『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

辛い…

2011-03-26 09:57:00 | 大震災/コロナ禍
昨日は、ギターのレッスン日だったが
車はガス欠だし、外は寒いしで
なんだか、行きたくなくて
キャンセルしようかと思ったが
気持ちを奮い立たせて自転車で
整骨院に膝の治療に廻ってから
赴いた。

治療もレッスンも
先生と歓談して
いくらか癒された気分になったのだが
夕飯の買い物をして
うちに帰ってきたら
ガクンと急に辛く哀しくなって
布団をかぶって寝てしまった。

夕飯の支度が辛くて
食べ終わったら
茶碗を落として割ってしまった。

心が割れてしまったのか
と、さらに落ち込んで
また、布団をかぶって寝てしまった。

今朝もなんだか、気が重い。
カミさんが自分の車のガソリンを
入れてきてやる、と夕べから
言ってくれてるのだが
「もう。どうでもいい」
と、ヤケになっている。

それでも、今朝6時から
鍵を持って出かけていった。

無為に5時間も並ぶなんて
神経がおかしくなりそうで
自分にはとてもできない。

京都に疎開させていた子どもたちを
月曜日に帰そうかと思い
那須塩原まで向かえにいくのに
カミさんは昨日、仕事を休んで
5時間並んで2軒かけもちして
満タンにしたという。

地震・津波・原発という三重苦の
未曾有の大災害だから
あらゆるものが狂っても
致し方ない状況なのだが…。

精神もバランスを失いかけている。

大地が揺れると心も揺れる。
人々の集合的な無意識も
活性化すると思う。

ポジティブな面では
メサイア・コンプレックスが刺激され
一億総ボランティア精神が疼くだろうし
ネガティヴな面ではタナトス(破壊欲求)も刺激され
私なぞは東京で大余震が起きて
人々がパニックになり大災害になるのを
どこかで期待している自分がいる。

心の闇・鬼が活性化してるのかもしれない。

ガス欠で引きこもりが続いて
鬱気味なのと攻撃性が高まってきているのだろう。
やはり、PTSD気味なのかもしれない。

3.11一月前の2.11の夢が
強烈で印象的だったので
ノートに記録してあった。

とんでもない殺人鬼モンスターが
人々をあたりかまわず殺していく
というものである。
昨日、細かい内容を分析してみたら
モンスターとはディゼースターのことだったのか
と細部までシンクロしていたのに驚いた。

放射能・水質汚染・体育館・水に浮いて死んでいる子…
などなど、いくつも被災時の現在を連想させる単語が
十いくつも出ていて、驚いた。

やはり集合的無意識が
活性化されていたのかもしれない。

ユングの言った通りである。



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爪あと

2011-03-25 07:08:00 | 大震災/コロナ禍

3.11から今日で
2週間目となった。

ガス欠で足止めされているので、
ヒッキー状態である。

そのせいか、いささか気が滅入ってきて、
ややデプっぽくなってきている。

ライフラインが復旧して
食糧事情もよくなってきたにも係らず
ふとしたときに、哀しくなったり
虚しい気持ちに襲われる。

やはり、軽いPTSDなのかもしれないが
避難所暮らしや県外脱出組の人々は
やがて同様の、より大きな精神的苦痛が
やってくる危惧がある。

まして、津波で家屋・家族・職を失った人たちは
対象喪失から、鬱病・アル中・自殺などを引き起こす
可能性が高い。

現に、ショックと将来を悲観して
自殺している人が出ている。

Post Disaster Syndrome である。

****

原発は依然として収束の道が見えないが、
子どもたちも疎開して10日目なので
そろそろ呼び戻そうかと
思っている。

いつまでたっても
埒が明かない。

今朝のニュースでは
原発には月単位、年単位かかる
という悲観的状況なので
退避勧告に応じない南相馬市民じゃないが
もう、汚染と共生する腹を括らなきゃならない。





子どもたちの部屋は
3.11のまま留まっている。

ここまで片付ける気力がないのと
子どもたちが帰ってきてからの
仕事にとっておこうと思っている。

もっとも、ふだんから散らかって
きたないので、あまり見た目には
変わらぬようだが。



タンスが東方向に30センチも
せり出しているのには
今更ながら地震の威力に驚く。





昨日から、やっと
壊れたバロックギターの
修復を始めた。

ジグソーパズルのように
破損ピースを接着し、
隙間には木の削り粉を
ボンドで練って埋めていく。

5万でヤフオクに出していたが
これだと傷物なので
1万に値下げしなければ
出せなくなった。

(_ _。) シュン…



  かなしむは当然としても
   度をこえてそのかなしみの
    とりことなるか


     不本意なことなりけりと
      無念がるわれに
       ほどほどにせよといひきかす

                       碧水歌


















.
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雨ニモ負ケソウ

2011-03-24 07:31:00 | 大震災/コロナ禍


玄関まわりの色紙類を
震災復興の家訓に替えてみた。

家元の
「天災だとあきらめろ」
「半分あればいいや」

書道十段のMちゃんに書いてもらった
「雨ニモマケズ」

どちらも今の状況に
ぴったりかもしれない。

ただし、原発だけは人災だが。

震度6クラスの余震が来るかも
とは言われているが
もう、どうにでもなれ
と開き直っている。

心が疲れてきている
のかもしれない。

13年勤務してきた1校が
予算の目処がたたない
というので、4月からの勤務が
未定のままでいる。
年度末なのに異常なことだ。

そうなると、非常勤なので
家計的にも不安になってくる。

なんだか、踏んだり蹴ったり、である。

「天災だと諦める」しかないのか。
「半分あれば、いい」のか…。

いまひとつ
「雨ニモマケズ」という気力が
湧いてこない。

もっとも、放射能を含んだ
「黒い雨」だから
容易には勝てないが…。

東京の浄水場も
雨にやられたのだ。

やっぱり軽いPTSDか
毎日、避難所を精力的に巡回していたのが
とうとうガス欠でどこにも出れなくなり
緊張の糸が切れたのと
張りがなくなったので
いささか方向喪失感と
「燃え尽き」症候群になっている
のかもしれない。


 心労のとりこになるな
  世話になるすべてに
   礼をいふこころもて

   とりかへすこと
    あたはざることなりけり
     ここからのことよかれと祈る


                  碧水歌  
              
                       
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震度4

2011-03-23 07:24:00 | 大震災/コロナ禍



寝室の4連のシャンデリアを
節電のために長らく3ケ電灯を緩めて
1ケだけにしていたが、25Wでは
あまりにも暗くて、なんだか
気持ちまで陰々滅々とするので
もとに戻した。

ベッドの足元にある土人形は
20年ほど前に
中国への修学旅行の引率で
上海ウェスティン・ホテルから
もらってきたものだが、
これが震度3までは踏ん張っているのだが
4になるとすぐに倒れてしまう。

そのたびに、もう何度
立て直したか。

余震がすでに300回以上もあるので
震度4程度ではベッドから
起き上がることもしない。

今朝も起き掛けにあり
そろそろ倒れるぞ、と見ていたら
やはりコロンと卒倒した。

思わず
「根性なし!」
と人形に向かってなじって
また布団をかぶった。

最近では初期微動〈P波〉の感じで
震度が3.5とか4.2と
コンマ単位でレイティングできるようになってきた。
慣れとはすごいものである。

震度4ではストーヴも
平気でつけたままである。
なんだか、オオカミ少年にならなきゃいいが
と、いささかの懸念はある。

震度5では、さすがに
少しの「ヤバイ」感がある。

これが6になると、もはや
「恐怖」のセンサーが作動する。

3.11の2:46がそうだった。
大地の揺れの中では
大の大人も幼子のごと
心まで震えてしまった。




 賜びしいのちあるありて
  今日も目ざめたり
   目ざめしことはありがたきかな


    賜びしいのちあるありて
     苦も楽もあり
      苦楽が先にあるにはあらず

                     碧水歌

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慰霊祭

2011-03-22 06:58:00 | 大震災/コロナ禍
  同じいのち二つはあらず
   それそれみな
    空前絶後の尊きいのち

                 碧水歌







この記事を読み、
毎日逢っていた元気一杯だった
孫の遺体と対面したときの
お祖父ちゃんの痛いほど辛い
胸の内が察せられて涙がこぼれた。

そんな無言の対面が
幾百・幾千とあったのだろう。

仏教では、孫・子に先立たれるのを
「逆縁」といって
愛別離苦の最たるものとしている。

頓知頓才の一休禅師には
こんなエピソードがある。

さる金満家令嬢の婚礼の席に呼ばれ
当家の主人から「何か、めでたいお言葉を」と
色紙の揮毫を請われて
「親死 
 子死
 孫死」
と書いて手渡した。

主人は、あまりの不吉な言葉に
唖然とし立腹もして一休に詰め寄ると
「孫死
 子死
 親死」
の順番だったらどんなに不幸か
と諭し、主人は畏れ入ったという。

親から死ぬのが「順縁」といって
自然なことで、めでたい、と一休は言う。

***************

昨日は、神道系の慰霊祭に参列し
犠牲者の御霊に玉串を捧げてきた。

祭主から
「神様は天理にはどうしようもない。
 人を助けたい、という切なる思いが
 神様の願いで、人に罰を与えたり、
 苦しめるものではない」
という、お話があった。

「神様=全知全能」かと思っていたら
宇宙的法則や天変地異はどうにもならない
と聞いて愕然とした。

「キリスト教やイスラム教の神様は
 いったい何やってるのかね…」
という言葉を、先日、
叔母が溢しているのを聞いた。

瀬戸内寂聴もオウム事件の折
「キリスト教や仏教などの既成宗教は
 もはや賞味期限が切れたのかもしれない」
と言っていた。

ほんとうに、このような事態に陥ると
人は「神も仏もない」と言う。

「神も仏もある」ならば、
何故にこんな惨事が起こるのか
と誰しも疑問に思うだろう。

もっとも、仏様・釈尊は
「生病老死」を始めとする「四苦八苦はある」
と認めており、宇宙論的な「なぜ?」には
「毒矢の例え」で戒めを解いている。

すなわち、今、もし毒矢が体に刺さっているとしたら
「生とは何か?」「宇宙とは何か?」などという
根源的・哲学的な問いは役には立たなかろう、
まずは、刺さっている毒矢を抜いて
解毒の手当てをすることが当然ではないか、
というのである。

つまり、苦多きこの世では
苦の根源を問うことは無益で
まずは、その苦と対峙して
難負けしないことこそ大切な生き方である
と説いている。

インドの哲人・タゴールの言葉には
「われ、神に、苦難をなくし給え、とは祈らず。
 苦難に負けぬ心を与え給え、と祈る」
とある。

今回、津波被害で辛くも命は助かったが
家屋も家族も仕事も、すべて失った
ある中年女性は
「助かったのがよかったのか、どうか…
 わからない」
と言った。

死んだほうが楽だった
と言いたかったのだろう。

テレビやマスコミでは
人が津波に呑みこまれる場面も
遺体が山のように重なっている風景も
伝えはしない。

寒々とした体育館に
整然とならぶ幾百もの棺だけが
報道を通して我われが見ることができる
唯一の「人の死姿」である。

これとて、1万、2万という単位で
並ぶのを目にすることは不可能で
数字にすると、単なる統計でしかないが
そこには1万の人生、2万の人生が
確かにあったのだ。



    死ぬもののみが生きてゐるといふ
     その通りなり
      あたりまえのこと

                  碧水歌
                  
















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