きのうから
カミさんが修学旅行で
京都に出かけた。
なので、
退勤後、いつも横目で
スルーしていた唐揚屋で
焼鳥と唐揚げを買って
独り晩飯とした。
勤務校のJCたちも
先々週、修学旅行だったので、
それぞれ感想を聞いてみたが、
友達と色々あったりで、
めっちゃ楽しかったという子は
いなかった。
それよりも、3人の子が
希死念慮のセルフジャッジで
「5/10点」以上だったので
由々しき事だった。
一人だけは
抗鬱剤を服用しているが、
あと二人は、保護者が了解しなかったり、
当人が忌避したりで、
危うい事この上ない。
保護者が正当な理由なしに
然るべき医療を受けさせないのは、
本来なら、虐待になる。
ただ、児相が介入しても、
その後は、家庭に戻されるので、
強制保護にも限界がある。
なので、学校臨床の
心理療法や心理教育で
症状悪化をさせぬように
努めているが、正直、
ヒヤヒヤものである。
なので、
神様への御祈念なしでは
いられない。
…
ユングによれば、
個人の無意識
(個人的な忘却体験、トラウマなど)
とは別に、人類共通の無意識領域が
存在するという。
これを彼は
「集合的無意識」と呼んだ。
それには、
太古の体験や種族の記憶が
象徴(アーキタイプ/元型)として
蓄積されている。
そして、それは、
神話、夢、宗教儀式、民族伝説
などに現れる。
善と悪の戦い、
世界の終末と再生、
救済者の登場、
…などは、時代や文化を超えて
繰り返されるテーマである。
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現代社会は、
科学技術が進歩した一方で、
人間の原初的な不安である…
「自分はなぜ存在しているのか?」
「世界はどうなるのか?」
などに、納得のいく答えを
十分に与えられてはいない。
このため、
集合的無意識に潜む
「善悪二元論的な世界観」
「闇の支配者に立ち向かう英雄」
といったアーキタイプが、
現代的な形で噴き出してくるのである。
これが、時に、
「科学では語り尽くせない
深層的な不安に、物語的な形を
与えたもの」
として、陰謀論となる。
ケムトレイルなるものも、
その一例と思われ…
「悪しき支配者」
(=化学物質を撒く側)
「無力な民衆(=我々)」
「真実を暴こうとする少数派」
(=目覚めた者たち)
…という構図は、まさに、
神話的な対立構造とも言える。
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もともと「神話(myth)」は、
世界の成り立ちを説明し、
人間の生きる意味を与え、
共同体の秩序を正当化する、
という重要な役割を果たしてきた。
しかし、現代社会では、科学が
世界を合理的に説明するようになり、
伝統的宗教や神話は影をひそめ、
個人主義が進行して孤立感が強まった。
結果、人間の「意味を求める心」が、
宙吊りになってしまった。
この空白を埋めるために、
陰謀論は無意識のうちに
神話の代替機能を果たすように
なったとも言えよう。
世界には「隠された真実」がある。
悪と善の闘争が進行している。
自分たちは「真実を知る側」なのだ。
こうした物語は、かつての神話が
果たした役割ととても似ている。
つまり陰謀論とは、
「意味喪失社会における、
新しい形式の"物語的救済"」
とも言えるのである。
この見方は、陰謀論を「単なるデマ」
として笑い飛ばすのではなく、
人間存在の深層に根ざした心の叫び
として理解しようとするものである。
そこに目を向けると、
今の社会が抱える本当の問題
(孤独、無意味感、抑圧感)が
見えてくる。
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