とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2015奈良観光&葛城山トレッキング:明日香村編

2015-01-26 20:44:52 | 観光
奈良県の葛城山へ夜立ち日帰りで登る計画をしていたが、前の日の夜、若草山の山焼きがあるという事をイノさんのメールで知り、急遽前日の朝から奈良に出かけることになった。奈良県といえば、東大寺や興福寺などで有名なお寺があるが、そういったところはほとんどの人がいった事があり、行ったことがなくて面白そうな場所ということでいろいろ考えて、謎の古代遺跡が多くみられる明日香村をメインに行ってみる事にした。行くにあたっては、奈良の歴史や遺跡に詳しいくーかいさんの話も大いに参考になった。

まずは、現地の情報を調べようという事で、明日香村にある飛鳥資料館に寄って、パンフレットやお勧めの場所を教えてもらう。明日香村は、奈良県の中央部に位置する村で、中央集権律令国家の誕生の地である事から飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘され、「日本の心の故郷」とも紹介されている。

飛鳥資料館の庭には、数多くの謎の石像や石造物が展示されている。いずれも、レプリカで本物ではないが、明日香村の各所にある石像などを一か所に集めてあり、村の中を回るにあたってどんなものがあるか知ることができて参考になった。

出水酒船石のレプリカ。酒船石遺跡の酒船石とは別だが、水を流したような溝などがあり同じく酒船石と名付けられている。これは、資料館で見ただけで良しとした。




須弥山石。須弥山とは仏教の世界観で世界の中心に存在する山のこと。須弥山石は、中をくり抜いた円柱状の石を3つ積み重ねた石造遺物である。高さは3段で2.3mだが、2段目と3段目の石が構造上つながらないため、元は別の石がもう一つあったと考えられていて、資料館の庭に展示されているレプリカは4段で復元したものだという。


猿石。欽明天皇陵隣の吉備姫王墓内に猿石と呼ばれる不気味な4体の石像が置かれている。名前に猿とあるが、実際は猿を彫ったものではない。これらの像が異様なのは、その形相のみならず、背面にもまた別の面妖な像が掘られていることだ。実物は陵墓の鉄柵内にあるため表しか見られないが、飛鳥資料館のレプリカで背面の像を確認できる。


石人像。杯を口にした男に背後から抱きつく女という異様な石人像である。驚くべきは、この像が噴水施設であり、内部には水を通す孔が開けられていて、底から入った水が、男の杯と女の口から吹き出す仕組みになっているそうだ。本当に不可思議な石像である。


亀石。巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られていることからこの名前で呼ばれていて、明日香村観光のシンボルになっている。これは、あとで本物を見に行くことにした。


飛鳥資料館で、一通りの情報を仕入れ、最初に向かったのが飛鳥寺だ。この寺は、596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺である。現在は、田園地帯の中にひっそりと建っているが、発掘調査によると、東西200m、南北300m、金堂と回廊がめぐらされた大寺院であったという。




本堂の中に祀られているのが、本尊の飛鳥大仏である。606年に推古天皇が中国渡来した鞍作止利仏師に造らせた仏像で、東大寺の大仏よりも150年も古く。日本最古の仏像になるそうだ。


次に向かったのが酒船石遺跡だ。砂岩でできた湧水設備とそれに続く形で小判形石造物と亀形石造物が繋がっている。これら2つは水槽になっており水を溜めたと推定されている。周りには石を並べた溝や石段があり、全体を囲むように石垣や石敷がある。水が亀の頭から尻尾へ流れるようになっているユニークな石造物である。ボランティアで解説してくれる人がいて、いろいろ説明してくれたが、何のためにこのような施設が作られたのかは判っていないそうだ。




酒船石遺跡から、少し坂を登り竹林の間を歩いていくと、酒船石がある。


酒船石は、長さは5m、幅2.3m、厚さ1mの花崗岩でできている。宇宙人のメッセージを思わせるような模様が特徴で、昔お酒を搾るのに使ったとか、薬を使うのに使ったとか色々な説があるようだが、実際の所は謎である。酒船石遺跡の亀型石造物との関連もありそうだが、実際のところ関連があるのかもわかっていないようだ。




次に向かったのが、石舞台古墳だ。日本最大級の横穴式石室を持つ飛鳥を代表する古墳のひとつである。築造は7世紀の初め頃と推定され、元々は1辺約55メートルの方墳だったとされているが、早い時期に古墳上部の盛土が失われ、現在は巨大な石室が露出した姿となっていて、その形状から『石舞台』と呼ばれるようになったと言われているそうだ。






下に回ってみると、石棺を納めた横穴式石室があり、その空間は驚くほど大きい。その大きさから、相当な権力を持った人物の古墳であることは間違いなく、6世紀後半にこの地で政権を握っていたという蘇我馬子の可能性が高いと言われている。それにしても、これだけの巨大な石を、どんなふうに積み上げ加工することが出来たのか想像もつかない。古代人の技術を考えるだけでロマンが掻き立てられそうだ。




石舞台古墳を見たあと、近くのレストランで万葉時代に因んだ弁当で昼食とする。まだまだ、見たいところが目白押しであるが、夜の予定を考えると回れるのは、残り数か所くらいしかない。明日香観光のシンボルともいえる亀石を外すことはできないので、急いで見に行く。長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られている。顔は、亀というよりカエルに似ている。亀石は、以前は北を向き、次に東を向いたと言う。そして、今は南西を向いているが、西に向き、当麻のほうを睨みつけると、奈良盆地は一円泥の海と化すと伝えられているそうだ。


次に寄ったのが、天武・持統天皇陵だ。奈良盆地一帯で、こんもり盛り上がった場所は、ほとんど古墳ばかりのような気がする。


古墳の内部には入ることが出来ず、柵で囲われている。宮内庁の立入禁止の立札も見える。




そして、最後に寄ったのが高松塚古墳だ。有名な壁画を見られるといいなと思っていたら、幸運なことに古墳壁画修理作業室の公開日に当たっていて、当日受付で見ることが出来た。現在、高松塚古墳で発掘された石棺は、解体され修理作業室に置かれている。壁画にカビが発生したことにより、10年かけて修理を行っている状況であり、何時でも見られる訳ではない。今回は、10分ほどのレクチャーを受け、ガードマンの監視のもと、ガラス越しに壁画の女子群像や男子群像などの壁画を見る。カビが発生してから、細かい修理作業の末、かなりきれいな状態に戻ってきたそうだ。色鮮やかによみがえってきた女子群像の壁画を見られて大いに感激した。今回の明日香村観光では、最大の目玉であったといえる。


国宝を見られて大いに気を良くしたところで、飛鳥時代の衣装を着させてもらってカンバッジを作ってくれるというサービスがあり、石舞台古墳の写真をバックに写真を撮ってもらう。


撮った写真は、カンバッジに張り付けられ明日香村観光のいい記念になった。

そうこうしている間に、大分時間が過ぎてしまった。まだまだ見たい場所が目白押しであったが、夜は若草山の山焼きを見に行く予定があり、明日香村からひとまず大和郡山のビジネスホテルに向かった。大和郡山でイノさんたちと落ち合う予定だ。それにしても、明日香村は興味深い場所だ。もっと時間を設けてゆっくり見てみたい場所だった。

「2015奈良観光&葛城山トレッキング:若草山山焼き編その1」に続く。