とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021第2回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その3&中辺路編その1-1日目

2021-02-15 18:15:43 | 熊野古道
昨年、第1回目の熊野古道ジャーニーマラニックに行って以来、しばらく行ける状況ではなかったが、先週末久しぶりに第2回目の熊野古道に行ってきた。第2回目は、伊勢路編その2を飛ばして、伊勢路編その3&中辺路編その1のコースになる。

今回は、名古屋駅から南紀方面に向かう高速バスで行く事にした。現在、6便が運行停止になっているが、我々が乗りたい時間の便だけは運行していたので、ちょうど使い勝手が良かった。面倒な乗り換えもなく、一旦乗ってしまえば、目的地まで安心して運んでくれるので楽ちんだった。12時前、予定していた阿田和駅前で下車する。


阿田和駅前にあるパーク七里御浜で休憩した後、スタートの準備をする。


12:09。阿田和からスタートする。


阿田和橋を渡る。


新宮まであと10キロほどだ。


岸沿いの林の中には、江戸時代に熊野三山参拝の途中に命を失くした六部の墓がある。


突然、道の真ん中に、大きな岩が現れた。


横手延命地蔵。文政10年(1827年)に建立。病気平癒のご利益があるとして信仰され、地蔵前に湧き出る水は、霊水と伝えられているそうだが、あいにく霊水は枯れていた。


粥森様。バイパスの広い道が、粥森様の小高い丘を迂回するように続いている。


粥森様から少し先に目を向けると、梅の花が見事に咲いていたので、近くまで見物に行く。


民家の敷地内だったが、きれいだったので、写真を撮らせてもらう。


14:15。熊野大橋を渡り、和歌山県に入る。


熊野大橋を渡りきると、すぐに熊野速玉大社だ。


参道を歩き、神殿に向かう。


熊野速玉大社は熊野三山の一つで、いざなぎの命といざなみの命を主神としている。神代の昔、近くの「神倉神社」に熊野大権現が降臨され祀られていたのを、この地に新宮を建てて祀ったと言われており、神倉神社を古宮(旧宮)、速玉大社を新宮と言う。新宮の地名もここから来たらしい。


熊野速玉大社を参拝したあと、時間が十分あるので、熊野速玉大社の飛地境内に鎮座する神倉神社に向かう。神倉神社は日本書紀の中で神武天皇が熊野に到着後に登ったという天磐盾(アメノイワタテ)として伝えられている断崖絶壁の岩上に鎮座している神社だ。


神倉神社に向かう石段は、四つん這いになって登る人もいるほど急勾配である。入り口には、こんな注意書きが書かれ、足腰が弱い人にはとても登れない石段だ。


ここから石段がスタートする。


上を見ている余裕はなく、ひたすら足下だけを見て登っていく。


神社手前の広場からは、新宮市内が一望できる。


鎌倉時代に源頼朝が寄進したと伝えられる538段の急な石段を登り詰めると姿を現すのが、社殿と御神体のゴトビキ岩である。このゴトビキ岩は熊野権現が最初に降臨したと伝わる巨大岩で熊野信仰の根本ともいうべきものである。


神倉神社を参拝したあと、再び石段を下っていくのだが、これがまた大変だ。上りよりもさらに下りの方が怖い。雨で石が濡れているので、ちょっとでも滑ったら大怪我をしそうである。


最後の鳥居が見えてきた時はホッとした。毎年2月6日夜に行われる神倉神社の例祭「お燈まつり」では、約2000人の「上り子(あがりこ)」と呼ばれる白装束の男たちが急勾配の石段を火のついた松明を持って駈け降りるという。一番早い人は、1分もかからず降りてしまうと言うから驚きだ。


ホテルに向かう途中、「浮島の森」にも寄っていく。市街地の住宅街にこつ然と現れる不思議な森だ。正式名称は「新宮藺沢(いのさわ)-浮島植物群落」と呼び、泥炭でできた面積約5,000㎡の島全体が沼の上に浮かび、寒暖両性の植物の混成群落がある。


入園料を払い、島の中の遊歩道を散策する。


この森は沼地に囲まれているのではなく、沼地の上に浮いていて、今でも常に移動しているそうだ。


どこが穴かはよくわからないが、蛇の穴(じゃのがま)と呼ばれる場所。この穴にはある恐ろしい伝説が隠されているそうだ。
「昔、おいのと言う近所でも評判の美女がこの辺りに住んでいました。おいのは父親と浮島の森に薪取りに来ていました。休憩中にお弁当を食べようとしたのですが、箸を忘れてしまったことに気づきます。島の中で枝を折ってきて箸にしようと考えたおいのは、森の中に入っていきました。しかし、いつまで経ってもおいのは戻ってきません。怪しんだ父親は森に様子を見に行きます。するとそこには大蛇がいて、おいのを今にも飲みこもうとしていました。父親が助けようとしましたが間に合わず、おいのを飲みこんだ大蛇は沼の中に姿を消しました。」


浮島の森入り口の“おいのと蛇”の像の前で記念撮影。


16時頃、この日の宿に到着して1日目のマラニック(伊勢路編その3)が終了した。

参考1.1日目のコースマップ


参考2.1日目の高低図&コースタイム


「2021第2回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その3&中辺路編その1-2日目」に続く。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。