とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

今年もボタンが満開に

2012-04-20 18:53:22 | 
今年も、我が家のボタン園が満開になった。
昨年とほぼ同じ時期だ。
近所の人も、ボタンが満開で凄いねと言って通り過ぎていく。
ただ、この風景が見られるのも僅かである。
今週末、雨が酷く降るらしいので見頃は21日の土曜日くらいまでかな。






天女の羽衣伝説ウルトラマラソンツアー《霞間ヶ渓お花見編》

2012-04-19 19:00:20 | 観光
長浜市内を観光した後、もう一箇所お花見の名所に寄ろうという事で、関が原ICで高速を降りて岐阜県池田町にある霞間ヶ渓(かまがたに)に向かった。霞間ヶ渓はかつては鎌ヶ谷と呼ばれていて、古くから桜の名所として名高い渓谷だ。全長2キロメートルの渓谷一帯には約1,500~2,000本のサクラが見られ、このサクラが一斉に咲き誇ると、遠くから眺めれば霞が掛かったように見えることから、いつしか「霞間ヶ渓」と呼ばれるようになったという。東海3県有数のサクラの名所で知られており、「日本さくら名所100選」にも選定されているそうだ。

時期的には、まさにピッタリあっていたようで、駐車場は大賑わいだったが何とか車を止めサクラ見物としゃれ込んだ。以下、霞間ヶ渓周辺の写真だ。
















サクラ以外でも、可憐なサクラソウの群落があり、これも美しかった。ピンク以外に白のサクラソウもある。






霞間ヶ渓から少し先に行った場所にも、ソメイヨシノ、エドヒガン、枝垂れサクラ、御衣黄などをまとめて鑑賞できるスポットがあり、大いに楽しめた。








充分サクラを堪能して大垣ICから再び高速道路に入り帰路についた。ちょうど前日の14日に新東名高速道路が開通したばかりなので、三ケ日JCTから新東名高速を走ってみる。前を走る車のほとんどが、同じように新東名に入っていく。新しいだけあって道は広く走りやすい。ただ、浜松いなさJCTのカーブは結構きつい。折角なので、浜松SAで休憩する。ほとんどの車はSAが目当てらしく駐車場はほぼ満車状態で、我々の車は外れのほうにしか止めることができなかった。



(NEOPASA浜松の入口)


(ゴミ箱もきれいだ)


(レストラン内は大賑わい)


(洗面台も洒落ている)

ウルトラマラソンの翌日と言うのに欲張っていろいろ観光して帰ったのだが、欲張ったおかげでいろいろ珍しいもの、素晴らしいもの、凄いものを見物できた。本当に充実した2日間だった。

これで、天女の羽衣伝説ウルトラマラソンツアーの話はお終い。

天女の羽衣伝説ウルトラマラソンツアー《長浜市内観光編その2》

2012-04-18 19:31:29 | 観光
長浜城の近くの道路には、「近江湖の辺の道(おうみうみのべのみち)」の標識が立っている。「遠州山辺の道」を彷彿させる標識に親しみを感じた。「近江湖の辺の道」がどこまで続いているのか気になった。


地下道を渡り大手門通りに入ると「豊国神社」がある。豊臣秀吉公の遺徳を偲んで町衆が建立した神社だそうだ。


豊国神社の先には、お旅所駐車場があり大きな曳山が展示されていた。この曳山は、長刀山(なぎなたやま)と呼ばれている。大きな3つの車輪が付いていて上部には太刀渡りに用いた太刀とのぼりが飾り付けられている。これだけは、子供歌舞伎を演じる曳山とは違う形だ。


4月14日~16日は日本三大山車祭りのひとつの「長浜曳山まつり」が行なわれており、まさにタイムリーな時に長浜に行ったものである。長刀山の前で、曳山まつりの衣装に身を包んだ少年と一緒に写真を撮る。


通りには、黒壁スクエアの一つ「黒壁五号館」の建物が見えていた。本当に黒い壁だ。


長浜では、3月24日から12月2日まで「長浜戦国大河ふるさと博」が行なわれており、キャラクターの「三成くん」が通りに立っていた。


曳山は全部で13基あるそうだが、まつりでは全部曳かれることはない。毎年4基ほどが曳かれ、それ以外は小屋を開放して展示だけするようになっているらしい。曳山博物館横の小屋が開放されていた。


アーケードは賑やかになってきていた。


先に進むと、前方から曳山がこちらに向かってくるのが見えた。


絢爛豪華な曳山は”動く美術館”ともいわれ、彫刻や漆・箔・飾金具など、長浜の伝統的な職人技術の粋を集めた精巧なつくりとなっている。また、背面はヨーロッパのタペストリーのような華やかな「見送り幕」が懸けられており、曳山と見事に調和している。






我々が見た曳山は、後で調べたところ高砂山(たかさござん)という名前だとわかった。道を曲がる時は、大勢で引きずるように動かすのが大変である。高さも7mほどあり、電線や建物に当らないよう屋根上には人が張り付いていた。


さて、曳山まつりのクライマックスを彩るのは「子供歌舞伎」だ。5歳から12歳くらいの男の子が衣装に身を包み、歌舞伎を演じるのである。曳山の近くにいたら、ちょうど歌舞伎を演じる少年たちが集まってきた。


可愛い子供役者が曳山の舞台に揃った。


まずは、踊りが始まる。




女形のこの子も少年なのだろうが、あまりにも艶かしい流し目にゾクッとした。




源平合戦の演目を演じているらしく、源氏や平家の武将として演じている子供たちの名演技に惜しみない声援がかけられていた。




昔、この曳山まつりの子供歌舞伎をテレビで見た記憶があったが、まさかこの長浜で見られるとは思ってもみなかった。偶然とはいえ、珍しいものを見ることができて本当にラッキーだった。子供歌舞伎を見て長浜を後にする。次は、kazukawaさんお勧めの有名なお花見スポットに向かうことにした。

天女の羽衣伝説ウルトラマラソンツアー《霞間ヶ渓お花見編》に続く。

天女の羽衣伝説ウルトラマラソンツアー《長浜市内観光編その1》

2012-04-17 19:02:38 | 観光
マラソンに参加した翌日は、長浜市内を観光することにした。同室だったHさんからの情報で、長浜城の桜が満開ということと、市内でお祭りが行なわれているという事を聞いたので俄然期待が高まった。走友たちと一緒にまずは長浜城に向かった。市内は、お祭りらしく人出が増え始め、交通整理が始まっていたが、まだ朝早いので、駐車場はがら空きですんなり駐車する事が出来た。

長浜城(ながはまじょう)は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した城である。1573年(天正元年)に羽柴秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名したといわれている。ただ、現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルに模擬復元したものだという。

お城の近くの駐車場に車を止め、少し歩くと直ぐに長浜城が見えてきた。入口では、満開の桜が出迎えてくれた。


城前の公園も、見事な桜のトンネルとなっている。


博物館となっている長浜城の中に入っていくことにした。


展示品をいろいろ見て、最上階の天守閣にあがると360度見事なパノラマが広がっていた。上から眺める満開の桜は素晴らしい。広い公園に広がる桜並木や琵琶湖越しに眺める景色も素晴らしかった。




長浜城を見学した後は、曳山まつりの会場に向かったのだが、途中にある長浜の伝統的建造物群を生かした観光スポット「黒壁スクエア」の一つに興味があったので寄ることにした。それは、『海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館』といい、フィギュア製作で有名な「株式会社海洋堂」作品が展示されているミュージアムである。世界初のフィギュア専門ミュージアムになるそうだ。入口では北斗の拳のケンシロウと人間サイズの大魔神が出迎えてくれる。


1階のショップだけなら無料だが、2階のミュージアムは有料となる。私以外の仲間は、興味がないのか有料ならやめるというので、私だけお金を払って入場した。中に入ると、アニメ・特撮・動物など、ありとあらゆるフィギュアが展示されており見ているだけで楽しい。


中ほどに入っていくと、巨大な恐竜のフィギュアが見えてきた。映画「ジュラシック・パーク」の撮影に実際に使われた巨大なトリケラトプスである。前のほうには、映画のシーンの写真があり見覚えのあるカットだった。「ジュラシック・パーク」のあのシーンで実際に使われたのだと知って、ちょっと嬉しくなった。


多数の動物・恐竜フィギュアの展示もあり、精巧に製作されているのがよくわかる。マニアにとっては垂涎ものだろう。


以下、お馴染みのキャラクターが一杯展示されている。


(ウルトラマン)


(ゴジラ)


(懐かしい特撮番組のキャラクター群)


(「北斗の拳」の等身大のケンシロウとユリア)


(ドラゴンボール)


(セーラームーン)


(美少女フィギュアのコーナー:結構エッチぽいフィギュアもある)


(「ああっ女神様っ」の「女神様三重奏」)

もっとゆっくり見ていきたかったが、仲間が待っているのでサッと見てミュージアムを出た。アニメとか特撮物が好きな人だったら、懐かしいキャラクターが一杯ありかなり楽しめるはずだ。どれも、精巧で美しい見事な作品として感動すること間違いない。

天女の羽衣伝説ウルトラマラソンツアー《長浜市内観光編その2》に続く。

2012第7回天女の羽衣伝説ウルトラマラソン 《夕食・懇親会編》

2012-04-16 22:25:04 | マラソン
午後5時をもってマラソンが終わり、全員ゴールに戻ってきた。部屋に荷物を置いて、急いで国民宿舎「余呉湖荘」の風呂に飛び込んだ。ずっと寒い一日だったので、暖かい風呂がありがたかった。この大会は、宿泊込みとなっているので、マラソンが終わっても慌てて帰る必要はない。走った後は、夕食と懇親会で交流を深めようという趣旨である。

夕食は、大広間での立食パーティとなった。昨年は、椅子付きで落ち着いて食事が出来たのだが、今回は人数が多くなった為か立食となり、始まると同時に食事を取りに行くので大わらわだった。エイドである程度は食べていたのだが、やはり70キロ走った後なのでお腹がすいている。飲むことより、食べるほうが忙しくて直ぐにお腹が一杯になってしまった。

夕食は1時間ほどで終わり、引き続いて同じ会場で表彰式を含む懇親会が始まった。まず、表彰式の前に一芸が披露された。トップバッターは、「南京玉すだれ」である。演者は長さ20~30数センチの竹製の小型のすだれを持ち、唄にあわせて踊りながらすだれを変化させていく。「さて、さて、さてさてさてさて、さては南京玉簾」の掛け声とともに玉すだれをおもむろに取り出し、「ちょいとひねれば、ちょいと、ひねれば、日米国旗に早変わり。日米国旗をちょいと伸ばせば、…」といった風に、すだれの形状を次々と変えて見せてくれた。なかなか見事な芸である。




そして、次は横笛演奏だ。男性と女性のペアで「さくらさくら」が演奏された。この日は、コース上で桜を見ることができなかったので、せめて歌で気分を味わうということになったともいえる。


表彰式では、全員に証書が授与される。10周完走できなかった人には、未完走証。10周完走できた人には、完走証が贈られる。完走できず、距離が短かった人から未完走証が授与される。10周完走できた人にも、遅い順番に完走証が授与される。授与された人は、必ず簡単なスピーチをすることになっており、全員が終わるまで時間がかかった。私も後半呼ばれたが、時間が押してきていたので簡単にすませた。






そして、証書授与の後はやはりお待ちかねの抽選会だ。今回も、お米、マラソングッズ、Tシャツ、CW-X等の景品が用意されていた。一緒に参加したヒロボーさん、Hさん、kazukawaさん、よっぴーさんたちは何かしら当っていたのだが、私だけは何もあたらずガッカリ。また3回以上参加するとオリジナルTシャツが貰えるという事で、4名がTシャツを貰っていた。私は、まだ2回参加なので来年も参加してTシャツを貰わねばと思った次第だ。解散間際にエイドで余った飲み物や果物、パンなども分けてもらったので、結果的には、家族へのお土産にできありがたかった。

懇親会が終り、二次会、三次会に参加した人もいれば、疲れて早々に眠りについた人もいる。温かい布団に入れば心地よい疲れでぐっすり眠れたようだ。翌日は、朝食を済ませてから全員で集合写真を撮って解散した。一部の人はオプションで、余呉湖の南側にある賤ケ岳登山に行ったようだが、我々は昨年登ったこともあり、登山はやめて朝から長浜へ観光に向かった。


続きは、天女の羽衣伝説ウルトラマラソンツアー《長浜市内観光編その1》へ。

2012第7回天女の羽衣伝説ウルトラマラソン 《マラソン編》

2012-04-15 22:44:35 | マラソン
今年も滋賀県余呉湖畔で行なわれる第7回天女の羽衣伝説ウルトラマラソンに参加してきた。金曜日の夜、北陸道神田PAに到着し車中泊後、土曜日の早朝木之本ICから余呉湖のスタート会場に向かった。この大会は周囲7キロ弱の余呉湖を10周回り、トータル70キロを走る大会である。去年に引き続き2回目の参加である。今回は、初参加のよっぴーさんと2度目となるkazukawaさんが同行した。

昨年もスタート時は雨模様で寒かったが、今年もスタート時は雨となっていた。受付を済ませ、スタート前の注意事項などを主催者から聞く。




説明を聞き終わり、スタート前の記念撮影を行なう。後方の桜の蕾は固く、昨年と比べると大幅に桜の開花が遅れていた。参加者は、昨年よりも10名ほど増え90名を越す選手が集まったそうだ。


さて、流入する川も流出する川もなく、神秘の湖として知られる余呉湖の周囲を10周するわけだが、そのコースは自然に恵まれ風光明媚な道が続く。中間地点で、少し上り坂になるくらいでほとんどフラットである。スタートは午前7時で午後5時の時点で競技終了となり、ゴール前のエイドに飲み物、食事があり、中間点前後に2箇所飲み物エイドがある。1周10キロだと長いような気がするが、5キロでは短すぎる。7キロくらいが丁度いい絶妙の距離である。

お昼くらいから晴れるという天気予報だったが、天気の回復が遅れ午後になってもあまりいい天気ではなかった。気温はずっと低く、風も吹き止まないので、スタート時から着ていたカッパを脱ぐことがほとんど出来ない。しかも、期待していた桜もほとんど咲いていないという事で、カメラを出す機会もない。9周まではエイド以外では立ち止まることもなく、ずっと普通に走っていた。それでも、最後の周回時には、記録と言う点からコース概要がわかるようカメランで走った。以下10周目で撮影したコース状況写真だ。

ゴール前のエイドで、周回毎のチェックを自分で済ませる。そして、9周したランナーには赤いた襷が掛けられ最後の周回とわかるようにして、走り出す。この頃になると、やっと天気が回復してきて晴れ間も見えていた。


エイドでは、後半になって疲れたのか椅子で休んでいるランナーが目立つようになってきていた。


1キロを過ぎた辺りから桜並木が始まる。ただ、昨年と比べるとほとんど蕾で、お花見と言う状況ではない。この辺りは風の通り道で、必ず強風に見舞われた。




2.5キロ辺りにある「岩崎の大岩」。案内板にはこう書かれている。「岩崎山には湖岸に大岩が突出し、志津ヶ岳合戦には高山重友の砦があった。古代には近くに智者寺・蓮法寺があり、これと並び岩崎の大岩として人々から崇敬されていたが道路拡張で取除かれた。この岩は当時を偲ぶなごりである」


この辺りも、蕾が膨らみ始めたくらいだ。


余呉川導先端の折り返し地点。隣の広場が桜祭り会場となっているが、この状況では、人出は期待できない。


3キロ辺りの余呉川導にある桜並木と菜の花群落。去年は桜と菜の花のコントラストが素晴らしくて何度も癒される思いがあったが、今回は物足らなさを感じながら何度も通過した。



(これは、昨年の様子)

そしてほぼ中間点にあたる地点が、今大会のタイトルにもなった「天女の羽衣伝説」の発祥の地である「天女の衣掛柳」がある場所である。この柳はマルバヤナギと言い、葉が伸びてくると見事な大木に見えてくるのだが、この状況では枯れ木にしか見えない。


衣掛柳から道を隔てた反対側には、天女の像が建てられている。


JR北陸本線の横を通り、余呉湖畔西岸に入る。西岸には集落があり、細い道をしばらく走る。6キロ地点では、「菊石姫と蛇の目玉石」と呼ばれる大岩が現れる。玉垣で囲われた大岩の上にお飾りがしてあり、神聖な雰囲気がある場所だ。案内板には、仁明天皇の頃、領主桐畑太夫の娘の菊石姫が干ばつ時に余呉湖に身を投げ、蛇身となって雨をふらせ、母に疫病の薬にと蛇の目玉を抜き取って湖中から投げたところ、石に目玉が落ちて跡が残ったので、以来この石を「蛇の目玉石」という、と書かれている。


目玉石からしばらく進むと、「槍洗いの池」がある。賤ケ岳合戦の時、柴田勝家側にいた青木新兵衛という槍の名手が血糊のついた槍を余呉湖の水で洗ったという謂れがある場所だ。


残り1キロほどになると、ゴール地点の国民宿舎「余呉湖荘」が見えてくる。もう一頑張りである。


そして、ゴール。今回は、昨年より20分ほど短縮して7時間47分ほどでゴールできた。6周目くらいまではキロ6分から6分30秒くらい、それ以降がキロ7分少々くらいで走っていた。思いのほか、調子よく走れていたようだ。ゴール後も、それほど酷いダメージがなくてホッとした。


ゴール後は、懇親会となる。続きは、《懇親会編》へ。

余呉湖ウルトラ完走

2012-04-14 22:45:08 | マラソン
今日は余呉湖ウルトラ70キロでした。
満開の桜の下できもちよく走るつもりが
全く咲いてなくて写真を撮る場面もなく
結構真面目に走ってしまいました。
お陰で8時間をきる好タイムでした。
詳細は明日以降アップします。

北朝鮮ミサイル発射失敗

2012-04-13 20:37:14 | ニュース
このところ、北朝鮮のミサイル発射問題が取りざたされていたが、ついに今日の午前7時39分ごろ、「人工衛星打ち上げ」名目で長距離弾道ミサイルを発射された。結果は、上空150キロまで飛んで爆発し、破片が韓国西方の黄海に落下したということで事実上の失敗に終わったようだ。

テレビで公開された打ち上げ用の発射台は、かなり貧弱に見えた。日本やアメリカなどでの発射場の様子などとも比べると、あきらかに差がありどうみても人工衛星を打ち上げる様子には見えない。当然といえば当然のことだろうが、今回の失敗で北朝鮮の人々の3年分の食料代があっという間に消え去ったとも言われている。独裁国家というものは、ここまでして国威掲揚をするものなのかとあきれるしかない。

意外だったのは、北朝鮮が今回の打ち上げ失敗を早々と認めたことだ。いつものことなら、日本やアメリカのせいにして話をすり替えたり、失敗を隠して成功したような話にもって行くのが通例だが、今回は海外メディアを招待したこともあって、そこまで隠蔽はできないという事なのだろう。心配なのは、打ち上げに携わった科学者や担当者の今後である。きっと凄惨な静粛が待っているのかもしれない。

また、今回も相変わらず日本政府の発表がもたもたしていたようで、野党の格好の攻撃材料にされているようだ。発射されてから40分も経ってから公式に発表があったということは、韓国やアメリカが早々に発表したのに比べると確かに遅い。日米韓は、こういう有事の際の連携は出来ていないのだろうか?イージス艦のレーダーに捉える前の低空でミサイルが既に爆破してしまったという物理的理由はあるにせよ、なんらかの情報網で確認する方法はあったはずだ。そういう事もまともに出来なかったというのだから、日本の防衛の連絡体制が脆弱と言うのが改めて感じられた。被害がなくて安心したものの、今後も北朝鮮の動向が心配であることは変わりない。日本政府は、果たして有事のときにはまともに対応できるのだろうか。まだまだ不安の種は尽きない。

ボランティア日程決まる

2012-04-12 21:58:03 | いろいろ
先日、東北の災害ボランティアの募集に応募したのだが
昨日、ボランティア協会から連絡があって希望どおりの日程で行くことが決まった。
4月、5月、6月の3回に分けての募集だったが、私は6月の3次隊で行くことになった。
5月、6月は既に定員に達したようだ。
スケジュールは、木曜の夜出発して金、土、日の三日間活動して月曜日の朝帰ってくる。
まだまだ、被災地の状況は厳しいようだ。三日間フルに活動して現地の状況をしっかり見てきたい。

ヘッドランプがランタンになる

2012-04-11 21:04:14 | グッズ


アウトドア用品メーカーのモンベルが3月に発売した「クラッシャブル ランタンシェード」が売れているそうだ。布で作られており、ヘッドランプの上にかぶせるとランタンに早代わりするという製品である。組み立て時の大きさは直径6×高さ12cm、重さは5gで折り畳めばコンパクトにしまえる。登山の時等にテントや暗くなった山小屋などで役に立ちそうである。

ヘッドランプといえばアウトドアでは必需品だ。光の直進性が高く、進行方向や手元の地図を見るには便利だが、テント内などの照明としては使いにくい。テント泊の場合にはランタンも必要となり、荷物が増えてしまう。そこで、モンベルでは「ライト・アンド・ファスト」(軽く速く)という企業理念の下に、この本製品を開発したそうだ。薄くて丈夫な生地を採用し、縦方向の4つの縫いしろを柱にする設計なので、広げるとしっかりと自立するようになっている。

アウトドア以外でも、急な停電の時にヘッドランプとクラッシャブル ランタンシェードを使えば、簡単に灯りを得ることができる。値段は1050円(税込み)なので、防災用品の一つとして買っておくことにした。モンベル直営店、アウトドア用品店で購入できるほか、ネットでも購入できる。
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1124462