食事処を聞かれる身としては、古い町並みにふさわしく、昭和から続く豚骨ラーメンの名店として選択肢の一つに推奨していただけに、閉店は本当に残念です。

 その名店跡に6月1日オープン=写真②=する「まりものうどん」津屋崎店は、5月20日までに厨房、トイレの解体工事などうどん店に模様替え工事を終えるという。発注者・㈱S&Tによる「工事着工のご挨拶」が、同店表側窓格子に貼られています。

  

写真②:旧「宝来軒」駐車場端に立てられた「まりものうどん」6月1日オープンの看板

     =4日撮影

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2014年4月8日/〈日記〉537・春の津屋崎・小径散歩

2014-04-08 18:28:26 | 日記

写真①:宮司浜の浜山松原の小径の道端に咲いていた小さな青い草花

     =福津市宮司浜で、2014年4月8日午前9時10分撮影

春日和に津屋崎の小径・〝2時間ウオーキング〟楽しめました

宮司浜から浜山の松原―新川―「宮地嶽神社」回遊

 うららかな春日和に恵まれた4月8日の午前、福津市宮司浜から浜山の松原や津屋崎浜を歩き、天神町の新川沿いの小径(こみち)を在自までたどり、宮司元町の「宮地嶽神社」を経て同神社参道を宮司浜まで戻る〝2時間ウオーキング〟を、観光ボランティアガイド仲間3人で楽しみました。

 宮司浜の浜山松原の小径の道端には、小さな青い草花が咲いていました=写真①=。

 浜山の松原を抜けた津屋崎浜では、流木=写真②=やワカメ、イカ舟などが漂着しています。

 

写真②:津屋崎浜に漂着した流木

      =8日午前9時25分撮影

  「宮地嶽神社」の社務所へ上る坂道では、散り染めのソメイヨシノのお花見です=写真③=。

 

写真③:「宮地嶽神社」の社務所へ上る坂道を彩るソメイヨシノの花

     =8日午前10時45分撮影

  「宮地嶽神社」参道を上り詰めた石段からは、真っ正面の玄界灘に浮かぶ相島(福岡県新宮町)がくっきりと眺められる絶景に気分も爽やかになりました=写真④=。

 

写真④:「宮地嶽神社」参道石段から玄界灘に浮かぶ相島を見降ろす絶景

     =8日午前10時50分撮影

 

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2014年3月12日/〈日記〉536・枯れた黒松

2014-03-12 17:22:25 | 日記

写真①:赤茶けて立ち枯れ状態の黒松

      =福津市宮司浜で、2014年3月11日撮影

国道495号線の福津市・今川―「宮司浜交差点」間

海風を防ぐ松林で松の立ち枯れ目立つ

  福津市宮司浜の国道495号線の今川から「宮司浜交差点」付近までの海側の松林で、海風を防いでくれている黒松に松くい虫の被害が広がっているようです。

 今川そばの大きな黒松は、赤茶けて立ち枯れの様子=写真①=。ここから「宮司浜交差点」付近にかけての松林も緑の松葉が赤くなっているのが目立ちます=写真②=。

 

写真②:赤くなっている葉が目立つ松林

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