『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

震災短編『太平洋ひとり』2

2022-10-26 08:13:22 | 創作

 家舟の流される速度は、ちょうど全速力で漕いだ自転車ぐらいの速さだろうか。
 家全体がひとつの箱舟のように、ゆらゆらと揺れながら濁流の海水に乗ってどんどんと上流へと流されていった。
  

 里奈の部屋は、さながら嵐の海を渡る船室のように大きく前後左右に揺らめいていたが、震度6強が三分も続いたファースト・インパクトで、もはや何ひとつ落ちる物はなかった。
 一階の天井に空気溜まりがあるのか、家はけっこう安定感を保ちながら箱舟の用を為していた。

「里奈、だいじょうぶかいッ?」
 母親は途切れることなくずっと娘の安否を問いつづけた。
「うん…。まだ、部屋まで水入ってこないよぉ…。
 あぁッ…」
「どうしたのッ?」
 動悸が高鳴り続けていた母親だったが、さらに一瞬ドキリとした。
「学校が見えた…」
 それは里奈の卒業した小学校の体育館の屋根であった。
(そんな所まで、もう…)
 母親は、娘が制御不能の箱舟によって何処まで運ばれるのか、今にも狂いそうになる思いで胸が塞がった。
 

 高台から見下ろす土色に濁った海流の勢いは、まったくもって治まらなかった。
 もはや押し流されるべく沿岸の構造物は尽きたとみえ、広大な海そのものが押し寄せてきて、凄まじい勢いで街々を呑み込んでいった。
 娘の姿は見えずとも、その息遣いと哀れな声は、耳もとのケータイから轟音に紛れてまだ母親に届いていた。
(里奈ぁ…。
どうぞお助けください)
 と、母親はふだん祈った事のない神仏にすがった。
(お父さん。助けて…)
 と、去年亡くなった里奈の祖父にも祈った。
 
 家舟は数キロも上流に流された。
 そして、行き着くところまで行くと、次第に流れは淀み、半径数十メートルの巨大な渦をあちこちに生じさせ、ゆったりと流れを逆転させた。
 いよいよ川下りのように、下流に向かって家舟は進路を反転した。
 流された多くの家々と共に…。

「お母さん。今度はまたそっちに流れ出したよう…」
(どうなっちゃうの、これから…)
 とまでは言葉にならなかった。
 家舟の梁がギシギシと大きな呻き声をあげた。
 津波の渦によって捻られ、構造にストレスがかかったのだろう。
 それはまるで、家自体も
(もうだめ…)
 と悲鳴を上げているかのようであった。

 初めはゆったりした反転速度だったが、それは徐々に速度を上げ、次第に加速度がついて、押し流された速さを上回るほどの激流に化しつつあった。
 

 里奈は、海岸の砂浜で、足元を返す波に足を取られて倒れた幼い日のことを想い出した。
 浜辺のたった数十センチの波でも、幼い子ぐらいは転倒させる運動量があることを経験者なら誰でも知っているだろう。
 この津波の高さはどうだろう。
 小学校の体育館が水没しかかっている。裕に15mはあるのだろう。
 コンクリートの防潮堤が紙細工のごとく押し流されたのだから、その破壊力の凄まじさは計算も及ばない。
 それにもまして浮力の凄さである。家一軒を基礎から浮かせてしまうのだから…。
 それでも、まだ、バラバラに解体し散乱してしまった家はこの時間帯にはなかった。
 しかし、どの家々もそうとうなストレスで疲弊していた。
 何より海水に浸った建材は、刻一刻とその強度を脆弱化させているはずであった。
 それでも、里奈の家舟は新築だったこともあり、まだ十分に舟としての機能を果たしていた。

「お母さん。こわいよぉーッ… これから、どこに行くの、これ…」
 その問いにだけは、母親もさすがに応えかねて…
「だいじょーぶ。
 ぜったい、助けが来るから…」
 と勇気づけるよりなかった。
 

 津波の返りは、さらに加速し、やがて渓谷の激流なみのトップスピードになって飛沫(しぶき)さえ立てはじめた。

(こわいッ…) 

 里奈は、そのスピード感と、家舟全体の揺れ、そして、辺りに響き渡る轟音とに圧倒されて、胸内苦悶と過呼吸の症状に陥った。
「苦しい…。お母さん。苦しいよぉ…」
 娘は泣いた。怖がっており、苦しがっている。
 手が届くものなら、この腕に抱きしめてやりたかった。
 母親も涙した。

「里奈ぁ。がんばるのよーッ!
 もうすぐ助けが行くからねッ!」
 それは母親の願いではあったが、それを保障するものは、今、何ひとつなかった。
 今この荒れ狂う自然の猛威のなかで、誰がどう救助できるというのだろう。           
 現実には、母親の願いは祈りに過ぎなかった。それでも、母親は信じた。我が子が奇跡的に生還するであろうことを…。

 高台では、見知らぬ人どうしがひと処に寄り合って、眼下の大惨事に、悲鳴とも絶叫ともつかない嘆きの声を誰もが上げていた。
「何なんだこれ…」を繰り返してばかりいる青年。
「何が防潮堤だぁーッ!」とやり場のない怒りを吐いている初老の男。
「カナエーッ! かなえーっ!」
 と濁流に向かって叫び続ける父親。
「なんまいだぶ、なんまいだぶつ…」とお経を唱える老婆。
「里奈ぁーッ!」とケータイに向かって呼びかけ続ける母親。
 それはまさに、阿鼻叫喚の地獄絵図のようであった。  

 

        

 

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カテゴリーを増やす

2022-10-26 08:07:11 | 

非常勤なので、
月の第五週目は休みになり、
またまた「私的五連休」である。

還暦過ぎの
半隠遁者なので、
仕事とオフが
ちょうど「5:5」くらいで
バランスがいいかもしれない。

幼い頃から、
お絵描き、マンガ、プラモ、
ギター、昆虫採集、天体観測…と、
すでに多趣味化してたので、
後年、どんどん増えて、
テニス、鉄道模型、ピアノ…と、
そのレンジ(幅)は
拡がる一方だった。

なので、
自戒的に
【多芸は無芸】
という警句を
時折、胸に刻んでいる。

幼少期に重症の喘息児で、
「この子はハタチまで生きられない」
と、親に宣告されたらしく、
(後年、それを聞かされた)
本能的に短命を察知していたのか、
ならば、生きてるうちに
人の十倍体験してやろう…
という気概になったのかもしれない。

幸いにして、
「小児喘息」として完治してくれたので、
どうにか、この歳まで
生き永らえることができ、
息子三人と孫一人にも恵まれた。

そして、
いよいよ前期高齢者入りする歳に
なろうとしているが、
そうなると、また、
残り少ない時間を
もっと沢山の事を体験してみたい
という、かの欲求が
沸き起こってきた(笑)。

 

グー・ブログの
「カテゴリー欄」に、
まだ、増やせる余地があるので、
この「0」という箇所に
「新たな」項目を付け加えられれば、
とアタマをひねって考えている。

インクのシミを見て
何に見えるか…という
心理テストの
『ロールシャッハ検査』では、
反応のカテゴリー(幅)が広いほど
活動力があり、少な過ぎるのは、
抑うつ状態や低知能を示す。

正常成人の平均は10前後だが、
精神疾患ではそれよりも
いくらか反応数が落ちる。

多過ぎるのは、
外界からの刺激を
適切に統制できなかったり、
注意の集中を欠く、
というケースがある。

*

この「私的五連休」中には
金・土と、ソーちゃんの竜王戦
「第三局」があり、
また、土曜日は
全校生8名の僻地校Y中の
文化祭があるので、
全員がカウンセリング対象なので
その発表を見てこようと思う。

土曜の晩には、
自宅カウンセリングもある。

注文楽器の製作も進め、
『リュートマラソン』の
録画もするつもりである。

 

カミさんは、
毎日、通常勤務なので、
お昼には“ぼっちフレンチ”でも
創ろうかと考えている。

*

 

シングルモルトの
コレクションもしてるので、
また『やまや』で
魅力的な一本も
探してみようかとも
思っている。

*

 


十年前には、オフ日に、
ユトリロの油彩模写をして、
T中のカウンセリング室に
飾った事がある。

油絵は乾燥が遅いので、
こつこつと乾燥を待って
重ね塗りしていくという
地道な作業だが、
ある段階から厚みが出てきて、
そこからがグッと楽しくなる。

*

 

 

 

 

 

 

 

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震災短編『太平洋ひとり』1

2022-10-25 08:52:58 | 創作

 3・11の時に、実際に聞いた悲劇が、どうにも胸に治まらなくて、そのイメージを夢にまで見るほどトラウマになったので、思い切って、フィクションを創作して吐き出すことにした。
 被災された個人名は存じ上げないが、ご本人のご冥福と、ご親族の「たましい」の助かりを、心から祈念するものである。

 

        
 
***
 

 

 3月11日。

 あの日、里奈は卒業式であったが、あいにくと風邪をこじらせて二階の自室の床に伏していた。
 そして、午後二時四十六分。
 

 恐ろしいばかりの地鳴りと共に家が大きく揺れ、本棚からありとあらゆるものが飛び出して、しまいには本棚そのものが凄まじい音を立てて倒れ伏した。
 両親は仕事に出掛けており、弟も学校であった。
 家にひとり伏せっていた里奈は、ベッドで布団をかぶって悲鳴を上げるよりなかった。
 

 恐ろしい揺れは、間隔をおいて、三度襲ってきた。
 バキバキッという何かが折れる音が窓の外から聞こえてきて、里奈の恐怖心をさらに煽った。
「お母さ~ん。助けてぇ~ッ」
 と、里奈は布団をかぶりながら泣き叫んだ。

 激しい揺れが治まっても、しばしの間、布団から顔が出せないほど彼女はパニックに陥っていた。

 風邪で体がだるくて思うように動かない、ということもあった。
 里奈は、恐怖心に体を強張らせながら、布団に包まっているより為すすべがなかった。
 その間にも、動悸が高鳴るような余震が何回も部屋全体をゆらして、そのたびごとに
「いや~! 助けてぇ~ッ」
 と泣き叫び続けた。
 

 もう室内は、足の踏み場もないほどに、あらゆるものが散乱している。
 枕元のケータイは三分おきほどに「地震警戒チャイム」がなった。
 里奈の十八年の人生で一度も経験したことのない、あきらかに異常な事態が発生していた。
 ケータイのチャイムがなるたびに部屋は音を立てて揺れた。
 

 窓の外には、ちらちらと雪が舞っている。まだ、冬の終わりといってもよかった。
 何回目かのチャイムが鳴り響いた頃、里奈は揺れやまないベッドの布団の中で、聞きなれない、低いホワイト・ノイズを耳にした。
 聞き覚えのないそれは、次第にヴォリュームを増し、ゴーッという唸りのなかに、メキメキ、バキバキという音を含んでいた。
 里奈は本能的に破壊的な何かがこちらに迫ってくるのに恐怖した。
 それは、やがて轟音になり、濁流のような水音と感じた瞬間、ダダーンッと、家の壁に激突した衝撃を感じた。

(なにッ?)
 里奈は布団の中で頭が真っ白になった。
(今度はなんなのッ?)
 里奈はその不明の爆音の正体に布団から顔を出して確かめる勇気が起きなかった。
 それは、水がゴンゴンと流れる凄まじい音だった。
(エッ? 何なの~…)
 ドッカン、ドッカンと、次々に家の壁に何か巨大なものがぶち当たった。
 それは、布団の中の里奈には、巨大なモンスターが街を踏み潰しているかのような衝撃であった。
 勇気を振り絞って、布団の隙間から、ちらりと窓の外を見て、里奈は肝をつぶした。
 なんと、どこかの家が何軒も目の前を流れてゆくのである。
(津波…?)
 ここにおいて、里奈は初めてモンスターの正体を知った。
 大津波だった。巨大津波だった。
 自分のいる家もすでに一階部分は水没していた。
(何なのこれ…?)
 恐怖のなかにも、唖然とした気分が湧きあがった。

 幸いにも、津波は二階の窓ギリギリのところまでの水位である。
 しかし、窓の外は、見渡す先まで海の中にいるような光景が広がっていた。

 磯臭い、潮の香りが部屋の扉からなだれ込んできた。
 階段が海水に浸ったのだろう。
 

 里奈は蒼ざめた表情で、窓の外を流れる何軒もの家々を見送っていたが、この先起こるであろう、我が家と我が身の運命なぞ、つゆも想像できなかった。
 十八年の生涯で、聴いた事もないような自然が発する大音声に、うら若い女の子は震えるよりすべがなかった。
 その時だった。地震とは明らかに違う揺れが里奈を襲った。
 それはガコンッという衝撃に続いて家が何かから外れて浮き上がったような感覚であった。
 我が家が浮かぶ舟になった瞬間である。

(うそ~ッ…)
 里奈は、新たに半泣きになって、浮遊して流れ始める舟のような感覚に、血が引くような寒気を感じた。
 遠くに見える高台が、まるで不動の北極星のようにそこに留まってあり、自分を乗せた家の船は流れに乗ってどんどんと街中に移動していくのであった。
 周囲には沿岸の何百という家々が運命を同じくしていた。
 大きな漁船も巨大な津波のエネルギーには抗えず翻弄されていた。

(いったい、どうなっちゃうのぉ…)
 まるで幼児のように退行し、何を為すこともできずにいたが、つい、昨日まで女子高生だった彼女は、おもむろにケータイに手を伸ばし、母親の短縮番号を押した。
 ちょっとの間の機械的な呼び出し音が、里奈にはどれほど永く感じたであろう。

「里奈ぁーッ!」
「お母さーんッ!」
 という、絶叫と涙声が互いの第一声であった。
「助けてぇー。お母さん」
「里奈ぁーッ!」
 と、母親はふたたび絶叫した。
 明らかに、母も動転していた。

「流されてるーッ。津波で、家ごと流されてるのよーッ」
 と里奈はケータイに向かって泣き叫んだ。
「だいじょーぶ。だいじょーぶだから…」
 と、母親はそれを何度も繰り返した。けど、その保障も、娘を助けてあげられる手立ても何もなかった。
「だいじょーぶだから、そのまま、じっとしていなさいよーッ」
 と母も泣きながら叫んだ。

「お母さん。怖い…。こわいよー」
 里奈は幼子のように泣きじゃくった。
 母も泣いた。どうしようもなくって。
「お母さん。どこ? 今、どこに居るの?」
 里奈は母の乳房を捜し求める乳児のように、その居場所を懸命に尋ねた。

「高台よ。家から見える高台に居るのよ」
 母は毅然として応えた。
「お母さん。私、死ぬの?」
 娘の切実な問いに、母は即答に息が詰まった。
 だが、すぐさま我に返って
「ばか。助かるにきまってる。助かるよ。だいじょうぶだから…」
 と幼な子を安心させる母のような語調で言って聞かせた。

「ホント? ほんとに?」
 里奈は何度もそう尋ねた。
「ぜったい。ぜったい、だいじょーぶなんだから。ぜったい助かるから、だいじょーぶだよ」
 母は泣きじゃくる娘に何度もそう勇気づけた。それは、自分に対するエールでもあった。もう、心が折れそうになっている。息子や旦那の所在も分らない。
 職場から高台へと揺れの後すぐに避難した母親もまた、眼前に展開する未だかつて見たことのない壮絶な破壊光景に魂を奪われていた。
 そこへ娘からの「流されている」との着信である。
 我が身は安全地帯にいながらも、まさに、生きた心地がしなかった。

 我が家の屋根色は、新築する際に娘の意見も取り入れて、明るいオレンジ色を選んだ。
 その鮮やかな色は、五百メートルほど離れた高台からもしっかり視認できるくらい目立ったものだった。
 しかし、今、母親が高台から眺める我が家の方向に、その色はどこにも見当たらなかった。
 今、家は娘を乗せたまま、上流に向かって押し流されていた。
 

 辛うじて、娘の消息は知れて、今こうして文明の利器によって話も通じていた。
 しかし、娘のこれからの運命をちらりとでも想像すると、母親は胸が締め付けられて息ができなくなった。
 そう。やがて水は引く。
 上流から下流に向かって。
 でも、その下流とは、あの大海原である。果てしない水平線を持つ海。津波がやってきた海へ、津波は帰るのである。
 その時、娘の乗った我が家舟は…。
 

 いやいや。どこかに引っかかることだって、大いにあり得る。
 いや。必ずや、そうなって、娘は助かるはず…。と、母親はそこに心の焦点を絞った。

「体ぬれてない?」
 電池の切れるまで、母娘は通話を切らさない覚悟でいた。
「ぬれてない…」
「だいじょーぶだからね。きっと、助かるから」
「うん…」
 娘は、母の励ましに幾分か自分を取り戻して、気丈夫になりかけてきた。
 でも、未体験の家舟、行き先の分らぬ道行き、荒れ狂う波頭、凄まじい轟音は、十八の女の子が勇猛に振舞うには手ごわすぎる試練であった。    

「もう、だめかな…」
 と里奈は弱気になった。
「バカッ。生きるのよッ!
 ぜったい、ぜったい、助かるんだから。
 諦めちゃダメッ!」
 母は、くじけそうになる娘を強くなじった。
 無理もない。自分ももう壊れそうだった。
 出来得ることなら、この逆巻く流れに飛び込んで娘を助けに行きたいくらいであった。
 しかし、それは、映画でも何でもないこの現実では、痛いほどに不可能なことだった。

(里奈ぁ。颯太ぁ。おとうさん…)
 母は祈ることと、ケータイの向こうの娘に勇気づけること以外、この場では何も為すすべがなかった。

 

 

 

 

 

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彩る秋 アートの秋

2022-10-25 08:37:14 | アート

きのうは朝一で
歯科医に赴き、
5本ブリッジを入れるべく
歯型を取った。

上下の歯形で
7630円もかかった。

そして、
再来週にできてくる
5本ブリッジは
3.5万もするという。

保健医療による3割負担だから、
元値は12万近くするようだ。

それでいて、
あまり硬い物は
噛まないように…と、
言われている。

*

歯医者の待合室で
『文春』を見てたら、
巻末に、東海林さだおの
ポートレイトがあって、
もう氏が85歳になったと知った。

それでも、今も、
現役バリバリで
『タンマ君』を
1968年から2500回も
連載を続けている。

この作品は愛読していて
単行本も全部あるが、
現在の作品を見ても、
内容も描く線質も
少しもブレていないから
大したものである。

そして、
そのネタ帳なるものが、
700冊ほどもあり、
締め切り当日でも
すぐに作品化できるという。

それを氏は、
「コメ作りで言えば、
稲刈りは済んで、あとは、
脱穀するだけ…」
と例えているから、すごい。

東海林さだおの全作品は
すべて蒐集している。

*

『文春』の中に
福岡ハカセの連載ものがあり、
そのタイトルが
『パンタレイ・パングロス』
とあった。

「パンタレイ」=「万物流転」
は知っていたが、
「パングロス」=「神の配剤」
というのは初めて知った。

これから、会話の中で使えるかしら…(笑)。

*

K中のグランドの楓が
美しく色づき、
思わず朝の通勤時に、
車を止めて撮ってみた。

黄緑、深緑、黄色、朱の
コントラストも見事である。

*

出勤時は
自分でベント造りをしてるが、
きのうはラムカンで
はじめて卵をオーヴン焼きしてみたら、
いい形にできてくれた。

これなら、
前夜にオーヴンで火入れして
翌朝、取り出して使えそうである。

夕餉の採に
カミさんが買ってきた
シャキシャキ・メンマが
「値段を見ないで買ったら、
600円もして、ビックリした…」
と、食卓でこぼしていた(笑)。

たしかに、
惣菜のメンマに600円は、
分不相応である。

なので、
「富裕層が喰うような
高級物なんかなぁ…」
と思わないでもなかった(笑)。

*

かの芭蕉翁も立ち寄り
句が残っている
文知摺観音(もちずりかんのん)の
境内にある宝塔の写真を
画像ソフトで「絵画処理」してみた。

これをプリントアウトして、
「水筆」で上からなぞってやると、
適度に水性インクが滲んで
自筆画のように見えるから、
「塗り絵」の要領で
デッサンのしっかりした絵が出来上がる。

*

 

 

 

 

 

 

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秋を描く

2022-10-24 07:28:46 | アート

日いちにちと
寒さが募り
秋が深まってきたようだ。

庭の柿の木も
熟柿になって、
寂しくなりつつある緑の中に
灯をともしたような
点景になっている。

きのうは
完オフの日曜だったが、
前夜に早寝したので、
朝4時頃には目が覚めた。

【目が覚めたら朝】
としているので、
朝刊とコーヒーのルーティンで
一日が始まり、本格的に
意識が覚醒してきたら
ブログを書くことに
自然にカラダが動く。

ブログは
2004年から18年間、
毎日つづいているから、
性に合った“アウトプット”の
表現活動なのだろう。

*

最近では、
毎日、一曲アップする
『リュートマラソン』も
もうすぐ9ケ月目に入る。

この分だと、
一年はやれそうである。

一年で365曲なので、
それは、自分の生涯で
手掛けてきた曲数より
少ないのかもしれない。

今まさに、
最後の体力・気力・知力の
揃っているうちに、
ギターライフの総決算をしている、
という気がしている。

そう…。
これも、終活の一環なのである(笑)。

******

大学ギター部現役の頃、
フレッシュマン・アンサンブル用に編曲した
1973年の名画『イルカの日』のメインテーマ。

オリジナルは、チェンバロの単旋律なので、
それに雰囲気を似せるべく、
甲高い音のするレキントギター用に
編曲してみた。

当時の譜面も喪失しており、
原譜を検索したら、
歌手のイルカしか出てこなくて(笑)、
とうとう見つけられなかった。

仕方なく、記憶を頼りに、
旋律を書き出してコードをつけた。

映画では、言葉を話すイルカと
父親代わりの博士とが、
生物兵器にされるのを忌避するのに、
海に帰してやる場面で、
「パパ」とイルカが言うシーンに、
滂沱の涙が流れた。

そこに、この名旋律が流れる…。

【YouTube】

https://youtu.be/w63EhO1FMUI

 

 

*

きのうは、
久しぶりに、
知人に贈呈しようと
小倉寺観音で撮った
山道の画像を「絵画処理」し、
なおかつ、絵具を盛るという
オリジナル技法で
作品を仕上げた。

水曜からは
第五週目の
「私的五連休」になるので、
最近、録音した曲集を
CD化しようとも考えている。

*

2011年の大震災と
その後の度重なる大余震で
たびたび散乱状態になり、
閉鎖状態だった古楽器工房を、
夏休みから少しずつ手入れをし、
あるていど片付いてきたので、
楽器製作が再開できている。

 

ご注文頂いてる
ルネッサンスギターも順調に、
パーツ造りが進捗している。

このぶんだと、
お約束の年末までには、
納品できそうなので、
クリスマス前あたりに
お届けできれば
喜んで頂けるかもしれない。

 

 

 

 

 

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