
写真①:丸屋根が美しい花の聖母教会・「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」
=フィレンツエ市で、2011年5月24日午前11時45分撮影
世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 9
:花の都・フィレンツエ
ベネチア観光を終え、イタリア2泊目の宿・フィレンツエのホテルにツアーバスで着いたのは、23日の夕方でした。トスカーナの丘に囲まれた盆地にあり、ルネサンス発祥の地・フィレンツエ。15世紀に豪商メディチ家の隆盛で、最盛期を迎えました。現在、人口40万人の商工業都市で、オリーブやキャンティワインの産地でもあり、グッチやフェラガモのブランドが生まれた多彩な魅力に富んでいます。
24日朝、ルネサンスの華やかさを残す花の都・フィレンツエの観光は、花の聖母の大教会とも呼ばれる世界遺産・「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」=写真①=の見学からスタート。1296年に着工され、現在の形になるまで約6百年かかったという街のシンボルです。奥行き153㍍、丸屋根のクーポラ(円蓋)の高さは106㍍と堂々たるドゥオーモです。
クーポラの上にある頂塔=写真②=は、見晴らし台になっており、突端部の十字架と玉は、レオナルド・ダ・ヴィンチらが働いたヴェロッキオ工房が製作。

写真②:クーポラの上にある頂塔の見晴らし台と突端部に設置された十字架と玉
=5月24日午前11時45分撮影
16世紀後半、クーポラのドーム天井に画家ヴァザーリらの手で描かれたフレスコ画=写真③=は、旧約聖書を題材にした「最後の審判」です。

写真③:クーポラのドーム天井に描かれたフレスコ画
=5月24日午後0時20分撮影
大聖堂の内部は、フレスコ画の壁画で飾られ、荘厳な空間です=写真③=。

写真④:フレスコ画の壁画で飾られ大聖堂の内部
=5月24日午後0時15分撮影
大聖堂の脇に1359年に建てられた大鐘楼・「ジョットの鐘楼」=写真⑤=は、高さ約84㍍。外壁に色大理石が使われ、鮮やかな装飾と科学や天体観測をテーマにしたユニークなレリーフも目を引きます。

写真⑤:色大理石が使われて鮮やかな外壁の「ジョットの鐘楼」
=5月24日午前11時45分撮影
大聖堂の正面にある「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」=写真⑥=は八角形で、11世紀に聖ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)に奉げるため建設されました。中世には、ダンテも洗礼を受けたお堂です。

写真⑥:八角形の「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」
=5月24日午前11時50分撮影
「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」の青銅製門扉・「天国の門」(レプリカ)=写真⑦=は、1452年に完成。左右10枚のパネルで構成したギベルティの作で、旧約聖書の逸話をモチーフに描いたレリーフが美しく、感動したミケランジェロが「天国の門」と称賛したのが名称のいわれという。本物は、大聖堂裏手の「ドゥオーモ博物館」に保存されています。

写真⑦:旧約聖書をモチーフにしたレリーフが美しい青銅製門扉・「天国の門」
=5月24日午前11時45分撮影
「大聖堂」や「ジョットの鐘楼」、「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」はルネサンスの繁栄を支えた銀行家や商人が、多くの芸術家に彫刻や絵画を施させて建築。
「大聖堂」からやや離れた所にある「ウッフィッツイ美術館」も訪れました。世界最大のルネサンス美術の宝庫と言われ、約4千8百点の作品を所蔵。フィレンツエ市在住の日本人女性ガイドの鈴木さんから案内され、有名なサンドロ・ボッティチェッリ作の「ヴィーナスの誕生」や、レオナルド・ダ・ビンチ作「受胎告知」、ラハエロ・サンティ作「ヒワの聖母」などの名画を観賞しましたが、残念ながら撮影禁止のため写真は紹介できません。
「ウッフィッツイ美術館」はメディチ家のコジモ1世の命で、1560年から14年かけて建てられたルネサンス様式建築。当初は同家のオフイス(イタリア語でウッフィッツイ)だったのが、館名のいわれです。館内の窓ガラス越しに、そばのアルノ川に架かるフィレンツエ最古の橋・「ポンテ・ヴェッキオ」=写真⑧=が撮影できました。中世以前から架けられていた橋は洪水で流された後、14世紀に再建されたという。橋の上には、彫金細工店や宝石店が並んでいます。橋は上下二層で、2階部分は「ヴェッキオ宮殿」(14世紀に建てられ、16世紀にはコジモ1世の居城となり、今は市庁舎として使用)=写真⑨=への通路として使われていました。

写真⑧:アルノ川に架かるフィレンツエ最古の橋・「ポンテ・ヴェッキオ」
=「ウッフィッツイ美術館」の窓越しに、5月24日午前11時撮影

写真⑨:中世には集会の場に、今は市庁舎として使われている「ヴェッキオ宮殿」
=5月24日午後2時10分撮影
「ヴェッキオ宮殿」前にある「シニョリーア広場」は14世紀に整備され、メディチ家の式典や処刑が行われました。「シニョリーア」とは政庁の意味。広場には、メディチ家のコジモ1世の騎馬像=写真⑩=やミケランジェロ作のダヴィデ像(レプリカ。本物はフィレンツエ市内の「アカデミア美術館」所蔵)=写真⑪=などの彫刻群が建てられています。

写真⑩メディチ家のコジモ1世の騎馬像
=5月24日午後2時30分撮影

写真⑪:旧約聖書に登場するダヴィデが戦いに赴く決意を表したとされるダヴィデ像
=5月24日午後2時20分撮影
「シニョリーア広場」南側の屋外ギャラリー・「ランツイのロッジア」にも、多くの彫像がありました。中でも、ベンヴェヌート・チェッリーニ作の銅像「ペルセウス」=写真⑫=は圧倒的な迫力です。半神の英雄・ペルセウスが右手に剣を持ち、左手で怪物・メドゥーサの首を意気揚々と掲げたギリシア神話の英雄を描いています。見たものを石に変える魔力を持つというメデューサの首からは、血が滴り落ちている様子もリアルです。

写真⑫:ベンヴェヌート・チェッリーニ作の銅像「ペルセウス」(左)
=5月24日午後2時25分撮影
15世紀初め、フィレンツエで起こったルネサンス(文芸復興)は、17世紀にかけてイタリア全土に広まりました。「古典への傾倒と復興」、「人間性の回復」をテーマに、写実的で立体的な芸術作品が、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの3大巨匠らの活躍で生み出されました。建物に施された装飾や「シニョリーア広場」の彫刻群を見て、フィレンツエがルネサンスの香り漂う「天井のない美術館」といわれることがよく分りました。