通り峠を下りると、丸山千枚田の入り口だ。大きな看板には、千枚田の案内図が描かれている。
道を下って千枚田の中に入っていくが、まだ、辺り一面霧に包まれている。
下りるにしたがって、千枚田の一角が姿を現してきた。
千枚田の一角には、丸山神社があり、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が祀られている。この神様は鍛冶の祖、あるいは石の神といわれている。丸山神社にこの神様を祀った理由は明らかではないが、棚田の石垣、熊野古道の石畳、鉱山の発展を考えると、むしろ石工職人が多い土地柄だったことが想像され、千枚田の石垣づくりにその知恵が活かされた可能性が高いという。
次第に霧が晴れてきて、スケールの大きい千枚田が目の前に広がってきた。日本の棚田百選に選ばれた「丸山千枚田」は、1340枚の規模を誇る日本最大級の棚田であり、その景観は日本一と称されている。
約400年前には2240枚の田畑があったという記録が残されているが、平成初期には後継者不足等により530枚まで減少してしまった。平成6年に「丸山千枚田条例」の制定、そして地元住民らの協力により復田作業が行われ、現在は1340枚の規模が維持保存されているそうだ。
今の時期は、稲刈りが終わり何もない状態だが、名探偵コナンの案山子がワンポイントで目立っている。
途中には、テントの休憩所があり、干し柿が吊るされていた。お茶も用意されており、住民や観光客も一息つける場所だ。
さらに下りていくと、野球選手の案山子が見える。近くまで行って見ると、なんとエンジェルスの大谷選手の案山子だった。しかも、その前には“MVP!MVP!”の看板。何とタイムリーな案山子だろう!前日MVPの受賞が発表されたばかりで、もう看板が掲げられていたとは驚きだ。
大谷選手と記念写真を撮る。
千枚田の中央部には、大きな岩(案内板には大岩と書かれている)が鎮座している。とても大きな岩が、転げ落ちることなく、棚田のヘリで止まっている。岩の表面にはコケが生い茂り、相当古さを感じさせられる。どこから来たのだろうか、不思議な大岩だ。
千枚田を抜け、山の中をさらに進んで行く頃には、霧がすっかり晴れ、雲一つない青空が広がっていた。
この後は、舗装道路と熊野古道(本宮道)が何度も交差する。
古道として残っている場所は、分断されて数百mずつしかなく、6か所ほどに分かれていたが、それぞれ古道らしい雰囲気が残っていた。
展望台から、周りの山々を見る。
白い観音菩薩様が見えてきた、手に柄杓を携えた仏さまで、福杓観世音菩薩と呼ぶそうだ。
楊枝橋まで来ると、もう熊野川は目の前だ。時間に余裕があったので、楊枝の渡し跡の先にある楊枝薬師堂まで足を延ばす。
昔、後白河法皇の頭痛平癒のため、京都三十三間堂の棟木として、楊枝の里にあった柳の大木が切り出された。その切り株の上にお堂を建て、柳の枝で彫った薬師仏を祀ったのが起こりと伝えられる。頭痛山平癒寺とも言い、町の文化財に指定されている。
楊枝薬師堂のモミジが見事に色付いていた。
再び楊枝橋まで戻り、熊野川にかかる三和大橋を渡る。
14:10。バスの時間に間に合わせようと最後の10分ほどを真面目に走る。何とかバスの時間ギリギリで日足(ひたり)のバス停に到着する。さいわい、バスの到着が遅れていたので余裕で乗ることが出来た。
日足から請川のバス停まで乗車し、請川からは1.9キロほど歩き、川湯温泉に到着する。川湯温泉は、熊野川支流の大塔川にあり、川原を掘ればたちどころに“My 露天風呂”ができることで全国でも珍しい温泉だ。川底から絶えず湧き出す70度以上の源泉に、熊野川の支流大塔川が混ざり合い、程良い温泉が出来上がる。例年冬(12月~2月)には川を一部せきとめ日本一大きな露天風呂「仙人風呂」がオープンするという。残念ながら、今回は「仙人風呂」に入れなかったが、ホテルの川原の露天風呂で最後の熊野古道の温泉を楽しんだ。
参考1.2日目の高低図&タイム
参考2.2日目のコースマップ
「2021第11回熊野古道ジャーニーマラニック:本宮道&川端街道編3日目(川湯温泉~飛雪の滝~熊野速玉大社)」に続く。
道を下って千枚田の中に入っていくが、まだ、辺り一面霧に包まれている。
下りるにしたがって、千枚田の一角が姿を現してきた。
千枚田の一角には、丸山神社があり、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が祀られている。この神様は鍛冶の祖、あるいは石の神といわれている。丸山神社にこの神様を祀った理由は明らかではないが、棚田の石垣、熊野古道の石畳、鉱山の発展を考えると、むしろ石工職人が多い土地柄だったことが想像され、千枚田の石垣づくりにその知恵が活かされた可能性が高いという。
次第に霧が晴れてきて、スケールの大きい千枚田が目の前に広がってきた。日本の棚田百選に選ばれた「丸山千枚田」は、1340枚の規模を誇る日本最大級の棚田であり、その景観は日本一と称されている。
約400年前には2240枚の田畑があったという記録が残されているが、平成初期には後継者不足等により530枚まで減少してしまった。平成6年に「丸山千枚田条例」の制定、そして地元住民らの協力により復田作業が行われ、現在は1340枚の規模が維持保存されているそうだ。
今の時期は、稲刈りが終わり何もない状態だが、名探偵コナンの案山子がワンポイントで目立っている。
途中には、テントの休憩所があり、干し柿が吊るされていた。お茶も用意されており、住民や観光客も一息つける場所だ。
さらに下りていくと、野球選手の案山子が見える。近くまで行って見ると、なんとエンジェルスの大谷選手の案山子だった。しかも、その前には“MVP!MVP!”の看板。何とタイムリーな案山子だろう!前日MVPの受賞が発表されたばかりで、もう看板が掲げられていたとは驚きだ。
大谷選手と記念写真を撮る。
千枚田の中央部には、大きな岩(案内板には大岩と書かれている)が鎮座している。とても大きな岩が、転げ落ちることなく、棚田のヘリで止まっている。岩の表面にはコケが生い茂り、相当古さを感じさせられる。どこから来たのだろうか、不思議な大岩だ。
千枚田を抜け、山の中をさらに進んで行く頃には、霧がすっかり晴れ、雲一つない青空が広がっていた。
この後は、舗装道路と熊野古道(本宮道)が何度も交差する。
古道として残っている場所は、分断されて数百mずつしかなく、6か所ほどに分かれていたが、それぞれ古道らしい雰囲気が残っていた。
展望台から、周りの山々を見る。
白い観音菩薩様が見えてきた、手に柄杓を携えた仏さまで、福杓観世音菩薩と呼ぶそうだ。
楊枝橋まで来ると、もう熊野川は目の前だ。時間に余裕があったので、楊枝の渡し跡の先にある楊枝薬師堂まで足を延ばす。
昔、後白河法皇の頭痛平癒のため、京都三十三間堂の棟木として、楊枝の里にあった柳の大木が切り出された。その切り株の上にお堂を建て、柳の枝で彫った薬師仏を祀ったのが起こりと伝えられる。頭痛山平癒寺とも言い、町の文化財に指定されている。
楊枝薬師堂のモミジが見事に色付いていた。
再び楊枝橋まで戻り、熊野川にかかる三和大橋を渡る。
14:10。バスの時間に間に合わせようと最後の10分ほどを真面目に走る。何とかバスの時間ギリギリで日足(ひたり)のバス停に到着する。さいわい、バスの到着が遅れていたので余裕で乗ることが出来た。
日足から請川のバス停まで乗車し、請川からは1.9キロほど歩き、川湯温泉に到着する。川湯温泉は、熊野川支流の大塔川にあり、川原を掘ればたちどころに“My 露天風呂”ができることで全国でも珍しい温泉だ。川底から絶えず湧き出す70度以上の源泉に、熊野川の支流大塔川が混ざり合い、程良い温泉が出来上がる。例年冬(12月~2月)には川を一部せきとめ日本一大きな露天風呂「仙人風呂」がオープンするという。残念ながら、今回は「仙人風呂」に入れなかったが、ホテルの川原の露天風呂で最後の熊野古道の温泉を楽しんだ。
参考1.2日目の高低図&タイム
参考2.2日目のコースマップ
「2021第11回熊野古道ジャーニーマラニック:本宮道&川端街道編3日目(川湯温泉~飛雪の滝~熊野速玉大社)」に続く。