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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

新しい形式の"物語的救済"

2025-04-23 09:18:17 | 宗教性

きのうから
カミさんが修学旅行で
京都に出かけた。

なので、
退勤後、いつも横目で
スルーしていた唐揚屋で
焼鳥と唐揚げを買って
独り晩飯とした。

 



勤務校のJCたちも
先々週、修学旅行だったので、
それぞれ感想を聞いてみたが、
友達と色々あったりで、
めっちゃ楽しかったという子は
いなかった。

それよりも、3人の子が
希死念慮のセルフジャッジで
「5/10点」以上だったので
由々しき事だった。

一人だけは
抗鬱剤を服用しているが、
あと二人は、保護者が了解しなかったり、
当人が忌避したりで、
危うい事この上ない。

保護者が正当な理由なしに
然るべき医療を受けさせないのは、
本来なら、虐待になる。

ただ、児相が介入しても、
その後は、家庭に戻されるので、
強制保護にも限界がある。

なので、学校臨床の
心理療法や心理教育で
症状悪化をさせぬように
努めているが、正直、
ヒヤヒヤものである。

なので、
神様への御祈念なしでは
いられない。



ユングによれば、
個人の無意識
(個人的な忘却体験、トラウマなど)
とは別に、人類共通の無意識領域が
存在するという。

これを彼は
「集合的無意識」と呼んだ。

それには、
太古の体験や種族の記憶が
象徴(アーキタイプ/元型)として
蓄積されている。

そして、それは、
神話、夢、宗教儀式、民族伝説
などに現れる。

善と悪の戦い、
世界の終末と再生、
救済者の登場、
…などは、時代や文化を超えて
繰り返されるテーマである。

--

現代社会は、
科学技術が進歩した一方で、
人間の原初的な不安である…
「自分はなぜ存在しているのか?」
「世界はどうなるのか?」
などに、納得のいく答えを
十分に与えられてはいない。

このため、
集合的無意識に潜む
「善悪二元論的な世界観」
「闇の支配者に立ち向かう英雄」
といったアーキタイプが、
現代的な形で噴き出してくるのである。

これが、時に、
「科学では語り尽くせない
深層的な不安に、物語的な形を
与えたもの」
として、陰謀論となる。

ケムトレイルなるものも、
その一例と思われ…

「悪しき支配者」
(=化学物質を撒く側)

「無力な民衆(=我々)」

「真実を暴こうとする少数派」
(=目覚めた者たち)

…という構図は、まさに、
神話的な対立構造とも言える。

---

もともと「神話(myth)」は、
世界の成り立ちを説明し、
人間の生きる意味を与え、
共同体の秩序を正当化する、
という重要な役割を果たしてきた。

しかし、現代社会では、科学が
世界を合理的に説明するようになり、
伝統的宗教や神話は影をひそめ、
個人主義が進行して孤立感が強まった。

結果、人間の「意味を求める心」が、
宙吊りになってしまった。

この空白を埋めるために、
陰謀論は無意識のうちに
神話の代替機能を果たすように
なったとも言えよう。

世界には「隠された真実」がある。
悪と善の闘争が進行している。
自分たちは「真実を知る側」なのだ。

こうした物語は、かつての神話が
果たした役割ととても似ている。

つまり陰謀論とは、
「意味喪失社会における、
新しい形式の"物語的救済"」
とも言えるのである。

この見方は、陰謀論を「単なるデマ」
として笑い飛ばすのではなく、
人間存在の深層に根ざした心の叫び
として理解しようとするものである。

そこに目を向けると、
今の社会が抱える本当の問題
(孤独、無意味感、抑圧感)が
見えてくる。

 

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