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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

PTSD

2011-03-21 10:05:00 | 大震災/コロナ禍
 人の話こころすまして聞かねばと
  いましめ祈り
   ただに聞きおり

 
   賜はりし大切なわが役柄に
    こころつつしみて
     仕へさせ給へ  

                   碧水歌 



連日、市内の全避難所への
巡回臨床心理相談へ出かけているため
段々と心労が蓄積しだしてきて
体がだるくて背中が鉄板状態に凝ってきた。

夜は9時頃には爆睡モードになり
何度もくる震度3くらいの余震では
もう目覚めなくなった。

原発への緊張感も
ずっと続いているので
当然の疲れかもしれない。

叔母たちは心労で
毎日、精神安定剤を服用しているという。

それでも、今朝、やっと10日ぶりに
断水が復旧した。
水洗トイレがジャージャー流れるのを見て
ほんとに感激した。
今日から、お風呂が使えるのだ。

☆o(> <)O☆ ウレピ~

昨晩も叔母宅に風呂を借りにいった。
支援物資の小麦粉をおすそ分けしたら
篤志家の真心に感激して涙ぐんでいた。

 ありがたい
  と思ひ得ることはしあはせと
   涙ぐましくしみじみ思ふ

               碧水歌

今朝は、カミさんが大宮の
テニスクラブで一緒だった方が
何十年ぶりかで電話を下さって
東京に空いている家が一軒あるから
いつでも避難してきて、と言って下さった。

ほんとうに、大勢の方々に
ご心配をいただいて
ありがたいことである。


今朝は夢にまで、糞便に汚れたトレイが出てきて
しかも、紙がない、紙がない、と騒いでいる(笑)。
そしたら、昔の大阪時代の同僚が出てきて、
大変だなぁ、と笑っている。

。・°°・(;>_<;)・°°・。

しかも、トイレは広くて中に
同じく大阪時代の事務の方が住んでいる(笑)。

いったい、なんちゅう夢やねん…と、
つい大阪弁が出てしまった。

無意識がコンフュージョン状態のようである。
他にも、たくさん変な夢を見るので
自分も軽いPTSDに罹っているようである。

兵庫県からトイレット・ペーパーをも
携えてきて下さったS家の
個人レスキュー隊のおかげで
私のお尻も救われたというのに…
「紙がない! 紙がない!」
と夢んなかではバニクっている(笑)。

ほんと、一時は新聞紙切って
準備してたから…。

(((=_=))) ブルブル




一昨日は、全天真っ青な快晴なのに
たった一箇所だけに
じっと留まって動かない異様な雲を見つけ
もしやしたら地震雲か…と、
肝を冷やした。

プレートどうしが擦れると
静電気が発生して
電離層でオーロラ様の雲が発生することがある
と聞いていたので、
もしやと懸念したが
たしかにこの日、震度5の余震はきた。

でも、M6クラスは毎日、体感しており、
すでに300回近いので
さして驚くには値しなかった。


原発も少しずつではあるが
いい方向に向かっているようで、
どうにか怒涛の10日間のパニックは
いくらかは収まってきている。

とは言うものの、依然として
余震と原発で予断を許さない毎日ではある。

自分も、巡回相談で
津波に呑まれて助かった人や
大勢が呑まれていく様を目撃した子どもたちや
家が流された、家族を失った、という話を
連日、聞いていると、その重さ、深刻さに
こちらの心まで、やられてきそうになる。

実際、日を追うごとに
滓が少しずつ蓄積してくるかのように
身も心もシンドくなってきた。

今日は慰霊祭が行われるので
なんとか、自分の魂も浄化して、
また被災者の方々の援助に向かいたい
と思っている。





避難所廻りで
燃料も残りわずかとなった。
スタンドには、相変わらず
道の両サイドで
数キロにわたる行列が並んでいる。

その間を自衛隊の車が
ひっきりなしに通っていく。

まさしく、被災地の風景である。



  生涯に一度の
   今日の役柄の奉仕に
    いのちささげゐる今

               碧水歌
















.
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物資援助

2011-03-20 06:23:00 | 大震災/コロナ禍
 

 あり馴れて
  電気の恵み思ふこころ
   うすれ失せてはならぬと思ふ

  衣食住みなものいわず
   さはあれど
    すべてお世話になりつづけおり

                    碧水歌





全国にいる友人・知人・教え子・元同僚から
連日、たくさんの支援をいただいている。

昨日は、元職場で
ギターの弟子だった
ガッちゃんのご主人が
わざわざ兵庫の赤穂市から
福島まで支援物資を届けに来てくださった。

普段の感覚で、宅配便が使えるものと思い
軽い気持ちで、非常食用の小麦粉と
枯渇しているトイレットペーパーが
そちらで入手できたら送って、とお願いしたら
この非常時では宅配便が機能するわけもなく
手ずから届けに行く、と申し出をされたので
固くお断りをした。

隣県ならいざしらず
兵庫~福島というのは
600キロは離れていようか、
というほどの遠方である。

しかも、交通手段が東北では
寸断されているので那須からこっちは
在来線も新幹線も走っていない。

ましてや、大余震が連日頻発していて
原発の汚染区域でもあり
福島から15.000人も脱出している
というのに、そこへやってくるというのは
常人の思慮ではありえない。

しかし、ご主人は
元自衛官で予備役でもあるので
個人的にでも被災地に物資を届けようという
熱い使命感を持っておられたのか
なんと赤穂線・新幹線と乗り継いだうえ
新宿から福島までバスで来られたのだ。

まったくもって
御家の決断力と実行力には
頭が下がるほかない。

人を感動させる行動とは
こういうことをいうのだろう。


避難所巡回中に到着の電話を受けて、
待ち合わせ場所を
「駅前に交番があるんですけど…」
と伝えたら、
「ここからは、視認できません」
と応えられたので、
さすが、元自衛官、と感心してしまった。

「これからすぐに向かいますので」
と伝えると
「いえ、あわてずに来て下さい」
と気遣ってくださった。

交番前に赴くと
180センチ以上もある体躯のガッシリした方が
目印の大型迷彩バッグとリュックを携えて
立っておられた。

常人ではとても一人で持って移動できないような
迷彩バッグは軽く20キロはあったかもしれない。
こんなのを持ってよくぞ歩けるなぁ…と
感心もし驚きもした。
さすが、元自衛官。
ほんとに、気は優しくて力持ち。

わざわざ赤穂から来ていただいたのに
観光にお連れしたり
何らご接待もできないのが
心苦しい限りだったので、
せめて、一泊されるというホテルまで、
車でお送りしようと申し出たら
「先生は、お仕事があるでしょうから、
 どうぞ、自分のことはかまわないで下さい」
と言って握手を求められたときには
なんだかウルッときてしまった。

すかさず、敬礼したら
答礼していただいた。

('◇')ゞ

なんだか『震災列島』という映画の
ワンシーンみたいだった。

次回は、必ずやご夫婦で
観光旅行に来てほしい旨を伝えた。
そのときは、何としても
福島の至宝・磐梯国立公園を案内したい。

急場の為、何ら手土産の用意ができなかったので
お荷物になったが、演奏CDやら著書やらを
お持ち帰りいただいた。



それと、失礼ながら
避難所の塩結びとペットボトル水を
さしあげたので、夕食には被災者を偲んで
食されたかもしれない。

物資以外に、お見舞いまで頂戴して、
感謝・感激・雨・原発であった。




カミさんが迷彩バッグを開けて
ビックラこいていた。
食卓の上に全部並べてみたら
乗りきらぬほどで
このまま避難所で店を開けそうな
物量だった。

何から何まで揃っていたが
何よりも「真心」が
しっかりと詰まっていた。

 (T人T) アジガドー!




ウチのボケ婆さんが
迷彩バッグを見て
「あらー。これ、素敵な柄のバッグだこと。
 今度、出かけるとき、貸して」
だって。

あんたは、レンジャー・ババアか…と
迷彩をしらぬ老母に
苦笑が洩れた。

┐(^-^;)┌


 世話になるすべてに礼をいふこころ
  ゆらぐこころに
   やすらぎもたらす

  世話になるすべてに礼をいふこころ
   はなれてはならぬ
    なげきにまけて

   世話になるすべてに礼をいふこころ
    こめて申さん
     お世話になります


                        碧水歌

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エクソダス〈大脱出〉

2011-03-19 08:18:00 | 大震災/コロナ禍
「exodusが始まった…」
と、一昨日、子どもたちを
関西に緊急疎開させたときに実感した。

那須には原発近辺のナンバー車があふれていて
新幹線の駅も大行列であった。
幼子たちは、まるで『蛍の墓』の少女のような
現代風頭巾を被り、マスクをして
母に手をつながれ列に並んでいる。

飛行機のチケットはキャンセル待ちで
席がとれない。

ガソリンが買えないから
いざというときに車で避難するのは
せいぜいが100キロ先ということになるが、
それすら大渋滞で速やかに移動できるか定かではない。

米政府は、原発80キロ圏内の在住邦人に
退避勧告を出し、成田はその他外人も含め
帰国者でラッシュ状態のようだ。

我が家は原発から60キロなのに
職務を放棄して逃げることはできない。

なのに、今朝の全国紙で
こんな記事を見て
失望と落胆と侮蔑の念を抱いた。



院長はじめ医師たちが
自分たちの患者さんたちを
置きざりにしてスタコラ逃げ去った、
というのだから
開いた口が塞がらない。

彼らには「人の命を救う」プロとしての
倫理観がまったくないのである。

テメエさえ助かれば、それでいいのである。
これでは、患者とは、こ奴らにとって
自らの生活のただの換金手段ではないか。

現に、海外にエクソダスした医師たちも
他に幾人もいると聞く。

封建時代、武士はエリート階級だったが
それは、いざというときに己の命を懸けて
まさに、一所懸命、一生懸命に
民衆の命を守る義務があったという。

エリートとは、民衆を喰い物にする輩の
ステータスではないのだ。

これでは、京大、東大の大学院を出て
オウム事件でサリンを撒いた
「頭のいい」エリートたちと
同じ穴のムジナである。

私の尊崇する竹内長ニ先生は
竹内医院が火事になった際、
患者さん、職員、家族たちを無事非難させたあと
ご神前に跪いてお祈りの姿勢のまま焼死された。

神様に出火のお詫びを申し上げていたのか
患者さんの無事避難のお礼を申し上げていたのか
それは推し量るよりないが、
なんと壮絶な決然とした
医師の姿であろうか。



  生涯に一度の
   今日の役柄の奉仕に
    いのちささげゐる今

              碧水歌

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私の復興第一歩…

2011-03-18 04:31:00 | 大震災/コロナ禍
生涯に一度のみなる
 いのちの今
  正念場の今の
   いのちがつづく

 明日のことはすべて未知なり
  時々刻々の今があるのみ
   いのちの今が

            碧水歌



今日で震災1週間目になる。

思えば、あの日の2時46分
地鳴りと共に大地は揺れ
海は盛り上がって
多くの命を呑んだ。

その被害者は推定で5万人とも
憶測されている。

東京大空襲の10万人に次ぐ
日本史上、未だ曾つてない
まさしく「未曾有」の大海襲である。

週刊新潮の中刷り広告には
「東北沿岸部は黄泉の国」という
不謹慎なタイトルがあって
いささか不愉快に感じた。

しかも、どの週刊誌も
「今度は東京に来るかも」
と不安を煽って
読者を惹きつけようとしている。
商魂あざとい
というか、卑しい魂胆だ。

震災直後は、どこも報道番組ばかりとなり
しかも、いっさいCMなしで
くだらないバラエティや
ゴシップばかりのワイドショー、
薄っぺらなドラマなどが
一掃されていたのは
いくらかは慰められた。

民法はCM広告を
1日2億円喪失しているらしい。
本音を言えば、早く、元の愚劣番組や
白痴番組に戻したいのだろうが
昭和天皇崩御や阪神大震災直後のように
自主規制で縛りがかかっているのだろう。

しかし、震災も1週間を過ぎたあたりから
マスコミも「光と影」の両面から
しだいにネガティヴな本性を見せ始め、
局によっては段々と「不幸ショー」の
様相が匂いだした。

被災地の報道やダイジェストを流すときに
ドラマチックにBGMで演出したり、
レポーターが被災者の涙を引き出そうと
見え透いた誘導インタヴューをするのには
辟易する。
まさに、不幸ショー化しようとしている顕れである。
無神経の極みであるし、
マスコミの病理と言えよう。

あわせて、キャスターやコメンテイターの
無知蒙昧ぶりも露呈し始めている。
そういう愚劣な局のチャンネルは
今後、一切押すまいと硬く決心した。

こういう非常時、極限状況にこそ
人の本質、社会の本質が
被災者側からは透けて見えるのだ。

今日から番組表も通常にもどりつつあり
それはそれで被災者には
一時の退屈しのぎや現実逃避にはなるが
だからといって、こんなときに
「大食い大会」やら「殺人ドラマ」など
見たくもないものだ。

また、願わくば
BBCで広島・長崎の原爆を
バラエティのお笑いネタにしたように
震災・原発災害を
お笑いネタにされるのも
勘弁していただきたい。

喉元過ぎると熱さを忘れる、のは
日本人の悪癖である。

被災者の精神的復興、
被災地の物理的復興には、
5年、10年単位で
かかるものなのだ。





主治医でもある精神科医の先生が
個人クリニックを一時休業して
ヴォランティアで避難所に
自転車で行かれると聞いたので、
自分もいつまでも被害者意識ではいられないと、
心理臨床家としての意識も目覚め
さっそく近所の避難所から
巡回相談に出掛けることにした。

真っ先に子どもたちのPTSDが危惧されたが
どの避難所も子どもたちは元気に
それぞれ仲良しになって
ゲームに興じていたのが印象的だった。

親たちの話では、幼年者ほど
余震がくると怯えるという。
もっともなことだ。
そのときは、
「大丈夫。大丈夫」
とハグしてあげて下さい、と伝えた。

自分の母校の後輩という四姉妹とは
冗談を言い合って笑い転げ
何だかこっちまでスッキリして
お互いに癒された。

まさに、デルフォイの神託にある
「病んだ者がまた癒す」
である。

津波被害で南相馬から避難されてきたお婆ちゃんは
「戦争中、食べ物も何もなかった頃に比べたら
 ここは何でも揃っていて、まったく違います」
とおっしゃって、何度も何度も
「ありがとうございます」
と頭を下げられた。
何だか目頭が熱くなった。

私の所でカウンセリングを受けたり
今も勉強している方々も
避難所に出向き
被災者の方々の話に耳を傾けて、
じっとその苦しみに寄り添ってくれている。

災害時には
「自助・共助・公助」
が必要だという。

実際に、精神に変調をきたし
家族を置いて失踪した母親もいる。
このような非常時には
「助け」の手が
間に合わなかった、届かなかった
という不幸なケースが生ずるのは
哀しいことだ。

****

避難所の学習センターには図書館もあり
児童書もあるのだが
地震で本が散乱して手付かずのままで、
職員も避難所の対応で貸し出し業務どころでなく
閉鎖のままになっていた。

司書のようなヴォランティアもあるのだ。

子どもたちは
放射能汚染のため戸外では遊べず
ありあまる時間を
本を読んで過ごすこともできずにいる。

家から古いオモチャやヌイグルミ、
コミック類をリュックに詰め込んで
持参したが、遠方から疎開してきた
子どもたちはマンガに喜んでくれた。

今日は児童書も持っていこうと思う。




カミさんの学校も避難所になっており
帰りがけにあまったオニギリを
ひとついただいてきた。

避難民は一食ごとに
塩むすび2ケ配給されている。
従姉妹が勤める老人介護施設では
これが1ケだけらしい。

飽食の時代の日本で
こういう現実が
今ここにある。



かく言う自分もそうだが
街行く人々はみな
重症花粉症患者のごとく
マスク・帽子・頭巾・手袋を
厳重に着用して買出しに並んでいる。

無論、放射能汚染防御のためである。

なんだか、1週間前までの
平和な日本の、
穏やかなわが町の風景ではない。
異様な光景である。

信号待ちをしている間、
ふと、この精神的苦痛、経済的損失を
東電に損害賠償請求しよう
と思い立った。

このやり場のない
怒り・憤り・憤怒の矛先は
当然、東電に向けられるべきである。
マジで友人の弁護士とも
相談してみようかとも考えている。
おそらく、遠からず
集団訴訟が沸き起こることだろう。

東電の倒産は必至だが
国が電力供給のために
また、税金から住専のときのように
損失補てんするのだろう。

今のところ、被災者は
世界中が驚異に思うほど
人としての尊厳を保ち
暴動も略奪も起こしてはいない。

じっと耐えに耐えているのだ。

しかし、我慢にも限度がある。
中東で国家や独裁者の専制に
耐え切れなくなった民衆が
命を賭して立ち上がったように
機能不全に陥って
国民の命を守れないような国家中枢は
この際、与野党を問わず
総退陣させよう。

今の日本には
全取替えくらいの
新生が必要である。

人々の価値観もしかりで
頼りにならないものを頼りにするから
みな不安になるのであり
殊に、「勝ち組」だの「負け組」だの
という非人間的な経済至上主義や
拝金主義のような誤った考えから
日本人は一刻も早く
目が覚めるべきなのだ。

それが、この未曾有の大国難の
犠牲者が残した
教訓のような気がしてならない。





就寝前に寝床で
阪神大震災後に発行された
災害カウンセリングの教科書に
もう一度目を通した。

子どもへのケア
老人へのケア
家族・家をなくされた方へのケア
などの留意点を再度チェックして
まさに書名どおり
『心を蘇らせる』復興作業に
時間をかけて地道に取り組もう
と思っている。


  立ち直るためになすべき
   混迷のなかの辛抱
    つづけねばならぬ

             碧水歌




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春の真冬

2011-03-17 05:23:00 | 大震災/コロナ禍
死ぬために生くるにあらず
 死なぬために生きるといふか
  生きるといふこと

 死ぬまでは生きつづけゆく
  賜びしいのち尊ぶ
   生き方なさしめ給へ

             碧水歌





今朝も雪が積もっていた。
水溜りには氷が張っている。
外は明らかに零度を下回ったのだ。

もうすぐ京都では桜が咲くというのに
この寒さは震災・原発災害者には決して
やさしいものではない。

東北の春は遅いのだ。

我が家の石油タンクの備蓄も
1/4となって底を尽きそうである。
エアコンは大気の放射能汚染で
使用できない。

原発から60キロ離れていても
昨日は最大値23μSv/hを観測した。
通常値の500倍の異常値である。
レントゲン1回が50というから
現時点で、長いこと
外にいることすらできないのである。



なんだか、『宇宙戦艦やまと』を
思い出してしまった。
放射能汚染された地球を救うために
古代進たちはイスカンダルまで
放射能除去装置「コスモクリーナー」を
求めに行くのである。

未だ断水ではあるものの
通水したとて、すでに
放射能汚染が始まっている。
井戸水とてそれは免れまい。



カミさんは昨日、乏しいガソリンを求め
学校を休んでまで4時間もスタンドで
並んでいたという。
「あなたには、そういうことできないでしょう」
と言うから
「絶対できない」
と即答した。

何も考えずボケーッと並ぶことができるのは
自分とアキの才能だという。
なるほど、非常時には貴重な才能だ。


幸い停電は免れ、プロパンガスも使える。
水は近所の井戸水を分けてもらったり
給水車に並んでもらう。

トイレ用下水には
近所の小川から汲んでくる。
しかし今、膝を痛めているので
両手にバケツは無理なので
楽器製作用の道具を利用して
キャスターをつけて台車を作った。

これにバケツを載せて
ガラガラとアスファルト道を引っ張ってくる。
みんな被災者だから
誰も好奇の目で見る人なぞはいない。

むしろ、いい物作ったなぁ…と
感心されるくらいである。



我が家の台所事情もお寒く
食料が欠乏しつつある。

これで、外の放射能濃度がさらに上がったら、
屋内退避状態になり、やがて
配給が来ない限り餓死してしまう。

現に今、津波被害に遭った南相馬市が
低濃度地域なのにもかかわらず
原発に近いが故、汚染されていると誤解され
どこからも食料・物資が供給されていないと
市長が報道で訴えている。

まさに、県や国は、市民に
座して死ね、と言っているのと同じである。
差別・偏見でもあって、人権も糞もない。


夕べは、カップ麺とサンマの缶詰と
茹でたブロッコリーと貴重な卵焼きだった。
地震来、鮮魚と精肉を口にしていない。
野菜だけは何とかあるので助かっている。

カミさんは今朝
カップ麺1ケを携えて出勤した。
哀れな昼弁である。

米も近所の農家から
なんとか分けてもらったが
いつ窮乏するか予測がつかないので
できるだけ大事に少量ずつ食べていく計画だ。

今日は、奄美島暮らしの『ビッグダディ』に倣って
小麦粉を幾袋か買ってこようと思う。
「貧窮したら小麦粉」というのは
『ビッグダディ』で得た知恵である。

地震来、少し痩せ始めてきた。
「ふたつ悪いこと さてないものよ」
である。
この機会に、成人病が治るとありがたい。
でも、やはり便秘している。

もう1週間も風呂に入れていないので
さすがに気持ち悪くなってきた。

免疫力が落ちてきているかもしれないので
「日和見感染」を起こすといけないから
夕べは楽器製作用エタノールで全身を清拭した。




昨日は、緊急決断で
ナッちゃんとアキを
京都の知人宅へ避難させた。
学徒疎開である。

市内は全校休校で春休みに突入する。
ほんとに、春休みだけで
無事、原発が納まって戻ってこれると
いいのだが。

カミさんは公務員だから、さすがに
職場を離れられないし、
自分は5校の心理カウンセラーとして、
被害者の心のケアのために
待機してないといけない。

「一所懸命」という言葉があるとおり
つくづく、プロというのは
一所で仕事に命を懸けなきゃならないもの
と実感している。

それでも、もし、総理から
緊急非難命令が出されたら
自分たちも京都に行くより仕方がない。

最悪のケース、放射能汚染で
福島全土に住めないようになって
家も故郷も捨てて
家族一同、難民になってしまうかもしれない。

最悪の時でも、78歳の母親は
腰痛があるから避難はしない。
自分はこの家で死んでもいい、と言っている。
それも、本人のリヴィング・ウィルなので
いざというときは、仕方ないと腹を括っている。

せめて、子どもたちを速やかに退避させて
親の義務を果たしたことで
少しだけホッとしている。

ナッちゃんは、修学旅行の京都から帰ってきて
二日だけ家にいて、また京都へUターンした(笑)。

本人は、さぞかし
「ドンダケーッ!! 」
であろう。

11年も関西に在住していたので
こんな時、多くの方々から
ご支援のお声がけをいただいているのが
骨身にしみるほどありがたい。

そして、今、そのお言葉に
甘えさせていただいている。

ただ、息子たちには
ご厚意に甘えるのはいいが
甘ったれるな、と言って聞かせた。

疎開した子どもたちには
淡々とした日常を…
それも、よそ様の家に
ご厄介になっていることを肝に銘じて
ダラダラと過ごさず
何事も感謝と奉仕の心をもって生活しろ、
と渇を入れている。


《アキへのメール私信》

京都は寒むないかー。
今度から京都弁で書くし。
ちょっとは慣れるように
自分でも使うてみいや。

ナッちゃんと二人
ちゃんと行儀ようせなあかんで。

よそ様のうちにお世話になってるんやから
うちみたいに遅くまで寝てたらあかん。
ちゃんと早起きして、家のどこでもええから
そうじするとか、窓ふきとかせいや。
そういう奉仕がお礼の心やさかい。

ほんで、ご飯かて、ちゃんと、きちんと
感謝の心をこめて
「いただきます」「ごちそうさまでした」
「美味しかったです」
言わなあかんで。

春休み中だけで戻れるとええけど、
下手したら、ずっといなあかんかもしれへんから。

なんでもいいから
メールよこしや。




新幹線が那須から走っていたので
ギリギリのガソリンで
二人を渋滞のなか3時間かけて
隣県まで送っていった。

その途中、近所も郡山市内でも
崩壊現場をいくつか目にした。

やっぱり、これは夢じゃなかったんだ
と空恐ろしい現実を
再度、突きつけられた思いがした。


***********

ずっと安否不明だった
津波被害地区在住の生徒Yちゃんが
無事だったことが確認されたと
昨日、連絡がきた。

まさに、「不幸中の幸い」とは
このことである。


今日も、空が青い。



 世界中の空につながるわが町の
  ま冬の今日の
   青空仰ぐ

         碧水歌

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