とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021第10回熊野古道ジャーニーマラニック:紀伊路編その2-1日目(御坊~印南)

2021-11-08 21:57:50 | 熊野古道
2週続けての紀伊路だ。JR御坊駅で下車する。


御坊駅を出て、前回の終点だった場所に向かう。


途中の道の脇には、宮子姫の大きな像がある。ここは、別名「髪長姫」とも呼ばれた宮子姫の生誕地になるという。


ここで、宮子姫の伝説を紹介しておく。
【宮子姫物語】
九海士の里に住む海女の夫婦のもとに、女の子が生まれ「宮子」と名付けられた。しかし、大きくなっても宮子には髪の毛が生えなかった。あるとき宮子の母が、海の中から小さな観音像を見つけて、毎日お参りをした。すると宮子の髪の毛が生え始めたのだ。その後、長くきれいな黒髪がきっかけで、藤原不比等の養女に迎え入れられ、後に文武天皇の妃となり、聖武天皇の母となった。このことから、宮子姫は「髪長姫」とも呼ばれている。
宮子は黒い長い髪を授けてくれた観音様をお祀りしたいと文武天皇にお願いした。天皇は紀道成に命じて立派なお寺をつくらせた。それがあの道成寺だというのである。

前回のゴール地点である、海士王子に到着する。ここからが、前回の熊野古道の続きだ。


岩内コミュニティセンターの敷地内には、岩内王子(焼芝王子)跡の石柱が立っている。


塩屋王子に到着する。この辺りは古くから製塩が行われていたらしく、塩屋の名前はそこから来ているようだ。


長い石段を登る。


塩屋王子にお詣りしていく。塩屋王子は、別名「美人王子」とも呼ばれているそうだ。何故かというと、主神の天照大神の神像があまりにも美しいことから呼ばれるようになったという。


塩屋郵便局を過ぎ、少し奥に入ったところにある光専寺には、大きな柏槙(ビャクシン)が枝を大きく広げている。和歌山県指定の文化財だ。




小高い丘に上がると、和歌山の海が見えてきた。


朽ち果てたビニールハウスの横には、清姫の草鞋塚の石碑が立っている。清姫が安珍を追って来たとき、そこにあった松の大木に登って安珍の行方を見ると、もう日高川を渡っていた。そこで清姫は草履を脱ぎ捨てて(草履を松の枝に掛けたともいう)、はだしで安珍を追ったという場所だ。既に石碑は傾いており、なんだか物悲しい雰囲気がする。


海岸沿いの国道を進む。


“お首地蔵尊東へ一丁”の道標があり、気になって、お首地蔵尊を見に行く。境内には、ちょうど若い住職と子供たちがいて、地蔵尊の謂れを聞く。


お首地蔵尊は天保10年ごろ、この地に住む百姓が、開墾中に一基の石棺を掘り当てた。その石蓋を開けたところ、底には、生けるが如きミイラ化した古い武士の首が現れた。百姓は、腰も抜かさんばかりに驚いたが、このお首様を丁重に壷に納めて、観音寺の境内にある「柏槇」の木の元に安置した。その後、お首さんを拝む者が皆、首から上の病気が治ったことから、観音寺境内の延命地蔵尊と合祀して、御首地蔵尊としたのだという。


次に向かったのは、仏井戸だ。仏井戸は、地下の水中に三尊の石仏を祀る石組遺構である。石仏は、幅61cm、高さ46cmの一石の中央に阿弥陀如来座像(中央)、地蔵菩薩立像(向かって左側)、観音菩薩立像(向かって右側)の三仏を配置している。普段は、地下水中に没していて、大変珍しいものだ。


井戸の周りは囲われていて、仏様が見えるか覗き込んでみる。


井戸の中は、水が溜まっていて、残念ながら仏様は見えなかった。


清姫の腰掛石。中辺路の真砂の荘から逃げた婚約者の「安珍」を追いかける途中、この石に腰掛けて清姫が休息したのだといわれている。


叶王子は、印南港を見下ろす所にあり、名称に由来して「願いが叶う」といわれている。




印南漁協を過ぎ、国道に出たところが、この日のゴールとなるMARINE-Q。グランピングバーベキューやジェットスキー、シュノーケリングなどを体験できるほか、獲れたての魚介やオリジナルカクテルなどを楽しめるカフェ&バーを完備した複合型マリンリゾートだ。


マリンレジャーを楽しむ時間はなかったが、屋外のウッドデッキで、バーベキューを楽しむ。屋外ながら、炭火を囲んでいるので、思いのほか温かかった。




参考1.1日目の高低図&タイム


参考2.1日目のコースマップ


「2021第10回熊野古道ジャーニーマラニック:紀伊路編その2-2日目(印南~紀伊田辺)」に続く。

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