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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ヨビノリ先生

2020-02-12 08:11:00 | 勉強
ソーたんが、
負けたったぁ~…。

(ノД`) ヒ~ン・・・

「三連覇」のかかっていた
朝日杯で、準決で
同じく七段の“チダっち”に
やられてもた。

過去、二戦二勝してるので、
こりゃ「鴨ネギ」の「お客さん」だな、
と侮っていたら、
メッチャ研究してきたらしく、
ソータも不意を打たれるような
「新手」を放ち、
終盤の猛追を交わして勝ち切った。

千田七段は
コテコテの関西弁で、
最強ソフト「ポナンザ」を捩り
「チダンザ」と揶揄されるほどの
棋界一のソフト・オタクである。

ソータも「エルモ」で
自ら研究していることを公表しているが、
一日の長があるチダンザには
してやられた。

そのまま、決勝でも
強豪の二冠「永瀬っち」を破り
初優勝した。




毎回の棋戦で、
開始直前に見せる
ソータの瞑目シーンが好きである。

自分も癖で、
ステージの上で
演奏会前のほんの数秒間、
瞑目し呼吸を整える。

それは、
現実世界から音楽界に
シフトするための儀式でもあり、
形而上的な「真善美聖」の
神的霊的世界に没入するための
「祈り」の瞬間でもある。

駆けっこしてきた子が
いきなり歌い始めるような事は
出来ないのである。

対局前のソータの瞑目姿にも
「いくぞー!」
「よし、やるぞー!」
という己れの意気込みと
「お願いします」
「やらせて頂きます」
という神仏への祈りのように
感じてしまう。

もっとも、彼ぐらいの
「達人」で「将棋の申し子」であれば、
観念的、言語的な雑念はなく、
「明鏡止水」「無の境地」に
至っているのかもしれない。

17才の高校生から、
これほどに
「身命を賭している」ような
姿を見せられると
その「真摯さ」「善良さ」
「美しさ」「聖性」に
心打たれるものがある。

まさしく「真善美聖」を
体現している様は、
これをもって
描き留めておきたいという
アーティスティックな
モチベーションをも刺激する。





幼児の頃は
「泣き虫ソータ」という
仇名があったほどに、
負けると盤にしがみついたり、
ひっくり返って手足をバタつかせ
号泣がやまなかったという。

そう…。
彼は、その時、
一生分、泣き切ったのかもしれない。

昨日の敗戦後の
インタビューでは、
公開対局であることを忘れずに
「本日は、ご観戦頂き、
ありがとうございました」
というお礼から始まった。

なかなか
17才ができる気配りではない(笑)。

そして、
爽やかに敗戦の弁を語り、
「決勝を見て、勉強したいと思います」
と、求道者としての
揺るぎのない姿勢を
示してくれた。

なんとも、
カッコいい17才である。

師匠も影から
感想戦を眺め
“過ぎたる弟子”の成長に
目を細めていた。

「いつでも楽に勝てるものであれば、
こんなに簡単なゲームはありません。
人生と同じで
思うようにならないことがあるからこそ、
挑戦のし甲斐があるんです」
とは、
お師匠様の言葉である。

やはり、
「この師にしてこの弟子あり」である。

どちらも
「人間が出来て」おり、
「人(にん)」の魅力がある。



解説には、
ソータの29連勝を止めて
一躍有名になった
“イケメン勇気”である。

彼の弁舌は爽やかで、
ユーモアもあり、
将棋センスもキレがあるので、
解説者としては小気味よくて
最適者のひとりである。

ジュネーヴ生まれという
異色の出自だが、
棋界の天然トリックスター
石田和雄の弟子となったのも
不思議な取り合わせである。

昭和の時代、
生真面目な棋界にあって、
意識してボケをかましていたのが
米永名人だったが、
巧まずに天然でオモロかったのが
漫才師風貌の石田九段だった。

ユーキはイケメンなので
女性ファンが多いが、
師匠も「掌中の玉」のように
「ユーキくん」と幼い頃から
可愛がっている。




「微積」の復習をするのに、
YouTubeで解りやすいレクチャーを
探していたら、
「教育系」YouTuberで
物理・数学のカリスマらしい
「たくみ」というサイトに辿り着いた。

“予備校のノリで学ぶ「大学の数学・物理」
というので、通称「ヨビノリ」という。

かなり編集で創り込んでおり、
冒頭では毎回、さむいギャグを放ち、
それにノリつっこみで
「ファボゼロのボケすんな❣」
というセリフを決める。

はじめは、意味がわからず、
ググってみたら、
ツイッター用語で
「お気に入り」に入れることを
「ファボる」(favoriteのfavo)
と言うようである(笑)。

彼は、
横浜大で「物理化学」
東大院の博士課程で「生物物理」を
研究していたようだ。

実際に、予備校講師も
6年バイト歴があり、
「聞かせる」「見せる」
パフォーマンス力がある。

「理系離れ」を危惧して、
高校・大学生をターゲットに
YouTubeでレクチャー・サイトを
始めたという。

開設から1年半で
登録者数13万人を超え、
一部の大学では、
授業の参考ソフトとして
紹介もされているそうな。

AbemaネットTVで
タレントを東大に合格させよう、
というプロジェクト番組では、
「数学の魔術師」で登場したという。

「微積」関連の新刊も
アマゾンでは売れ筋のようである。

本を買うまでもなく、
彼の動画講義は優れているので、
十分に数理科学の理解の助けになる。

1901年からの『ノーベル物理学賞』の
全業績を6回シリーズで解説したのは
近代科学史を俯瞰するようで
たいへん面白かった。

生物学も心理学も
「軟(やわ)」な学問なので、
ガチにハード・エビデンスを求められる
物理学に見習わなくてはならない、
というのが近年の学界の傾向である。



学部は生物学科だったが、
「理科教員免許」だったので、
新卒後は看護高等科で
2年間「物理学」を教えたり、
就職した大阪の私学高校で
病休同僚の代講で「化学」を教えたり、
夏休みの補講では
無免許で「数学」に
駆り出されたこともある。

「生物学」は
高校で13年教え、
「心理学」は
短大生に7年教えた。



WHOが新型コロナウィルスによる疾病を
「COVID-19」と命名したらしい。

2019年発祥なので
「コビット19」
と読むようだ。

「エボラ出血熱」や「ジカ熱」
「MERS(中東呼吸器症候群)」
などは、いずれも、
地名に由来する命名だったので、
その当事者には心象がよくないらしく、
今回も「武漢熱」とするには、
中国の圧力があったか、
トップが忖度したことが伺われる。

なにせ、
あの事務局長のテドロスは
中国から握らされた疑いがあり、
しきりに中国をヨイショして、
ネットで32万人もの
辞任署名が集まったという。

元はエチオピアの
外務/保健大臣だったので、
やっぱり「政治屋」なのかもしれない。

世界的なアウトブレイク(感染拡大)に
至らしめたのは、習近平とテドロの
最悪コンビの「私的」思惑が
絡んでいたことは否定できない。




リベンジ勉強

2020-02-11 08:24:00 | 勉強

早朝、
トイレに起きたら、
屋根に雪が積もっていた。

休日というのに、
玄関先にしっかりゴミ袋が
出されており、
「うへぇ…!!」
と思い、ゴミ収集表を確認した。

たしかに「可燃」とあったので、
仕方なしにサンダル履きで
雪を踏みしめながら
出しに行った。

途中で
犬の足跡を見つけ、
いかにも落語の
『雑排』に出てくるようであった。

犬去って梅花を残こし
  鶏翔んで紅葉を散らす




玄関室礼の
煤竹一重切に活けた山茶花が
水を吸い上げて
蕾から大っぴらに開花した。

こうなると
いささか興ざめで、
まして、茶花では
「鏡花」と言って
面と向かい会うような活け方を
避ける。

なので、
洋花と違うのは、
椿や山茶花なぞは
満開を佳しとせず、
これから咲こうかなという
蕾や五部咲の生命感を愛でる。

夏の朝顔や木槿なぞは
満開を佳しとするが、
それでも、「鏡花」には
ならないように活ける。




YouTubeの
『量子力学』入門シリーズを
長らく見ていたら、
シュレディンガー方程式で
どうしても偏微分を理解しないと
いけなくなり、
理数科だったアキの
教科書を引っぱり出して
「微積」の復習をした。

カミさんは、
数学が副免許で
40年も数学教師をしており、
ダンゴ三兄弟たちも
高校数学はみな「5」だった。
(フミは3年次オール5)

カミさんの遺伝子なのか…。

(-"-;)   

家族ではトーチャンだけが
高校数学はずっと「3」だった。
(英語はずっと5だったけど…)

大学ん時も、一般教養では
数学をとらなかったので、
シュレディンガー方程式を
理解すんのに要る偏微分を
習わずじまいだった。

なので、
グヤジイ思いもあって、
「リベンジ勉強」するつもりで
YouTubeの「大学数学」講座を見て
「偏微分」と「重積分」の意味が
理解できた。

カミさんや息子たちに
理解出来て、
自分に理解できない筈はない、
と「やる気」満々であった(笑)。

一丁前に、
システム・ノートに
「∂」やら「∬」記号を書いて
演習問題を解いてみると、
なんだか楽しくなってきて、
この先まで、もちっと
やってみっぺか…と、思った。

何しろ、
YouTubeのレクチャーが
解りやすいので、
高校時代の数学教師が
いかに教科書任せで
授業が下手だったか、
恨めしい…(笑)。

数学教師のカミさんに
f(x)=2x…を
中学生にどう教えてるか
尋ねたことがあるが、
「f」がパソコンにある
「ファンクション」キーの「f」で
「機能/はたらき」を意味する、
ということは教えていないという。

今の教科書にある
「関数」は、昔は、
「函館」の「函」の字で
「青函トンネル」の「かん」で
「函数」を「かんすう」と読んでいた。

なので、
この「函」は「箱」であり、
すなわちブラックボックスなのである。

その箱ん中に、
2を入れると4になり、
3を入れると6になり、
4を入れると8になる…
としたら、このブラックボックスの
「仕掛け/はたらき」はなーに?
というのが
「f(x)=2x」の意味なのだ。

九九を習ったばかりの
小4の子だって、
すぐに「二倍にする働き」
「×2」だって解る。

ところが、
こういう風には
自分も習ってこなかったし、
今もって、授業では
こうは教えられていない。

YouTubeの「基礎解析」の
レクチャーでは
こういう「筋道」「物語」を
順々と教えてくれるので、
還暦過ぎても
「なるほどなぁ…」
と理解できるのである。

教育現場では、
本を全く読まない「国語」教師がいたり、
発音の全くダメな「英語」教師がいたり、
というのも珍しくない。

「教え方」云々以前に、
ちったぁ、自分が勉強しろやい、
と思わされることが
ちょいちょいある。

ただ、
教育改革が上手くいかない理由を
「量子力学」の「不確定性原理」を例に
例えていたのを聴いて、
なるほどなと納得したばかりである。

外部の者は実情を知らず、
内部の者は主観的バイアスがある、
というのである。

位置と運動量は
同時に観測できない、
というハイゼンベルクの説が
思わぬ処でも援用できるものと
感心した。




今日は、朝10時から、
ソーちゃんの『朝日杯』の
三連覇がかかっている
準決勝がある。

勝てば、2時から
決勝である。

今年度の
ここまでの賞金獲得は
「2,108万円」で
棋界9位という。

昨年度は、
「2,031万円」で
12だったようだ。

今日の優勝賞金は
800万円なので、
勝てば2.9千万で
ランキングが8位に上がる。

去年、今年と、
年間2千万も稼いでいる
高校生が日本に
他にいるだろうか…。

否、いないだろう…(反語)。

( ´艸`) ガンバレ、ソーチャン

譜読み

2019-11-30 07:47:00 | 勉強
ニュースの
スポーツコーナーでも
女子ゴルフの「賞金女王」の
話題で持ちきりである。

最終戦の1、2Rは
ローカル放送なので、
テレビでは視れないが、
ユーチューブでライヴ・アップ(違法?)
してるサイトを視れた。

現在、賞金獲得1位の鈴木は
不調のようで、
「何をやっても上手くいかなかった」
と、クラブを叩きつけるシーンも
たびたびあった。

それを見て、
道具に当るようでは、
ゴルフの女神も
祝福してくれないだろうなぁ・・・
と、感じた。

テニスの錦織がキライなのも
すぐにラケットを投げたり
叩きつけたりするからである。

名選手のフェデラーやイチローは
絶対にそんなことはしないし、
ソフト選手で書道をやってきたシブコも
道具に当るのは見たことがない。

道具を自分の分身のように
磨いて、大切にし、
ツアーを共にしている
パートナーのように扱う者から見れば
感謝こそすれ、八つ当たりするのは
お門違いなのである。

男子テニス部顧問の頃、
試合中にそのたぐいの
マナー違反をやらかした選手は、
勝っても負けても
教育的懲罰を与えた。

中学の時、
同様のことをやらかしてたフミにも
それを戒め、
その後、県のチャンピオンになった。




ユーチューブに
シブコのプロテスト合格直後の映像があり、
今の姿とは別人のような
プクプク、ムチムチの
ポッチャリ体型と丸顔で驚いた。

昨日も、解説の元レジェンドが
「全英を獲ってから、
顔付きが、勝負師の顔になりましたねぇ」
と、その変貌ぶりを
挙げていた。

体型も締まって、
均整のとれたアスリート型になった。



前日、イーグルを取ったホールに
4オンというミスが続いた時には、
「やったるでぇ~と、思ってたのに、
情けねぇ~・・・と、思った」
と、アッケラカンと言っていた。

そして、次のロング・ホールでは
胸のすくような見事なショットで
2オン成功しバーディを取った。

そのハチャメチャぶりが、
いかにもシブコらしい。

なので、新聞の見出しも
「のびのび渋野」
に対して
「こちこち鈴木」
と対照的であった。

その自然体ぶりを
「末恐ろしい21歳だ」
と新聞も評していたが、
何処かで聞いたセリフだと思ったら
「末恐ろしい14歳だ」
というのは、ソータで
さんざん言われてきた言葉だった。

どちらも早熟天才型だが、
その「天然」ぶりから、
久しぶりに
【運・鈍・根】という
成功の三条件を思い出した。

ソータも「運」に恵まれ、
わずか3年で
四段から七段にまで昇段した。

某棋士は、
自分は20年もかかったのに・・・と、
畏怖と羨望で語っていた。

「根性」というのは、
近頃、あまり流行らなくなったが、
ふたりとも練習と研究が好きなので
それをやり続けることを
苦にもしないというのが、
「性根」が出来ているということである。

時には苦しくとも、
好きだからこそ
やり続けていられて、
そしてその技量が高まり、
人を魅了するのである。

そして、ふたりとも
人に学ぶことに素直で、
あらゆることを吸収して
己の力・武器としている。

それと、
情けない試合をして、
負けると泣くし、
勝つと全身で喜びを表す。

今日、明日の本選3、4Rが
「シブコ劇場」の全英に次ぐ、
“天然天才”スターの
見せ場である。

ワクワク (((o( ˙-˙ *))o))) 





今日は、4時から、
音楽堂での医大オケの定演を
聴きに出かけてくる。

プログラムにある
シューベルトの交響曲第8番
『ザ・グレイト』は、
名前のとおり重厚長大な名曲で、
スコア(総譜)をプリント・アウトしたら
120頁にも及んだ。

CDやユーチューブでも
いろんな指揮者&オケのものを
毎日聴いていたが、
スコアでヴィジュアルに見ると
音楽の構成、作曲家の意図が
手に取るように理解できる。

スコア・リーディングの楽しみは、
深く読んでいくと、
最終的には、楽譜から
音楽が立ち上がってきて、
それは誰の演奏家のものでもない
自分だけの脳内音楽として
魂に響いてくるのである。

その時、
知らず知らず、
無意識に手や体が動いているので、
これが指揮の原点か・・・
と感じることもある。



ネットにある限りの
シューベルトの肖像画を検索してみた。

31歳の短命だった彼は、
人生80年の現代であれば、
35歳を青年期の末期とする
発達心理学では、
まだ中年以前である。

『ザ・グレイト』は、
晩年に近い28~29歳頃の作品だが、
その老獪な作風を鑑みるに
彼もまた早熟型の天才だったのだろう。

もっとも、
ベートーヴェンとは同時代、
ハイドンやモーツァルト、
といった楽聖たちとも
近い時代を生きていたので、
その先達の音楽を深く吸収し
創作の母胎にしたであろうことは
想像に難くない。




ステージ以外では
あまり着る機会のない
ライトブルーのジャケットには、
リサイタルの時以来、
ずっと『トムとジェリー』の
トムのラペルピンと
水色ストライプのチーフが挿したままで
クロークで眠っている。

来週の身内の結婚式でも
黒礼服なので、
着る機会がなく
残念である。





クール・フクシマ

2019-11-26 08:58:00 | 勉強
高校時代の英語の授業で、
「famouse」と「notorious」という単語を
対にして覚えて、
今も記憶から抜けていない。

フェイマスは、
いい意味で有名だが、
ノトーリアスは、
「悪名高い」ことである。

3.11の原発事故で、
フクシマは全世界に、
文字通り「notorious」に
なってしまった。



毎週、英語の勉強に
視聴している
『クール・ジャパン』が、
今週は「フクシマ特集」で
スタジオを出て、いつものメンバーが
現地に集合した。

番組幕開けのタイトルが、
磐梯山をバックとした
猪苗代湖の湖面の上に
「福島」の文字が
まるで「松竹」映画の
オープニングのように見えた。

福島在住の三人の
フォーリナーが
それぞれにフクシマの素晴らしさを
独自にレポして、
海外に発信してくれているという。

そしてSNSでじわじわ拡散し、
奥会津の秘境ではインバウンド数が
三倍の数千人にもなったという。

MCの鴻上が、
「不幸なことで
世界的に有名になったフクシマが、
こんなにも素晴らしい処だということを
あらためて認識しました」
と、〆てくれたのが
番組ファンとしては嬉しかった。




シブコの優勝が決まった
エリエール杯の録画を見直して、
その見事なフォームによる
ショットだけを編集した。

流れるような
ウェルバランスのスウィングに、
カキーンッ! という
メタル・ウッドの快音とともに
白球の弾道が糸を引くように
飛び出すシーンは何度見ても
爽快感に浸れて、
実にセラピューティックな動画である。

ロングホールの2オン狙いで、
クリーク(5ウッド)をフルスウィングしたものの、
やや引っ掛けてドロー気味(左曲)になり
あわや池ポチャかという
際どいミス・ショットになった。

クラブを叩き付けたり、
放ったり八つ当たりする
プレイヤーが多いなかで、
シブコは歩きながら
キャディも笑うような
「ンだよ~・・・もう・・・」
と、苦笑いしながら、
チクショー目という
お茶目な仕草をしたのが
可愛いらしかった。

でも、一転、
カップを狙うとなると、
獲物に急降下で襲う
猛禽類のような目になり、
アスリートの集中した時の
凛々しい姿を見せる。

日本中のゴルフファン、
シブコファンが、
今週決定する
「賞金女王」争いの
逆転劇があるのかどうかを
固唾を呑んで見守るであろう。

シーズンオフになったら、
アップでいつも気になる
目元のブツブツ(稗粒腫)を
皮膚科で治療してほしいものである。




料理は味もさることながら、
「見た目」も大事であることは
言うまでもなかろう。

殊に、フレンチは
単に「盛り付け」るのではなく、
「ドレッセ」と呼ぶように、
「装う」という意味も込めている。

キムタク主演の
フレンチ・シェフのドラマでも、
オーナー・シェフ役の鈴木京香が
「ドレッセに入りまーす」
というような掛け声を
スタッフにかける。

ドレッセはメイン食材が
中心になるが、
それに「ガルニチュール」という
「添え物」とソースの三素材によって
プラ(大皿)に描かれるように、
または、構築されるように、
装われる。

そのテキストも多く出ているが、
なかなか見よう見真似では
上達しないものである。

プロのシェフは
年間何百というドレッセをしているので、
さすがにピシリと決まるのだが、
趣味の月一おフレンチ・ママゴトでは
ドレッセのたびに緊張してしまい、
それがソースを大胆に引けなかったり
手が震えてしまったりする。

なので、
できるだけ数経験をしようと、
焼きオニギリなぞも
メインに見立てて、
サラダをガルニにして、
ヨーグルトをソース代わりに
ドレッセしてみるのだが、
どうしても線に迷いが出る。

なので、
プロの描く迷いのない線とは
一目瞭然である。

ソース・ラインに迷いが出ると、
どうしても「垢抜け」せず、
ドン臭く、イモっぽく、ダセぇ・・・(笑)。

モウ、ヤダ~ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ

水戸出身の人は
同様の意味で
「イシケ・・・」
と言うらしい(笑)。

子どもの頃は、
「ヒャクショーくせー!」
とも言ったが、
今は職業差別用語なので、
“農業従事者”
と言い換えねばならない(笑)。



じかに見る

2019-10-24 07:58:00 | 勉強
今年、三十路になった
長男のフミに、
はじめて字を覚えた
保育園児の頃、
山頭火の晩秋の侘び句を
書かせたことがある。

外連味のない
幼児の字を書く喜びが溢れ、
いい書である。

土湯の湧き水を
水盥(すいう)に移し、
松煙墨を端渓硯で磨って、
中国製の象牙筆を用い、
古紙の画仙紙に書かせたので、
道具は一級の文房四宝である。

落款は彼用に
中国で一級篆刻師に
彫ってもらった「陰陽印」。

100均の色紙に
100均の筆ペンで書いたのとは
自ずと然るべく異なり、
道具が重厚長大感を創り、
平仮名と句の韻が
軽妙感を現している。

「写し書き」したときに、
「わたし」の「た」が抜けて、
後で、小さく加えたので、
「これが、ほんとのタヌキだぁ~」
と親子して笑った。




室礼には、
「真行草」の「真」になる真塗矢筈板に
「文(ふみ)」を掛けて漆蒔絵文箱と
路地の秋桜を信楽の花入に活けた。

「文」には多くの意味があるが、
「学問。芸術」を治め、
【文武両道】【文化人】であれ、
という願いも込められている。

落語では、
子ども自慢を
「親馬鹿チャンリン蕎麦屋の風鈴・・・」
と、揶揄するが・・・(笑)。

親馬鹿けっこう、毛だらけ、ネコ灰だらけ、
である(笑)。

田高時代には、
年間オール5(トーチャン奨励金1万円)と
ソフトテニスの福島県チャンピオン、
ランキング全国9位になったので、
文字通り【文武両道】であった。

小学生の頃は、
FTVジュニア・オーケストラに
トランペットで所属し、
ヨーロッパ公演にも参加し、
【文化人】としても活躍した。

まさに、
「名は体を現す」であり、
言霊(ことだま)と同じように
名霊があるのかもしれない。

図らずも、
「文」には
「美しさ/雅びさ」「筋道」
「規範」「礼儀」「仁徳」
などの意味もあるという。

それらも
体現してくれたら
親としても嬉しいのだが・・・。





「100分 de 名著」の
<西田幾多郎『善の研究』>
第三回目を視聴して
勉強した。

茶道家でもある
柳 宗悦の
「裸の目でみること」と
西田の
「知的直感」
というのが、
ほぼ同義語と解説された。

我々は対象を前にすると、
思想/嗜好/習慣、
思慮分別/判断…などが
「色メガネ」となり、
物の「実在」を見損なっているという。

柳 宗悦は、
名もなき人の作った茶碗に
美を見出す「民藝」という
美意識を提唱した。

茶も俗になると、
この茶碗は「誰作」やら、
箱書きは「誰宗匠」やら、
値段は「いくら」やら、
…と、茶碗の「実在」と
その真価とかけ離れてしまう。

それは、
市場経済原理と双頭の
骨董美術の価値観であり、
真の「茶の湯」ではない。




目の前の「茶碗」に対して、
これは信楽であるとか、
蹲(うずくま)る形(なり)だとか、
経験則によって、分類・ラベリングの
言葉化をした刹那に、
純粋経験はなくなり、
そのものの実在もまた損なわれる。

たしかに、
茶碗ひとつにしても、
それは宇宙の創世ともつながっており、
深い存在の何かと結びついているのである。

「宇宙が茶碗している」とも
「茶碗が宇宙している」とも
奇妙に表現できるが、
日本語としては、
なかなか理解し難いかもしれない。

私が存在している。
茶碗が存在している。

…これらを
ひっくり返すと…

存在が私している。
存在が茶碗している。

…となり、
私と茶碗は「存在」で
通低していることになるのだ。

仏教で言う【本来無一物】は、
事物(色/しき)はすべて
本来、空(くう)であるから、
執着すべきものは何一つない、
という意味だが、
すべてが空だからこそ、
「色即是空」
「空即是色」
なのである。

…なんだか、
何も説明になってないような
気がするなぁ…

(хдх;)