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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2011年6月17日/〈イタリア・町歩き〉009・花の都・フィレンツエ

2011-06-17 02:42:32 | イタリア・町歩き

写真①:丸屋根が美しい花の聖母教会・「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」
      =フィレンツエ市で、2011年5月24日午前11時45分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 9
 
:花の都・フィレンツエ

 ベネチア観光を終え、イタリア2泊目の宿・フィレンツエのホテルにツアーバスで着いたのは、23日の夕方でした。トスカーナの丘に囲まれた盆地にあり、ルネサンス発祥の地・フィレンツエ。15世紀に豪商メディチ家の隆盛で、最盛期を迎えました。現在、人口40万人の商工業都市で、オリーブやキャンティワインの産地でもあり、グッチやフェラガモのブランドが生まれた多彩な魅力に富んでいます。

 24日朝、ルネサンスの華やかさを残す花の都・フィレンツエの観光は、花の聖母の大教会とも呼ばれる世界遺産・「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」=写真①=の見学からスタート。1296年に着工され、現在の形になるまで約6百年かかったという街のシンボルです。奥行き153㍍、丸屋根のクーポラ(円蓋)の高さは106㍍と堂々たるドゥオーモです。

 クーポラの上にある頂塔=写真②=は、見晴らし台になっており、突端部の十字架と玉は、レオナルド・ダ・ヴィンチらが働いたヴェロッキオ工房が製作。


写真②:クーポラの上にある頂塔の見晴らし台と突端部に設置された十字架と玉
     =5月24日午前11時45分撮影

 16世紀後半、クーポラのドーム天井に画家ヴァザーリらの手で描かれたフレスコ画=写真③=は、旧約聖書を題材にした「最後の審判」です。



写真③:クーポラのドーム天井に描かれたフレスコ画
     =5月24日午後0時20分撮影

 大聖堂の内部は、フレスコ画の壁画で飾られ、荘厳な空間です=写真③=。


写真④:フレスコ画の壁画で飾られ大聖堂の内部
     =5月24日午後0時15分撮影

 大聖堂の脇に1359年に建てられた大鐘楼・「ジョットの鐘楼」=写真⑤=は、高さ約84㍍。外壁に色大理石が使われ、鮮やかな装飾と科学や天体観測をテーマにしたユニークなレリーフも目を引きます。


写真⑤:色大理石が使われて鮮やかな外壁の「ジョットの鐘楼」
     =5月24日午前11時45分撮影

 大聖堂の正面にある「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」=写真⑥=は八角形で、11世紀に聖ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)に奉げるため建設されました。中世には、ダンテも洗礼を受けたお堂です。


写真⑥:八角形の「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」
     =5月24日午前11時50分撮影

 「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」の青銅製門扉・「天国の門」(レプリカ)=写真⑦=は、1452年に完成。左右10枚のパネルで構成したギベルティの作で、旧約聖書の逸話をモチーフに描いたレリーフが美しく、感動したミケランジェロが「天国の門」と称賛したのが名称のいわれという。本物は、大聖堂裏手の「ドゥオーモ博物館」に保存されています。


写真⑦:旧約聖書をモチーフにしたレリーフが美しい青銅製門扉・「天国の門」
     =5月24日午前11時45分撮影

 「大聖堂」や「ジョットの鐘楼」、「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」はルネサンスの繁栄を支えた銀行家や商人が、多くの芸術家に彫刻や絵画を施させて建築。

 「大聖堂」からやや離れた所にある「ウッフィッツイ美術館」も訪れました。世界最大のルネサンス美術の宝庫と言われ、約4千8百点の作品を所蔵。フィレンツエ市在住の日本人女性ガイドの鈴木さんから案内され、有名なサンドロ・ボッティチェッリ作の「ヴィーナスの誕生」や、レオナルド・ダ・ビンチ作「受胎告知」、ラハエロ・サンティ作「ヒワの聖母」などの名画を観賞しましたが、残念ながら撮影禁止のため写真は紹介できません。

 「ウッフィッツイ美術館」はメディチ家のコジモ1世の命で、1560年から14年かけて建てられたルネサンス様式建築。当初は同家のオフイス(イタリア語でウッフィッツイ)だったのが、館名のいわれです。館内の窓ガラス越しに、そばのアルノ川に架かるフィレンツエ最古の橋・「ポンテ・ヴェッキオ」=写真⑧=が撮影できました。中世以前から架けられていた橋は洪水で流された後、14世紀に再建されたという。橋の上には、彫金細工店や宝石店が並んでいます。橋は上下二層で、2階部分は「ヴェッキオ宮殿」(14世紀に建てられ、16世紀にはコジモ1世の居城となり、今は市庁舎として使用)=写真⑨=への通路として使われていました。


写真⑧:アルノ川に架かるフィレンツエ最古の橋・「ポンテ・ヴェッキオ」
     =「ウッフィッツイ美術館」の窓越しに、5月24日午前11時撮影


写真⑨:中世には集会の場に、今は市庁舎として使われている「ヴェッキオ宮殿」
     =5月24日午後2時10分撮影

 「ヴェッキオ宮殿」前にある「シニョリーア広場」は14世紀に整備され、メディチ家の式典や処刑が行われました。「シニョリーア」とは政庁の意味。広場には、メディチ家のコジモ1世の騎馬像=写真⑩=やミケランジェロ作のダヴィデ像(レプリカ。本物はフィレンツエ市内の「アカデミア美術館」所蔵)=写真⑪=などの彫刻群が建てられています。


写真⑩メディチ家のコジモ1世の騎馬像
     =5月24日午後2時30分撮影


写真⑪:旧約聖書に登場するダヴィデが戦いに赴く決意を表したとされるダヴィデ像
     =5月24日午後2時20分撮影

 「シニョリーア広場」南側の屋外ギャラリー・「ランツイのロッジア」にも、多くの彫像がありました。中でも、ベンヴェヌート・チェッリーニ作の銅像「ペルセウス」=写真⑫=は圧倒的な迫力です。半神の英雄・ペルセウスが右手に剣を持ち、左手で怪物・メドゥーサの首を意気揚々と掲げたギリシア神話の英雄を描いています。見たものを石に変える魔力を持つというメデューサの首からは、血が滴り落ちている様子もリアルです。


写真⑫:ベンヴェヌート・チェッリーニ作の銅像「ペルセウス」(左)
     =5月24日午後2時25分撮影

 15世紀初め、フィレンツエで起こったルネサンス(文芸復興)は、17世紀にかけてイタリア全土に広まりました。「古典への傾倒と復興」、「人間性の回復」をテーマに、写実的で立体的な芸術作品が、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの3大巨匠らの活躍で生み出されました。建物に施された装飾や「シニョリーア広場」の彫刻群を見て、フィレンツエがルネサンスの香り漂う「天井のない美術館」といわれることがよく分りました。
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2011年6月16日/〈イタリア・町歩き〉008・サン・マルコ広場

2011-06-16 02:41:20 | イタリア・町歩き

写真①:観光客で賑わう「サン・マルコ広場」(中央がドーム屋根の「サン・マルコ寺院」、右がベネチア共和国の最高指揮官・総督の住居だった「ドゥカーレ宮殿」)
     =ベネチア市で、2011年5月23日午前10時30分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 8 

:サン・マルコ広場

 世界遺産に登録された〝水の都〟ベネチアのシンボル・「サン・マルコ広場」=写真①=は、18世紀に侵攻してきたナポレオンが「世界一美しい広場」と絶賛したといいます。大勢の観光客で賑わっていました。

 「サン・マルコ広場」の正面にあるのが、ビザンチン建築で有名な「サン・マルコ寺院」=写真②=。聖マルコの遺体を安置するため、828年に建設された教会で、その後の改築でロマネスク、ゴシック様式も加わりました。正面頂上部分に「聖マルコ像」が立ち、その下にはベネチアの象徴である「有翼の獅子像」が祭られ、バルコニーには第4回十字軍がコンスタンチノープルの競馬場から運んだ4体の馬の銅像(レプリカ)が飾られています。



写真②:「サン・マルコ寺院」正面頂上部分に立つ「聖マルコ像」と、その下に祭られている「有翼の獅子像」、バルコニーの4体の馬の銅像
     =5月23日午前8時35分撮影

 「サン・マルコ寺院」内部は、きらびやかな黄金のモザイク画で装飾されています=写真③=。


写真③:きらびやかな装飾が目立つ「サン・マルコ寺院」内部
     =5月23日午前11時撮影

 「サン・マルコ広場」の中央に立つ大鐘楼=写真④=は、16世紀に見張り台と灯台として建てられ、1902年に倒壊、10年後に再建されたもので、高さ96.8㍍。60㍍までエレベーターで上れば、見晴らし台からベネチア市内を一望できます。


写真④:大理石の装飾が美しい高さ96.8㍍の大鐘楼
     =5月23日午前8時30分撮影

 大鐘楼の頂上には、黄金のガブリエル大天使像=写真⑤=が飾られています。


写真⑤:鐘楼の頂上に飾られている黄金のガブリエル大天使像
     =5月23日午前8時30分撮影

 海からの玄関口の「小広場」には、12世紀に造られた円柱=写真⑥=が建っています。


写真⑥:海からの玄関口の「小広場」に立つ円柱
     =5月23日午前8時30分撮影

 この円柱の上には、ベネチア共和国の紋章でもあった「有翼の獅子像」=写真⑦=が飾られています。


写真⑦:「小広場」に建てられた円柱の上にある「有翼の獅子像」
     =5月23日午前8時30分撮影

 「サン・マルコ寺院」北側には、ライオン像に乗って写真に収まる少女の姿=写真⑧=も見られ、家族連れの観光客も目立ちました。


写真⑧:ライオン像に乗って写真に収まる少女
     =5月23日午後0時50分撮影

 「サン・マルコ広場」近くの海辺には、カーニバルで使う仮面の土産品を売る露店が並んでいました=写真⑨=。


写真⑨:仮面の土産品を売る露店
     =5月23日午前10時15分撮影

 ツアーでは、ベネチアン・グラスのガラス器やアクセサリーの工房=写真⑩=にも立ち寄りました。性質の違う色のガラスを何層にも重ねる「多重積層ガラス」の工法で知られ、昭和12年のパリ万博で日本のガラスとして初のグランプリを受賞した福岡県福津市宮司3丁目の「マルティグラス」も、技術力ででは引けを取らないと思いますが、デザインでは伝統のベネチアン・グラスらしい目を見張るものがありました。


写真⑩:ベネチアン・グラスの工房で作品作りを披露する職人
     =5月23日午前11時45分撮影
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2011年6月15日/〈イタリア・町歩き〉007・ゴンドラ・クルーズ

2011-06-15 03:40:35 | イタリア・町歩き

写真①:運河巡りの〝ゴンドラ・ミニクルーズ〟に出かける観光客たち
      =ベネチア市で、2011年5月23日午後1時20分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 7
 
:ゴンドラ・クルーズ

 いよいよ楽しみにしていた運河巡りの〝ゴンドラ・ミニクルーズ〟=写真①=です。5月23日朝、暑い日差しの中、手や首に日焼け止めクリ-ムを塗り、ホテル「モナコ・グランデ・カナル」そばの乗船場から、名物のゴンドラに乗り込みました。

 ベネチアの伝統的な手漕ぎボートのゴンドラは、長さ10.8㍍、幅1.4㍍。6人乗りで、私は細君と細君の妹夫婦、読売旅行の添乗員さんと乗りましたが、乗り心地はまずまずです。幅数㍍の小運河をぬうように進むため、船尾で櫂を操るボーダーシャツ姿のゴンドリエーレ(漕ぎ手)は、住宅の壁を左足でけって船体を進路中央へ戻すシーン=写真②=も見られました。


写真②:住宅の壁を左足でけって船体を進路中央へ戻すゴンドリエーレ
     =5月23日午前9時40分撮影

 約30分の〝ゴンドラ・ミニクルーズ〟は、街中心部近くにある「ホテル・バウアー」前の小運河に差し掛かった際、路地に架かる橋の南北を往来するゴンドラが鉢合わせ、離合に手間取る場面も=写真③=。


写真③:「ホテル・バウアー」(左奥の白い建物)前の運河を往来するゴンドラ
     =5月23日午前10時撮影

 中世に地中海貿易の拠点として栄えたベネチア共和国時代には、貴族の乗り物だったゴンドラも、今や観光用の周遊船としてフルに活用されています=写真④=。操船技術や英語、ベネチア市の歴史を学んで市の免許を取得できるゴンドリエーレは、人口約31万人の市の花形職業です。とはいえ、ゴンドラ1隻の購入費は3百万円以上、営業ライセンス入手には約百万円が必要という。

 9百年も続く伝統のゴンドリエーレの操るゴンドラに揺られながら、運河を巡り見る〝水上都市散歩〟は、よその観光地では体験しがたい魅力的な趣向です。福岡県柳川市での川下り(掘割巡り)観光も、普段の生活と違う〝どんこ舟〟に乗った視点で見る「水郷・柳川」の景色に新鮮さを感じましたが、ベネチアの運河クルーズのスケールは比較にならない大きさで、楽しさも格別でした。


写真④:朝の「運河クルーズ」の出番を待つゴンドラ
     =ホテル「モナコ・グランデ・カナル」2階の部屋から、5月23日午前8時5分撮影
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2011年6月14日/〈イタリア・町歩き〉006・〝水の都〟・ベネチアの夜と朝

2011-06-14 04:43:42 | イタリア・町歩き

写真①:異国情緒あふれるベネチアの夜景
     =ベネチア市のホテル「モナコ・グランデ・カナル」2階の部屋から、2011年5月22日午後10時30分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 6 

:〝水の都〟・ベネチアの夜と朝

 ベローナを出たイタリア・ツアー観光バスが、アドリア海に面した〝水の都〟・ベネチアに着いたのは、5月22日夕方。イタリア滞在最初の宿・「モナコ・グランデ・カナル」(4階建て)のホテル2階の部屋から写した夜景=写真①=は、運河の向こうに教会のドームが浮かんでいるように見え、異国情緒にあふれて幻想的でした。

 23日朝、この風景を同じホテル2階の部屋から眺めたら、ベネチア・バロック建築の傑作とされる「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会」(1887年完成)のドームが正面に迫る美景なのだと、改めて感じ入りました=写真②=。


写真②:朝方、同じホテル「モナコ・グランデ・カナル」2階の部屋からの眺めた美景
     =5月23日午前8時5分撮影

 運河を巡るゴンドラクルーズで23日朝乗り込んだゴンドラから、この白亜のホテル「モナコ・グランデ・カナル」を撮影=写真③=したところ、向かって2階左端の部屋のバルコニーには白い花が飾られ、手前の船着き場に係留されたゴンドラが並んでおり、海河のすぐそばにあるホテルだとよく分りました。部屋の窓を開けたら、潮の香が匂うはずです。


写真③:2階左端の部屋のバルコニーに白い花が飾られた「モナコ・グランデ・カナル」
     =5月23日午前9時35分撮影

 この白亜のホテル近くにある〝水の都〟のシンボル・「サン・マルコ広場」に面し、1896年に創業した同広場では3番目の古さを誇るカフェ「ラヴェーナ」のテラス席では22日夜、大勢の観光客がピアノやバイオリンの生演奏を聴いていました=写真④=。ワグナーもよく訪れて作曲していたというこのカフェで、生演奏を楽しみながら夜が更けるのを忘れるのもいいでしょう。


写真④:カフェ「ラヴェーナ」のテラス席で生演奏を楽しむ観光客
     =5月22日午後10時15分撮影

 ところで、120以上の島が集まる水迷宮・ベネチアの運輸交通の手段は道路ではなく、もちろん無数の運河です。22日夕、ベローナからベネチアの入り口の駐車場に着いた貸切バスから降りた私たちツアー客は、運河を走る水上タクシー(モーターボート)=写真⑤=に乗り換えてホテルへ向かいました。


写真⑤:係留されたゴンドラの向こうの「サン・マルコ運河」を行く水上タクシー
      =ホテル「モナコ・グランデ・カナル」2階から、5月22日午後8時撮影

 23日早朝には、「サン・マルコ運河」の向こうを悠々と港へ進むクルーズ船=写真⑥=の雄姿もホテルの部屋から見られ、世界有数の観光都市・ベネチアにいる現実を実感しました。


写真⑥:ベネチアへ入港するクルーズ船
     =ホテル「モナコ・グランデ・カナル」2階から、5月23日午前6時撮影
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2011年6月13日/〈イタリア・町歩き〉005・〝リトル・ローマ〟ベローナ

2011-06-13 03:53:15 | イタリア・町歩き

写真①:古代劇場(円形闘技場)・「アレーナ」の外壁
     =ベローナ市で、2011年5月22日午後5時撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 5

:〝リトル・ローマ〟ベローナ

 ベローナ市は、ミラノから東へバスに乗って約2時間30分、古くから南北路と東西路が交わる交通の要衝地で栄えました。現在は、人口約25万人の観光商業都市です。

 古代ローマや中世のゴシック式教会、ロマネスク式大聖堂などが残る旧市街は、2000年にユネスコの「世界遺産」に登録されました。市街地中心にある古代劇場(円形闘技場)「アレーナ」=写真①=は、ローマ時代の円形劇場としてはローマ市の「コロッセオ」に次ぐ規模を誇ります。長径139㍍、短径110㍍の楕円形で、収容人数は約2万2千人。イタリアで最も保存状態が良く、夏には「ベローナ国際音楽祭」として野外オペラの公演が行われ、欧州や日本などから音楽ファンが集まります。

 ベローナ市街を流れるアディジェ川に架かる「ピエトラ橋」=写真②=は、アーチ形の石橋です。ローマ帝国時代に造られましたが、第二次大戦中の爆撃で破壊されたあと、市民が爆破された橋のカケラを川から拾い集め、修復・復元したという。


写真②:ベローナ市街を流れるアディジェ川(向こうは「ピエトラ」橋)
     =5月22日午後4時15分撮影

 ベローナ市は、シェイクスピアの悲劇『ロミオとジュリエット』ゆかりの地としても有名。モデルとなったカプレティ家の邸宅が、「ジュリエットの家」=写真③=として一般公開されています。中庭からバルコニーを見上げて、記念撮影する観光客の姿も見られました。


写真③:中庭から見た「ジュリエットの家」のバルコニー
     =5月22日午後4時15分撮影

 「ジュリエットの家」のバルコニー前の中庭に建てられている「ジュリエット像」は、右胸に触ると幸せになると言われており、多くの観光客が触ったためツルツルに光っています=写真④=。


写真④:右胸に触ると幸せになると言われている「ジュリエットの像」
     =5月22日午後4時35分撮影

 中世の街並みが残り、〝リトル・ローマ〟と呼ばれるベローナ市。その市街地には、しっとりとした印象の菩提樹の並木が目立ちます=写真⑤=。古くからの歴史と文化をしっかりと守り伝えているベローナに似合っていました。


写真⑤:ベローナ市街地に目立つ菩提樹の並木
     =5月22日午後5時30分撮影
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2011年6月12日/〈イタリア・町歩き〉004・ミラノのシンボル・「大聖堂」

2011-06-12 03:46:50 | イタリア・町歩き

写真①:イタリアを代表するゴシック建築として知られる「大聖堂(ドゥオモ)」
     =ミラノ市で、2011年5月22日午前11時撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 4
 
:ミラノのシンボル・「大聖堂(ドゥオモ)」

 アーケード・「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」の南東にある「大聖堂(ドゥオモ)」=写真①=は壮麗なゴシック建築=写真②=の教会で、ミラノの街のシンボルです。幅約93㍍、奥行き約158㍍、総面積約1万1,700平方㍍。9世紀にできたサンタ・マリア・マッジョーレ教会を取り壊した跡地に、ミラノ公国領主のジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命で聖母マリアに奉げるため1386年に着工、戦争で何度も中断されながらも、イタリアに侵攻したナポレオンの命で1813年に完成しました。1908年には、木製の大扉が青銅製に取り換えられるなど約5百年がかりで整備された華麗な教会です。


写真②:繊細で荘厳なゴシック様式のデザインが魅力的な「大聖堂」の外観
     =5月22日午前11時40分撮影

 「ドゥオモ」には、天空にそびえ立つ尖塔が135本もあり、尖塔の上や壁などに約3千5百体もの聖人の見事な彫像が施されています。中央にある最高の尖塔(高さ約108㍍)の上には、1774年に立てられた黄金のマリア像=写真③=が祭られています。


写真③:黄金の姿も美しく「大聖堂」尖塔上に立つ愛の女神・マリア像
     =5月22日午前11時5分撮影

 「大聖堂」前の「ドゥオモ広場」は、多くの観光客で賑わっていました=写真④=。


写真④:観光客で賑わう「ドゥオモ広場」
     =5月22日午前10時55分撮影

 「ドゥオモ」広場の中央には、1861年にイタリアの統一を成し遂げたイタリア王国の初代国王、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像=写真⑤=が建てられていました。


写真⑤:ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像
     =5月22日午前11時撮影
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2011年6月11日/〈イタリア・町歩き〉003・〝ミラノの応接間〟・「ガレリア」

2011-06-11 03:26:01 | イタリア・町歩き

写真①:エレガントなアーケード・「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」
     =ミラノ市で、2011年5月22日午前10時45分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 3 

:〝ミラノの応接間〟・「ガレリア」

 「スカラ座」の次に訪れたのが、1878年に完成したエレガントなアーケード・「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」=写真①=です。ガレリア(Galleria)はイタリア語で、屋根のある商店街や歩行者用道路のこと。この十字形の商店街にガラス屋根をかけたアーケード=写真②=の名は、統一イタリア王国の初代国王「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」にちなんで付けられました。ガラスの天井からは、陽光が差し込みます。

 通りはアール・ヌーボー様式で、モザイク模様で彩られた舗道が美しい。人口165万人のミラノ市民は、世界の人を魅了するこの「ガレリア」を〝ミラノの応接間〟と呼んで誇りにしているという。


②:ガラス屋根からアーケードに陽光が差し込む商店街
  =5月22日午前10時25分撮影

 「ガレリア」中央にある巨大なガラス・ドーム=写真③=の四方には、1857年に完成した4人の女神を描いた精緻なフレスコ画(壁に塗った漆喰が生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描いた画)があります。当時の世界を構成するアジア=写真④=、アフリカ=写真⑤=、アメリカ=写真⑥=、ヨーロッパ=写真⑦=4大陸をイメージした寓意画です(写真③~⑦は5月22日午前10時30分撮影)。


写真③:「ガレリア」中央にあるガラス・ドーム


写真④:アジア大陸(左)、写真⑤:アフリカ大陸の寓意画


写真⑥:アメリカ大陸(上)、写真⑦:ヨーロッパ大陸の寓意画


 「ガレリア」中央の床には、雄牛のモザイク画=写真⑧=があります。この雄牛の急所に左足のかかとをのせ、左周りで3回転すると幸運がもたらされるとの言い伝えがあるとか。ガイドさんの勧めで、私も3回転してみましたが、さて何かいいことあるかな?


写真⑧:「ガレリア」中央の床にある雄牛のモザイク画
     =5月22日午前10時30分撮影


 アーケードの商店街には、「ルイ・ヴィトン」をはじめ金色の統一イメージを凝らしたブランド・ショップや、カフェなど様々な店舗が並んでいます=写真⑨=。毎年夏と冬に開催される「ミラノ・コレクション」に代表される〝ファッションとデザインの都〟らしい雰囲気です。


写真⑨:アーケードの商店街に並ぶブランド・ショップ
     =5月22日午前10時35分撮影

 この優雅な空間が楽しめた「ガレリア」は、「スカラ座」とミラノの街のシンボル・「大聖堂(ドゥオモ)」を結ぶ中間にあります。
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2011年6月10日/〈イタリア・町歩き〉002・「スカラ座」

2011-06-10 03:57:37 | イタリア・町歩き

写真①:2,800の観客席を備えたオペラの殿堂・「スカラ座」
      =ミラノ市で、2011年5月22日午前10時15分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 2 

:スカラ座

 オペラの殿堂・「スカラ座」=写真①=は、「スフォルツェスコ城」からそう遠くない所にありました。1778年、サンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の跡地に建てられ、1946年の空襲で破壊されたものの、1946年に再建。現在は、2,800の観客席を備えたオペラ公演の会場として、観賞客に親しまれています。世界有数の歌劇場にしては、外観は地味な印象です。

 オペラ発祥の地とされるイタリアで、しかもこの「スカラ座」のガレリア(天井桟敷)で「マダムバタフライ(蝶々夫人)」を観賞し、オーケストラの生演奏と情熱的な歌声を堪能、本場の雰囲気に酔えるといいでしょうね。

 さて、「スカラ座」の前にある広場には、ルネサンスの巨匠のレオナルド・ダ・ヴィンチとその弟子たちの彫像の「ダビンチ記念碑」=写真①=が建てられていました。ミラノ在住の日本人女性ガイド・鈴木さんの話では、画家、彫刻家、建築家としてマルチな才能を発揮したダ・ヴィンチは、ミラノのほかフィレンツエ、ローマの三都市で活躍したという。


写真②:レオナルド・ダ・ヴィンチ(中央)とその弟子たちの彫像の「ダビンチ記念碑」
     =ミラノ市で、5月22日午前10時15分撮影

 「ダビンチ記念碑」の向こうには、「イタリア商業銀行本店」の建物=写真③=もありました。BANCA(銀行)名の文字表示の上を飾る三角形の部分にある彫刻が、おしゃれな感じですね。お堅い日本の銀行では、こんな建物は見かけられないのではないでしょうか。


写真③:おしゃれな「イタリア商業銀行本店」の建物
     =ミラノ市で、5月22日午前10時20分撮影
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2011年6月9日/〈イタリア・町歩き〉001・:ミラノへ降り立つ

2011-06-09 07:45:48 | イタリア・町歩き

写真①:上空から見たミラノ市郊外の住宅地
      =キャセイパシフィック航空機から、2011年5月22日午前7時10分撮影

 きょう6月9日から、世界遺産の旅〈イタリア・町歩き〉シリーズを掲載します。5月21日(土曜)午後4時25分福岡空港発のキャセイパシフィック航空機で出発、香港国際空港乗り継ぎでイタリアへ旅行し、同月28日(土曜)午後3時25分福岡空港着の同機で帰国しました。

 私が住む福岡県福津市津屋崎にある「津屋崎古墳群」を含む「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が平成21年(2009年)1月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産暫定リストに記載されており、世界遺産に本登録された場合、観光地としての津屋崎はどう変わるのか。先進地・イタリアの様子を観光客の目で観察、美しい景観や歴史的な建造物、自然などについての感想を綴ったリポートです。

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 1 

:ミラノへ降り立つ

 福岡空港から約9,200㌔・㍍、航空機で往復3日間かかるイタリアは、日本からは時差7時間(サマータイム)の遠い国でした。イタリアまでの機内で夜食と朝食を取り、5月22日朝、キャセイパシフィック航空機の窓から見下ろしたミラノ郊外の住宅地は、赤い屋根が連なるヨーロッパらしい景観でした=写真①=。

 午前7時50分、ミラノ空港着。入国手続きをしたあと、現地の貸切観光バス=写真②=に乗り込みました。今回の旅は、読売旅行の「見どころ&食べごろ満載! イタリア周遊8日間」のツアーに細君が申し込み、細君の妹夫婦と一緒に参加。ツアー客は計20人で、同旅行の男性添乗員と周遊するには、ちょうどいい人数でした。


写真②:イタリア・ツアーの貸切観光バス
     =ミラノ市の「スフォルツェスコ城」前で、5月22日午前9時10分撮影

 イタリア第二の都市・ミラノ市で最初にバスを降りたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチらが設計したというルネサンス様式の代表的建築・「スフォルツェスコ城」=写真③=です。ミラノを統治したヴィスコンティ家が14世紀に築いた城塞で、15世紀にミラノ公爵・スフォルツァが改築、歴代領主の居城となり、今は市立美術館として公開。併設の博物館には、ミケランジェロが死の直前まで彫り続けたという未完の彫刻作品「ロンダニーニのピエタ像」をはじめとした絵画や中世の楽器コレクションなどが収蔵されています。


写真③:重厚な城塞・「スフォルツェスコ城」
     =ミラノ市で、5月22日午前9時5分撮影

 時間の都合で、「スフォルツェスコ城」前の噴水周辺を散策しただけで、再びバスの中へ。ミラノ・スカラ座へ向かう途中、トイレ休憩を兼ねて立ち寄った土産店近くの街角に、ビートルズのドラマーで活躍したRingo Starr(リンゴ・スター)の公演ポスター=写真④=が掲示されていました。


写真④:イギリスのミュージシャン、リンゴ・スターの公演ポスター
     =ミラノ市で、22日午前9時45分撮影


イタリア・ミラノの位置図
コメント
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