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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2011年9月10日/〈日記〉433:「講座むなかた!」

2011-09-10 19:54:18 | 日記

   

写真①:会場入り口に立てられた「講座むなかた! ムナカタ! 宗像!Ⅱ」の看板

     =宗像市赤間の福岡教育大学教育実践センター1階・大Ⅰ教室で、2011年9月10日撮影

 

 世界遺産の暫定リストに記載された「宗像・沖ノ島と関連遺産群」や江戸時代の宗像などについて、市民に無料で講義する福岡教育大学公開講座「講座むなかた! ムナカタ! 宗像!Ⅱ」が、9月10日午後1時半から宗像市赤間の同大教育実践センター1階・大Ⅰ教室で開かれましたので、受講してきました。

 

約300人の受講者で、会場は満席の盛況。宗像市出身の花田勝広氏(滋賀県野洲市教委文化財保護課)が「宮地嶽古墳と胸形君」の演題で、続いて板坂耀子・福教大名誉教授(国文学)が「江戸時代の紀行と宗像」と題して講義されました。

 

このうち、板坂名誉教授は江戸時代の九州の紀行文は約百点あると指摘。広島の若い武士・林英存(はやし・ひであり)が江戸後期の文化元年(1804年)に著した紀行文『筑紫道草』で、津屋崎を訪ねた印象について〈浜辺にて漁家多し。波折宮と云、小祠有(しょうしあり)。社前の献厨家(にうりや)にて中喰(ちゅうじき)せり。魚肉鮮美にて(後略)〉と津屋崎の魚が新鮮で美味だったと記述していることを紹介されました、

 

また、林は〈沖近く一つの小嶋見ゆるは、アイの嶋とて、韓客渡来の海駅と云〉と書いているとし、福岡藩が朝鮮李王朝から日本の信頼を深めるために国書(信書)を持って来日した「朝鮮通信使」を相島(福岡県新宮町)で接待していたことが旅行者にも知られていたとが分ると解説されました。

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2011年7月23日/〈日記〉432:長姉葬儀お礼

2011-07-23 09:09:00 | 日記

写真①:葬儀会場でほほ笑む吉村冨美子の遺影
     =福津市宮司1の「野ぎく会館西斎場」で、2011年7月22日撮影

 7月20日に他界した長姉吉村冨美子の通夜を21日、葬儀=写真①=と初七日の法要を22日に福津市宮司1の「野ぎく会館西斎場」で、しめやかに執り行いました。23日は、喪主をつとめた長兄達也宅(同市津屋崎3)で、仏壇の前に遺影、遺骨を安置し、49日法要の段取りを決めました。

 通夜、葬儀では、お忙しいなか、生前の冨美子と親しく交流いただいた友人、知人の方をはじめ地域の多くの方々にご弔問、ご参列いただくとともに、ご弔電も頂戴し、本当にありがとうございました。天界の冨美子も、喜んでいることと思います。

 母親代わりの長姉を失った現実を、葬儀、火葬を経てひしひしと身に感じておりますが、拙宅近くの樹上で今朝方から激しく鳴き始めたクマゼミのように元気を出して生きていきたい、と思っています。冨美子がお世話になった皆様に、心から感謝申し上げます。  吉村勝利
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2011年7月20日/〈日記〉431・長姉逝く

2011-07-20 23:13:09 | 日記

写真①:元気だったころの吉村冨美子

 脳梗塞のため福津市・北九州津屋崎病院に入院中の長姉吉村冨美子(よしむら・ふみこ)=写真①=が、きょう7月20日午後4時14分、肺炎で他界しました。大正14年(1925年)12月12日生まれの85歳でした。

 4人きょうだいの総領で、末っ子の私より19歳も年上です。私が12歳の時に母タキが57歳で亡くなったため、旧津屋崎農協に勤めていた長姉は嫁にも行かず、私の大学進学の学費を支援してくれるなど母親代わりの存在でした。

 福津市宮司1の「野ぎく会館西斎場」で、私の長兄達也が喪主をつとめ、21日午後7時から通夜、22日午前11時から告別式を執り行います。生前、長姉がお世話になりました津屋崎農協の方々をはじめ、お友達や地域の皆様、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。  吉村 勝利

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2011年7月18日/〈日記〉430・津屋崎浜に防砂柵

2011-07-18 14:05:53 | 日記

写真①:津屋崎浜に建てられた竹製の防砂柵
     =福津市津屋崎3丁目で、2011年7月17日午前9時40分撮影

 福津市津屋崎3丁目の津屋崎浜に、竹製の防砂柵=写真①=が設けられているのに7月16日、気付きました。

 現場は、天神町を流れる新川の西岸で、旧「魚正」旅館前の「海岸道路」の南側にある市無料駐車場から砂浜に降りた所。16、17両日とも、朝から魚釣りに訪れる太公望らのマイカーなどが駐車場を埋めていました。

 玄界灘の海風が巻き上げる砂が、この駐車場付近に舞い落ちるのを防ごうと、防砂柵=写真②=を設置したのでしょう。昭和42年(1967年)にアスファルト舗装の県道「海岸道路」が建設されるまでは、波打ち際から白い砂浜が陸地に向かって広々と続いていました。干潮時の砂浜で、日が暮れるまで野球に興じた小学生時代の広かった津屋崎浜を懐かしく思い出します。


写真②:無料駐車場(右側)の南側の砂浜に設置された防砂柵
     =7月17日午前9時40分撮影
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2011年7月17日/〈日記〉429・「津屋崎千軒ガイドライン」策定へ

2011-07-17 04:34:59 | 日記

写真①:「福津市沿岸部地区高度地区計画書(原案)概要版」

福津市が「沿岸部高度地区指定に関する説明会」開催
高さ制限の地区設定決定の次は
景観設定の「津屋崎千軒ガイドライン」策定へ

 福津市都市整備部都市計画課から「福津市沿岸部高度地区指定に関する説明会」開催についての案内書が郵送されてきたので、市立図書館研修室で7月16日午後に開かれた同説明会に出席してきました。席上、市が近く「津屋崎千軒ガイドライン」策定作業に着手する計画であることが明らかになりました。

 この説明会は、市都市計画課が平成21年度までに開いた「街並みワークショップ」や千世帯の調査で高さ制限のあり方について聞いた市民の意見を参考に、市沿岸部高度地区指定の高さについての原案をまとめ、同ワークショップに参加した私たちに出席の案内をして開催。会場で配付された「市沿岸部地区高度地区計画書(原案)概要版」=写真①=によると、高度地区設定の目的は津屋崎浜から宮地浜を経て福間海岸へ至る沿岸部で、土地利用規制の基本制度である用途地域の建築物の高さを抑える「高度地区」を指定し、良好な住環境の保全と街並み景観の創出を目指しています。

 「高度地区」は都市計画法に基づく地域指定で、定められた「建築物の高さの最高限度」に違反した場合は建築確認の審査で是正措置命令ができます。このうち「津屋崎都市計画(津屋崎地域、宮地地域)」では、江戸時代からの歴史を感じさせられる建物が並ぶ津屋崎千軒がある津屋崎地域は、歴史的街並みを生かしたまちづくりや低層住宅が主体となっている地域の現状を考慮した規制内容としています。宮地嶽神社と宮地浜に伸びる参道、その周辺が低層住宅地となっている宮地地域は、海まで続く参道の見通しの確保や歴史的雰囲気を損なわないまちづくりを考慮した規制内容とする、としています。

 具体的には、高さの最高限度を12㍍(共同住宅にすると3~4階程度に相当)に規制。ただし、商業地域及び商業施設などが集積する福間地域に隣接した一部の地域は同15㍍(共同住宅にすると4~5階程度に相当)とします。また、高さの最高制限を適用しない建築物について、公共公益上の観点からやむを得ない建築物及び市の観光振興に寄与する施設で、市街地環境の維持に支障のないものは、市長の特例許可で適用の除外とする、としています。

 「高度地区指定範囲と高さ設定(原案)」の地図=写真②=によると、高度地区設定区域は約320㌶。津屋崎地域のうち、津屋崎海水浴場の海の家がある地域が指定範囲に入っていない理由については、用途地域に指定されていない地域のため、自然公園法により高さの最高限度を13㍍に規制されているという。


写真②:「高度地区指定範囲と高さ設定(原案)」の地図

 市は市沿岸部高度地区指定の高さについての原案を9月中旬から2週間縦覧し、市都市計画審議会と知事の同意が得られれば、年明けに告示決定したい計画。佐々精二・市都市計画課長は「まず、高さ制限の設定を行い、次が景観の設定を計画しており、津屋崎千軒のガイドラインについては住民参加のワークショップを行い、今年度から来年度までの2年間で作成したい」と話していました。

 福津市が策定した市景観マスタープラン(2008-2017年)の「景観まちづくりの基本方針」では、住民の協力のもと「景観の自主的ルールづくり」を津屋崎千軒などで先導的に行うとしています。津屋崎千軒のガイドライン作りは、「福津らしい景観」についての市民の合意形成と、それを守るためのルール作りへの第一歩を踏み出すことになります。
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2011年7月12日/〈日記〉428・「オオヨシキリの渡来地」続報

2011-07-12 10:15:31 | 日記

写真①:搬入された土砂の道が左の「津屋崎干潟」方向に帯状に伸びた葦原
     =福津市の県道502号線「塩浜口交差点」で、2011年7月6日撮影

訂正とお詫び
葦原は公有地で、土砂道は浚渫目的の仮設でした
5年連続のオオヨシキリの渡来地

 7月8日/〈日記〉427で掲載した「埋め立てられるオオヨシキリの渡来地」の記事で、この福津市渡池尻にある水路の葦原を民有地としていましたが、市民の方から公有地で埋め立て目的でもないとの情報を12日、寄せていただきました。当初、民有地として聞き取って教えていたのが間違っていたとのことで、本日、記事を訂正させていただくとともに、お詫び申し上げます。

 この市民の方のお話では、近くを流れる黒石川の水が抜けにくいため、排水路がある葦原部分を浚渫するとのことで、作業用に土砂を搬入して道を仮設したという。葦原の埋め立てではないことがわかり、すぐ南側の水路に渡来するクロツラヘラサギの今冬のえさ場や休息地に大きな影響はなさそうですが、少なくとも今夏渡来したオオヨシキリにとっては安住の地ではなくなったことは否めません。津屋崎で唯一の繁殖地と思われていただけに惜しまれます。
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2011年7月8日/〈日記〉427・土砂搬入が始まったオオヨシキリの渡来地

2011-07-08 23:38:35 | 日記

写真①:道路脇のガードレールが取り外され、葦原に搬入された土砂と重機
     =福津市渡池尻で、2011年7月6日撮影

葦原に土砂道造成
5年連続のオオヨシキリの渡来地
重機で工事始まる

 福津市渡池尻にある水路の葦原で7月6日、道路脇のガードレールが取り外されて重機が置かれ、土砂が搬入されているのに気付きました=写真①=。

 葦原のすぐ東側の県道502号線「塩浜口交差点」から見ると、搬入された土砂が道路から左の「津屋崎干潟」方向に葦原へ帯状に伸びています=写真②=。


写真②:搬入された土砂が道路から左の「津屋崎干潟」方向に帯状に伸びた葦原
     =福津市の県道502号線「塩浜口交差点」で、7月6日撮影

 8日、現場はさらに土砂が搬入され、葦原が狭まっていました=写真③=。


写真③:搬入された土砂で狭まった葦原
     =福津市渡池尻で、7月8日撮影

 この葦原は、鳥獣保護法により野生鳥獣の狩猟が禁止されている福岡県指定「津屋崎干潟鳥獣保護区」内にあり、5-8月に日本で繁殖する夏鳥・オオヨシキリ(ヒタキ科)が07年5月12日に渡来、翌13日は「ギョギョシ、ギョギョシ」と大きな声で囀っていました=写真④=。


写真④:水辺の葦原に飛来した夏鳥・オオヨシキリ
     =福津市渡池尻で、07年5月13日午後3時10分撮影

 この葦原では、08年5月4日と09年5月5日も、オオヨシキリの飛来を確認。10年6月10日朝も、葦原そばの木の枝に止まり、大きく口を開いて囀る姿を撮影しています=写真⑤=。11年も、5月16日から6月15日まで鳴き声や姿を確認していました。


写真⑤:葦原そばの木の枝でテリトリーを宣言するオオヨシキリ
     =福津市津屋崎塩浜で、2010年6月10日午前6時5分撮影

 「津屋崎干潟」は、渡半島に抱かれた細長い入り江で、同市浜の町の津屋崎漁港から北へ広がり、地元では〝内海(うちうみ)〟と呼ばれています。波静かで、小魚や貝、ゴカイなど野鳥の餌も豊富で、カモ類やサギ類など多くの野鳥が飛来。環境省から「絶滅危惧(きぐ)ⅠA類」に指定されているクロツラヘラサギ(トキ科)の越冬地で、国際保護ネットワーク(事務局・香港)から国際観測点の一つに登録されています。06年11月15日、干潟約48㌶と周辺陸地約15㌶の計約63㌶が「津屋崎干潟鳥獣保護区」に福岡県からに指定されました。指定期間は10年で、問題がなければ更新されます。

 福岡県は06年11月、「津屋崎干潟」の西側を走る道路脇に「鳥獣保護区」と表示した赤い標識=写真⑥=と「津屋崎干潟鳥獣保護区」の地図入り案内板=写真⑦=を立てました。


写真⑥:道路脇に立てられている福岡県「鳥獣保護区」の赤い標識(右)と地図入り案内板
     =福津市渡で、06年11月16日撮影

 
写真⑦:「津屋崎干潟鳥獣保護区」を地図入りで表示した案内板
     =福津市渡で、06年11月16日撮影

 土砂搬入が始まった渡池尻の水路の葦原は、「津屋崎干潟鳥獣保護区」の最北部にある公有地で、鳥獣保護法でも埋め立てなどの規制はできないようです。ただ、葦原のすぐ南側の水路はクロツラヘラサギのえさ場や休息地にもなっており、土砂搬入がどの辺まで進められるのか、野生鳥獣保護の自然環境に影響が及ばないか、注目されます。
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2011年7月6日/〈日記〉426・『津屋崎学』テキストにガイド講座

2011-07-06 04:44:54 | 日記

写真①:第3期「〈津屋崎千軒そうつこう〉ガイド養成講座」の募集チラシ

7月10日まで受講者を募集しています
第3期「〈津屋崎千軒そうつこう〉ガイド養成講座」
――「海とまちなみの会」

 7月5日に「観光馬車」もお目見えした古風な趣のある町・〈津屋崎千軒〉の町並み案内人になりませんか――。

 私が所属する福津市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称・「海とまちなみの会」)が、7月14日から第3期「〈津屋崎千軒そうつこう〉ガイド養成講座」=写真①=を開きます(市のホームページ・「7月のカレンダー」の催事予定にも掲載していただいており、お礼を申し上げます)。江戸時代から〈津屋崎千軒〉と呼ばれて栄えていた町並みの歴史や、郷土の文化、動植物まで案内できるボランティアガイド研修を行い、講座を修了された皆様には「海とまちなみの会」のガイドとして活動をお願いします。

 養成講座は、12月15日までの原則毎月第3,第4木曜日の14-17時、福津市文化会館2階の視聴覚室などで座学と現地研修の講座を計10回開講し、受講は無料。講師は、不肖私と「海とまちなみの会」ガイドが担当します。テキストは、津屋崎の郷土史と自然のガイド本である拙書『津屋崎学――A Quaint Town Tsuyazaki-sengen Guide』(B5判カラー、第5版314㌻)=写真②=と、毎回用意する講義のレジュメなどです。定員は20名(事前申し込み先着順)で、申し込みをされる方は10日(日)までに事務局・吉村(E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jp)へ、氏名、住所、年齢、電話番号をメールでご連絡下さい。5日までに9名の方が申し込まれました。


写真②:「〈津屋崎千軒そうつこう〉ガイド養成講座」のテキストになる『津屋崎学』(吉村青春著)

 座学のあと行う現地研修の内容は、下記①~⑩の通りです。

①7月14日=〈津屋崎学総論〉と善福寺、豊村酒造、藍の家、ハマボウ見学
②7月21日=津屋崎人形と上田製菓、卯建と鏝絵の町家、波折神社

※7月24日(日)に特別講義として、午後1時30分から3時まで市文化会館・視聴覚室で「海とまちなみの会」が主催する「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」・第1回講演会大森洋子・久留米工大教授が「〈津屋崎千軒〉の町並みの印象と保全策」の演題で講演。受講無料)を受講します。

③8月25日=庚申塔と金刀比羅神社御旅所、教安寺と義民六人士
④9月15日=塩倉庫、津屋崎塩田、新規仕居
⑤9月22日=炭鉱王と津屋崎、伊藤伝右衛門関連場所見学
⑥10月13日=津屋崎馬車鉄道と在自唐坊跡遺跡
⑦10月20日=津屋崎古墳群
⑧11月17日=貝寄せの浜、アカウミガメ、カブトガニ、朝鮮通信使と相島交流の石碑
⑨11月24日=新泉岳寺、東郷公園、東郷神社
⑩12月15日=宮地嶽神社、クロツラヘラサギ、ニッポンバラタナゴ

 団塊の世代の方たちをはじめ、「第3期ガイド養成講座」への受講応募をお待ちしています。
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2011年5月29日/〈日記〉425・『津屋崎学』第2版上製本出来ました

2011-05-29 20:30:51 | 日記

写真①:『津屋崎学』第2版上製本の表紙
     =福津市津屋崎の拙宅で、2011年5月29日撮影

津屋崎の郷土史と自然のガイド本
『津屋崎学――A Quaint Town Tsuyazaki-sengen Guide』第2版上製本が完成
(B5判カラー、382㌻) 吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」をもとに書籍化

 古里・津屋崎の良さや歴史を1冊の本にまとめ、子や孫の世代に伝えたいと、吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」をもとに書籍化した津屋崎の郷土史と自然のガイド本、『津屋崎学――A Quaint Town Tsuyazaki-sengen Guide』の第2版上製本(B5判カラー、382㌻)が、平成23年(2011年)5月12日、東京にある発行所(イースト株式会社および欧文印刷株式会社)で出来あがり、宅配便で29日、私の手元に届きました=写真①=。

解説記事に写真402枚付き 

 記事は、「第1章 津屋崎の魅力」=写真②=から始め、「第2章 津屋崎塩田の軌跡~津屋崎は塩で保(も)つ~」、「第3章 〝筑豊の炭鉱王〟・伊藤伝右衛門と津屋崎」や、「第16章 卯建と鏝絵の町家巡り」=写真③=、小説やテレビ・ドラマに描かれた津屋崎、失われた町家、〝幻の津屋崎鉄道〟などを紹介した「第18章 津屋崎よもやま話」、「第19章 津屋崎の食文化」まで全19章で構成したあと、「津屋崎歴史年表」を掲載。明治創業の荒物屋・旧「乙藤商店」や旧「田中薬局」といった古い町家の様子と、「豊村酒造」の鏝絵、旧「麦屋惣平衛邸」の卯建、「津屋崎干潟」に渡来する冬鳥・クロツラヘラサギ、東京で撮影した泉岳寺や東郷神社、庚申信仰の柴又帝釈天も含め、平成18年から意識的に撮り集めた郷土の祭りや社寺、石碑、風景などの写真402枚と地図60枚付きで分りやすく表現しています。


写真②:「第1章 津屋崎の魅力」の「第2節 古風な趣のある町・〈津屋崎千軒〉」の記事掲載ページ



写真③:「第16章 卯建と鏝絵の町家巡り」の「第2節 卯建の建つ町家」の記事掲載ページ

 『津屋崎学』の第2版上製本は、2月に出来た第1版並製本(B5判カラー、432㌻)に比べ、かなりの地図を手作りで差し替えしてページ数を50ページ減らし、目次の体裁も整えました。1冊の印刷代8,890円とハ-ドカバー代6,500円、送料525円の計15、915円で世界でただ一つの本を手に入れることができました。第1版並製本の10,455円より5,460円割高です。

 『津屋崎学』は非売品ですが、私が所属している福津市の町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」のボランテイアガイド仲間の方たちからもガイド資料に欲しいと希望の声を寄せていただいており、増刷の予定です。
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2011年4月18日/〈日記〉424・ヤギとオカリナ

2011-04-18 09:34:24 | 日記

写真①:いつもの柔和な目でアイコンタクトしてくれるヤギさん
     =福津市須多田で、2011年4月18日午前7時5分撮影

 福津市津屋崎は18日朝、曇りの天気。このところちょっと疲れぎみの心身を癒しに、須多田の畑にいるヤギさん=写真①=に合いに行ってきました。

 いつもの柔和な目とアイコンタクトが取れ、元気をもらえました。15日から続いていた頭痛も治ったようです。ありがとう、ヤギさん。

 16日午後2時から福津市津屋崎4の「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」で開かれた東日本大震災復興支援チャリティーイベント(「津屋崎千軒なんかしょうや実行委員会」主催)、「オカリナコンサート」で、同市在住の児玉麻紀さんの演奏=写真②=を聴いている途中、しんどくなって外に出ました。私が所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が正午から近くの旧「玉乃井旅館」で開催した『津屋崎のたこつぼ料理復活 玉乃井旅館』が無事終了しての帰りで、ほっとして取り組みの疲れが出たのかもしれません。


写真②:「オカリナコンサート」で演奏する児玉麻紀さん
     =福津市津屋崎4の「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」で、16日午後2時撮影
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