とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

寛平ちゃん「アースマラソン」完走!

2011-01-21 22:00:54 | マラソン

今日、タレントの間寛平が、マラソンとヨットで地球を1周する「アースマラソン」を無事完走し、大阪にゴールした。

間寛平は、2008年12月17日にスタートして以来、2年以上の年月をかけて、日本、太平洋、アメリカ大陸、大西洋、ヨーロッパ、アジアを横断した。陸路2万キロ、海路2万キロの計4万キロという壮大な距離を自分の足だけで駆け抜けたというわけだ。途中では、前立腺がんに罹っていたことがわかるが、あきらめることなく治療をしながらも走り続けた。政情不安な国も多く、生命の危険がある状況も数えきれないほどあったという。まさに前人未到の大冒険の旅だったといってもいいだろう。

テレビでは生中継でゴールするまでの様子を放送していた。沿道には、多数の人々が応援に駆け付け、寛平ちゃんが精一杯ハイタッチで応えるさまを見ていて感動がふつふつと湧き上がってきた。ウルトラマラソンを愛好する者にとっては、究極の夢を実現した寛平ちゃんの偉業には敬服せざるを得ない。

大阪市長からは、大阪マラソンへの参加を打診されていたが、今後しばらくは走ることも考えたくないくらいの究極の走り旅だったことだろう。当分の間は、ゆっくり休んで家族との時間を十分味わってほしいと思う。まずは、お疲れ様と言いたい。

ただ、テレビの中継では、お笑い芸人の余分な話が多すぎて感動の場面に水を差される事が多かった。2年間の走りの様子をドキュメンタリーでもっと流してくれたほうがよかったと思った。まだまだ、マスコミの取材で忙しそうな寛平ちゃんだが、しばらくは休ませてあげたい。

私も、寛平ちゃんがアースマラソンで履いていたランニングシューズを持っている事もあり、彼を見習ってこれからも走りを続けていくことの思いを新たにした。


TOHOシネマズ値下げするとか

2011-01-20 20:39:23 | 映画
シネコン大手のTOHOシネマズが19日、映画料金を来春までに引き下げることを発表したそうだ。18歳以上を、現状の1800円から1500円に、18歳未満は1000円に統一する。ネット予約割引も導入し、利用者拡大と若年層の映画ファン開拓が狙いという。

私も、近くにTOHOシネマズが出来て以来、映画館にかよう回数が増えた。大スクリーンで見る映画は、家のテレビで見るよりはずっと迫力があっていいものである。今回の値下げが自分にとってはどうなのかと考えた場合、はっきりいって何も変わらない事がわかった。TOHOシネマズでは、毎月1日と14日は千円の日と決まっているし、夫婦割引で入れば一人千円で済む。また、会社の共済会で映画券を購入すればいつでも千円で見ることができる。つまり、一般の1800円という料金で映画館に入ったことなどないのだ。高いとしてもレイトショーの1200円の場合があるくらいで、1800円で入る気はしない。また、6回見れば、1回無料になるというサービスもあり、充分恩恵は受けていたと言っていい。

どう考えても、我々の年齢層にとっては今までよりお得になるようなことはない。だが、若年層の料金を下げることによって、若年層の映画離れを食い止め新しい映画ファンを開拓するという狙いは良くわかる。最近の日本映画は面白く、いい作品が目白押しといってもいい。TOHOシネマズの興行収入は前年よりも伸びているらしく、今後の映画産業の発展を占う上ではいいことだろう。

WOWOW連続ドラマW「東野圭吾『幻夜』」 

2011-01-19 22:30:46 | ドラマ


WOWOWで去年から放送されていた『幻夜』が先日最終回となった。東野圭吾の数多くの作品の中でも傑作の一つであると言われている。『幻夜』は、TBSでドラマ化された「白夜行」の続編、姉妹編とも言われる作品で、「白夜行」同様、直木賞候補となり、すでに100万部に迫る売れ行きをみせているクライムサスペンスである。

自身の野望のためにはどんなことでもする主人公・新海美冬役には深田恭子。日本文学史上に残る「究極の悪女」をどのように演じるかが注目の的であった。そして、愛する美冬のためならすべてを捧げると決意した男・水原雅也役に、塚本高史。さらに、自身もつらい家庭の問題を抱えながら執拗に美冬と雅也を追い詰める刑事・加藤亘役として、柴田恭兵が登場する。

この作品は、すでに原作を読んでいたので、ストーリーは判っていた。原作を如何にドラマで忠実に再現できているかを検証しながらの視聴だった。計8回の放映で、分厚い原作をドラマ化できるのか気になっていたが、原作のイメージをほぼ忠実に再現できた内容だったと思う。

妖しいまでに美しく男をたぶらかし、周りの人間を巻き込んで自分の欲望を実現していく恐ろしい女・新海美冬役を、深田恭子が見事に演じていた。相変わらず声は可愛過ぎるが、話さない時のしぐさや目つきなどは「冷徹で不気味な感じ」で貫禄が出ていたともいえる。ただ、美冬を追い回す加藤刑事役の柴田恭兵の出演シーンが多く、美冬対加藤という構図になり過ぎていたのが気になった。また、雅也 (塚本高史)は美冬に命じられるままに何でも言いなりになって殺人を犯してしまう。もうちょっと頭を使う男として描いても良かったのではないか。

また、原作では阪神大震災から始まるが、ドラマでは阪神ではなく中京地域の大震災となっており、あえて阪神を外した設定だった。これは、震災にあった人たちへの配慮という事なのだろうか。基本的には、ほぼ忠実に原作をなぞったといえるが、ドラマではやたらに殺される人が多かった。美容師の青江や加藤刑事の同僚が死ぬなんて設定は原作にはない。また、美冬が加藤の妻を自殺に追いやるなんて事もなかったはずだ。ドラマ版では美冬の悪女振りを強調した脚本にしたのだろう。

最終回では、映画「白夜行」で笹垣刑事を演じる船越英一郎が出演していてビックリした。今月末公開の映画「白夜行」との連動企画ということらしい。ドラマでは、「白夜行」の唐沢雪穂のその後が新海美冬みたいな暗示となっていた。原作では、そのあたりはぼやかされており、はっきりしていない。原作者の東野圭吾自身も、その辺りは明言を避けているそうだ。新海美冬が唐沢雪穂と同一人物であるかどうかよりも、最後まで謎だらけの女として描いたほうが、原作の持つ救いようのない話のイメージを保つことが出来たような気がする。


映画『僕と妻の1778の物語』

2011-01-18 00:13:57 | 映画


チェック:フジテレビ系列で放映された「僕の生きる道」シリーズが、SF作家の眉村卓と2002年にガンで逝去した夫人との感動の実話を基に映画化。毎日1編の短編小説を5年にわたって書き続け、余命1年の宣告を覆した奇跡の記録が朔太郎と節子の物語としてよみがえる。仲むつまじい夫婦を演じるのは、『黄泉がえり』以来の再共演となる草なぎ剛と竹内結子。監督は『笑の大学』の星護。愛する人のためにベストを尽くす二人の感涙のエピソードに心洗われる。

ストーリー:SF作家の朔太郎(草なぎ剛)と銀行員の妻節子(竹内結子)は、高校1年の夏休みに付き合い始めてからずっと一緒だった。だがある日、腹痛を訴えた節子が病院に入院し、彼女の体が大腸ガンに冒されていることが判明。医師(大杉漣)に余命1年と宣告された朔太郎は最愛の妻にだけ向けて、毎日原稿用紙3枚以上の短編小説を書くことにする。
(シネマトゥデイより)

このところ映画はご無沙汰であったが、見たい映画が始まったので妻と一緒に見てきた。これは私が大好きなSF作家の一人である眉村卓さんのエッセイを映画化したものである。眉村卓さんといえばジュブナイル小説では「なぞの転校生」や「ねらわれた学園」が有名である。今回は、眉村卓さんの原作という事と、2003年の『黄泉がえり』以来8年ぶりの共演になる草なぎ剛と竹内結子が出演するという事に大いに関心があって興味を惹いていた。ストーリーは、余命1年と宣告された奥さんを励ますために、毎日3枚以上の笑える短編小説を書き続けたという実話に基づく映画だ。がんの宣告を受けてから、驚くことに5年近くも奥さんは生き続けたのである。

草なぎ剛は問題行動を起こしたこともあったが、演技力はなかなかいいものがある。『山のあなた〜徳市の恋〜』での盲目の按摩役や『BALLAD 名もなき恋のうた』での凛々しい武士役等の演技も記憶に新しい。今回は、SF作家という職業でいつも遠くを見ているようでいて妻を愛する気持ちが人一倍強い男の役をひょうひょうと演じていたのが印象的である。

また、竹内結子は相変わらずきれいな女優さんだ。何故か彼女は最後に死んでしまう役が多いような気がする。映画では、草なぎ君が銀行で預金をおろすときの窓口穣が竹内である。草なぎ君の空想的な話に真顔で応対する竹内とのやり取りが面白い。こんな窓口穣だったら、何度でも銀行に行きたくなるのになーと思ったりもした。そして、このやり取りから恋が生まれ、結婚にいたる導入かと思ったら、草なぎ君が家に帰っているところに竹内が帰って来て食事の支度を始める。既に二人は結婚していたという次第だ。

この映画は、よくある難病にかかった夫婦や家族の涙と感動の物語というジャンルに入るのだろうが、それだけと言うわけではない。ストーリーはむしろ淡々と進行し、グッと来るところはいくつかあったが、それほど涙が溢れ止まらなくなるといった事はなかった。ところどころで、彼が書いた小説のストーリーがいくつも挿入されコミカルなシーンも結構ある。お涙頂戴ものというよりも、「笑うと免疫力が上がることがある」という医者の言葉を信じ、愛する妻にできることは彼女に一日一編の笑える小説を書くことだと決め、最後まで書き綴ったという愛情の強さに、見終わってからじわじわと感動が沸きあがってくる。

毎日原稿用紙3枚以上の短編小説を書くという事は、大変なことである。しかもエッセイではなく、市販しても一般の読者が読むのに堪えられる内容というと並大抵の苦労ではない。私も、このブログを毎日更新するという目標を実は掲げてやっているので、これは大変なことだというのが良くわかる。私の場合は、エッセイ的なこともあれば、映画評や読書感想、旅行記等と比較的ネタは多いし、大変だとは言っても何とかここまできている。だが、まったくの小説となるとネタはほとんど出てこない。プロの小説家って凄いもんだなーとも思う。これは、如何に眉村卓さんが妻を思い1778日もの間小説を書き続け、妻もそれを読むことを生きがいにして存えたという事実を、草なぎ君と竹内結子がたんたんと演じてくれた映画といえる。

映画館では、若いカップルが意外と多かった。これから結婚しようとするカップルを始め熟年カップルにも、将来どんなことになっても如何に夫婦であり続けるかという事を考えさせてくれる映画ではないだろうか。

原作となった「妻に捧げた1778話」というエッセイ集と、1778日の間書き綴ったショートショートの小説集も「日がかり一話」という名前で刊行されているようだ。妻のために書き綴ったというショートショート集をどうしても読みたくなった。

今日も浜松は雪で大混乱

2011-01-17 21:59:32 | 呟き


昨日の朝、雪が積もったと喜んでいたが、今朝はさらに積もり道路や屋根、車など全面的に銀世界となっていた。これだけ積もったのは1999年頃積雪があった以来である。朝起きて周りを見回して、これは大変なことになりそうな予感がした。新幹線は止まり、東名も通行止めだというニュースもやっていた。

普段から雪に縁のない浜松では、雪に対する備え等皆無に等しい。道路に融雪剤を撒く体制も出来ていなければ、チェーンやスタッドレスを装着している車もほとんどない。私の車は既にスタッドレスを履いているので心配等してなかったのだが、妻の車はノーマルなので早めに起きて妻を会社に送っていくことになった。いつもの道で行こうとしたが、幹線道路は既に大渋滞である。細い道をかいくぐって妻の会社の手前までは何とか着いたが、やはり渋滞していたので、近くだから歩いていくというので降ろして自分の会社に向かった。

会社へ行く途中でも、側溝にはまっている車や坂道で立ち往生して車などいくつも見かけ大混乱の様相を呈していた。やはりメイン道路はまったく動かない。全て裏道を走り自分の会社には無事到着する。しかし、会社の駐車場はガラガラだ。定時に間に合った職員は、1/3にも満たない。私の部署でも、遅刻か半休にしたいという連絡がどんどん入ってくる。遅刻者たちの今日の仕事の段取り調整をなんとかつけて一安心したころ、妻から電話が入った。

なんと私と別れたあと、会社に向かう途中で滑って転倒し左手首を骨折したというのだ。今、整形外科にいるから迎えに来てという電話だった。晴天の霹靂とはこのことだ。相変わらず渋滞している幹線道路を避けて、急いで整形外科に向かった。診察した結果、複雑な骨折なので街医者では対処できないので大きい総合病院に行って下さいと言われた。止むを得ず、整形外科で紹介された総合病院に妻を連れて向かった。総合病院となると、診察から検査と簡単には終わらない。結局午後3時くらいまでかかり、薬を貰って家に帰った。だんだんと痛みが酷くなってきて妻も辛いようだった。治療自体は、今日行なわれず腫れがひくのを待ってから入院手術という事になった。入院は1日で済むとのことなのでそれほど大事にならずに済んだのが幸いだった。

妻の会社からは電話番だけでもいいので、来れそうなら来て欲しいと言う電話もあり、とりあえず出勤は出来そうだ。ただ、当分の間妻の送り迎えや食事、洗濯等自分でやらざるを得なくなった。雪が降って嬉しいなんて言ってる訳にいかなくなってしまった。

雪の朝

2011-01-16 08:00:50 | 呟き


今週末は、全国的に大荒れとの天気予報を気にしていたら、年間積雪量が0というここ浜松でもやはり雪が降った。昨夜映画館から出たとき、車に雪が積もっていたのでビックリしたのだが、その雪が今朝まで残っていた。

めったに雪を見ることがない浜松人にとっては、雪が積もるというのは、何故かワクワクするのだ。雪で困っている地方の方には申し訳ないのだが、雪景色を見たくていつもより早起きしてしまった。

予想通り、近所の畑は真っ白。車にも白い雪が積もっていた。とはいえ、雪国の積雪量に比べたらどうってことない量だろう。それでも、家の周りを歩き回り写真を撮って帰ってくる。ついでに、道路で転んであやうく怪我をするところだった。今日の天気は晴みたいだから、そのうち日が昇って雪も消えてしまうことだろう。

遠州弁わかるかな?

2011-01-15 20:11:40 | 呟き
地元農協が出している雑誌に、遠州弁が紹介されていた。遠州弁とは静岡県西部地区に伝わる方言である。私もこの地域の生まれなので自分でも使ったり、親が良く使ってたなーと懐かしくも思った。

いくつか挙げてみる。どのくらい判るだろうか?

1.とんじゃかない
2.ちゃっと
3.ちんぷりかえる
4.じゅるい
5.おっかない
6.きぜわしない
7.血が死んだ
8.ぶしょったい
9.かいだるい
10.かが抜ける
11.おだいさま
12.とぶ
13.くろ
14.こわい
15.ひずるしい

まだまだ、一杯あるのだが、とりあえず解説しておこう。

1.とんじゃかない(気にしない、かまわない) 「作業服だで、汚れてもとんじゃかないに」
2.ちゃっと(急いで、すぐに) 「雨降りそうだから、ちゃっと終わるか」
3.ちんぷりかえる(怒る、すねる) 「相手にされんもんで、ちんぷりかえってるら」
4.じゅるい(ぬかるんでいる) 「雨で道がじゅるいら」
5.おっかない(恐ろしい、怖い) 「鎌を振り上げて、おっかないやー」
6.きぜわしない(慌しい) 「ご飯食べてすぐに仕事なんて、きぜわしないやー」
7.血が死んだ(内出血、青あざができる) 「石の角で足をぶつけ、血が死んだ」
8.ぶしょったい(だらしない、見苦しい) 「ズボン破れてて、ぶしょったいやー」
9.かいだるい(疲れた、だるい) 「今日も忙しくて、かいだるいやー」
10.かが抜ける(ジュースなどの炭酸が抜ける) 「さっきの飲んだラムネ、もうかが抜けてうまくないに」
11.おだいさま(お金持ち) 「あのうちは、家が大きくておだいさまだやー」
12.とぶ(走る、駈ける) 「急いでとんで行きなー」
13.くろ(隅、端) 「車が来たので、くろに寄りな」
14.こわい(ごはんが硬くなる) 「ご飯出しっぱなしにしたら、こわくなったに」
15.ひずるしい(まぶしい) 「太陽の光がひずるしいやー」

そして、遠州弁の基本文型は「だら」「だに」「だもんで」「はぁ」「やいやい」である。

1.だら:「明日会社だら?」 → 「明日は、出勤日だよね?」
2.だに:「これ、わたしんのだに」 → 「これは、私のものですからね。」
3.だもんで:「だもんで、言っただに」 → 「だから、言ったのに」
4.はぁ:「あんたんちの子、はぁ小学校けぇ?」 → 「「あなたのお子さん、もう小学校にあがるんですか?」
5.やいやい:「やいやい、遅刻しちゃってぇ。」 → 「やれやれ、遅刻してしまいました。」

こんなふうに使いわける。今では、年寄りしか使わない言葉が多いが、自分でも何気なく使っている言葉も意外とある。

大腸内視鏡検診今年も受ける

2011-01-14 21:03:57 | 呟き
一昨年の10月大腸内視鏡検診を受けたのだが、年1回は受けたほうがいいということで昨年申し込みに行ったら予約が混んでいて今日の実施になった。

もう何度も受診しているので、特に不安はなかったが最近お腹が張っている感があって気にはなっていたのだ。前日から下剤を飲んでいたので今朝起きるまでに何度かトイレに行っていた。クリニックで受け付けを済ませると、もう大勢の受診者が集まっていた。さっそく看護師の説明を聞き、大腸内をきれいにする薬を飲み始める。ふつうこの検診を行う場合には2Lくらいの薬を飲むのだが、ここのクリニックでは900㏄でいいとしている。スポーツドリンク味の薬はまずくはなく15分ほどで全部飲み終えた。

その後は、15分おきにトイレに行くことになる。毎回ではないが、2回に一回くらいは便をそのまま流さず看護師さんに診てもらうことになる。初めての時は、恥ずかしかったが今はそれほどでもない。隣の人は5回目くらいでOKとなったが、私の場合は今回どういうわけかなかなかOKがでない。カスが残っていてきれいになっていないというのだ。やむを得ず、薬を追加でさらに飲むことになってしまった。さらに500㏄位追加で飲み干す。そして、トイレに行くことさらに数回。結局10回目でOKがでた。何度もトイレに行ってお尻が痛くなってしまった。

その後、名前を呼ばれ診察室に入る。診察室に入ってもなかなか検査の番が来ない。ベッドに横たわり点滴を受けながら1時間以上も待たされた。やっと自分の番になって検査室に移動する。眠くなる薬を入れますよと注射を受けたところまでは覚えているのだがその後のことはまったく覚えていない。目を覚ましてベッドから起きたら小一時間以上たっていた。

その後、先生の説明を聞く。写真をみせてもらいながら話を聞くと、今回はポリーブ切除はなく一部の場所に炎症がみられたとの話だった。炎症を抑える薬を出すだけでそれほど問題はないような話でひとまず安心する。麻酔の影響で体がふらつくので、しばらくクリニック内で休憩して家に帰ってきた。ポリーブを切除すると2週間ほど運動制限がでるのが心配だったが、それもなく今後も運動を継続できるのがうれしかった。これでひとまず今年一年は安心して仕事や遊びに専念できる。

今年はスキー発祥100周年

2011-01-13 20:15:40 | スキー
昨日の1月12日は、「スキーの日」だった。今から100年前の1月12日に日本で初めてスキーが伝えられたことを記念した日である。1911(明治44)年1月12日、当時のオーストリア・ハンガリー帝国軍人テオドール・フォン・レルヒ少佐(1869~1945年)が、スキー技術を新潟県高田(今の上越市)の陸軍将校らに指導したとされている。当時は1本のつえをストックのように操り滑ったそうである。発祥の地である新潟県上越市では12日に「日本スキー発祥100周年記念式典」が行なわれ当時の服装をした男女が、当時の滑り方を再現し、献花なども行ったという。

ただ、映画「私をスキーに連れてって」によって空前のスキーブームとなった1987年から20年以上経った。国内のスキー人口はピーク時の3分の1近くまで減り、スキー場の数も約2割減少している。当時のゲレンデの主役は若者だったが、近年はめっきり減り、中高年の姿が目立つようになったという。

私も、空前のスキーブームからずっとスキーを愛好している一人であり、目立つ中高年の一人になってしまった。最近の若者はスキーをやる人も少なく、誘っても集まるのは中高年ばかりだ。若者が少なくなった理由は、けっこうお金がかかるし、遠くまで出かけて帰ってくるのは疲れて面倒くさいという理由が大半のようだ。収入も減って金銭的余裕がないとか、他に面白いことがあり興味が湧いてこないという事も考えられる。

若者たちが、こんな楽しいスポーツから遠ざかってしまっているのは寂しいことだ。私も昔ほど熱心にスキー場に通うことはなくなったが、冬の楽しみとして年に1~2回くらいは今後も続けて行きたい。子育てが一段落した人たちは、金銭的、時間的余裕もありこれからのスキー場の主役になりつつあるといえるだろう。スキーは他のスポーツに比べて体力がいらなく、中高年でも始められる。旅行気分も味わえて、白銀の世界をすべる楽しみは捨てがたい。100周年の今年も、スキーに何度か行く予定だ。

「遠州山辺の道」コースガイドその1

2011-01-12 21:48:31 | マラソン
「遠州山辺の道」のコースガイドを入手したので、早速下見がてら1/3ほどのコースを走って回った。コースガイドはこちらを参照。
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/b6d44b46804ec7c0802f2e8c02530fb9

遠州鉄道の小松駅からスタートするとなると、まずは浜北警察署、運転免許センター方向へ進むことになる。西へ直進し、カルビ一丁とすき屋がある交差点をさらに直進する。道が細くなるところに秋葉山常夜灯と福応寺の看板が見えてくる。


福応寺は臨済宗方広寺派のお寺だ。ここからが「遠州山辺の道」の始まりである。ここからは、車はほとんど通らないいい散歩道となる。北に向かって進むと、内野神明宮が見えてくる。天照皇大神 豊受姫大神 天手力男命 栲幡千千姫命が祀られており、寛永2年(1625)創建といわれている。御神木として樹齢230年という檜がある。


道から少し外れた左側の龍泉院の赤い屋根が見える。さらに直進すると、ニュータウンに上がるコンクリートの急な階段が見えてくるので、そこを上がる。


ここからは、「うちの古墳めぐりコース」となり本ルートから外れた支ルートとなる。せっかくだから古墳めぐりする事とする。先ず最初にあるのが「山の神古墳」である。直径16m、高さ1.8mの円墳だ。名前の由来は、頂上に「山の神」が祭られていたからとの事だ。未発掘なので、被葬者もわからないらしい。推定では、6世紀の後期古墳といわれているそうだ。


次に出会うのは、「稲荷山神社」である。住宅の前を通り抜けるとお稲荷様を祀った神社があり、その奥が「稲荷山古墳」である。稲荷山古墳は、内野古墳群の一員で、直径37m、高さ4.3mの円墳で、5世紀前半に築造されたと推定されている。市内では、3番目に大きい円墳である。


「稲荷山古墳」からコース案内の看板を頼りに進むと、大型ショッピングセンターから上がってきた広い道に出る。その道から左に進むと、「つみいしづか広場」と書かれた案内版が見えてきて、左の道を下がっていく。積石塚とは石で築かれた古墳のことで、たくさんの積石塚がある公園となっている。積石塚は全国的にも数が少なく、県内ではここだけといわれ、国内外の積石塚の類似例などから渡来人の墓ではないかといわれているようだ。


水辺もあって整備された公園を通り抜けると、「赤門上古墳」への案内看板が見えてくる。


このあたりの周遊路にはウッドチップが敷き詰められ、足に優しい道となっている。また近くでは、大きな老人ホームの建設が進んでいる。


案内看板にしたがって市街地を周遊していくと「赤門上古墳」に着く。赤門上古墳は、内野台の舌状にのびる台地の端に築かれた、前方後円墳である。全長は56.3m、高さは4.9mと市内でも最大級の古墳である。古墳の形と副葬品の内容から古墳時代前期(4世紀 約1650年前)に築造された古墳と考えられるそうだ。


うちの古墳めぐりコースは、これで終わりとなり、最初に上がった石段を下り本ルートに戻る。本ルートを北上すると秋葉常夜灯と開墾功記之碑の横を通りぬけ、高架橋の下を進む。


日蓮宗の唯唱山妙蓮寺を通り過ぎると再び秋葉山常夜灯がある。


交差点を横断してさらに直進すると浜北総合体育館前の道路に出る。この先の道路はなくなっているので、右折して最初の交差点から平口の交差点まで直進する。ここから本コースを外れ、用水の手前を左折して万葉の森公園へ向かう坂道を上がる。坂道の上には万葉の森公園の入口があり、中に入ると万葉の時代を思わせる庭園となる。


万葉の森公園は、万葉集に4首収められている浜北ゆかりの歌にちなんで整備された公園で、園内には万葉集で詠われている植物が植えられ、その植物を詠んだ歌が添えられている。


万葉の森公園を散策後、不動寺の境内へと入っていく。最初に見えるのが羽天狗を祀った社である。


不動寺は平口のお不動さんと親しまれており、厄除け身代わり不動やミツバツツジ(ミヤマツツジ)が有名な寺だ。布袋様をはじめ石段の途中右手にある不動稲荷は、別名出世稲荷ともいわれ開運に霊験があるという。また、参道の石段を挟んでの男滝、女滝と竜宮門が緑にはえている。


不動寺の石段を下りると、再び本ルートに合流する。本ルートを北上して行くと、舗装がなくなり、鬱蒼とした竹林の中を進むことになる。


更に進んでいくと、一見道がなくなったように見えるが、ガードレールの切れ間を下りて工場と山の間の人間しか通れない細い道を進むことになる。工場の裏手を進むと小さい石段が上に続いておりそこを上がっていく。舗装道路に出た所が「休兵坂」である。その昔、武田信玄が三方原台地に上がる時、兵を休息させた所と言われている場所である。


「休兵坂」をさらに北進すると「梔池緑地」が見えてくる。付近にグラウンドなどが整備された公園で中央の小島は浜北区の形を示しているらしい。「梔池緑地」からは「野口の辻」に向かうことになるが、今回はここでひとまず帰ることにした。五反田川の橋を渡って浜北西高校方向に戻り家まで走って帰った。


今回は、福応寺バス停から梔池緑地までの本コース5キロと支ルートである「うちの古墳めぐりコース」や万葉の森公園散策を加えた約8.7キロのガイドである。この続きは、近日中に走るつもりであり、その2としてコースガイドを掲載したい。