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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

山のガッコは寒い・・・

2024-03-16 07:45:23 | 仕事

 

きのうは
山の学校の
今年度最後の
「臨時」勤務日だった。

前々日に降った雪は
晴天の温もりで
溶け始めており、
グランドの上は
一面のシャーベットになっていた。

 



*

カウンセリング室も
入室したら7℃ほどだったが、
ストーヴをつけたら
徐々に温まった。

 



*

前日の震度5の影響で、
写真立てや
ヌイグルミが倒れていた。

 



*

2時間の臨時勤務だったので、
給食はなく、
麓の道の駅まで降りて、
「ジンギスカン定食」で
昼食にした。

 



*

売店では、
地元の朝採りの苺があったので、
デザートに購入した。



*

ついでに、
土日用の燻製卵と
バウムクーヘンも購入。



*

帰路、ブックオフに寄って、
『三国志』と『江戸前の旬』の
100円本をいくつか買った。

苺とバウムクーヘンを
三時のおやつになりながら
マンガを読んでいたら、
眠たくなって夕方まで
寝てしまった(笑)。

ま、なんだかんだで
バイト並みに働いたから
よしとするか・・・と、
ご自愛タイムだった(笑)。


花寄せ

2024-03-15 09:00:46 | 室礼改め

昨晩は
寝入って熟睡中の
0時15分に
凄まじい地鳴りと共に
かなり大き目な余震に
目を覚まされた。

けっこうな揺れだったので、
すぐさま足元のテレビをつけてみたら、
「震度4」とあり
勤務校のK中あたりは「震度5」とあった。

来週の月曜に
最終勤務日になるが、
箱庭療法の遊具などが
床に落ちて壊れていないといいな
と懸念された。

それと、4階のカウンセリング室での
執務中でなくて、幸いした。

いつか、大余震が来たら・・・と、
常々、シミュレーションはしているが、
4階で揺れが増幅することも考えられ、
震度5以上だったら、
床に「大の字」で腹ばいになろうと
考えている。

一昨年には「震度6」
その前年は「震度5」
の余震があり、
去年も同程度のものを覚悟していたが、
とうとうなく、久しぶりに
昨晩の「震度4」がやや大きめだった。

それでも、3.11来、
何千回という余震を体験しているので、
あの日の「震度6」の3分間や
当日「震度5」規模の余震が
二百回以上あった恐怖に比べれば
ずいぶんと耐性ができている。

ただ、きのう、
カウンセリングをやったばかりの
「地震恐怖症」のJCは
先日の「震度2」でも
恐怖・心悸亢進・冷や汗・振るえが
1時間ほど治まらなかったという。

なので、ゆんべの余震では
そうとうに肝を潰したことだろう。

来週の面接で、
場合によっては、
パニック障害用の
トランキライザーの頓服を
ドクターに処方してもらうように
リファーが必要かもしれない。

 



*

3年生を担任していた
カミさんが
卒業式で花束を沢山もらってきたので、
家じゅうの花入れを総動員して、
玄関室礼に「花寄せ」をした。

6年間の
『復興支援リサイタル』を
やっていた頃は、
閉演後にはいつも
こんな感じになっていた。

今現在、花粉症もピークで
目が痒いばかりでなく、
全身の倦怠感や眠気があり、
毎日、ロラタジンを服用している。

***

きのうのベントには
珍しく、前夜の菜の残りで
小肌の酢〆をバーナーで炙って
おかずの一品とした。

 



*

きょうは、
山の学校の
最終勤務日である。

おそらく、まだ、
おとついの積雪が
溶けずにあるだろう。

 



*

真福寺前の
お地蔵様も
すっぽり雪をかぶっておられて、
『笠地蔵』の爺様のように
蓑笠でもかぶらせてあげたい
ような心境になった。

***

 


山のガッコの卒業式

2024-03-14 08:49:06 | 仕事

きのうは
山の学校の卒業式に
参列してきた。

全校生6名のうち
卒業生は二人だけだが、
三年間にわたり
カウンセリングをやってきたので、
教え子同様に愛着がある。



13歳から15歳までの
成長・発達は著しいものがあり、
我が家のダンゴ三兄弟よりも
カウンセリングをやってきた
子たちの方がその変化が
よく解った。



*

市内は晴天で
いい卒業式日和だと
スーツ姿で家を出たが、
山間部に入ると
道路に雪が積もっていて
驚いた。

訊けば、朝方に
ドッサリ降ったという。

幸い国道は
除雪されていたが、
学校への長いアプローチには
轍ができていた。



*

体育館は
さぞかし寒かろうと思い、
スーツの下には
スキー用のアンダーパンツと
ニットのベストを着こんで赴いたが、
先生方が気を遣ってくだすって、
体育館に設置されたストーヴの前に
席を取っておいて頂いていた。

おかげで、
大分と助かったが、
それでも、職員室に引き上げてから
やや風邪を引いたような
軽い体調不良感が起こった。

1時間の間、
不動の姿勢を保っていたのも
血液の循環を悪くしたのかもしれない。

 



式中、教育長代理やら
町長代理やら・・・と、
延々と祝辞が続いたので、
その間には、下を向いて、
馴染みのない校歌の譜面の
アナリーゼをして過ごしていた(笑)。



*

毎年、麓にある
お蕎麦屋さんからは
お祝いの「おはぎ」が届き、
これを楽しみにしている(笑)。

来賓者からも
菓子折りが届いたりして
各先生方に分配された。



*

卒業生からは
「お礼」のメッセージカードが届き、
家庭科の時間に作っていた
手作りチョコも添えられていた。



こういうものが、
自分が為した三年間の奉職への
真っ当な報酬と思い
有難く頂いた。



*

全校生が退校してから、
ランチルームで
職員全員で
打ち上げの食事会となった。

普段は300円の給食だが、
この日ばかりは
麓のスーパーの
1200円の特性弁当だった(笑)。

それに、
職員クラブからの差し入れの
ケーキやイチゴが付いていた。

誰もが、
口々に卒業生の成長ぶりを寿ぎ、
一大イベントを無事終えた安堵感に
嬉々とした和やかな会食となった。

*

帰路、夕飯の買い物をして
3時前には帰宅したが、
フルコーデのスーツを脱いだら
ドッと疲れが出て、
部屋着に着替えてベッドに横になったら
そのまんま爆睡してしまった。

毎年、黒づくめの式服の中で、
自分ひとりだけ、
「色物」役として
カラフルないでたちで出席している。

女性教員もカラフルな袴を
着なくなって、黒一色なので、
「寿ぎの会」でもある卒業式くらいは
色物で攻めている。

きのうのコンセプトは
「早春の野」で・・・

スーツは若草色、
桜をイメージした薄ピンクの
ドレスシャツに
クロッカスのような黄色タイ。

澄んだブルースカイのような
ニット・ベスト、
ポケットチーフは優しげな紫、
ドレスウォッチは濃い桜色。

カフリンクスは
ウェッジウッドの
青色ジャスパーウェア、
ラペルピンに「雪兎」のマスコット
「モモリン」・・・
というフルコーデであった。

一見、取っ散らかったような
色だくさんだが、
淡いグリーンをベースに
野原に咲く花の色に寄せて、
青空までコーデしているので
自然色として収まっていた。

お洒落に敏感な
女性の方々には
さすがに目に留まったようで、
早春の「寿ぎ」ファッションを
喜んで下さっていた。

装いで
「寿ぎ」や「季節」をも
表現できるから
普段から「着道楽」は
勉強しておくものである。




 

 

 


ちちははも子どもと共に生まれたり

2024-03-13 08:39:23 | 藤井 聡太

 

きのうは
午前中に自宅カウンセリングがあり、
来談したJKの母親に、
久しぶりに、碧水先生の歌を
書いて説明した。

 ちちははも
  子どもと共に生まれたり
   育たねばならぬ
    子もちちははも

娘さんが
来月からオーストラリアに10ケ月の
ホームステイに行くというので、
不安を抱えていらしたが、
まさに、
【可愛い子には旅をさせろ】
という心境になられたらしい。

「育児」は「育自」
「先ず生きている」のが「先生」
なぞという
講演会でもよくする話をも
聴いて頂き、理解されていたようだった。

**

午後には
ヤフオクで落札した
プリンターが届いた。

明日の職場に搬入して、
機能不全になった旧機と
入れ替えて
仕事に支障なきように
するつもりである。

もう一台、
未使用品を家の仕事用にも
落札したので、今日にも
届きそうである。

*

ゆんべは
夕食当番だったので、
ガスパッチョ、
ムール貝のクリーム煮、
パテ・ド・カンパーニュ、
タコのカルパッチョなぞを作った。

 


ボルドー・ブランに合わせて
伊仏西のチャンポン・ディナーになった。

*

日曜に行われた
NHK杯の準決勝で
「八冠」のソーちゃんが
「永世七冠」のハブちゃんに
勝利した。

今度の日曜に
昨年に続いて再びの
ユーキ八段との決勝となった。

昨年度は
早指し公式戦4つを
すべて優勝して
グランドスラムを達成したが、
今年度はそのうちの
2つのトーナメントで
すでに敗退している。

瞬間風速とはいえ、
「八冠」+「四冠」という
全冠制覇というのは
棋界史にはなく、
今後もないだろう。

*

そんな、天才棋士も
趣味の鉄道になると
まるで幼児のように
満面の笑顔になるから
まだまだあどけなさが残る
21歳である。

大学生ならば3年生だから、
まだ、社会人ですらない。







 

 


能登「11」東日本「22222」の天啓と瑞祥

2024-03-12 10:00:40 | 大震災/コロナ禍

震災から13年目の昨日。

幸いにして
体調もよく
いつもどおりの勤務に就けた。

数年前までは、
この日になると
やや心身の不調が起こり
軽いフラッシュバック性の
「記念日反応」になっていた。

きのうも
職場での「黙とう」を
忘れないようにと、
黒板に「2時46分」と
板書しておいた。



不思議な事に、
この時間帯だけ
予約生徒がキャンセルになり、
一緒にやろうと思っていたが、
ひとりだけでスマホのTV中継に
合わせて合掌した。

多くの人々が海に向かって
手を合わせる姿を見、
孫を亡くしたという老爺の言葉に
胸が詰まり思わず涙が浮かんだ。

きのう現在で、
関連死を含めて
2万2222人という
「2」並びの数字を見て、
どんな象意・ご神意があるのだろう・・・と、
怪訝に感じた。

それは、
能登の震災が元旦正月の
1月1日に起こった・・・
ということに
不穏な気分を抱いたことと
繋がりがあるのか・・・とも。

試しに「ゾロ目」で
ググッてみたら、
スピリチュアルな解釈として
「啓示的意味」と
「瑞祥的意味」があるという。

特に、「1・1」は
エンジェルナンバーとも言うそうで
強烈なメッセージ性があるようだ。

まして、
「22222」は
揃い過ぎている。

これらに気付いて
それを意識化できた個人は
スピリチュアルのレベルが高まっていて
魂理学的に言えば
「神性」に近づいているらしい。

世界情勢分析や
人類史的転換について言及している
アナリストや学識者たちは、
震災・戦火・パンデミック・腐敗政治・・・
と、目を覆いたくなるような現状だが、
これらは全て、ここから
オセロのように一転して
「黒」が「白」にひっくり返る布置だ
と一様に述べている。

とすれば、
その吉兆の天啓が
「ぞろ目」に現れている。

ご神慮を垣間見せてくだすっている
という事なのだろうか。



**

3.11当日、
家の中が散乱したが、
お気に入りの亡父愛用の姿見が
転倒して鏡が粉々に粉砕した。

木枠を大型ゴミに出そうと
片付けていたが、
見ようによっては
縦でも、横でも、
大枠の額縁に転用できるかな・・・と、
放擲を思いとどまった。

そして、
数年前にやっと
鏡の下の木板に方形枠を図り、
そこに王義之の書いたと言われる
『般若心経』を臨書してみた。



単に墨書となると
やや抹香臭くなるので、
松煙墨・油煙墨の古墨と
顔彩を交互に使って
色彩書に仕立ててみた。

無論、そこには
震災の多くの犠牲者たちが
幽世(かくりよ)で
御霊様(みたまさま)として
幸せに暮らせていますように・・・
という願いを込めた。



*

きのうも
勤務の昼休に
「手作りベント」を
有難くも勿体ない気持ちで
頂いた。

戦地のガザでは
無辜の民たちが
飢餓の状態に陥っているという。

それでも、戦争をやめない
ネタニヤフらシオニスト政権は
ヒトラーを批判する資格なぞない。

聖書にある
最終戦争「ハルマゲドン」とは
人類が滅びるか、
はたまた、それが最後の戦争となり
以後、恒久の平和が続くか・・・
というダブル・ミーニングが
あるのやもしれない。

 



*

3.11の時、
半年近く、
新幹線も止まり、
高速道路も閉鎖となった。

原発爆発で
放射能汚染死を覚悟したが、
5万もの県民は県外に脱出した。

ガソリンも、水も、電気も
ストップして、食糧危機さえ
懸念される、まさに
「命懸け」の毎日だった。

そんな中に、
遠く赤穂の地から
わざわざボストンバッグ満載の
20㎏近い食料を携えて、
不便な交通を乗り継いで
支援に来て下すった方がおられた。

元同僚で元ギター弟子Oさんの
元自衛官の御主人である。

避難中の
「福島」ナンバーの車が
各地で投石されたり、
入地を断られたりと、
まるで「現代の穢多」が
復活したような
差別的扱いを受ける中、
関西から支援に来て下さったのだから、
その使命感と高貴な精神には
尊崇以外のなにものもなかった。

その「英雄的行為」に
会ってもいない叔母なぞは
「ありがたいねぇ・・・」
と涙を流して感謝していた。

あれから、
13年経っても、
毎年のように「3.11」には
支援物資の名のもとに、
様々なご当地の銘品を
送り続けて下さっているから、
感謝のしようがない。

なので、
蓋然性の高い
西日本大震災が発生の際には、
命懸けで「恩返し」をしなければ、
と老境になっても
その気概を保っている。