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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

善の研究

2019-10-18 06:37:00 | 勉強
きのうの朝は
6.7℃だったという。

今朝も負けずに寒い。

電気毛布とヒーターだして
正解、正解!

( ˶˙ᴗ˙˶ ) ヌクヌク

昨晩、
入浴してたら、
前日の検診で採血された時の
血止めの絆創膏が
まだ貼られていたのに気が付いた。

ゆんべも
お風呂でカラダ洗ったのに
それでも剥がれなかったんだなぁ・・・と、
妙なことで感心したが、
そのまんまだとカブレるので
剥がしてから痕を洗った。




風呂に入ると、
嫌でも己が身体のあちこちを
直視することになるが、
いつの間にやら、
右中指のへバーデン結節による
ミューカスシスト(水ぶくれ)が
治っていたの気づいた。

その代わり、
病変のあった処から生えた爪が
昔のトタン屋根のように
波打っていた。

まるで、
ゴルフ場の二段グリーンのように
段差ができていて、
見ようによってはキモチわるいが、
初めてで珍しいので
その触り心地を面白がっている。




きのうは出先で
珍しいタルト屋さんを見つけ、
いくつか買ってきて
3時のティータイムで味わった。

箱から取り出し喰いも
能がないので、
フレンチ用のノワール・プラに
ドレッセして
キャラメル・パウダーを
メレンゲの上に散らしてみた。

コーヒー・カップは
高2の修学旅行で
京都の清水坂で
当時2千円で買った
「清水焼」である。

17才の少年にしては、
ずいぶんと地味好みであるが、
あれから45年近く、壊れもせず、
今尚、愛用している。

あの頃、
まさか、10年後に、
京都に住むようになるなんて
夢にも思っていなかった。



なんだか、
急にオレンジ・リキュールが飲みたくなり、
「やまや」で、
名品の『グラン・マルニエ』と
ドーバーの小瓶を買ってみた。

ついでに、
名品『カルーア』とドーバーの小瓶で、
コーヒー・リキュールの違いを
テイスティングしてみようと思いついた。

封切り直後の大瓶からは、
トクトクトクという
魅惑的なサウンドを伴って
琥珀色のリキュールが
グラスを満たした。

とたんに、
柑橘系のブーケが
鼻先に立ち上がった。

さすがに、
そのコピーに
偽りはないなぁ・・・である。

「永年の時を経て、今なお愛され続けている、
他の追随を許さない唯一無二の名酒『グラン・マルニエ』。
1880年の誕生より変わらない
マルニエ家秘伝のレシピが生み出す
オレンジ・リキュールの最高峰」
・・・だそうだ。

5年以上熟成させたコニャックと
カリブ産のビター・オレンジで
作られている。

「オレンジ・ピールやフローラルな香り」は聞けるが、
「樽熟成からのウッディーな香り」となると、
あるかなぁ・・・という感じだ。

「ヘーゼルナッツや、ミルク・キャラメルの味わいもある」
というのも、
あるかなぁ?・・・と、首をひねった(笑)。

「飲む香水」という褒め言葉もあるが、
それは否定しない。

文字どおり「薫り高い」逸品ではある。

同じオレンジ・リキュールで
国産のドーバー社のものは
善戦しているが、
香りとコクの点で
一歩及ばずという感じだった。

コーヒー・リキュールのVSは、
圧倒的にカルーアの勝ちである。

ドーバー社のものは、
やはりコクと香りの点で、
世界の名品には
二歩ほど及ばなかった。

この機会に、ウィキで、
カルーアの薀蓄を調べてみた。

コーヒーは、
メキシコの高地のアラビカ種を
エスプレッソ方式で抽出させるという。

それに、同じ高地の
サトウキビの蒸留酒を合わせ、
バニラとカラメルを加えて
8週間寝かせるらしい。

「カルーア」というのは、
アラビア語でコーヒーを表す
俗語「カフワ」 (kahua) から来ている。




Eテレの『100分 de 名著』を
毎週、寝室で寝ながら視聴して、
勉強している。

25分×4週なので、
ゆったりペースで
学べるのがいい。

新しい知識や、
それにインスパイアされたことを
システム・ノートに書き込んでいる。

今は、西田幾多郎の
『善の研究』が専門家によって
解かりやすく講釈されている。

原書は読んだこともないが、
番組は100分でその要所が
平易に解かるようになっている。

きのうは
第2回目の「宗教」で、
面白く勉強した。

意外だったのは、
西田哲学の根幹が
ユングの「意識論」に
近似していたことである。

なので、
ユンギャンの河合先生の著書から
「意識の構造」が引用されていた。

「自己実現」も
ユングが説いた
人間の心理的発達の完成と
同義で用いられていた。

自分を深く掘っていくと、
個人的無意識の層から
普遍的無意識の層へと到達し、
人類全体や宇宙、神と
合一するという思想が
「善」という言葉に包含されていた。

それは、
「善悪」の「善」とは
全く以って異なるものであった。

「宗教」の「宗」の字義は、
「ウ冠」が「家」を、
「示」が「神事」を意味し、
〈神事の行われる家屋〉
という意味だそうな。

また、
「大いなるもの」
「大本/大元」
という意味もあり、
「大いなるもの」の「教えること」が、
すなわち「宗教」であるという。

日本人は、
宗教と宗派を混同しているので、
なかなか理解できないそうだ。

中世後期の名画家ジョットが、
ローマ法王に呼ばれ、
目の前で画力を見せてみろ、
と命ざれて「一円相」を
その場で描いた、
というエピソードは面白かった。

これまた、
ユングが唱えた
「曼荼羅」や「ウロボロス」
の深層心理的な意味と通低していた。

西田も円相図を描いて、
「心月孤円光呑万象」
と書している。

心を月や一つの円に喩え、
それは、万象を呑んでいる、
というのである。



「言葉を超えて無限と一つになることが善である」
というのも理解し難いが、
デカルト的な「我思う故に我あり」のように
認識する主体と認識される客体を
分離・切断するようなことはせず、
それ以前の段階である
主・客が相互作用している状態にあって、
現象を純粋に体験することが
「善」と西田は説いた。

リンゴを見て、
「赤いリンゴ」
という認識をしたら、
それはもう「純粋経験」ではない。

そこに、言葉による判断が生じて、
事象を分ける働きが起きている。

その前段階とは、
今ここで、色や形を見る瞬間であり、
認識以前の現在だという。

「赤い」とか「リンゴ」
とに言語化、一般化すると、
その事象の固有の本質や
リアルな姿が失われるのである。

「赤いリンゴ」
と思った瞬間に
みんな同じリンゴになってしまう。

言語化は知性化でもあるが、
何事も言葉で切り取って表現した瞬間に、
切り取る前の「本当はすごい世界」は
失われてしまうのである。

・・・とすれば、
宇宙や神についても、
言語や数式で現せるはず、
と考えているのは
「矛盾」や「誤謬」を孕むことになる。

まだまだ、
西田哲学、理解し難しだが・・・
これらの宗教哲学的な命題を、
また今月の宗教セミナーの話題にして
Tちゃん先生と対話・研究してみたい。

テレビ勉強

2019-09-06 06:11:00 | 勉強
おとついの明け方、
耳もとでプーン、プーンと
飛び回って安眠を妨げた
“フライング・バンパイア”を
やっと撃退した。

CO2センサー、
赤外線センサー搭載の
モスキートも、
脳みそは軽いようで、
読書してる最中、
もっとも叩きやすい腕にたかった(笑)。

でも、すぐには叩かず、
まず、ジッと観察したら、
姿勢がグッと一段さがり
ノコギリ型といわれている
口器の先端を掘削せんと
刺したと思われた瞬間に
ピシャリとやった。

腕の上ではつぶれず、
隙間があったのか、
原型のまま失神したか
ショック死したようだった。

枕元の老眼鏡で
じっくりと腹部を観てみたら、
一筋の朱線が確認できたので、
「野郎! 吸いやがったなぁ…」
と、憎しみが湧いてきて、
ティッシュに挟んで、
どのくらいの血量を吸われたのか
視認するため潰してみた。

そしたら、
小さなカラダのくせに、
驚くほどの量が吸われていた。

一説では、
蚊は自分の体重と同量の
2mgを吸って体内に
栄養源として溜めておけるという。

仮にドラキュラ伯爵の体重が
70kgあるとすると
70ℓも摂取することになる(笑)。

2ℓのペットボトル
35本分である。

そんなに飲んだら、
鼻血が出そうだ(笑)。



ナツがインターン先で
もらってきた
巨大カボチャを
1時間ほどオーヴンで焼いて
裏漉ししてペーストにした。

それから、
蜂蜜、生クリーム、
バター、バニラ粒を加えて
小型のラムカンに入れたら、
パンプキン・アイスが
10ケほどできた。

あまった分を
プレートにとって
ココアパウダーを振って
味見してみたら、
濃厚で美味なる
デセールに仕上がっていた。

市販アイスのような
人工香料やら増粘剤やらの
添加物が一切なしの
純正手作りなので
安心して食せる。



子どもの頃、
アマチュア天文クラブに所属し、
「宇宙大好き少年」だったので、
未だに『コズミック・フロント』を
毎週面白く視ている。

今では、
天体観測よりも
「宇宙論」の方に興味が移り、
「自分とは何か?」
「我々は何処から来て、
何処へ行くのか」
という命題とも関連付けている。

2014年に、
地球から見て2億光年先の
ある星座の方向の
銀河の動きを観察していたら、
一定の方向に収斂しているのが観測され、
巨大な重力場の存在が解かった。

それは
「グレート・アトラクター」と命名され、
何千もの銀河の移動速度を
ドップラー効果(光の赤方偏移)で測定すると、
ひとつの形が浮き上がってきた。

それは銀河系が集まった「銀河団」が
さらに集まった「超銀河団」で、
「ラニアケア」と命名された。

ハワイの天文学者が
発見に関わったので、
ハワイ語の「無限の天空」という
意味だという。

2019年には、
さらに近所に4つの
「超銀河団」が発見され、
我々の隣にある「シャプレー超銀河団」と
「ラニアケア」も重力で引き合っているという。

これまでは、
我々の太陽系がある「天の川銀河」と
アンドロメダ大星雲とが、
現在、互いの重力で引き合っていて、
数十億年後には合体し
「ミルキーウェイ+アンドロメダ」から
「ミルコメダ」という新しい
銀河系になると言われていた。

それすら、
文字通り“天文学的”な
雄大なスケールだと思っていたら、
それがなんと、現在は、
銀河系が無数に集まった銀河団が
さらに集まってできた
「超銀河団」どうしも
重力で引き合っているというのだ。

そして、
宇宙全体としては、
膨張する力と
銀河団どうしが引き合う力によって
空間に「粗密」ができて
「泡状」の構造になっている、
という処まで解明されてきた。

しかも、
これは我々が存在する
一つの宇宙(ユニバース)に過ぎず、
現在では、宇宙が無数に存在するという
「マルチバース」説が定説になりつつある。

もう、何がなにやら、
ワカリマヘン・・・
になりそーだが、
〈そこから何を導きだすか・・・〉
というのが、今、取り組んでいる
「魂理学」的な最終命題である。

直感的な極論を述べれば・・・
〈∞×∞=∞〉なのである。(∞:無限大)

・・・ということは、
「なんでもあり」なのだ。

時間・空間・認識・意識・可能性・形態・エネルギー・・・
ありとあらゆることが、
「なんでもあり」。

宇宙は、
意のまま、思いのまま・・・
「誰の?」

勝手にやんなはれ・・・なのだ。
「誰が?」

ここに「自分」やら
「自意識」やら、
「神さん」を入れても
いずれも正解なのだろう。

ただし、この場合の「神さん」は
特定宗教の主神でも
いずれの人格神でもない。

「神さん」イコール「宇宙そのもの」
すなわち「Cosmos Being」なのである。

さらに、
この場合の「cosmos」とは、
形而上的な「秩序と調和」と
形而下的な「それらが実体化したもの」の
両方が「本来一物」であり、
量子力学的な意味で
同じものなのである。

ゆえに、般若心経にある
「色即是空」
「空即是色」
は正しい「宇宙の理解」なのである。

「色」は実体・現象であり、
「空」は恒常な実体がない、
という意味だが、
それは「真空」から宇宙が生じたという
現代宇宙論にも合っているし、
「秩序と調和」というのは、
それ自体は観察できないが
現象化することで認識可能になる
構成概念なのである。

・・・と、このあたりまで、
思考実験で、了解できた。

こんなことを、
ひとり沈思黙考しては、
世間に向かって独白している
「国際魂理学研究所」(所員0)
の所長さんでありました(笑)。

チャンチャン。

(^▽^)> テヘ…♪

全国の「教え子たち」
ついて来れてるかな?

ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ ワカンネ~!!

ヾ( `_ゝ´) ノ もっと勉強せぇ~ッ!      
         



寝転んでテレビ視ながらの
耳学問には、
『ためしてガッテン』を
時々、チェックして
トリビア・ネタをインプットしている。

ゆんべのも
オモロかったが、
なんせ我々の体内には
60種の金属が含有し、
総額にすると
たった「1.131円」ぽっちだという。

金・銀・銅も含まれてるので、
我々は生まれながら
メダリストなのである(笑)。

60種の金属には
見たことも聞いたこともないもんが
山ほどあって、あまつさえ、
そのすべてに「金」篇の漢字が
当てられてるという。

ε=ヾ(◎θ◎)ノ゛知らんかったワイ!

「金」篇に「美」と書く
マグネシウムは、
体内に30gもあって
さまざまな酵素の活性化に
重要な働きをしているそうな。

尚且つ、日本人は
恒常的にマグネシウム不足で、
60代男性で約20%の不足だという。

これを納豆などの
含有食品で100mgほど補ってやると、
酵素作用で血管が拡張して
血圧が下がり、
糖尿病の罹患率が4割減になるそうな。

いずれも、
国立大学の研究論分に依拠した
データであるから
信憑性がある。

ただし、
自分のようなCKD(慢性腎臓病)では
腎機能が50%低下しているので、
過剰摂取はよくないらしい。

なので、
毎日バナナ一本と
ナットひとパック
喰ってるから、
ちょうどよかったんだぁ・・・(笑)。

♪ヾ(o´∀`o)ノ ヤタ~



日々、徒然なるまま・・・

2019-06-26 04:52:00 | 勉強
隠居の身の
六連休中なので、
ゆんべは9時半に入眠し、
今朝は3時半に目覚めた。

7時間睡眠を
理想としているので、
-1時間の勘定だが・・・
「目が覚めたら、朝!」
とキッパリ決めている。

日中、眠たくなったら
そん時、「補眠」(造語)すればよい。

なので、今朝は、
コーヒー&朝刊の
ルーティーン後、
4時からブログ“創作”を
開始した。



今朝は
17℃まで冷え込み、
日中は32℃にもなるという。

15℃もの寒暖差だが、
さすがに、春先の
ジェット・コースター気象の洗礼を受けて、
数週間かけてやっとこさカラダが
順応したようで、自律神経系の乱れや
不定愁訴もなくなってきた。

でも、中度CKD(慢性腎臓病)のため
熱中症体質になり、
夏日への耐性はないから
要注意日である。

真っ昼間になる前に
散歩&買い物をすませ、
あとは冷房寝室で
引き篭もっていよっと。

読むべき本、
聴くべきCD、
視るべき録画番組は、
山とあるので、
家内養生には事欠かない。





きのうも
日中は28℃まで上昇したが、
お昼前に散歩をして
恒例のツタヤ・ブラウジングで
20パーオフセールの
中古CDを4枚と
『ばらかもん』のスピンオフを
5冊ほど買ってきた。

そしたら、
CDコーナーに
『コダーイ/無伴奏チェロ組曲』(412)を
見つけ、ヤフオクで431円で落札したので、
クソ~ッ!! 19円も損したぁ~!!
・・・と、その場で地団駄を踏んだ。

~(>д<)ノ グヤジィ~!

ボンビー・プレ年金生活者ならではの、
“損得ゲーム”である。

ヴァーチャル・ゲームでなくも
課金制の厳しい“リアル・ワールド”なので、
1円単位で一喜一憂して
人生の機微を味わっている。

落語に
「びた一文だって、地べたぁ掘っても、
 出てこないぞッ!」
という名言がある。

金光教祖には
「1円とて、半分に割るつもりで大切に使え。
 1万とて、ここぞという時には惜しみなく使え」
というような
有り難いみ教えがある。

『がばいばあちゃん』も
この金銭哲学を実践していた。

古書コーナーで、
20パーオフで5冊買って
(得した)と思ってたが、
ふと、(レンタルに有りはしないか)
と思い浮かんで、
恐々と(笑)サーチしてみたら、
あったぁ~~~・・・・・・。

 ガックシ・・・ _| ̄|○ セカオワ・・・

この時の、
意気消沈といったら、
なかった。

思わず、その場にへたり込んで、
“世界のオワリ”みたいに
頭かかえこんで唸ったので、
女性店員さんに怪訝な眼で
見られてしまった。

脳内のボンビー・スパコンが、
64円×5-652円=472円
という損失額を
瞬時にはじき出した。

CDと合わせて
491円もの大損失である。

このペナルティと埋め合わせは、
一回分の「昼飯抜き」で
落とし前をつけることにした。

リアル・ゲームは
キビシーのだ。

もっとも、
その前に、無駄っぽい
趣味のマンガ費とCD費の
遊興費を削れ、という発想もあるが、
人間は文化を吸収せずには
生きていけない生き物なのよ、
と、「いきものがかり」の
キヨエちゃんも言っておられる。
(・・・んなワケないか (^▽^)>テヘ…)

「喰って寝て」だけは、
社会的死を意味する。

生物学者のライアル・ワトソンも
「ヒトの本性は、
ネオフィーリア(新規探索好き)」
であると喝破していた。

我が造語では、
「ソフト喰い」と言っている。

(お~い。長くなってきたゾ~・・・笑)
    ↑
談志家元のメタ認知手法

***

莫大な経済損失に
悲嘆しながら帰途につくと、
オフィス8前で
とんと見慣れぬ
おもしろきクルマを見つけて、
思わずカメラを向けてしまった。

人様のものなので、
周囲を見回してから
盗み撮りのように速写した。

リアのロゴで
シトロエン製と判り、
(なーるほど、やっぱ、
おフランス車はエレガントざんす・・・)
と、『おそ松くん』の
イヤミのような心境になった。

普通車ながら
コンパクトで
優美なボディ・ラインに
お抹茶色が、
あたかも【サンダーバード2号】を
思わせた。

サイド・ヴューの
フロントとリア・ウィンドウが
段違いになってるのが、
近未来的でもあり、
セダンを切りつないだようでもある。

こういうのを
【グッド・デザイン】と
称するのだろう。

ワンコイン分の損失も
“美しきもの”を鑑賞して、
だいぶんと癒された。

 佳きもの
  それは美しきもの
   観るにあたひするもの哉

         





明後日は、
月例の宗教臨床セミナーなので、
ディスカッション素材として
今朝の朝刊の
『G20 世界宗教会議の提言』を
採り上げてみようと思った。

なかでも、
「すべての政策が尊重すべきなのは、
第一に統計ではなく、
血の通った人間でなくてはなりません」
という、
ローマ法王のメッセージには
納得させられた。

世界人口の85%が
何らかの宗教に関わっており、
諸問題の75%も
宗教・民族がらみだという。

1970年に
第1回・世界宗教者平和会議が
京都で開催されたが、
宗教学者の山折 哲雄から聞いた話では、
「諸宗教間の対話と相互理解から生まれる英知を結集し、
平和のための宗教協力を行う」
という行動理念にも関わらず、
けっこうガタガタして
紛糾しかけたという。

ところが、
誰かの提案で、
最後に
「我々が共通に出来ることは、
世界平和のために共に祈りましょう」
と、それぞれの形式で
祈りを捧げたという。

それを聞いて、
イイ話だなぁ・・・と、
思った。

あれから、
半世紀近く経って、
はたして人類は
真の平和を迎えたか。

否、である。

50年で文明は格段に進歩したが、
平和共存という主義・思想・宗教
という文化は未だに
定着していない。

まだまだ
野蛮、残虐な振る舞いが
世界各地で散見される。

この解決という
グランド・テーマにも関心があり、
市中の山居のような半隠遁ジジイも
何かしらネットで発信すべく
機会をみてはアウトプットしている。

それは、
【超規模大震災と超規模原発事故】
という人類史上未曾有の複合災害を
身をもって体験し、無事、生き永らえている
“サバイバー”としてのフクシマ人の
責務だと感じている。

なので、
復興支援事業(コンサート)をしながらも、
人類・社会への提言も
別サイトでしてきた。
(https://ncode.syosetu.com/n6240s/)

そこでは、
3.11の翌月から今日まで
58.000のアクセスを得て、
その内容を冊子化して頒布もし、
講演も幾度か行ってきた。

だが、
復興支援コンサート同様に、
個人の出来ることには
限界がある。

でも、何もしないよりは、
ずっとマシだと思っている。

少なくも、
クリネー(臨終の床)では、
自分の人生に恥じずには
済むだろう。

同じフクシマ人でも、
浜通人は「被災者」、
会津人は「非当事者」、
とも言えるので、
「半被災者」の中通人こそ、
提言の使命を負っている
と思ってきた。

***

『方丈記』全文を
ダウンロードして読んでみた。

長明の記した
鎌倉時代の隠遁者のログには、
現代のブロガーの心を惹く処が
いくつかあった。

言わずもがなの冒頭の
「無常観」は、
やはり稀代の名文かもしれない。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 淀みに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
 ・・・
 生れ死ぬ人、いづかたよの来りて、いづかたへ去る。

長明は隠棲前に
琵琶を習っていたようで、
草庵には琴と琵琶があり、
独り弾きの楽しみが
記されていた。

 芸は、これ拙なけれども、人の耳を喜ばしめむとにはあらず。
 ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから情を養ふばかりなり。

また・・・

 身を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。
 ただ静かなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす。

人様を羨ましく思ったり、
あくせくしないことだという。

 ただ、絲竹(しちく)、花月を友とせんにはしかじ。

・・・ともあり、
絲竹の「絲」は、琵琶・琴のような弦楽器、
「竹」は、笛のような管楽器のことで、
楽器を奏で、音楽と自然を友にすれば
上々であるという。

なんのことはない、
我が半隠遁生活そのものである。

長明ってるなぁ~、オレ・・・(笑)。

( ̄□ ̄)ワオ

養生訓もある。

 心、身の苦しみを知れば、苦しむ時は休めつ。
 まめなれば使ふ。
 使ふとても、たびたび過ぐさず。
 もの憂しとも心を動かさず。
 如何に言はむや、常に歩き、常に動くは、養生なるべし。

「過労の戒め」である。
金光教祖のみ教えには、
「自ら、身を潰した者は、助けようがない」
とある。

なので、
我が倅たちや
知人のオーバーワークと
健康障害を常々懸念しては
ご神前でご祈念させて頂いている。

自分も過労が元で
「四十二の大患」で鬱病になった。

メタボ・ロコモ・サルコ予防にと、
暇を見ては散歩を常とし、
気が向けば筋トレもする。

 人に交じらはざれば、姿を恥づる悔もなし。
 糧乏しければおろそかなる報(むくい)をあまくす。

オフ日の家んなかでは、
誰にも会わないから、
穴のあいた短パンとTシャツ姿で
パジャマと普段着を兼用して
着替えもしない。

さすがに、
買い物にはその姿で出る勇気はない。

着てるから着物だが、
脱げばボロである(笑)。

 それ三界は、ただ心一つなり。
 心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望みなし。
 今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。

生きるとは、
心の持ち様に尽きる。

心穏やかならざれば、
いかなる事物も価値を持たない。

 魚は水に飽かず、魚にあらざれば、その心を知らず。
 鳥は林を願がふ、鳥にあらざれば、その心を知らず。
 閑居の氣味も、またかくの如し。
 住まずして、誰か悟らむ。

なるほどねぇ。
せやなぁ・・・。

(ーωー).oO ウーン

結語には、
瞬く間の一生を
一夜の月に喩え、
あらゆることへの執着を
捨てるべし・・・と、
諭しているようだ。
 
 一期の月影傾きて余山の端に近し。
 たちまちに三途の闇に向かはむ時、何のわざをか託(かこ)たむとする。
 
 仏の人を教へ給ふ趣きは、事にふれて執心なかれとなり。
 今、草庵を愛するも咎とす、閑寂に着するも障(さは)りなるべし。

「三途」とは、
火途<かず>、
刀途<とうず>、
血途<けちず>、
の責め苦を受ける場所、
すなわち地獄を意味する。






Y中の壊れたチェロを修復するのに、
治具類をボストンに詰めた。

タイトボンド以外の
ハタガネ、クランプ、魂柱立て・・・なぞ、
およそ弦楽器製作以外では
使わない道具ばかりである。

・・・なんだか、
疲れたなぁ・・・と、
思ったら、一心不乱に
6時間もブログを書いていた。

・・・って、
一日の1/4じゃん。
バカじゃん(笑)。

そりゃ、
背中も凝るわいなぁ。

この集中力と情熱、エネルギーを
他に使えんものかと、
忸怩たる思いがする(笑)。

「金儲け」に・・・と、
浮かばないのだけは幸いだが・・・(笑)。

だから、
ボンビーに甘んじている。

でも、勉強ノートでもあり、
日記文学の創作でもあるから、
己れの自己実現には必要なのであろう。


***

日が高くなる前に、
散歩&買い物に行かねばである。

***

「いちい」で
150円で買った
ミニトマトの小鉢が
キレイに色づいた。

35°の焼酎で
コーヒー豆を浸出させ、
生クリームを添加し、
リキュールを拵えた。

ガスパチョに垂らした
生クリームとトマト・ピューレが
マーブル模様を描いて、
いとをかしだった・・・(笑)。

   ↑

『方丈記』『徒然草』流の
事実の羅列・・・(笑)。

だから、何なのッ・・・
ていう記述だよなぁ。

(ノ-_-)ノ□

日記文学、三大随筆といっても
駄文も少なくない。

もっとも、
アタイのんは
全編これ駄文である(笑)。





研修会

2019-06-05 07:26:00 | 勉強
きのうは
日中31℃にもなったが、
研修会のため街中の会場まで
出向いてきた。

なにせ、
熱中症体質なので、
用心に越したことはなく、
遠く離れた駐車場から
炎天下を5分ほど歩くのにも
首にアイスバンドを巻き
しっかりパナマ帽をかぶった。

以前も、
真夏の研修会で
この格好で出向いたら、
院の大先輩でもあるY先生から
「どーしたの?
ムチ打ち症かと思った」
と心配された。

昨日も、
お会いしたら、
「大丈夫?」
と、心配して頂いた。

去年、今年と
班別検討では偶然にも
先生と同班になり、
ドクターたちとの
《サイコセラピー研究会》で
25年来の仲間でもあり、
共に高校教員上がりでもあるので、
楽しく討議させて頂いた。

SC(スクールカウンセラー)制度は、
平成7年に文科省の研究事業として導入され、
Ⅰ期はY先生他ふたりの
3人体制からスタートし、
自分はⅡ期の10人体制から
この仕事が始まった。

なので、
「私たちはシーラカンスですので・・・」
という自慢半分・自虐半分の
自己紹介に、若いSCたちから
驚きと笑いを買った。

今でこそ、
県内の全中学・高校には
SCが配置されたが、
そもそもはシーラカンス世代が
研究費をもらって
ゼロからカウンセリング体制を整備し、
生徒・教員・保護者を啓蒙、教育し、
文科省へも研究報告をして
パイロット・モデルを作ってきたことから
始まったのである。

黎明期のⅠ期・Ⅱ期SCは
自分とY先生の二人だけになってしまい、
文字通りのシーラカンス世代である(笑)。

Y先生は70台の今も
元気溌剌で自転車に乗っておられ、
きのうも
「いや~。先生お元気ですねぇ。
 なんだか、勇気を頂きましたぁ」
と談笑させて頂いた。





事例提供者のケースを
2時間近く全員で検討したが、
レジュメが真っ赤になるほど
ブレーン・ストーミングが起こって、
若いSCに有意義な助言が出来た。

かつて、
《サイコセラピー研究会》や
《ユング心理学研究会》で
10年ほどケース研究をやってきて、
ケース論文も何本か発表してきたので、
事例検討会は好きなのである。

とは言うものの、
現役SCなので、
現在、自分の持つクライアントたちで
頻回リスカを繰り返すBPD(境界例)や
ASD(自閉スペクトラム症)の重篤ケースでは、
なかなか大変な思いをさせられている。

それでも、なんとか、
対応できているのは、
経験的バックボーンとして、
京都で阪先生から受けた
4年間の教育分析や、
これまで数多の研究会で
発表やスーパーバイズなどの
研修を積んできた“体験知”が
自信と支えとなっているからである。

また、学識的バックボーンとしては、
京都での河合先生の7年間のセミナーと
以後の先生の200冊あまりの御著書の読破、
大学院時代の市橋先生(精神病理学)、
昼田先生(精神病理学)、
小野先生(臨床心理学)からの薫陶、
そして、70年代からの学会論文の“読み勉”
というものがある。

これらの“体験知”と“学識知”の
両方が合わさって
己れの臨床家としての
アイデンティティを形成している。

それと、
還暦過ぎて、
2年間の猛勉強により
国家資格を得たことも、
医療・教育・福祉・司法・労働の
多領域の体系的知を得るという
いい自学期間で、
そのライセンスも自信となった。

やるな!
シーラカンス(笑)。

┐(´Д`|||)┌ ジガジーサン

でも、
古代魚はやがては
滅びゆくのが運命であり、
「老兵は消え去るのみ」
の定めでもある。

 うらを見せ
  おもてを見せて
   散るもみじ

         良寛





野球帽をかぶっていた
小学生の頃のイメージが
今だにあるので、
ついつい羽生ちゃんと
呼んでいるが、
その大天才・羽生ちゃんが、
とうとう歴代最多勝数の
「金字塔」をおっ立てた。

アベマのテレビ対局で
まだ学生服を着ていた
中学生のソータに負けた時、
「あれで、スイッチが入った。
 藤井先生には感謝している」
と奥さんの畠田 理恵が
ツイッターで言っていた。

自らも中学生棋士であったので、
その圧倒的強さに破れ、
「もう、彼は信じ難いことに、
現時点ですでに完成している」
と評して、
「自分の中学生の頃よりも、
圧倒的に彼の方が強い」
と絶賛した。

その後のソータとの対局では、
1勝2敗と負け越している。

歴代勝数1位、
タイトル獲得99期、
永世七冠という大棋士、
現時点では棋界の最高峰に
勝ち越しているソータが
いかに凄い存在かが知れよう。

今朝の朝刊には
ソータの「子どもセミナー」での
講演記事も載っていた。

そして、羽生・ソータという
二大天才の共通点として、
「敗北」「失敗」「ダメージ」を
「ひきずらない」
ということを金言として
述べている。

「しっかり寝て忘れること」
というのもいい。

そうは言うものの、
彼らは、負けた将棋について、
AIソフトを用いて、
己の頭脳をフルにコミットさせて
それを分析・検討している。

「悔しさ」「悲しさ」といった
辛い気持ちは、
寝て忘れられるが、
「敗因」については
冷静に分析して、
以後、同じ轍を踏まない、
というのが天才の天才たる所以であろう。

かれらの、
勇気を持って、
踏み込むべきときは
一命を賭して踏み込む、
という勝負術も処世術の
参考にもなる。

ニュアンスは異なるが、
河合先生の
「百点をとらなきゃいけない時がある」
というのは
将棋でいうところの
「勝負手」なのかもしれない。






閑職となり、
半隠遁の半隠居なので、
過去の想い出を振り返る時間を
意識してとるようにしている。

現役世代の壮年期の頃は、
忙しすぎて過去を顧みる余裕なぞ
なかった。

還暦を過ぎて
セミ・リタイアメントになった
今だからこそ、
これまでの人生の道行きを
アルバムや手紙なぞを見て
しみじみと味わっている。

そういう意味では、
メモリアル物や
アニバーサリー物、
家族イベント物をいろんな形で
残してきて良かった。

ダンボール5箱分くらいあるが、
押入れの中で塩漬けになってるより、
寸暇を見て、閲覧して、
ブログアップして
味わおうと思っている。

斯くばかりの振る舞いは、
老人になってきたという
証拠なのだろう。

 おしなべて
  味わひ深き人の生(よ)を
   歩まんとする
    今日より君は

          上田三四二



家紋にすっぺか・・・

2019-04-26 06:48:00 | 勉強
昨日は
Tちゃん先生とお姉様に
茶室でお薄を差し上げてから、
宗教臨床研究会の
セミナーを行った。

ケーススタディを中心として、
「救い」と「助かり」について
考察するのが、
このセミナーの眼目である。






茶室で炊く
沈香が切れたので
ヤフオクで安価なものを
落札した。

茶道具店で購入する
1/3の価格で買えたのは
ラッキーだった。

わずか10gだが、
お焼香の要領で
一つまみを熾した炭にくべると
茶室全体が幽玄な香りに包まれ
市井の山居たる非日常的時空へと
誘ってくれる。

「沈香」の由来は、
樹脂を含むために
水に沈む処に拠る。





春先のフキノトウが好き過ぎて、
我が家の家紋も
「令和」の改元を機に
この意匠に変えようかしらんと
冗談半分で思った。

でも、
佐々木家の先祖が
果たして許してくれるかどーか・・・(笑)。

次男なのに、
本家の本宅を継いで、
老母の面倒を看てるんだから、
これくらい、いいじゃんねぇ・・・(笑)。





私的「十七連休」中に、
ソータの棋戦が二つあるのは
嬉しい限りである。

今度の日曜は
超早指し戦のアベマ・トーナメントで
ソータは初代チャンプなので、
今回は二連覇なるか・・・が、
注目の的である。

前回は、
公式戦29連勝を阻止した
イケメン佐々木勇気との
「巌流島決戦」だったが、
見事にその雪辱を果たした。

トーナメントのPVでは
タレントさながらの小芝居で、
看板スターの面目躍如ぶりが
微笑ましくあった。

9日の「王将戦」は
有料サイトだが
昨晩、前売りチケットの
ワンコイン決済を済ませ
当日を待つばかりである。

先日の竜王戦は、
無料サイトということもあり、
十万人を越す視聴者をカウントした。

仮にその半分が
有料サイトを視聴すれば
2.500万のサイト側収益になるので
たいした経済効果である。