とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021第9回熊野古道ジャーニーマラニック:紀伊路編その1-2日目(海南~湯浅)

2021-11-03 23:14:31 | 熊野古道
7:50。ホテルを出ると、前日の続きが始まる。


JRの線路を抜けると最初に出てくるのは、祓戸王子だ。古くは熊野一ノ鳥居があった場所と考えられており、聖域に入る直前に身を清める潔斎所であったという。熊野本宮大社のすぐ手前にも同名の王子(祓戸王子)があり、同様の役割を担っている


藤白王子の手前にあったのが、鈴木屋敷だ。熊野信仰を広めた神官の一族である藤白鈴木氏がかつて居住していた屋敷だとされていて、全国で二番目に多い「鈴木」姓の発祥の地とされている。屋敷の前には「曲水園」という、日本庭園があるが、ちょうど改修工事中で中に入ることはできなかった。


藤白神社内にある藤白王子跡。


藤白神社は、熊野参詣道(熊野古道)紀伊路の藤白王子跡として、熊野一の鳥居 (熊野の入り口)と称されている。また、鈴木姓発祥の地として、鈴木に纏わるものがいろいろあり、メンバーの中にいる鈴木さんも大変うれしかったようだ。


藤白神社から熊野古道を南に向かった藤白坂の登り口に悲劇の皇子、有間皇子の墓碑と皇子が詠まれた歌碑がたっている。有間皇子は、皇位継承争いのなか謀反をそそのかされ、藤白坂で絞殺された。この有間皇子の墓碑とならんで、有間皇子が詠んだ歌碑がある。
「家にあれば けに盛る飯を草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(万葉集巻8)


藤白坂から長い峠道を登る。この日最初の峠越えだ。


展望が開けた場所から、風光明媚な和歌浦の海に浮かぶ人工島「和歌山マリーナシティ」が良く見える。


竹林の中を進んで行く。


筆捨松。平安時代の初め、宮廷の絵師・巨勢金岡(こせのかなおか)が熊野権現の化身である童子との絵の書きくらべをして負け、くやしさのあまりもっていた筆を松の根本に捨てたといわれている。


筆捨松の故事にちなんで、初代紀州藩主徳川頼宣公が筆捨松のそばに硯石を作らせたという。大きな硯石だ。


藤代塔下王子跡。険しい山道である藤白坂の急坂を上りつめた峠の地蔵峰寺境内にある。


峠を下ると、橘本王子だ。


みかん発祥の地。橘本神社の近くにある六本樹の丘は、西暦七一年頃、みかんの原種「橘」が我が国に初めて移植された場所と伝えられている。


橋本神社近くにある福勝寺。開基は弘法大師空海で、806~810年開創とされ、1200年を越える歴史由緒のあるお寺だ。このお寺の境内奥にある“裏見の滝”は、高さ20m、幅30mあり、滝の裏側から眺められる。


滝の奥は洞窟になっており、そこには弘法大師彫刻とされる不動明王が鎮座している。


滝の水が、岩に落ちていくところにちょうど日が当たり、虹が出現していた。この日は何かいいことがありそうだ。


滝の手前に杉の大木があるが、昔ここに天狗が棲んでいて、滝に近い本堂の縁側に天狗の手形とされる“窪み”がある。


集落の中まで行くと、ちょうど移動販売のトラックが来ていたので、行動食代わりにはんぺんを1枚買って食べる。


二つめの峠である拝ノ峠から少し下ると、蕪坂塔下王子だ。


蕪坂塔下王子から少し下ったところにあるのが、太刀の宮だ。江戸初期に、真田幸村に招かれて大坂夏の陣に参加した宮崎定直が、淀君の思し召しが良くなく、この地に戻ってきた。疲労のあまりに寝入っていた定直を追手が襲うと、腰の太刀が自然と抜け出し大勢の相手を切り倒したという伝説がある。真っ二つに折れていた太刀を祀った祠がここで、以後、木刀を奉納する習慣が残っているそうだ。


爪かき地蔵。お堂の中に幅4メートルほどの大岩があり、弘法大師が熊野へ参詣する際に生爪で彫り付けたと伝えられる阿弥陀如来と地蔵菩薩像が線彫りされている。


阿弥陀如来と地蔵菩薩像がどれなのかよくわからないが、何やら描かれているのはわかる。


山口王子跡。


その後、山口王子社跡広場でランチ休憩する。


有田川の宮原橋を渡る。


宮原橋からしばらく進むと、得生寺がある。藤原豊成の娘「中将姫」ゆかりの寺院だ。姫の従臣伊藤春時(剃髪して得生)が創設した草庵が寺となり、安養院と号したのが始めといわれる。毎年5月14日には、「中将姫会式」が行われ、5歳から12歳までの25人が菩薩の面をつけ、袈裟や緋の衣をつけて25菩薩になって開山堂から本堂へ練り歩くそうだ。


逆川王子。湯浅湾に流れ込む山田川の支流のひとつで王子の近くを流れる逆川は、郡内の他の川が西に向かって流れるのに、この川だけが東に向かって流れることから逆川の名が付き、後に周辺の地名ともなったという。


ここから山田川沿いに進み、湯浅駅までには向かわず、湯浅町の宿に向かう。2日目のゴールは湯浅町だ。走行距離は約20キロで、日没までには、まだ2時間ほどあり湯浅の町並みを散策する。

参考1.2日目の高低図&タイム


参考2.2日目のコースマップ


「2021第9回熊野古道ジャーニーマラニック:紀伊路編その1-2日目(湯浅町並み散策)」に続く。

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