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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年2月18日/〈日記〉454・電子書籍データで『津屋崎学』を製本化

2012-02-18 17:41:12 | 日記

  

写真①:電子書籍データで製本化した『津屋崎学』第15版の表紙

 

津屋崎の郷土史と自然のガイド本B5判カラー、314㌻) 

電子書籍データで『津屋崎学』第15版を製本化してみました

 

 吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」をもとに書籍化した津屋崎の郷土史と自然のガイド本『津屋崎学――A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guideの第15版並製本(B5判カラー、314㌻)の電子書籍データで製本注文した第1刷=写真①=が2月18日、宅配便で拙宅へ届きました。

 

『津屋崎学』は、古里・津屋崎の良さや歴史を1冊の本にまとめ、子や孫の世代に伝えたいと、インターネットのポータルサイト「goo」に連載した吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」の『津屋崎学』記事をもとに、東京にある発行所・Obunest(オブネスト)=ソフト開発のイースト株式会社および印刷会社の欧文印刷の共同事業名=で11年2月12日、書籍化した拙著です。私が所属している福津市の町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」のボランテイアガイド養成講座の受講者教本として実費頒布(並製本7,400円、上製本14,000円)しています。

 

これまで一部の写真や記事を改訂し2012年1月20日までに14版まで発行しましたが、新聞記事やインターネットで書籍化されたのを知られた津屋崎出身の方や郷土史ファンの方から分けてほしいとのご希望がありました。しかし、増刷本をオブネストに注文しても私の手元の届くのに10日以上もかかり、注文冊数が少ないと印刷・製本代も割高になります。このため、電子書籍化・製本サービスのMyBooks.jphttp://pub.mybooks.jp/Basket/BookInfo?bookid=E00024905&aid=a97563e6-77cb-44dc-96d4-85a8ffe8c303&prov=goo)で本の内容を電子書籍ファイル(EPUB形式)にしました。本は非売品扱いなので、印税も発生しません。

 

この電子書籍ファイルを無料でダウンロードして読むことができるうえ、紙の本で読みたい場合には同ファイルの中にある「印刷製本版をMyBooks.jpで購入」というボタンをクリックして、『津屋崎学』の印刷製本版を注文できます。お使いの電子書籍リーダーが EPUB形式に対応していれば、パソコンやiPad/iPhone端末で電子書籍ファイル(EPUB)を読むことができます。パソコンでの読み方は、縦書に対応した電子書籍リーダー「EAST espur」(ダウンロード無料)での読書をお薦めします。

 

 今回、電子書籍データで『津屋崎学』並製本第15版を1冊製本化したのは、仕上がり具合と印刷代・輸送費用を確かめるためです。その結果、1冊の印刷・製本代7,530円、宅配便代525円の計8,055円で、実費頒布価格よりも655円高くつきました。この電子書籍データで『津屋崎学』第15版の印刷製本をMyBooks.jp注文できるオーダー期限は5月5日です。

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2012年2月16日/〈日記〉453・ご寄付に感謝申し上げます

2012-02-16 03:55:20 | 日記

  

写真①:〈貝寄せ館〉の建物改装工費支援寄付金を会員内外に募るチラシ

 

 

「海とまちなみの会」の活動拠点事務所

〈貝寄せ館〉改装費支援のご寄付相次ぐ

津屋崎ファンの皆様方に、感謝申し上げま

 

私が所属する福岡県福津市津屋崎の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称・「海とまちなみの会」)、同市津屋崎3丁目の事務所・〈貝寄せ館〉建物の改装工費支援寄付金を会員内外から募集を始めましたが、月15日までに千葉県や横浜市、福岡市、福津市の会員や津屋崎出身の男女など7人の方から13万円が寄せられています。「海とまちなみの会」ホームページやブログ、Facebookなどで寄付金を会員内外から募っているのを知って本会銀行口座に振り込まれたり、本会会計兼広報世話人に持参いただいたもので、心より感謝申し上げます。

 

募金活動は、建物の改装工事費見積額約80万円を目標にしており、15日には寄付金を募るチラシ=写真①=を作成、役員らで会員団体訪問を始めるなど募金活動を本格化しました。チラシには、現在の建物外観の写真と、改装後の外観、内部のイメージを左右に配置、「beforeafter」の要領で分りやすく掲載。また、2月9日付西日本新聞朝刊に寄付金呼びかけの記事が掲載されたことも紹介しています=写真②=。

 

 

写真②:西日本新聞朝刊の記事掲載も紹介した募金チラシ

 

建物の改装工事は2月下旬に着手し、3月中に完成のお披露目をしたく準備を進めております。改装工費寄付金をお寄せの場合につきましては、「海とまちなみの会」の会計兼広報世話人にお渡しいただくか、下記の本会銀行口座へお振り込みのうえ事務局・吉村勝利へご連絡をお願いいたします。

                                                                                  

◇〈貝寄せ館〉改装費支援のご浄財ご寄付のお願い

 

「海とまちなみの会」事務所・〈貝寄せ館〉改装費支援の寄付金のお振込には、西日本シティ銀行福間支店普通預金口座(「津屋崎千軒 海とまちなみの会 会長吉村勝利」、口座番号1304781)をご利用下さい。

 

お問い合わせは、E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jpか、℡090-7451-8063で「海とまちなみの会」事務局・吉村勝利へお願いいたします。

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2012年2月13日/〈日記〉452・「田園は心のふるさと」です

2012-02-13 10:04:32 | 日記

  

写真①:「田園は心のふるさと」と標語で呼びかける立て看板

    =福津市渡で、2012年2月13日午前8時50分撮影

 

 13日の福津市津屋崎は、朝から小雨が降っています。きのうの好天気と打って変わり、津屋崎弁で言うと〝シドシカ〟感じです。

 

そんななか、「恋の浦」海岸に通じる渡の道路わきに、渡区環境を守る会が立てた「田園は心のふるさと」という標語入りの看板=写真①=を見つけました。

 

その通り、「田園は心のふるさと」です!

 

青田に稲穂が実る緑いっぱいの看板に、私の心が瞬間的に同調したのか、気分は晴天に転換していました。

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2012年2月6日/〈日記〉451・「津屋崎学」を電子書籍化

2012-02-06 15:11:17 | 日記

 

 

写真①:『津屋崎学』の表紙(左)と「鏝絵巡り(1)豊村酒造」掲載218-219ページ

 

津屋崎の郷土史と自然のガイド本B5判カラー、314㌻) 

『津屋崎学』第15版を電子書籍化しました

 

 古里・津屋崎の良さや歴史を1冊の本にまとめ、子や孫の世代に伝えたいと、吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」をもとに書籍化した津屋崎の郷土史と自然のガイド本『津屋崎学――A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide=写真①=の第15版並製本(B5判カラー、314㌻)を2月5日、電子書籍化(オーダー期限は2012年5月5日)しました。

 

『津屋崎学』は、古里・津屋崎の良さや歴史を1冊の本にまとめ、子や孫の世代に伝えたいと、インターネットのポータルサイト「goo」に連載した吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」の『津屋崎学』記事をもとに、東京にある発行所・Obunest(オブネスト)=ソフト開発のイースト株式会社および印刷会社の欧文印刷の共同事業名=で11年2月12日、書籍化した津屋崎の郷土史と自然のガイド本です。私が所属している福津市の町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」のボランテイアガイド養成講座の受講者教本として実費頒布(並製本7,400円、上製本14,000円)しています。

 

 これまで一部の写真や記事を改訂し12年1月20日までに14版まで発行しましたが、新聞記事やインターネットで書籍化されたのを知られた津屋崎出身の方や郷土史ファンの方から分けてほしいとのご希望がありました。しかし、増刷本をオブネストに注文しても私の手元の届くのに10日以上もかかり、注文冊数が少ないと印刷・製本代も割高になります。このため、電子書籍化・製本サービスのMyBooks.jphttp://pub.mybooks.jp/Basket/BookInfo?bookid=E00024905&aid=a97563e6-77cb-44dc-96d4-85a8ffe8c303&prov=goo)で本の内容を電子書籍ファイル(EPUB形式)にしました。本は非売品扱いなので、印税も発生しません。

 

 この電子書籍ファイルをダウンロードして読むことができるうえ、紙の本で読みたい場合には同ファイルの中にある「印刷製本版をMyBooks.jpで購入」というボタンをクリックして、『津屋崎学』の印刷製本版を注文できます。お使いの電子書籍リーダーが EPUB形式に対応していれば、パソコンやiPad/iPhone端末で電子書籍ファイル(EPUB) を読むことができます。パソコンでの読み方は、縦書に対応した電子書籍リーダー「EAST espur」(ダウンロード無料)での読書をお薦めします。

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2012年1月18日/〈日記〉450・「瀬戸隆鮮魚店」閉店へ

2012-01-18 17:55:38 | 日記

  

写真①:21日限りで閉店する「瀬戸隆鮮魚店」

    =福津市津屋崎新町で、2012年1月18日午後4時55分撮影

 

津屋崎千軒〉通りの魚屋さん

「瀬戸隆鮮魚店」、21日で閉店へ

 

福津市津屋崎新町の〈津屋崎千軒〉通りと「しおさい通り」の交差点角にある〝町の魚屋さん〟として親しまれてきた「瀬戸隆鮮魚店」=写真①=さんが、1月21日(土)限りで閉店されることになりました。

 

瀬戸隆さんは「鮮魚店は、近くの建物で営業していた時から40年続けてきたが、70歳になったので店じまいすることにしました」と話されています。スーパーで魚を買う人が多くなった今、活きのいい魚が店頭に並び、瀬戸さん夫婦が威勢よく魚をさばく姿や、買い物客との陽気なやり取りも楽しく、私が町並み案内ガイドをする際も観光客の人気を集めていました。

 

店内の壁に掲げられ、商売繁盛を見守ってきた恵比寿・大黒さんの額=写真②=は、閉店後、「宮地嶽神社」に納められるという。新町の商店街では、私の家の親戚が経営していた蒲鉾屋の「守田館」も閉店して家族も移住するなど、シャッターの降りた店舗が目立っており、「瀬戸隆鮮魚店」の閉店は残念です。

 

 

写真②:商売繁盛を見守ってきた恵比寿・大黒さんの額

   =18日午後4時50分撮影

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2012年1月15日/〈日記〉449・ご浄財をお寄せいただければ幸いです

2012-01-15 18:36:03 | 日記

 

写真①:福津市津屋崎3丁目の「海とまちなみの会」事務所・〈貝寄せ館〉(中央の白い平屋。向こうが「天神橋)方面)

 

「海とまちなみの会」事務所名称を〈貝寄せ館〉と決定

津屋崎ファンの皆様、改装費支援のご浄財をお寄せいただければ幸いです

 

私が所属する福岡県福津市津屋崎の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は1月15日、福津市津屋崎3丁目の事務所=写真①=で新年例会を開き、事務所名称を〈貝寄せ館(かん)〉と決定、建物の改装工事費支援の寄付金を会員内外に募ることにいたしました。

 

津屋崎は白砂青松の豊かな海岸に恵まれ、「玄海国定公園」に指定、〝九州の鎌倉・江の島〟と謳われています。津屋崎浜=写真②=は、〝貝寄せの浜〟とも呼ばれ、西風が玄界灘から吹く冬から春先にかけ多くの貝が寄せられます。かひよせ(貝寄風。貝寄)は、俳句の春の季語でも知られています。また、江戸時代後期の寛政12年(1800年)、津屋崎浦を訪れた当時6歳の第10代福岡藩主・黒田斉清(なりきよ)公に、貝手頭の佐治徳左衛門が献上し津屋崎浜で採った貝21種類の絵図が佐治家文書に残された逸話もあります。このため、「海とまちなみの会」事務所の名称を多くの貝が寄せられる津屋崎浜のように、会員らが寄せ集まる館(やかた)となる意味も込めてネーミングした〝貝寄せの浜館〟の略称・〈貝寄せ館〉と決めた次第です。

 

 

写真②:〝貝寄せの浜〟とも呼ばれる津屋崎浜(吉村青春著『津屋崎学』から)

 

〈貝寄せ館〉の建物は、〈津屋崎千軒〉通りに面し、福津市まちおこしセンターの2軒東隣にある田畑猛さん宅の旧畳製造所(平屋約17平方㍍)です。町興しに役立つのなら事務所として貸していいと田畑さんご夫妻のご厚意を受け、内壁に断熱材を入れて板を張り、入り口に看板を設置するなど建物の改装工事見積を建築事務所に依頼したところ、約80万円かかることが分りました。「海とまちなみの会」の平成23年度予算で同工費に充てられるのは6万円しかなく、不足分の工費支援のご寄付を会員内外に募ることにいたしました。

 

2月26日に〈貝寄せ館〉で開く「海とまちなみの会」の2月例会までに見積を見直して改装工事を目指し、会員スタッフの準備が整い次第、福津市まちおこしセンターが休館日の火曜日と、観光客が多い土・日曜、祝日に開館(午前11時―午後3時)、〈津屋崎千軒そうつこう〉ボランティアガイドや、津屋崎の歴史・文化・観光情報の発信基地、訪館される人たちとの交流拠点にしたいと思っています。

 

◇〈貝寄せ館〉改装費支援のご浄財ご寄付のお願い

 

「海とまちなみの会」事務所・〈貝寄せ館〉改装費支援の寄付のお振込には、西日本シティ銀行福間支店普通預金口座(「津屋崎千軒 海とまちなみの会 会長吉村勝利」、口座番号1304781)をご利用いただければ幸いに存じます。

 

お問い合わせは、E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jpか、

℡090-7451-8063で吉村勝利へお願い申し上げます。

 

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2012年1月10日/〈日記〉448・「寄付講座」講師

2012-01-10 14:59:47 | 日記

  

写真①:「社団法人鳳陽会」の平成23年度「寄付講座」の案内パンフ表紙

 

 

大変! 〝にわか先生〟として後輩学生に講義することに・・・

母校への「寄付講座」講師役が回ってきました

 

昭和43年に卒業した母校・国立大学法人山口大学経済学部(山口市)の在学生に、同窓会組織「社団法人鳳陽会」(同)の平成24年度「寄付講座」=写真①=講師として7月に講義しますとの回答書を10日、同会事務局へ送りました。

 

昨年暮れ、「鳳陽会」福岡支部(福岡市)の先輩役員から2人派遣する講師の一人として、ジャーナリズムと町興しボランティア活動について在学生に無報酬で講義してほしいと要請されて、承諾。その後、「鳳陽会」事務局長から3百名以上の在学生に60分講義し、10分の質疑応答のあと感想レポートを書かせ、1か月以内に採点して事務局へ送り返してほしい、と言われて大変な仕事を引き受けたなと思いました

 

とりあえず「新聞記者の仕事とライフワーク」と題して、読売新聞西部本社の駆け出し記者から編集局次長までの記者経験談と、福津市津屋崎の町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」会員としてのボランティアガイドや詩集、郷土史と自然のガイド本『津屋崎学』刊行など創作活動などについて、後輩諸君に話そうと考えています。

 

この「寄付講座」は、グローバル時代における企業経営の実態、将来の日本を背負うよき社会人、よきビジネスピープルになる指針を与え、企業経営、ビジネス法務、人材育成と活用、マーケティングなどビジネスを取り巻く実態を学ぶのを目的に、平成22年度から開設。在校生に将来の指針となるよき提言や、モチベーションを鼓舞することが主眼で、毎回約3百名の学生が受講する人気講座として定着しているという。

 

平成24年度は、前期特殊講義として講師15名が4月13日から7月20日までに各1回講義、受講生に2単位が与えられる仕組み。とまれ48年前、士魂商才の実学精神で、就職先も心配ないことに好感を持って入学した母校・経済学部です。大した講義はできそうもありませんが、進路決定や夜討ち朝駆けの記者生活、半生の失敗談を織り込みながら、「理想は高く、足は地に」とこれまでたどった道を私なりに話し、厳しい「就活」戦線に立つ後輩学生諸君の他山の石にでもなれれば一先輩として幸いです。

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2012年1月5日/〈日記〉447・「東郷神社」余聞

2012-01-05 09:16:07 | 日記

  

写真①:「閉塞紀念」と書かれた広瀬中佐ゆかりの硯箱の蓋

        =「東郷神社」で、2011年12月29日撮影

 

日露戦争「軍神」・広瀬中佐ゆかりの硯箱を修復

連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥が揮毫

福津市の「東郷神社」で展示へ

 

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』は、2011年12月4日から第3部「激闘完結編」が放映されました。その舞台となった明治の日露戦争で戦死した戦艦朝日水雷長・広瀬武夫海軍中佐が搭乗、沈没した「福井丸」の木材で作られ、旧日本海軍連合艦隊司令長官の東郷平八郎元帥が揮毫した硯箱(縦約24㌢、横約15㌢、高さ約5㌢、)が、福津市渡の「東郷神社」(川野万里子宮司)で修復されました。

 

「福井丸」は明治37年(1904年)、旅順港に船を沈めてロシア艦隊を封じ込める同港閉塞作戦に使われ、広瀬中佐は退船する際、行方不明の部下を捜して戦死、その後、部下を思っての死が「軍神」として伝説化され、国民的英雄となりました。NHKドラマでも、北九州市出身で宗像市育ちの俳優・藤本隆宏中佐役を好演、話題になりました。

 

硯箱は、沈没後に引き上げられた「福井丸」の船材を使い、蓋に東郷元帥揮毫の閉塞紀念」の文字と花押があしらわれています=写真①=硯箱の裏には、「明治四十年(1907年)九月」「三越呉服店謹製」と書かれています=写真②=。硯箱は11年11月、川野宮司が「東郷神社」倉庫を整理中に所蔵されているのに気付き、はげた漆や傷んだ部分を修復、近く宝物館に展示する予定という。

 

 

写真②:「三越呉服店謹製」などと書かれた硯箱の裏

       =「東郷神社」で、2011年12月29日撮影

 

東郷平八郎命を祭神とする「東郷神社」は、大峰山(標高114㍍)中腹にあり、獣医で津屋崎町議だった川野宮司の祖父・安部正弘さん(故人)が昭和10年からお祀りし、昭和43年に宗教法人化されました。安部さんは、明治20年に福間町(現福津市)津丸生まれ。東大駒場農科獣医専科を出て、津屋崎町(同)で獣医と装蹄師を開業、福岡県装蹄師会副会長を務めたほか、昭和26年に県漁業協同組合連合会理事に就任、のち副会長も兼務されました。

 

私が2012年1月2日、福岡市に住む艶子姉(83)を訪ねた折、姉が昭和19年に九州高等女学校(同市荒戸町)を卒業、同22年から勤務していた津屋崎町収入役室に安部さんが訪れ、東京にある装蹄師会関係の事務所で事務員として働かないかと勧誘されたことがあると話しました。姉から安部さんの話を聞けるとは、思いがけないことでした。

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2011年12月31日/〈日記〉446・卯年から辰年へ

2011-12-31 05:10:19 | 日記

 

写真①:2012年の干支・辰の土鈴(「津屋崎人形原田半蔵店」作)

 

1年間、ブログのご愛読、ありがとうございました

皆様、よいお年を!

 

卯年も、きょう12月31日で幕を閉じ、あす1月1日から辰年です。2011年は、3月11日の「東日本大震災」という未曽有の災害、しかも原発の放射能被害まで加わり、悲嘆の年でした。

 

そんな中で、家族をはじめ人々の〈絆〉の大切さが心に響き渡りました。個人的には、私の所属している福津市津屋崎の町興しボランティア団体、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の5年間の活動が支えとなり、古里・津屋崎の歴史と自然のガイド本、『津屋崎学』(B5判、314㌻。吉村青春著)を刊行でき、子や孫、ボランティアガイドの養成講座受講の人たちなど後世に伝える入門書を残せたことが収穫でした。

 

西日本新聞での紹介記事やインターネットで刊行を知った福津市と福岡市、横浜市の方や津屋崎中学校から同書をご購入いただくなど多くの反響があり、喜んでおります。〈津屋崎千軒〉通りに来年早々にボランティア仲間と設ける「海とまちなみの会」の待望の事務所でも、同書を町歩きガイドに役立てたいと思っています。

 

今年も1年間、毎日2,3百人ほどの方から吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」をご愛読いただき、ありがとうございました。干支の「津屋崎人形」の作品シリーズで収集ファンもいるという「津屋崎人形原田半蔵店」の辰の土鈴=写真①=を見ながら、2012年が皆様に昇龍の一年となるようお祈りします。

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2011年12月1日/〈日記〉445・何のその岩をも通す桑の弓

2011-12-01 09:40:09 | 日記

  

写真①:大高源吾の俳諧「何のその岩をも通す桑の弓」が刻まれた石碑

     =福津市津屋崎天神町の「新泉岳寺」境内で、2011年11月30日撮影

 

ガイド養成講座の現地研修で気付く

境内に大高源吾の俳諧石碑も建っていました!

―福津市津屋崎の「新泉岳寺」 

 

福津市津屋崎の町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」主催の第3期ボランティアガイド養成講座8日目の現地研修で、11月24日訪れた同市天神町の「新泉岳寺」境内に柳原白蓮の兄、伯爵柳原義光の揮毫石碑があるのを研修参加者らと案内役の私が発見しましたが、同境内で赤穂浪士・大高源吾忠雄(おおたかげんごただかつ)が詠んだ俳諧「何のその岩をも通す桑の弓」が刻まれた石碑=写真①=が建っているのにも気付きました。

 

大高源吾忠雄は、20石5人扶持の赤穂藩士として金奉行・膳番元方・腰元方などを歴任。江戸中期の俳人・水間沾徳(みずませんとく)に弟子入りして俳諧を学び、子葉(しよう)という雅号で俳諧集『二ツの竹』を編著。元禄15年(1702年)10月、主君浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)の仇吉良上野介義央を討つため江戸へ下り、町人脇屋新兵衛を名乗ります。俳人のよしみで吉良家出入りの茶人山田宗偏に入門、12月14日に吉良屋敷で茶会が開かれるとの情報を得て、討ち入りの日が決まったとされています。

 

「何のその岩をも通す桑の弓」の句は、赤穂藩士が集まった両国のうどん屋での作とされています。桑の弓は、誕生した男子の出世を願う儀式用の弓で、矢は蓬(よもぎ)で作ります。か細い蓬の矢でも一念をもって射れば岩をも通すという意味で、「桑弧蓬矢(そうこほうし)」は男児が志を立てるたとえとされています。「新泉岳寺」境内に建てられた句碑の裏には「大高源吾」と刻まれています=写真②=。気力を込めて一心不乱に精進すれば、目的が達成できるという「何のその岩をも通す桑の弓」は心の底にどしりと響くものがあります。 

 

 

 

写真②:「何のその岩をも通す桑の弓」の句碑の裏に刻まれた「大高源吾」の名

     =「新泉岳寺」境内で、11月30日撮影

 

吉良屋敷での討ち入りでは、表門隊の一員として大太刀を振るいました。泉岳寺では、著名な俳人子葉を知る僧から句を求められ、「山をさく刀もおれて松の雪」の句を残しています。

 

討ち入りの前夜、煤払い竹売りに変装して吉良屋敷を探索中の源吾が、両国橋のたもとで親交のあった俳人其角と出会い、別れの挨拶をした際、はなむけに「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠まれたのに対し、「あした待たるるその宝船」と返し、仇討ち決行を示唆したといわれています。

 

元禄16年(1703年)2月4日、赤穂浪士に切腹が命じられ、松平家預かりとなっていた源吾は「梅で呑む茶屋もあるべし死出の山」の辞世の句を残しました。戒名は「刃無一劔信士」で、「新泉岳寺」境内に墓碑=写真③=があります。

 

 

写真③:「大高源吾忠雄 刃無一劔信士 行年三十三」と刻まれた大高源吾の墓碑

    =「新泉岳寺」境内で、12月1日撮影

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