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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

献呈論文

2019-03-17 09:40:00 | 勉強
きのうは、午後から、
お祝いしたいお客様が
いらっしゃる予定だったので、
午前中から
プチケーキを焼いたり
ドラ焼きを作って、
“パティシエごっこ”
“和菓子職人ごっこ”
を楽しんでいた。

幸い、
卒業生から頂いた花束が
まだ生き生きとしていたので、
卓上に飾り、
菓子類はティースタンドに
ドレッセした。





「アフタヌーン・ティー」について
ウィキってみたら、
1840年頃に、某公爵夫人によって
始められたとされる
イギリス発祥の喫茶習慣という。

紅茶と共に
軽食や菓子を摂る習慣で、
英国の上流階級文化の
精髄の一つらしい。

単に飲食を楽しむだけでなく、
会話の場であり、
食器や花なども愛でるので、
広範な分野のセンスや
知識・教養が要求されるから、
日本の「茶道」と同じである。

ロー・ティー(Low tea)
とも呼ばれ、
客間の低いテーブルで
提供される。

取って付けたような
我が家の“おそ松くん”な
Afternoon tea だったが、
お客様にはお喜びいただき、
趣味の菓子作りも
役に立つもんだと思った。





長らく
教育分析に通って来られている
T先生から
「謝辞」を記載した
論文を献呈して頂き、
光栄に思わせて頂いた。

心理屋・SCとして
いずれやらねば…と、思っていた
『高校生のネット依存の要因』
という研究テーマに着手され、
「自尊感情」がリスク・ファクターでなく
「関与様式」に関連性が有ることを
見出された。

ことに、
「普段の生活の不適応感や
発散できないストレスを
ネット上で吐き出し、
その爽快感が依存の一因になる」
というのは
臨床的経験を裏付ける卓見である。

いわゆる「コミュ障」系や
「メンヘラ」系といわれる
不登校の中高生が
『フォートナイト』や
『荒野行動』といった
バトル物にハマッて
依存になっているケースが
少なくない。

そして、
「攻撃的言動」と
依存の正の関連性は、
ネット上での誹謗中傷事件を
起こす子たちほど、
依存傾向が高いというのも
臨床的実感に即していた。

直近の
厚労省研究班の発表による
「中学生10%、高校生16%が依存症」
というのは、
“亡国の兆し”という
危機感を抱かざるを得ない。

そのような
喫緊の社会問題に
真正面から取り組まれて、
十分に先行研究を行い、
500以上もの母集団からデータを取って
綿密な統計分析を行った当論文は
まさに社会的ニーズに応えたもので、
公益性のある情報をもたらしてくれた。

先行研究の要旨を概観するだけでも
「ネット依存研究」の最先端が伺われた。

今後の検討課題として
「高校生活充実度と依存の関連性」や
「男女差」などが示されたことも
有益であった。

ご縁のある先生が
このような立派な論文を書かれたことは、
望外の喜びでもあり、
今最も関心のあるテーマなので
不思議なシンクロニシティをも感じた。





ファイナル・リサイタルへ
あと1ケ月を切って、
さすがに「お尻に火」モードで
毎日欠かさず筋トレ、
ギター練習、楽譜の再検討、
プログラム印刷、CD作成なぞを
やっている。

昨晩も遅くまで、
フラメンコ・デュオのソロパートを
弾いては書き直し、
弾いては書き直し・・・と、
念入りに検討した。

これを充実した「春休み」
というのだろう(笑)。

今晩も、
フラメンコ・デュオの相方H君と
レッスン方々、合わせの追い込みをやる。

彼は音楽教員だが、
ギターでのステージは
初めてになるので、
念入りな練習を
必死モードでやっている。

音楽に、楽器に、
全人的に没入して
忘我の境地になるのは
「くるたのしい」もので、
ライフ・モットーである
「人生、深生き」の
濃密な実践でもある。

本番の舞台上では、
さらなる凝縮した時間と
生の実感を得ることだろう。









ブログ文学

2019-02-26 04:56:00 | 勉強
河合先生とキーンさんによる
対談のいくつかを
再読している。

どちらも
鬼籍の人となったが、
私淑する先生でもある。

書棚に20年近くもあり
すっかり表紙の焼けた
『河合隼雄 全対話』の9巻目を
久しぶりに紐解いた。

やはり、
賢人どうしの対談には、
「温故知新」的な
学びの種子が
眠っているものである。





キーンさんの
日本文学者としての出発は、
太平洋戦争時の
情報部将校として
日本兵の日記を読むことだった。

そして、後に、
『紫式部日記』『蜻蛉日記』
『更級日記』『土佐日記』などの
「日記文学」に日本文学の本質を
見出したという。

「日本の場合、日記は
単なる記録ではなく、
非常に大切な文学です」
と言う。

日記は自分で自分のことを書くが、
その日の観点から出来事を見ており、
日が続くことが一種の構造になり、
時間が構造になる・・・とある。

そこで、はたと気づいたが・・・
2004年から、毎日、毎日、
飽きもせずに
365日書き続けてる
『我がブログ』も
日本伝統の「日記文学」なのかぁ・・・
という誇大な妄想を抱いてしまった(笑)。

最近では、
「自分史」なぞという方が
通りがいいが、
「日記文学」では
大上段過ぎて
気恥ずかしいもんねぇ。

その伝でいけば、
ツイッターなるものも
矮小化した「日記文学」の
亜種なのかもしれん。





ぽちぽちと、
リサイタル準備をしている。

まずは、
ロビー頒布物の在庫確認と
その帳簿付けである。

これから、
いちばんの目玉商品である
去年の『2018ライヴ』を30枚ほど
増産しなくてはならない。

今年でハケきれなかったものは、
講演&ミニコンの
頒布物にしようと思う。

それでも余ったら、
鍋敷きか瓦け投げか、
鳥除けにでも
するっきゃない(笑)。

行きつけのお鮨屋さんに
毎年依頼している
二色刷りA3のポスターは
オフィス・エイトで
10円コピーのものである。

テルサにも
それで頼んできた。

さすがに、
音楽堂のものだけは、
80円のフルカラー・コピーにして、
「青」「緑」「オレンジ」も
出るようにした。

なにせ、
庭に「金のなる木」があって
やってるわけじゃないので、
自前でできることは
全部自家製で済ませている。

だって、
演奏すんのも
自分なんだもん。





行きつけの
お鮨屋さんでは、
仕上げの“アガリ”に
いつも作家物の備前で
焙じ茶を入れてくださる。

備前焼に偏愛があり、
ことに作家物は
自分も蒐集しているので、
モノの良し悪しは判る。

備前独特の
「窯変(ようへん)」と言われる
妖しい文様、柄は、
炎がつくる偶然性のアートで
同じものはひとつとしてなく、
何ともいい難い魅力がある。

備前には
たいそうな「侘び寂び」感があるのだが、
茶道では
一「楽」二「萩」三「唐津」
と言って、
あまり重用されないのが
不思議である。






最下位当選 ホッ゚゚(´□`。)°゚

2018-12-01 09:49:00 | 勉強
きのうは
午後から2軒の
アウトリーチ(訪問支援)に出かけた。

一軒目では
生徒の機嫌がわるくて
“塩対応”されて落ち込んだが、
二軒目では
真逆に機嫌がよく
主訴が改善し登校意欲が出てきた
という報告に嬉しく思った。

お母さんと一緒に
選んできたというお菓子を
「先生。持っていって下さい」
とたくさん差し出され、
ドラ焼をひとつだけ頂いて
帰校途中の車内でありがたく
味わった。

そして、
ふと、あぁ今頃、
国試の合否通知が届いてるなぁ・・・と、
思い、今の自分の仕事を
神様がどう評価して下さるかだなぁ・・・と、
通知表をもらう小学生のような
気分になった。

退勤後、
真っ暗な高速を走っていて、
家に近づくほどに、
「冷静に結果を見れるんか?!」
と耳元で囁く内言に
「ま、どっちに転んでも、
現実を受け容れて
神様に御礼申し上げよう」
と信仰者らしく
腹を括った。

自らに課した試練なので
この程度の胆力は
いくらか備わったようだ。

家にちょうど7時に着くと
珍しくカミさんも
同時に帰宅してきた。

祈る気持ちで
郵便受けをあけると
空っぽ。

(ヘッ?!・・・)

11/30に通知すると
要項にはあるのに、
いったいナンジャイ!?





PCを立ち上げて
厚労省のHPにアクセスすると
「合否結果」がPDFで
アップされていた。

宮城会場を検索して、
さあ、当選番号があるか、否か。

さほどドキドキもせず、
受験番号を探したら、
「あら。あったわ・・・」
と、すぐに見つかった。

それでも、
落語の『宿屋の富』の心境で
二度、三度、番号を確認したが
間違いなさそうであった。

嬉しいというより、
なんだかホッとした、
苦労が報われたという
ありがたい気持ちが先立ち、
すぐにご神前で御礼申し上げた。

カミさんにも
「国試、受かった・・・」
と報告すると
「オーッ!!」
と、珍しく手を叩いて喜んでくれた。

「これで、もう、
受験勉強しなくてもいいね」
だって・・・。

( ̄△ ̄) ソッチカイーッ!!

・・・でも、
なんにせよ、
還暦ジジイの無謀な挑戦が
結果オーライだったのは
これ幸いとしか言いようがない。

ホッ゚゚(´□`。)°゚




同時に、
厚労省から正答が発表になり、
3ケ月ぶりに問題冊子二冊を取り出し、
正式に採点してみて
ゾッと鳥肌がたった。

なんと、
「230点満点/138点以上合格」
という判定で
ちょうど138点だった。

自己採点では
当落ラインで五部五部だな、
と覚悟していたが、
まさに崖っぷちだったのだ。

あと1点足りなかったら
「不合格」だった。

『おそ松くん』のイヤミなら
ここで、思いっきり
「シェーッ!!」
のポーズをする処である(笑)。

なので
奇跡的合格
といっていいだろう。

朝晩、
ご神前にご祈念し、
散歩のたびごとに
近所の氏神様にも
一心に合格祈願させて頂いていた。

そして、
Tちゃん先生にも
お祈り添え頂いていた。

22年間、
愚直に「世と人のお役に立つ」
カウンセラーをさせて頂いたことを
神様に評価して頂いたようで
ありがたく思わせて頂いた。

ただ、
選挙なら
最下位当選したようなものなので、
100点満点に換算すると、
22年で、やっと60点に届いて、
どうにか最低限の
「格に資する」
ということなのである。

この道も油断ならんなぁ・・・。
まだ、この先40点も
勉強することがあるんだ。

「勝って兜の緒を〆よ」
という『巨人の星』に出てきた
星一徹の言葉が浮かんだ。

そうなのだ。

「目指すべき峰に掲げられた旗」に
到達するのに、
ようやく6合目まで
着いたに過ぎないのである。

まだまだ先があるのだ。





「お願いにあわて来るものはあるが、
お礼にあわて来るものはいない」
という御教えがあるので、
まだ夜の明けぬ5時半に
近所の氏神様から
お礼参りをさせて頂き、
Tちゃん先生の教会へも
お礼の朝参りをさせて頂いた。

そして、このたびは、
多くの友人・知人・教え子の方々の
激励やお祈り添えも頂き、
まことに、
ありがたいことでありました。

<(_ _)> ヘヘェ






暇=時間=命

2018-11-22 06:47:00 | 勉強
三連休というのを
失念していて、
カレンダーを見て、
あらま、ほんならオフ日入れて
五連休やん・・・と、
ちと嬉しかった。

還暦過ぎて
閑職・半隠遁生活を
満喫してはいるが、
「暇=時間=命」
という等式が
常に脳裏にある。

そう。

命の残り時間、
持ち時間が
少なくなってきた今、
本質的なこと以外に
関与することを極力避けている。

自分にとって大切
と思えることにのみ
時間を割いている。

元より世間の外的価値感を
倦厭する嫌いがあり、
兄の結婚式をバックレたり、
自らの結婚式をコンサートに代えたり
(兄家族は来てくれたが・・・)
老母曰く
「みんなから変人だ、
って言われてんだよ」
だって(笑)。

どうも若い頃から
自分の内的価値観を
優先するみたい。

今、人生の総仕上げの
段階に入ってきて、
益々その傾向に
拍車がかかってるかも。

二十代の頃、
カミさんも教員だったので、
「共稼ぎだと、二人分合わせると
マツシタの重役くらいになるなぁ」
なんて言っていたことがあり、
27才で京都市内に
中古マンションが買えた。

そして、
バブルで5倍まで値上がりし、
崩壊後も2倍までに留まってくれ、
その不動産利鞘で
帰福後に一軒家を買えた。

きっと、
その時に「金」に対する
疑義と嫌悪感が生じたのだろう。

奉職していた学校にも
「金ばっかりくれやがって・・・。
それでイイと思ってるんか」
と内心毒づいたことがある。

必ずしも、
「金」と「たましい」は
対局にあるものではないが、
どうも、世間一般の人たちの
振る舞いや事件を鑑みると、
「金が仇」
「金でたましい売る」
みたいなのが多すぎて辟易する。

なので、
単純に、短絡的に
「分不相応の
身につかない金は
堕落、不幸を招く」
と感じているのかもしれぬ。

元同僚で不動産を持つ
資産家だったX先生(名前忘れた)は、
100万を貸した知人との間の揉め事で
刺されて亡くなった。

億万長者でも、
100万は惜しかったらしく、
相手のプライドを傷付けて
激高させたのだろう。

この身近な事件から
「億の金を持つと億の苦労、
億の不幸に見舞われる」
という経験則を学んだ。

そこへいくと、
我が家の不幸なぞ
「千円単位の不幸」である(笑)。

「錦を着て憂う人あり。
 襤褸を着て笑う人あり」
という箴言が好きなので、
どうも好んで身を投じた
貧困なのかもしれない。

余生は、
過去、自分に投資した遺産で
十分に楽しめることに
最近気が付いた。





自分にとって、
疑問なことへの答えを
常に考えている。

なぜ、
ご神前の片付け、
整理、清掃で
二度も怪我をしたのか?

二度とも血を観た。

形而下的発想では
「神様のお部屋を片付けて
バチが当るのは理に合わない」
なので、
形而上的“思い替え”をしてみると
「ははん。
ただ、投げてたなぁ・・・」
と気が付いた。

 気づかねば
  ぼや大火事となる道理
   気づきしことはありがたきかな

・・・という、
碧水先生の御教えが
腑に落ちて、さっそく、
ご神前で御礼申し上げた。

それから、
捨てる物にも命が在った、
あるいは、未だ在るのに捨てる、
そして、役に立ってくれた御礼を
言い忘れていたことへの
「お気付け」というご神慮に
思い至った。

ナッちゃんが
保育園児だった頃、
故障した電子レンジを
不燃ゴミに出すのに、
「いままでありがとう」
と書いて貼ったのを
褒めたことがある。

子どもの素直な心、
これを神心というのだなぁ・・・と、
悟らされたはずなのに、
「断捨離」という
「こころ」や「たましい」と
離れた捨て方が間違っていた。



内的価値感とは
「真善美聖」に基ずく。

きのうは、
ユーチューブで
河合先生と曽野さん、
狐狸庵先生、愛子先生らの
インタヴュー番組を
それぞれCD化した。

いずれも、
永らく自分を教導してくれた
「心酔する師」たちであり
「老賢者」たちである。





散歩の途中で
古物店を
ウィンドウ・ショッピングしてると
時折、掘り出し物に
出逢うことがある。

浪費家の言い訳なのかもしれぬが、
なんだか、物の方から
「私を使って」
という声が聞こえるのである。

先日も
近所の店で、
ノリタケの32cmもの
メイン・プレートが目にとまり、
その大きさ、金縁で
品のいいサーモンピンク、
そして1.300円という安価と、
新品未開封というので、
条件が揃いすぎて
買わない理由がなかった。

口に貧困を嘯きながらも・・・、
これは浪費なのか
たましいの充実費なのか・・・と、
高々1.300円で
深思熟考した。

アフォーダンス理論じゃないが、
「私に素敵にドレッセして」
と感じるんだから、
物と魂がニールス・ボーアの言う
「暗在系」で通底・シンクロしたのだから、
まさしく「出逢いもん」なのだろう。

俗に言う、
ビビッときた、
ゾーンに入った、
ということなのだろう。

ヤフオク創設期から数年間、
しばらくネット商人をやって
月商10万円で、やめるまで
4.500件の取引をしていたので、
物の真贋を見極める眼はある。

この新古物は
5.000円の価値はあるので、
電卓をはじくと
74%オフとなる(笑)。

だから、
3.700円分
もーけたー!!
と考えると
気分がいい。

♪ヽ(´▽`)/ ヤタ~

こんな素敵な額縁だったら、
真ん中に
コロッケとパセリ盛っただけでも
美しく見えてしまうだろう(笑)。




カウンセリング室&ギター教室の
兼用玄関のスリッパを
冬物に換えた。

夏物は今年、
カミさんに
新調してもらった。

カワチでの
買い物ついでに
買ってもらったが、
めっちゃ派手ハデなのを
奨めるので、
「これじゃ、
クライエントの人たち
ココロかき乱されるよ~」
と駄目出しした。

階段の踊場には
おととしのリサイタルで演奏した
自作のヴィオリーノを飾った。

フレットにガット(羊の腸)を巻き、
全弦もガットである。

アゴではなく
お股に挟んで弾く。

教え子のピアニスト・
イマダケちゃんの名伴奏で、
カタロニア民謡の
『鳥の歌』を気持ちよく弾けた。





闘い済んで、夜が明けて・・・

2018-09-11 06:44:00 | 勉強
国試の翌日も
平生どおり出勤して、
生徒のカウンセリングや
先生のコンサルテーションを
行ってきた。

昨日から
職場体験がはじまり、
生指会議がなかったので、
いつもほどキツキツではなかった。

空き時間があれば、
国試の自己採点をしようと
問題冊子を持参していたが、
けっきょくは
数頁ほどしか出来ず
そのまま持ち帰った。

昼休み、放課後と
予約なしの“飛び込み”JCが
三人できて、
「いじめ」の話から
それぞれの複雑な家庭歴の話となり、
笑いを交えながらも
「人生の生き方」について
語り合った。

三人とも父親がいなくて
父性性欠如のようだったので、
愛娘に語る老父のように
慈眼と笑いで包んであげたら、
癒されて満足したように
帰っていった。

結婚後、
娘が欲しいとずっと願っていたが、
けっきょくは三人息子だったので、
ドーター・コンプレックスがあって
女の子にはついつい
甘く優しくなってしまう(笑)。

愛娘はとうとう持てなかったが、
JCやJKたちが
代わるがわる相談に訪れるので、
そうだ・・・この子たちが
可愛い娘たちなんだ、
と或る日、気が付いた。

長年、不妊で子どもが出来ず
沈んでおられた或る先生には、
「教え子という、すばらしい子どもたちが
沢山いるじゃないですか」
と助言してさしあげたら、
元気になられて、
益々いい教師になられた方もいる。

我が子も
教え子も
自分と縁あって
この世で出逢った、
と考えれば、
虐待やらおざなりな交わりは
できないと思うのだが・・・。

( ̄(エ) ̄)ノ  



加齢と共に
だんだん早朝覚醒するようになり、
夜明け頃には
もう書斎のPCでブログを
書き始めている。

西の空に
尾頭付きの虹が
朝日に輝いていて
「早起きは三文の徳」
という古い諺が
思い浮かんだ。

仏語では、
ラルク・アン・シエル
(空の弓)である。

それにつけても、
まだ、日曜の国試体験が
残像として体感に残っている。

第5回『復興支援リサイタル』に並ぶ
今年の二大ビッグ・イベントが終わって、
やはりポスト・フェステム・シンドロームに
やや陥っている。

疲労感と安堵感で
まだ自己採点が終わっていないが、
なんだか現実認知から
逃避したい気持ちも
ないでもない。

今んとこ、
154問中31問まで自己採点して
21ケの正解率なので、
合格ラインが92ケ辺りのようなので
残り101ケのうち71ケが当ってりゃ、
ギリギリのラインである。

比例式で電卓計算したら、
理論値では104ケ当ってる確率だが・・・、
果たして、どーか。

(T人T) ドキドキ

山勘で答えた処を
一々、正答を検索して
検討しなくてはならないので、
なかなかスムーズに進まない。

テッパン(鉄板)正解の所だけ
さっさと数えればいいのだが、
なんだかドキドキして
着手できないでいる(笑)。

(๑˃̵ᴗ˂̵)و こえ~よ。

イグジナシ・・・(笑)。

これって、
ひょっとして、
ドキドキを味わって
楽しんでるのかしらん(笑)。

「人生、深生きだなぁ・・・」

ヘヘ・・ (。・´з`・) ゞ





黒岩虚空蔵祭の
画像がいくつかまだあり、
山門に張られていた
ちょっとベタな禅語に
すこし心惹かれた。

祭礼提灯を見て、
「そっか、国試もオレ祭りだったんだ」
と思い当たった。

リサイタルの舞台袖で
緊張している時に、
楽屋見舞いに来てくれた
指導主事だったC先生から
「佐々木祭りなんだから、
楽しんだらいいでしょー」
と喝を入れられて
「あ、そっか・・・」
とシャンとしたことがある(笑)。





日曜の晩、
ソータとユーキの
巌流島決戦があって
堪能した。

佐々木勇気六段は
ソータが四段の折、
破竹の29連勝を止めて
一躍有名になった
イケメン棋士である。

なので、
その雪辱戦が
非公式戦ながら
第一回アベマ・トーナメントの
決勝が決戦舞台になった。

持ち時間3分で
それが切れたら一手10秒の
超早指し戦なので、
まさに直感による頭脳戦である。

三番勝負で
二勝したほうが優勝という
珍しい形式だが、
ソータは初戦をミスで落とし、
二、三戦目を完勝した。

非公式戦ながら
並み居る強豪を倒しての
堂々の優勝である。

詰め将棋選手権
4連覇の実力を
まざまざと見せ付けた。

ソータは
90分の試験を
25分で解いて途中退室し、
全問正解で優勝という
偉業を成し遂げ、
他の棋士たちからは
「バケモノ!!」
と畏れられていた。

先日の国試でも、
120分試験で
途中退室が認められたが、
そんな超天才心理士は
誰もいなかった(笑)。

「四百年に一人の天才」
という称号は
伊達ではない。

そんなソータも
負けることがあるが、
そのたびごとに強さを増すのが
ズコイところである。

「自分はただ、将棋が好きなだけです」
と言い、
彼の子ども教室時代の師は、
「世界で一番将棋の好きな子だったが、
今は、世界で一番将棋の好きな棋士だ」
と言った。

その「好き」の度合いと
「強くなりたい」という
向上心の度合いも
超ド級なのだろう。

この稀代の天才少年を見習い、
我もまた、
仕事や学問や音楽、生活、人生・・・と、
軽薄短小でなく重厚長大に、
より深く
コミットしていきたいものである。

ε=(-᷅_-᷄๑)