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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

私の復興第一歩…

2011-03-18 04:31:00 | 大震災/コロナ禍
生涯に一度のみなる
 いのちの今
  正念場の今の
   いのちがつづく

 明日のことはすべて未知なり
  時々刻々の今があるのみ
   いのちの今が

            碧水歌



今日で震災1週間目になる。

思えば、あの日の2時46分
地鳴りと共に大地は揺れ
海は盛り上がって
多くの命を呑んだ。

その被害者は推定で5万人とも
憶測されている。

東京大空襲の10万人に次ぐ
日本史上、未だ曾つてない
まさしく「未曾有」の大海襲である。

週刊新潮の中刷り広告には
「東北沿岸部は黄泉の国」という
不謹慎なタイトルがあって
いささか不愉快に感じた。

しかも、どの週刊誌も
「今度は東京に来るかも」
と不安を煽って
読者を惹きつけようとしている。
商魂あざとい
というか、卑しい魂胆だ。

震災直後は、どこも報道番組ばかりとなり
しかも、いっさいCMなしで
くだらないバラエティや
ゴシップばかりのワイドショー、
薄っぺらなドラマなどが
一掃されていたのは
いくらかは慰められた。

民法はCM広告を
1日2億円喪失しているらしい。
本音を言えば、早く、元の愚劣番組や
白痴番組に戻したいのだろうが
昭和天皇崩御や阪神大震災直後のように
自主規制で縛りがかかっているのだろう。

しかし、震災も1週間を過ぎたあたりから
マスコミも「光と影」の両面から
しだいにネガティヴな本性を見せ始め、
局によっては段々と「不幸ショー」の
様相が匂いだした。

被災地の報道やダイジェストを流すときに
ドラマチックにBGMで演出したり、
レポーターが被災者の涙を引き出そうと
見え透いた誘導インタヴューをするのには
辟易する。
まさに、不幸ショー化しようとしている顕れである。
無神経の極みであるし、
マスコミの病理と言えよう。

あわせて、キャスターやコメンテイターの
無知蒙昧ぶりも露呈し始めている。
そういう愚劣な局のチャンネルは
今後、一切押すまいと硬く決心した。

こういう非常時、極限状況にこそ
人の本質、社会の本質が
被災者側からは透けて見えるのだ。

今日から番組表も通常にもどりつつあり
それはそれで被災者には
一時の退屈しのぎや現実逃避にはなるが
だからといって、こんなときに
「大食い大会」やら「殺人ドラマ」など
見たくもないものだ。

また、願わくば
BBCで広島・長崎の原爆を
バラエティのお笑いネタにしたように
震災・原発災害を
お笑いネタにされるのも
勘弁していただきたい。

喉元過ぎると熱さを忘れる、のは
日本人の悪癖である。

被災者の精神的復興、
被災地の物理的復興には、
5年、10年単位で
かかるものなのだ。





主治医でもある精神科医の先生が
個人クリニックを一時休業して
ヴォランティアで避難所に
自転車で行かれると聞いたので、
自分もいつまでも被害者意識ではいられないと、
心理臨床家としての意識も目覚め
さっそく近所の避難所から
巡回相談に出掛けることにした。

真っ先に子どもたちのPTSDが危惧されたが
どの避難所も子どもたちは元気に
それぞれ仲良しになって
ゲームに興じていたのが印象的だった。

親たちの話では、幼年者ほど
余震がくると怯えるという。
もっともなことだ。
そのときは、
「大丈夫。大丈夫」
とハグしてあげて下さい、と伝えた。

自分の母校の後輩という四姉妹とは
冗談を言い合って笑い転げ
何だかこっちまでスッキリして
お互いに癒された。

まさに、デルフォイの神託にある
「病んだ者がまた癒す」
である。

津波被害で南相馬から避難されてきたお婆ちゃんは
「戦争中、食べ物も何もなかった頃に比べたら
 ここは何でも揃っていて、まったく違います」
とおっしゃって、何度も何度も
「ありがとうございます」
と頭を下げられた。
何だか目頭が熱くなった。

私の所でカウンセリングを受けたり
今も勉強している方々も
避難所に出向き
被災者の方々の話に耳を傾けて、
じっとその苦しみに寄り添ってくれている。

災害時には
「自助・共助・公助」
が必要だという。

実際に、精神に変調をきたし
家族を置いて失踪した母親もいる。
このような非常時には
「助け」の手が
間に合わなかった、届かなかった
という不幸なケースが生ずるのは
哀しいことだ。

****

避難所の学習センターには図書館もあり
児童書もあるのだが
地震で本が散乱して手付かずのままで、
職員も避難所の対応で貸し出し業務どころでなく
閉鎖のままになっていた。

司書のようなヴォランティアもあるのだ。

子どもたちは
放射能汚染のため戸外では遊べず
ありあまる時間を
本を読んで過ごすこともできずにいる。

家から古いオモチャやヌイグルミ、
コミック類をリュックに詰め込んで
持参したが、遠方から疎開してきた
子どもたちはマンガに喜んでくれた。

今日は児童書も持っていこうと思う。




カミさんの学校も避難所になっており
帰りがけにあまったオニギリを
ひとついただいてきた。

避難民は一食ごとに
塩むすび2ケ配給されている。
従姉妹が勤める老人介護施設では
これが1ケだけらしい。

飽食の時代の日本で
こういう現実が
今ここにある。



かく言う自分もそうだが
街行く人々はみな
重症花粉症患者のごとく
マスク・帽子・頭巾・手袋を
厳重に着用して買出しに並んでいる。

無論、放射能汚染防御のためである。

なんだか、1週間前までの
平和な日本の、
穏やかなわが町の風景ではない。
異様な光景である。

信号待ちをしている間、
ふと、この精神的苦痛、経済的損失を
東電に損害賠償請求しよう
と思い立った。

このやり場のない
怒り・憤り・憤怒の矛先は
当然、東電に向けられるべきである。
マジで友人の弁護士とも
相談してみようかとも考えている。
おそらく、遠からず
集団訴訟が沸き起こることだろう。

東電の倒産は必至だが
国が電力供給のために
また、税金から住専のときのように
損失補てんするのだろう。

今のところ、被災者は
世界中が驚異に思うほど
人としての尊厳を保ち
暴動も略奪も起こしてはいない。

じっと耐えに耐えているのだ。

しかし、我慢にも限度がある。
中東で国家や独裁者の専制に
耐え切れなくなった民衆が
命を賭して立ち上がったように
機能不全に陥って
国民の命を守れないような国家中枢は
この際、与野党を問わず
総退陣させよう。

今の日本には
全取替えくらいの
新生が必要である。

人々の価値観もしかりで
頼りにならないものを頼りにするから
みな不安になるのであり
殊に、「勝ち組」だの「負け組」だの
という非人間的な経済至上主義や
拝金主義のような誤った考えから
日本人は一刻も早く
目が覚めるべきなのだ。

それが、この未曾有の大国難の
犠牲者が残した
教訓のような気がしてならない。





就寝前に寝床で
阪神大震災後に発行された
災害カウンセリングの教科書に
もう一度目を通した。

子どもへのケア
老人へのケア
家族・家をなくされた方へのケア
などの留意点を再度チェックして
まさに書名どおり
『心を蘇らせる』復興作業に
時間をかけて地道に取り組もう
と思っている。


  立ち直るためになすべき
   混迷のなかの辛抱
    つづけねばならぬ

             碧水歌




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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (カトレア)
2011-03-21 16:39:42
探し物して辿りついたら、素晴らしい震災関連随想の数々、感動して拝読しています。
頑張りましょう。
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