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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

怪談『コーマの果てに』

2022-08-25 07:15:55 | 創作

 看護士の小枝子が何気なく振り向くと、驚きのあまり手にしていたファイルを床に落っことした。
  

 十年も昏睡していた少年が上半身をムックリ起こして鼻のチューブを今まさに抜こうとしていたからだ。

「先生―ッ!
 朔ちゃんが、目を覚ましましたッ!」
 小枝子は声を張り上げてドクターコールをした。
 

 とたんに大学病院中に衝撃が走り各科の教授連が病棟へと駆けつけた。
 初診時の主治医で十年前はまだ講師だった早川は、いまや小児科の准教授となっていた。
「朔ちゃん。わかるかい?」
 早川は三才の朔に語りかけた。
 目覚めたばかりでボンヤリとしていた朔は
「・・・・・・」
 無言のまま自分をとり囲む白衣の集団をゆっくりと見まわした。
 

 十年のコーマ(昏睡)から覚醒したレアケースは並みいる教授陣でさえ臨床経験がなかった。
 さすがのプロフェッショナル集団もまるで竜宮城から還ってきた浦島太郎を見るが如くだった。

「おかあちゃんは?・・・」
 朔は母の所在を尋ねた。
 両親は、朔が三才のとき自動車事故で即死していた。朔だけが意識不明の重体だったが、奇跡的に命はとりとめた。
 早川は、その事実を三才の朔に告げるのはまだ早いと判断して言葉を濁した。
「おかあちゃーんッ!・・・」
 朔がベソをかきはじめると、小枝子がすかさずベッドサイドに進み、大きな赤ちゃんを胸に抱いた。
 

 朔の意識は曇ることなく日増しに清澄さを増し、リハビリスタッフの献身的介護に支えられ運動機能も次第にとり戻してきた。
「サエコちゃん・・・」
「なーに?」
「ひとりで、オシッコしてきていい?」
 小枝子は朔の劇的な快復経過に驚いていた。
「だいじょうぶ? 行けるの? ひとりで・・・」
「うん・・・。行けると思う」
「じゃ、行ってみようか・・・」
 そう言うと、小枝子は母親のような慈愛の眼差しで朔を送りだした。
 朔は足を不自由そうに引きずりながら数十メートルはあろうかというトイレを目指した。
 

 そんなリハビリを繰り返していたある日のこと。
 小児科病棟のICU(集中治療室)の前で女の人が泣いていた。
「残念ですが、今夜が山かと・・・。
 意識のもどる見込みはないかと思います・・・」
 そんな難しい言葉が朔の耳に入ってきた。
 

 ガラス越しに見るとまだあどけない少女が機械に囲まれありとあらゆる管がつけられてちょうどスパゲッティに絡まっているようだった。
 朔は足を引きずるように泣いてるその子の両親に近寄ると
「プーさんが欲しいんだって・・・。
 家のベッドの上にある・・・」
 と言った。
 泣いてる母親が、朔のほうを振り返ると
「なーに?・・・。この子・・・」
 と肩を抱く夫に尋ねた。
 

 父親がすこし嗜めるように朔に言った。
「ぼく、ごめんね。
 いま、うちの子が大変なんだよ・・・」
 朔は悪びれるふうでもなく、今度はその父親に向かって囁いた。
「あのね。リナちゃんね・・・
 プーさん連れてきて・・・って、言ってるよ」
「?・・・」
 父親は混乱したような表情で
「何だって? 理奈が・・・」
「うん」
「どうして君は、そんなこと言うんだい?」
「なんなのよッ! この子・・・」
 母親は声を荒げてとり乱しはじめた。
 

 父親がそれを制していると、この騒ぎを聞きつけた小枝子が慌ててとんできた。
「どうされました?」
「看護婦さん。なんなんです? この子・・・」
「朔ちゃんが何か・・・」
「娘が危篤だって言うのに・・・。
 プーさんが欲しいだなんて・・・。
 悪ふざけにも度があるでしょッ!」
 母親は怒りを顕らわにした。
 

 父親はその肩を抱きながら、しばし冷静さをとり戻し、言葉をつないだ。
「ねえ、サク君? だっけ・・・」
「ええ・・・」
 小枝子が応えた。
「どうして、ウチの子がプーさんが欲しい・・・って、知ってるの?」
 母親はそんな馬鹿なことを真剣に少年に質している夫の顔をキッとした表情で睨んだ。
「だって、リナちゃんが言ってるんだもん・・・」
 

 小枝子はハッとした。
 なぜ朔が、昨晩、救命救急で入院した理奈のことを知っているのか・・・。
 部屋にはまだネームプレートさえ入れられていないのに・・・。
「ねえ、朔ちゃん。
 理奈ちゃんのプーさん、どこにあるの?」
 小枝子が尋ねてみると
「ベッドの上に忘れてきたんだって・・・」
 ここにおいて、夫婦は顔を見合わせた。

「ほんとに、プーさん、あるんですよ・・・」
 父親が驚きの表情でポソリと語った。
 小枝子がそれを受けて
「ベッドに? ・・・」
 と尋ねた。 
 父親はコクリとうなずいた。

「なーに。あなたたち・・・」
 母親が、信じられない、という表情でふたりの顔を睨んだ。
「リナちゃん。
 はやく、プーさんに会いたいんだって・・・」
 朔がつまらなそうにうつむいたままポツリと言った。
 父親は小枝子の目をのぞき込むと二、三度ちいさくうなずいて妻に向かって言った。
「これから、家にもどって取ってくるよ・・・」
 妻は無表情に固まったままもはや抗うでもなかった。


      

 

 父親がタクシーを飛ばし家に戻るとプーさんは少年の言うとおり、チョコンとベッドの上にお座りしていた。
(これって・・・)
 と父親は怪訝な気分を払えなかったが今は一刻も早く愛娘のもとにそれを届けるしかなかった。
 黄色の可愛らしげなプーさんが娘の枕元に置かれると、殺伐とした集中治療室の空気がどことなく穏やかになった。
 

 部屋に戻った朔のところに父親が顔をだした。
「朔くん。ありがとう・・・。
 理奈がとっても喜んでいるみたいだよ・・・。
 でも、不思議なんだ、おじさん・・・
 どうして、朔くんがプーさんのことがわかったのかどうしても解らなくって・・・」

 朔はしばらく困ったかのような表情をすると言った。
「パパ、ママ、ごめんなさい・・・だって」
「えっ?」
「リナちゃんが・・・」
「???・・・」
 小枝子が訊いた。
「理奈ちゃんの声が聞こえるの?」
「うん・・・」
 

 父親の顔が硬直した。
「どうして? ・・・
 どうして、ごめんなさい、だなんて・・・」
「言うことをきかないで、飛び出しちゃったからでしょ・・・」
 

 そうなのだ・・・。
 親子三人でコンビニに寄ってレジをしている間に、まだ行っちゃいけないよ、という注意を聞かずにドアから飛び出して車に跳ね飛ばされたのである。
 父親の頬に光るものが一筋流れた。
「理奈ぁ・・・」
 

 すると、突然朔は自分のベッドから跳ね起きて、不自由な足を引きずって廊下に飛び出した。
 小枝子と父親はたまげて
「どうしたのッ? 
 ねぇ、朔ちゃんッ!」
 朔は猛烈な勢いで応えもせずにICUに向かっている。
 父親もただ事じゃない様子に度肝を抜かれた。
 

 小枝子がやっと朔の腕をつかむと
「はなしてッ! サエコちゃん。
 リナちゃんが、たいへんなんだッ!」
 父親の顔面が蒼白になった。
 小枝子はハッとなり朔の腕をつかむなり走った。
 

 朔が引きずられるようにICUに到着するとガラス越しに
「リナちゃーんッ!
 ダメだーッ!
 その子たちといっちゃ、ダメだーッ!」
 と体を折り曲げて絶叫した。
 

 何事が起きたかと、父親も母親も、そして看護士、医師たちもあっけにとられていたが、途端にバイタルランプが点滅しだし、ピーピーピーというけたたましい警告音が部屋中に鳴り響いた。
 血圧、心拍数が低下しだしたのだ。

「いやーッ!」
 母親が絶叫した。
 父親も茫然と立ち尽くしたままだった。
 

 担当医や早川たちが理奈の周りにワラワラと集まって、強心剤を注入したり除細動器をチャージし始めた。
 スタッフ外の小枝子は朔を背後から抱きながら救急スタッフの処置に目を奪われていた。


「その子をつれていくなーッ!
 ぼくがいくーッ!
 ぼくをかわりにつれていけーッ!」
 小枝子の腕のなかで朔が絶叫した。

「待てッ!」
 担当医が当てようとしていたフルチャージ電極を早川が制止した。
 数秒して、警告音が鳴り止み心拍・血圧のバイタル値が安定し始めた。

「朔ちゃんッ! 朔ちゃーんッ!」
 廊下で小枝子が絶叫した。
 腕の中の朔がグッタリしてピクリともしなかったからだ。
 

 ICUでは、理奈の小指がピクリと動いた。
「先生ッ!」
 担当医が早川を信じられないという顔で見た。
 次の瞬間。
 理奈の目蓋が開いた。
 

 そして
「ママぁ・・・」
 と小さな声を上げた。

「嘘だ・・・」
 早川が漏らした。
 

 母親は両手を唇に当てると娘の枕元にひざまずいた。
「理奈ちゃんッ!」
 理奈の目にはしっかりと光が戻ってきていた。
「ママぁ・・・
 おみずぅ・・・」
 看護士が飛んでいって吸い口を持ってきた。
 母親がそれを受けとると
「理奈ちゃん。
 はい・・・お水よ・・・」
 と震える手で娘の口に水を流し込んだ。
 父親は涙で顔をクシャクシャにさせながら娘の前髪を慈しむように梳いていた。

「パパぁ・・・」
「・・・? なんだい?」
「おにーちゃんは? どこ?」
「・・・・・・」
 それが朔のことだと気がつくのに父親は数秒を要した。
 

 そして、ガラス越しに廊下を振り向くと小枝子の腕の中に抱かれたまま微動だにしない朔に目をやり・・・
「おにいちゃんは・・・
 あそこにいるよ・・・」
 と、やっと声に出した。
 

 すると、理奈がパーッとした笑顔になって
「おにーちゃん。
 おそらがとべるようになったんだって!
 いいなぁー・・・」
 と言った。
 

 小枝子はもう二度と目覚めることのない少年の安らかな寝顔に頬ずりをした。
「朔ちゃん・・・
 お母さんと、お父さんに・・・
 逢えるんだね・・・」


 

*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




怪談『もしもしハイハイ』

2022-08-24 07:41:38 | 創作

 静かな日曜の午後でした。 

 朝からチラチラと雪が降りだして、ひさしぶりに、ホワイト・クリスマスになりそうな予感がしました。
 

 ター君のお父さんはおコタにトップリと足をいれながらひとりでボンヤリお酒を呑んでいました。
 それは葡萄で出来たワインというお酒です。
 ツルのように足の長いコップのなかでワインは金色にキラキラ、チカチカ・・・と輝いていました。
 

 お父さんはワインをチビリ、チビリやりながら、どんどん白くなってゆく外の景色をながめていました。
 空からヒラヒラ舞い降りてくるちぎれた綿のような雪を見つめているとなんだか、だんだんと自分の方が雲の上へ、スゥーッと昇ってゆくような感じがしました。
 

 おコタの上に頬杖をつきながら、ぼんやり部屋のなかを見まわしているとお父さんはホコリをかぶった小ちゃな赤いプッシュフォンを見つけました。
 それは、ター君のものでした。
 白い数字が書かれたボタンが可愛いらしいプッシュフォンです。
 

 ター君のプッシュフォンをおコタの上にトンとのせるとお父さんはしばらくそれをながめていたました。
 ボタンが「1」から「0」まで十個ついています。
 お父さんは「1」のボタンを指先でチョコンと押してみました。
 すると、
「ポーン!」
 という、きれいな音が部屋中に鳴り響きました。
「2」のボタンを押すと、今度は少し高い音が

「パーン!」 

 と、鳴りました。 

 お父さんは、「3」も「4」も押してみました。
 そのたびに、

「パーン!」
「ポーン!」
 と、澄んだ音が鳴り響きます。
 

 そうして、はじめてそれらのボタンが「ドレミファソラシド」の順になっていることに気づきました。
 お父さんは出鱈目に三つのボタンを押してみると
「ポン。ピン。パァーン!」
 と不思議な響きが部屋中にコダマしました。
 

 お父さんはワインをガブリと一口飲むと足の長いコップをおコタの上にコトンとおきました。
 金色のワインはゆらゆら揺れながらチカチカと、小さな十字架の形をたくさん光らせました。
  
  ***

 お父さんは受話器を左手でとるとそれを耳にあてて右手のひとさし指で「1・3・5・8」という順でボタンをゆっくり押しました。
 すると今度はとってもキレイな音がお部屋いっぱいに鳴り響きました。
 それは「ド・ミ・ソ・ド」という和音だったからです。
 でも、お父さんの耳には受話器をあてても何も聞こえませんでした。
 本物だったら、
「プゥー」
 とか
「ツゥー」
 とか聞こえるはずなのに。

  ***

 お父さんは、しばらく受話器を耳にあてたまま、ボンヤリと、おコタの上をながめていました。
 懐かしそうにター君の電話をながめていました。
 お父さんは唾をゴクンと呑み込むとチョッとかすれた声で
「もしもしィ!
 ター君ですかァ?」
 と、明るく言ってみました。
 

 それから、しばらくお父さんは、また黙ってしまいました。
 お父さんの目が、少しだけ光りました。
 ワインを一口飲みました。
「ター君。
 お父さんだよ。
 元気ィ?」
 と、明るい声でいうと今度はお父さんの目から

 大きな大きな泪の玉が三つぶ、おコタの上にボロン! ボロン! ボロン…と落っこちました。
 しばらく時計の音だけがコチッ、コチッ…と部屋中に響いていました。

 その時ですッ!
 

 虫が鳴くようなかすかな音が受話機の向こうから響いてくるではありませんか。
 それは糸電話の声みたいに小さく震えながら虫の囁きと同じぐらいかすかに
「もしもしィ。
 もしもしィ・・・」
 と、言っているようです。
 

 それは、とっても、とっても懐かしい声の響きでした。

「もしもしィ?
 もしもし? ・・・・・・
 

 お父さん?
 お父さんなの? ・・・」
 

 お父さんはハッとして体を起こすと
「ター君かいッ?」
 と驚いて大声を出しました。
 

 すると電話の向こう側の男の子も驚いた声で言いました。
「お父さん?
 ほんとに、お父さん?」
 

 時間が真っ白になって止まってしまったようでした。
「うんうん・・・」
 お父さんは、何べんもうなずきました。
 

 男の子が言いました。
「うそォーッ!
 信じられないやッ!」
 

 たしかにそれは間違いなくター君の声でした。

  ***

 お父さんは耳の穴をかっぽじってター君の声をちょっとだって聞きもらすまいと思いました。
 ター君が、電話の向こうにいるんです。

「お父さん。
 ぼく、元気だよ。
 もうね、どッこも
 痛くなんかないし・・・
 手だって、足だって
 ホラーッ!
 ちゃんと、動かせるんだよォー!」
 

 お父さんはウンウンうなずきながら鼻をすすりました。
 泪が、あとから、あとからポトポト、ポトポトこぼれ落ちました。
「ター君。
 お父さんなァ・・・」
 そう言うと、お父さんはそのあとが言えません。
 

 ター君の声は、お父さんにやさしく言いました。
「お父さん。
 ぼくね・・・
 さびしくなんかないよ。
 だってね、おじいちゃんも、
 おばあちゃんも、一緒だもん。
 タロタロだって・・・
 シッポふって、ここにいるんだよ」
 

 タロタロは、ター君と散歩していたときに一緒に車に轢かれました。
 お父さんの耳には、たしかに
「ウォン! ウォン! ウォンッ!」
 と元気に吠える、タロタロの声が聞こえました。

「お父さん。
 元気でね。
 ぼく待ってるから・・・。
 それまで、おじいちゃんたちと一緒だから安心だよ・・・」
 

 お父さんは
「うん・・・」
 と、ひとつうなずきました。
 そして、また一つ泪をポタリと落としました。

「さよなら。お父さん・・・」
「・・・・・・」

  ***

 お父さんはもっともっとター君とお話をしたいと思いました。
 でも、それが出来ないことだということを感じました。

「ぼく待ってるよ。お父さん・・・」
 ター君はやさしくお父さんに言いました。

「うん・・・。
 さよなら・・・。
 ター君・・・」
 お父さんは、やっと、そう言いました。
 

 そして心のなかでもう一度
(さよなら・・・)
 と、つぶやいて、しずかに小さな受話器をおきました。

 

 

*


怪談『廃屋にて』

2022-08-23 07:36:09 | 創作

 僕と圭ちゃんは、予備校生の分際で、この夏休みに、無断外泊というよからぬ計画をこっそり立てていた。
 決行日は、地獄のような夏季集中講座が終わる翌日の予定である。
 自分たちへのご褒美なのだ。
 ただし、両方の親を慎重にダマさないと、バレたときが一大事である。

  ***

 さて、身も細るほど勉強した甲斐あって来るべき日がやっと来た。
 案ずるよりナントヤラ・・・で、どっちも友達んちにお泊まり勉強しにいくというウソみたいな嘘で、親を見事にダマくらかしてきた。
 チョロイもんである・・・。
 でも、バイトもできぬ哀しき予備校生の僕たちは、二人合わせて2万チョボチョボという情けない所持金しかなかった。
 これでは、ちょっと遠出をしたら、旅館やらホテルになぞ泊まれるものではなかった。
 それで、ネットであれこれ調べていたら、H湖畔に、数年前に倒産して廃屋化しているリゾートホテルがあり、知る人ぞ知るボンビー・カップルのラヴホ化しているという。
 電気こそつかないが、まだ、ベッド、寝具いっさいがそろっていて、しかも、外には露天の岩風呂が源泉掛け流し状態で、今もコンコンと湯があふれ出ているそうな。
 

 だがしかし・・・だがしかし・・・
 世の中、二つよいことさてないものよ、という。
 この夢のような条件のタダホテルにも難点がひとつあった。
 それは、出る・・・ という噂なのである。
 

 掲示板には、半分以上はウソと思うが、霊を見た、だの怪奇現象が起きた、だのというまがまがしい記事がまことしやかにカキコされていた。
 僕は、ちょっとヤバそう・・・と、思いながらも、宿泊代がタダで、温泉付き、しかも、本物のスリルとサスペンスを味わえるアドベンチャー・ランドじゃん・・・と、考えれば、この美味しいプランを棄却する理由がなかった。
 だけど、圭ちゃんにはこのことだけは隠し通さねばなるまい。
 あとで、実は幽霊屋敷だったということであれば笑い話にもなろうが、行く前では
「何、考えてンの!」
 と一蹴されかねない。


 何より、僕の好奇心と妄想を膨らませてくれたのは、湖を見下ろすロマンティックな露天の岩風呂での圭ちゃんの、もしかしたら見られるかもしれない○○姿である。
「人間の好奇心は、恐怖心に勝る」
 という僕流格言がひとつ出来た。

  ***

 僕たちは、昼過ぎに駅のプラットフォームで待ち合わせした。
 なるべく、どんな知人にも目撃されないよう配慮して、電車に乗るのにも、あたかも他人の如く装ってサッと乗車した。
 そして、なるべく人気のない車両に移っていちばん端のボックスシートに落ち着いた。
「めっちゃ、暑かったねぇ・・・」
「うん・・・。もう、背中、びっしょりよ・・・」
 チラと見ると、圭ちゃんの白地のTシャツは、ペットリ背中に貼りついていてブラの白い紐がクッキリ浮いていた。
 隣に腰を下ろしながら僕はドキドキと時めいた。

「着替えあるんでしょ・・・」
「うん。でも、こんなに暑きゃ、いちいち着替えてもキリがないもん。
 夜まで、着干しにしちゃうわ・・・」
「そだね・・・」
「あ・・・。臭ったら、ごめんね・・・」
「ううん・・・。だいじょーぶだよ・・・。
 圭ちゃんのは臭いじゃなく、香りだもん・・・。
 ハハ・・・」
「なーに、それ?」
「あ、いや、ほら・・・。
 トイレの臭い、っては言うけど、マツタケは香り、って言うでしょ。逆に、トイレの香り、っては言わないもんね・・・」
「ああ、そうね。たしかに・・・」
 僕は内心、少しばかり得意げになった・・・。

「じゃ、私はマツタケってわけ?」
 僕はニヤリとして言った。

「そう。上等のマツタケ・・・。
 だから、今夜、僕に食べられちゃうの」

「ワーっ。どーしよー・・・」
 と彼女は笑った。 

 ガラガラのコンパートメントで、人目がないのをいいことに、僕たちは互いに体を寄せあって、何度もキスを交わした。

(ごほーび、ごほーび!)

 と僕はそのたびに自分に言って聞かせた。 

 それは、灰色の浪人生活の、まさに夢のような、ひと時であった。
「好きよ・・・。スキ・・・」
 圭ちゃんは、僕の胸に顔を埋めるとつぶやくように言った・・・。


  ***

 木造の駅舎に降り立つと、僕は緩みかけたシューズの紐をキュッと〆なおして、これから登る山道に備えた。
 高原にあるH湖までは、歩いて十数キロの道のりがあった。
 圭ちゃんは、中高とバスケで鍛えただけあって、軽々と山道を登ってゆく。
 僕はと言えば、数キロも登らないうちに、フクラハギがパンパンになってきて途中、幾度か彼女に休憩を申し入れた。
 さすがに、十数キロの軽登山は小一時間はかかった。
 

 コバルトブルーに染まったH湖は、絵に描いたように美しかった。
 けれど、湖畔にたたずむ汗に額を輝かした僕の圭ちゃんは、さらにそれを上回るほどにキレイかった。
 なんか、とても幸せな気分いっぱいだった。
 生きててよかった、と素直にそう思った。

 湖畔からやや見上げたところに噂のホテルがあった。
 2、3年前に閉館したというので、思ったよりもキレイな外観で、なんとなくホッとした。
 廃屋侵入計画について、圭ちゃんは了承していた。やっぱり、お互い遊び心のある年頃だから。
 ただし、例の件・・・、いや、霊の件・・・は、黙っていた。
 

 さて、いくら廃墟とはいえ、建造物不法侵入になることは間違いない。万一、警備会社が見回りに来ないとも限らない。
 でも、そんなリスクがあってこそのアドベンチャーである。怪奇現象だって、あるやもしれない。
 もうすでに、親もダマしていることだし・・・。
 あ、圭ちゃんとこもダマしてるな・・・。
 あ~ッ! 僕はこうやって、どんどん罪を重ねていくのかーッ! 
 ・・・と、アホな独り心中芝居をしながらでも、やっぱ、圭ちゃんの裸は見たい! …とスケベ心が本音を吐いた。

 そうだ、ホリエモンだって、投機にハイリスク・ハイリターンはつきもんだ、って言ってたもんな。
 でも、ホリエモン、一度、捕まってるし・・・。
 と、ワケワカラン屁理屈を思い浮かべながらも、僕は、ただひたすら、圭ちゃんと今夜、結ばれることのみに、全神経を集中させていた。
 多少のリスクがなんでぃッ! 
 と、僕はにわか江戸っ子ぶってみた。

 

 ***

 隠れ入り口は『廃屋潜入!』という怪しげなサイトでしっかりチェックしてきた。
 まるでRPGの主人公にでもなったような気分である。
 情報どおり、湖側の植え込みに人ひとりがやっと通れるだけの隙間がちゃんとあった。
 そこからすぐに露天の岩風呂に通じている、というのである。
 しかし、その植え込みから湖側はすぐに松林の切り立った急斜面で、もし足を滑らせたら数十メートル下の湖まで転げ落ちそうでもあった。
 アドベンチャー・ゲームの第一関門である。
 

 まず、僕が先にトライすることにした。
 こう見えても、中学以来テニス部のキャップだったのだ。文化系のウンチ(運動音痴)とは違う。
 体育系の圭ちゃんも難なくクリア。
 垣根を越えると、もうそこは、もうもうと湯気のあがる露天岩風呂だった。
 そして、そこから館内にも驚くほどアッサリ侵入できて、いささか拍子抜けするくらいだった。

 午後の4時をすぎていて、夏の日はまだ高かったが灯り一つない館内は、やはり昼なお仄暗く、不気味といえば言えないこともなかった。
 僕たちは最も近い二階の客室から探索を始めたが、ほとんどの部屋は完全にオートロックされており、そのことはネット情報にもなくて、かなり面食らった。
 ワンフロアに30室はあり、5階まで丹念にガチャガチャとドアノブをチェックするのは一苦労だった。
 どこも駄目で、半分以上あきらめかけていたとき、5階の端のプライヴェート・ルームのドアがスッと開いた。
 ビンゴーッ♪ 

 さっそく侵入すると、ベッド、寝具類、いっさいがそろっていた。
 従業員用部屋なのだろうが、内装は客室とそれほど違うようにも思えなかった。
 ベッドが二つあって、その間の壁には豪華な風景画さえ掛けてあった。
「よかったね」
 と僕が言うと、圭ちゃんはちょっと顔色を曇らせて
「なんだか、この絵、陰気くさいわね」
 と言った。
 そう言われれば、色調の沈んだ暗い色合いだが、落ち着いた画風といえば言えないこともないかもしれない。
 どうもこの部屋の窓から見た湖と木立の風景のようでもある。
「ねっ、ここ見て…」
 圭ちゃんがちょっと怯えた素振りで言った。
「エッ? なに…」
 彼女が指さす画面の右下には、緑の木立の中に何やら灰色の矩形のものが描かれていた。
「これってお墓じゃない?」
 圭ちゃんが嫌そうな口振りでいった。
 そんな風に見えなくもない。
 僕は、もしかして…と、窓辺に寄ると、それはまさしく絵そのものの風景であった。
 そして、さっき乗り越えてきた露天風呂の垣根のずっと下の方に、絵と同じ灰色の墓石のようなものがハッキリと見えた。
 この景色とこの絵が、来訪者のさまざまな憶測をよんで、掲示板に面白可笑しく尾ヒレがついてカキコされたのかもしれない。
 そう思うことにした。


 いつの間にか、圭ちゃんがそばに寄ってきて木立を見下ろしていた。
「やだぁ…。ほんとにアレあるのね」
 と彼女は嫌悪感を露わにした。
 僕はすかさず肩を抱き寄せると
「大丈夫だって…。何でもないさ…」
 と平気を装って彼女の不安を取り除こうと努めた。
(やっぱり、ここって安かろう悪かろう…なんかしらん)
 と内心チラリと思ったが、すぐに、ブルルッと頭を振ってそれを吹き飛ばした。

  ***

 その夜。
 僕と圭ちゃんは、とどこおりなく結ばれた・・・。
 そして念願の露天風呂にも一緒に入れた。
 それだけで、僕の不安は霧が晴れたようにスッカリなくなった。
 生まれてこの方味わったことのない幸福感と甘美な気分に酔いしれていた。
 ***

 夜も更けて、二人で抱き合い、ひとつベッドで眠りに落ちようとしていた時だった。

 ダタンッ!

 という何かが落ちたような音が廊下の遠くでした。
 僕はちょっとドキリとしたが、腕の中の安らかな圭ちゃんの寝顔を見るとホッと安心した。
 枕元には電池式の灯りがあり、薄暗いオレンジ色の光をあたりに放っていた。
 何気なく頭上の絵に目をやった。
 すると、気のせいか、右下の墓石の位置が微妙にズレているような気がした。
 僕は気のせいだと思って、可愛い圭ちゃんの唇にそっとキスした。
 でも、やはり気になってまた上目使いで見ると、明らかに夕方に見た位置からは少しズレているように見えた。
 それで半身を起こして灯りを近づけてとっくりと見てみた。
 

 墓石が斜めに傾いていた。
 そればかりか、少しばかり土が盛り上がっているようにも見えた。
(ウソッ! …んな)
 僕は圭ちゃんの寝顔と絵を交互に見ているうちに、今まで見逃していた白っぽい点を墓石の下あたりに見つけた。
 それは遠目には白い点だったが、灯りを近づけて見ると、まさか…まさか…だが、人の手の平のようにも見えた。
 そこで、また・・・

 

 ダタンッ!

 という鈍い物音が廊下に響いた。

(なんで? 二回も、誰もいない廊下で物音がするんだ…)
 僕はとっさに毛布のなかに潜り込んだ。


  ***

(やっぱり、噂はホントだったんだ…)
 僕は今頃になって、この無謀なアドベンチャーを後悔しはじめた。
 しかし、今は愛しい圭ちゃんと一緒だ。
 彼女だけは、圭ちゃんだけは、何としても護らなければならない。
 男として…。いや、もう恋人として…。
 

 臆病な僕は、決然と…否・・・恐る恐る、毛布から飛び出した。
 相変わらず天使のように安らかに眠る美しい彼女の寝顔がそこにあった。
 その穏やかさに僕は安堵し、勇気さえ与えられた。
 それで、意を決して今一度、あの絵と対峙することにした。
 灯りを近づけると全身に寒気が走った。
 

 墓石を倒し、盛り上がった土の中から、長い白髪の老婆の半身が地面に顕れているではないか。
 僕はその信じられない絵の変容ぶりに目をつぶることも、顔を背けることも出来ないでいた。

「ケ、ケ…圭ちゃん…」
 僕は今にも泣き出しそうだった。
 だが、枯れたきった声では「眠れる廃屋の美女」を目覚めさせることも出来なかった。
 このまま眠らせておくという手もあった。
 目覚めさせて、彼女を恐怖のドン底に突き落とすことは、残酷なことでもあった。
 このパニック状況下で僕の足りない頭は、グルグルと迷走し、混乱の極みとなった。
 勇気を振り絞って再度、絵に目をやった。
 白髪の老婆はすっかり全身を顕わし、今まさに、歩かんとしていた。
 その先には、僕たちの侵入してきた垣根の隙間があり、露天風呂があり、館内に入ることができるのだ。
 あの怪音は、いわゆるラップ現象なのだろうか・・・。
 勝手に聖域を侵した僕たちを、あの老婆は番人として咎めに来るのだろうか。

  ***


 僕は恐怖の展開を予想して、採るべき策を思案していた。
 そして、非合理的ながらも、ひとつの妙案が浮かんだ。
 それは、3年前に亡くなった、定期入れに入っている兄の写真を入り口に向けて立てよう・・・
 つまり兄を結界として亡霊の侵入を阻止しよう、という愚考である。
 でも、他に何も考えが浮かばなかったので、この心細い策に頼るしかなかった。
 僕は、さっそく、椅子をドア側まで運ぶと、定期入れの兄の写真を開いてドアに対峙させるように立てて置いた。
 後は、運を天に・・・そして、亡き弟思いの兄貴に頼るしかなかった。

(兄ちゃん。頼むッ!
 圭ちゃんと僕を護ってくれ・・・)
 そう祈るような気持ちで僕は意気地なくまた毛布にもぐりこんだ。
 そして、圭ちゃんの豊かな胸の谷間に顔を埋めると、怯える幼児のようにすがりついた。
 もう、絵の老婆がどこまで来たのかを、見る勇気はとうに失せていた。
 いや、見なくともワカル。
 ここを目指して来ることが・・・
 

 この恐怖の時間は長く・・・
 しかし、愛する人の温もりは怯える幼児に無言の安全感・安心感・大丈夫感を与えてくれた。
 もし、ここに僕一人だけだったら、きっと発狂していたに違いない。

 

 

      



 どれぐらい経ったろうか。
 僕は自分たちがあの垣根から侵入して、この部屋まで辿り着いた時間から老婆の歩みを推し量ってみた。
 そして、今がちょうどその到着の頃合と思った。
 その時だった。

「バン・バン・バン・・・」

 

 と、ドアの向こうで、肉のない手の平が叩いているような音がした。
(ひぇ~ッ! 来たぁ~ッ!)
 僕の恐怖は頂点に達した。
(兄ちゃ~んッ! 兄ちゃ~んッ!) 
 と、僕は幾度も幼い頃、近所のいじめっ子から、いつも護ってくれた頼もしい兄を霊界から呼んだ。
 圭ちゃんの安らかな寝息がスヤスヤと耳元に聞こえる。


 今度は、ひと際大きく
「ドゴン! ドゴン!」
 と、まるで硬い人の頭を、ドアに打ちつけるような鈍い音に変わった。

(しぇ~ッ!)
 もうダメだ・・・。
 

 心臓がバックン、バックン破裂しそうだった。
 次の瞬間。

 ガッキーンッ!

 ・・・・・・・・・
 

 キュイーンッ!

 という耳を裂くかのような、ものすごい金属音がしたかと思うと、外の気配はとたんに断ち消えたような感じがした。


「兄ちゃん・・・」
 僕の頬に熱いものが溢れ落ちた。
 僕と圭ちゃんは護られた。
 なぜか、そんな確信があった。
 僕は恐怖疲れから、いつしか夢魔の世界に落ちていった。

 ***

 高原の朝は鳥たちのさえずりと共に訪れた。
 僕はまるで圭ちゃんの子どものように、聖母にすがる御子のように、彼女に抱かれたまま目を覚ました。

「おはよ・・・」
「うん・・・。おはよう・・・」
 この世のはじまりは、交わした挨拶からだった。
 

 ドアの傍らに運ばれた椅子と、床下に落ちた定期入れの存在が、夕べの出来事がウソじゃなかったことを物語っていた。
 スラリと長く白い足を露わにして、圭ちゃんはベッドから降りると、定期入れを拾って見ていた。
「あら? お兄さんの写真って、白黒だった?
 こないだ見せてくれたときは、カラーだったでしょう・・・」
「・・・・・・」
 そのワケを彼女に語ることは、とても僕には出来なかった。

 

          

 

*

 

 

 

 

 

 


怪談『マー君のおかげ』

2022-08-22 08:27:49 | 創作

 結婚以来、ずっとアパート暮らしだったが、五年目にして、ようやく郊外に中古マンションを購入することができた。
 

 やや交通の便はよくないものの、築二十年のその物件は、南向き角部屋・五階の4LDKで、かなりの破格値だった。
 ただ、今になって思えば、登記の時に、過去の所有者が転々としていて、みな短期に手放していることに、ちょっとは不信感を持てばよかったのかもしれない。

 今で言う、さしずめ、「プチ事故物件」だったのだろう・・・。


 マンションは五階建てで、南と北側の棟がコの字につながっていて、百数十世帯が住んでいた。
 管理人さんは初老のご夫婦で、とても感じがよかった。
 隣家の岡山さんちも、奥さんが愛想よく、引っ越し初日から気軽に話のできる雰囲気だった。
 二人とも教員の私たち夫婦は、引っ越しの荷物が多くて、ようやく全部片付いたのは、夏休みになってからだった。

  ***

 越してから、ひと月ふた月は何事もなかったが、三月四月とたつうちに、家の中で、ちょいちょい物が紛失することがあった。
 最初は引っ越しのとき、誤ってゴミと一緒に処分したのかと思って、諦めもしたが、どうもそれだけじゃ有り得ない、おかしなことも続いた。
 例えば、冷蔵庫のプリンが三つ買ったはずなのに、誰も食べていないのに二つになっていたり…。
 お風呂のお湯が、夜の間に栓が抜けていたり…。

 お砂糖とお塩の容器が、左右逆に入れ替わっていたり…。
 とにかく、アラッ? という不可思議なことが、時折、起きていたのだった。
 気にさえしなければいい、と思えれば、どってことない些事ばかりなのだが、なんだかまるで、遠野物語に出てくる「座敷わらし」でもいて、私たち夫婦をからかっているみたいな感じでもあった。

  ***

 アパート時代に生まれたマサハルは、一才半になり、どこにでもヒョコヒョコ歩きをしとても目が離せなかった。
 ある日なぞ、その姿が見えなくなり、ダンナと慌てて探し回ったが、見つからず青くなっていたら、ベランダの据え付け物置の中から、ケラケラと笑い声が聞こえてきて、なんだか一人オママゴトをやっていた。
 それにしても、よくも自分で内側から締め切って、真っ暗な中でやっていたものだ、と不思議に思った。
 

 物置には、段ボール荷物を収納していたが、ちょうど幼児一人分が入れるくらいの隙間があったのだ。
 いつの間にか、そこはマー坊のお気に入りの場所になってしまい、そこで眠り込んでしまったことさえある。
 そんなことがあっても、私たち夫婦は、危険でさえなければかまわない、と高をくくっていた。
 そして、忙しさにかまけて、マー坊の体調の変化には気づかずにいた。

  ***

 ある日、保育園のお迎えにいくと、若いマドカ先生が心配そうに言った。
「おかあさん。
 最近、マー君、おうちでゴハン残さないで、きちんと食べてますかぁ?」
「えっ? あぁ…。そういえば、ここのところ、オカズを残すことが多かったですね…」
「やっぱり、そうですか…。
 近頃、園でも、そうなんですよ。
 なんだか、食が細くなったような感じがして、気になってたんです…。
 それに、顔色も、ちょっとさえないかな、って・・・」
 まだ若くて、未婚のマドカ先生だったが、さすがにプロの保育士だな、と私は感心した。


「もし、気になるようでしたら、いちど小児科のお医者さんに診てもらってもいいかもしれませんね。
 園では、特に感染性の疾患は今、なにも流行ってませんけど…」
 私はマドカ先生の親切なアドバイスに礼を言って、マー坊と帰宅した。


 玄関を開けるや否や、私は敷居の手前でふいに何かにつまずいて、上がりのところに手をついて激しく転倒した。
 あまりの痛さに、しばらく声も出なかったが、マー坊は何でもなかったので、とりあえず安心したのだが…。
 つまずくはずのない所で転倒したのは、これで二度目だったので、私は怪訝な気分になった。

 ダンナも越してきてから、二度ほど玄関でつまずいている。

  ***

 たしかに、その晩もマー坊は、好物のハンバーグも、ポテトサラダも、半分ほど残した。
 明らかに、彼の食行動に、異変が起きているようだった。
 ダンナと相談して、翌日、かかりつけの診療所で診てもらった。
 

 ***

「これと言って、悪いところは見当りませんけど
 少しだけ貧血と低血糖気味ですので二、三日、点滴をやって様子を見ましょう…」
 ということだった。
 

 それから三日ほど、園の帰りに、マー坊を点滴に通わせた。
 まだ、小さい腕に小一時間も注射の針を刺しっきりにするのは、可哀想でもあったが、致し方なかった。

  ***

 日曜の午後。
 ダンナの親友の山下さんち一家が遊びにきた。

 
 ここんちの長男も、マサヒロで、やっぱりマー君だった。
 ウチのマー坊より一つ上である。
 この家族とは、たびたびキャンプや食事会で、いつもいっしょに遊んでいる。
 奥さんの圭子さんとも、私は仲がよかった。
 マー坊とマー君は、幼馴染みなので、すっかり意気投合して、遊びに興じていた。
 ダンナどうしは、夕飯前なのに、すっかりワインとウィスキーで完熟トマトみたいに赤くなって、上機嫌に盛り上がっていた。
 夕飯には、鉄板焼でふた家族6人でワイワイ楽しくやった。


 一段落して、さてデザートでも食べようとしていた時だった。
 突然、マー君が、ベランダの方を指さして、圭子さんに
「ママ。あの子、どこの子?」
 と訊いた。

「えっ?」
「んっ?」
 と、圭子さんも、私も、誰もいないベランダを見た。

「マー君、いったい何処に、誰がいるの?」
 と、私が尋ねた。
 マー君は部屋の中から
「あそこ・・・」
 と物置を指さした。


 圭子さんが立ち上がって、ベランダのサッシを開けて確認してみても、もとより、誰もいようはずがなかった。
「なーに? マー君。だーれも、いないわよ」
 と圭子ママが言うと、今開けたばかりのサッシの隙間を通ってマー君は物置めがけて猛然とダッシュした。
 そして、突然・・・
「ガン! ガン! ガーンッ!」
 と思い切り、近所に響くほどに、物置のアルミ戸を蹴ると、大声で怒鳴った。
「お化け! あっち、いけッ!」


 そして、しばらくすると、スゴスゴ戻ってきて
「いっちゃったよ~」
 と何事もなかったように、平然と言った。
 圭子さんは呆気にとられ、目を点にしていたが、ご主人に
「なんなの? この子?」
 と振ると
「何かいたんじゃねーの・・・。
 子どもは、そーいうの見える、っつうから・・・」
 と赤い顔をしながら、ご主人は応えた。


 この年齢では、大人をかついだり、冗談で受けをねらったりするものではない。
 私は半信半疑で、マー君に尋ねてみた。
「マー君。どんな子がいたの?」
「ちっちゃい子。
 マー坊とあそびたいから、つれていきたかったんだって・・・」
 マー君は、サラッと応えた。
 

 私は、これまで一連のことを思い返して、とたんに、ザワッと、鳥肌がたった。
(じゃ、越してきてからずっと、その子がいたの?
 ここに・・・。
 なんで? ・・・)

  ***
 

 マー坊は、この日以来、もりもりと食欲が回復してきて、顔色もみるみる血色がよくなってきた。
 そして、家のなかでの不思議な現象や玄関でつまずくことがなくなった。
 してみると、これはやはり、あの時、マー君が「座敷わらし」か「子どもの霊」を追い出してくれたからだろうか・・・。

  ***

 8年ほど住んだ後に、私たち一家は、ダンナの実家で親と二世帯暮らしをすることになった。
 そして、引越しの当日、隣家の岡山さんからこんな話を聞いた。


「実はね、今だから、言うんだけど・・・。
 この部屋でね、マンションが出来たばかりの頃・・・。
 2歳半くらいの女の子が、ベランダから転落して亡くなったのよ。
 最初に言うと、気味悪がると思って、内緒にしていたの。
 ごめんなさいね・・・。
 ここを買った人たちが、いつもすぐに出て行ってしまうもんで、私もなんだか、少し気味悪かったんだけど・・・。
 金田さんちが、長く住んで下さったんで、私もなんだかホッとしたわ・・・」
 

 ・・・それを聞いた私は、
(あぁ。やっぱり、マー君のおかげだ・・・)
 と思いながら、住みなれたマンションを後にした。

        

         

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 

 

 


怪談『退行催眠』

2022-08-21 08:11:23 | 創作

 チャイムの音がした。

「はーい」
「・・・あの、水島ですが」
「お待ちしていました。どうぞ、お入りください」
 その患者・水島 奈緒美は、スラリとして都会的な顔立ちをした、なかなかの美人だった。

 ***

 私はカルテを手にするとソファに深々と腰を沈めた。
 年齢を聴くと二十七歳とのことだった。
 主訴は入眠困難、中途覚醒、早朝覚醒・・・そして気力減退、厭世感、気分の日内変動という。
 明らかに欝の所見である。
 心因を尋ねると、父親が亡くなったばかりだ、という。
 なら、無理もない。典型的な対象喪失性の欝である。
 彼女は父ひとり娘ひとりの父子家庭であったので天涯孤独になったという。

「じつは・・・。父の死についても、母の死についても、何かひっかかるものがあって・・・」
 そう言うと、奈緒美は奥歯に物が挟まってでもいるように、もどかしそうにうつむいた。
「と、いいますと?」
「はい・・・」
 奈緒美はなかなか心の鍵を開けずにいた。
「なんでも、どうぞおっしゃって下さいね・・・」
 そう言うと、私はしばしの時間を彼女に与えた。
 

 奈緒美は意を決したようにポツリ、ポツリと語りだした。
 父親は、脳梗塞で要介護の老人だった。
 ある日、ヘルパーさんが帰った後、奈緒美が作った「おでん鍋」のモチ入り巾着を咽につまらせて、救急に運んだのだが結局は手遅れになって亡くなったという。
「それは、ご自分の責任だ・・・と、どこかでお考えなんですか・・・」
 彼女は弱々しく首を折った。
 

 母親はというと、奈緒美の高校時代に、修学旅行に持参する旅行用バッグをデパートに買いに出かけた帰り道に、無免許高校生のバイクに追突されて脳挫傷で亡くなったという。
 なるほど、両親どちらの死も彼女がらみには違わなかった。
 

 旅行代理店に勤める彼女は、友人の勧めで、ある日、拝み屋さんに自分の前世やら因縁、墓相などを見てもらったという。
「それで、どうだったんですか?」
「はい。なんだか、私は昔・・・武士だったらしく、
 なんでも・・・無礼を働いた町人を切り捨てた、というので、その恨みをかったまま、前世は終わったらしいんです・・・」
「それが、ご両親の死と関係があると・・・」
「ええ・・・」
「納得はされました?」
「いえ・・・。なんだか、ピンとこなくって・・・」
 

 それから、しばらく生育歴などを聞いてから彼女を退行催眠に誘ってみた。
 それは、被験者を催眠状態にし年齢をさかのぼらせて、トラウマや自責感の生じた頃の感情を再体験させることによって健常な自我を再構築しよう、という狙いのセラピーである。
 私はそれに、近年、欧米で注目されつつある前世療法というものをバッテリーさせてみようと思った。

  ***

 カウチに横になった彼女はやすやすと催眠状態に陥った。
「はい・・・。あなたは今、二十七歳の会社員です。
 さあ・・・。だんだん、若くなってハタチの頃を想い出しましょう。
 どんな風景が見えますかぁ? 」
「お父さんと・・・
 一緒に食事をしてます・・・
 成人式の晴れ着・・・」
 奈緒美は、二十歳の風景の断片をジグソー・パズルのピースを集めるように脈絡なく語り出した。

「さあ・・・。こんどは、十五歳・・・。
 あなたは中学生です。
 教室の中が見えますかぁ・・・?」
 しばらくして、奈緒美はゆっくりとうなずいた。
「そこに、誰がいるのかおしえて下さい・・・」
「アンちゃん・・・。
 キミちゃん。ヤスコ・・・。
 片桐くん・・・・・・」
「好きな人は、そこにいますか?」
「いいえ・・・」

「それでは、今度は小学校に行ってみましょうか・・・。
 今、3年生です・・・。
 先生は誰ですかぁ・・・? 」
「コンドー・・・ヨシコせんせい・・・」
「あなたは今、何をしていますかぁ・・・?」
「お習字をしてます・・・」
「何て、書いてるんでしょうねぇ・・・」
「登山・・・」
「じょうずに書けていますかぁ・・・?」
 奈緒美はうなずいた。

「それじゃー・・・こんどは、保育園に入ってみましょう・・・。
 あなたは、今、年長さんです・・・。
 お昼寝から、目が覚めたばっかりですねぇ・・・。
 そこは、何組ですかぁ・・・?」
「ゾウ組・・・」
「となりにいる子は誰ちゃんなの? ・・・・・・」
「あすかちゃん・・・」

  ***

 なかなか順調にさかのぼってきた。
「さあ・・・。今、あなたは、ベッドでキョロキョロ、キョロキョロ・・・天井を見まわしています。
 きのう、生まれたばっかりです。
 どんなものが、今、見えていますかぁ・・・」
「白いもの・・・」

「はい・・・。それでは、こんどはお母さんのお腹の中にもどってみましょうか・・・」
 そう言って、しばらくすると、彼女は苦しげな表情をして腕を胸の前に縮ませた。
 母体の産道を通るときの締めつけ感なのだろう。
 そして、それはすぐに穏やかな安らぎの表情に変わった。
 いくぶんか笑みさえ浮かんでいる。
 きっと子宮内の羊水に浮かんでいるのに違いない。

「奈緒美さ~ん。聞こえますかぁ~?」
 彼女はほんの数ミリだけ首を縦に動かした。
「今・・・何が、聞こえていますかぁ・・・」
 これには返答にかなりの時間が要した。
 胎児になりきった彼女の認知システムが、処理のおそいPCのようにビット数がダウンしたかのようだった。
「タイコ・・」
 と、微かに唇が動いた。
 太鼓・・・。
 それは、おそらくは胎内では大きく響いているであろう母親の鼓動音かもしれない。
 

 私はやや緊張した。
「さぁ・・・。遠くの方に白ーい、うすーい幕がありますよ・・・。
 ゆーっくり・・・と、そちらの方へ近づいてみましょうかぁ・・・」
 奈緒美は無表情のままで、何の反応も示さなかった。
 胎児の世界観は未知なるものなので、私はただ、
観察するのみであった。
「さぁ・・・。あなたは、今・・・幕の前に、立っていますね・・・」
 

 1分ほどして奈緒美は恐ろしくゆっくりと首を倒した。
「さぁ・・・。それでは、そこに手をかけて、その幕の向こうをちょっとだけ、のぞいてみましょう・・・」
 奈緒美は硬直したままだった。
「だいじょうぶですよ・・・。
 怖くないですよ・・・。
 さぁ・・・」
 瞬間、奈緒美は苦悶の表情を呈した。
(マズイッ・・・)
 と思った。
 そして、これ以上の退行を断念してリアルタイムに戻そうと決断した時だった。


おまえは、だれだッ・・・」 

 ・・・という、野太い「男の声」が、奈緒美の口から出た。
 私はゾクッとして、思わず、ペンを床に落とした。

     

      
 

 男は怒鳴るように言った。
「なぜ、ここにいるッ!」
 私はペンを拾うことも忘れ
「あ、あなたは、誰ですか・・・?」
 と震える声で尋ねた。

「わしは、オギノヤスキチだ・・・」
 と言った。

「あなたは、い今、どこに・・・
 おられるのですか?」
 と一気呵成に訊いた。

「ミマサカの
 ナカノゴオリじゃ・・・」
 そこまで言うと、奈緒美は苦悶の表情から顔面蒼白になりはじめた。
 かなりヤバい。
 私は、危険と判断して、すぐさま順行催眠に切り替えた。

「さぁ・・・。あなたは、今、こちらに戻ります・・・。
 もう、白い幕からは離れました・・・」
 そして、順に、順に、加齢させて、どうにか現在まで戻しおおせた。
「さぁ・・・。ゆっくり、目を覚ましてみましょう・・・。
 とても、穏やかな気分になっています・・・」
 と誘導すると、奈緒美は薄っすらと目蓋を開いてくれた。
 私は安堵に胸をなでおろした。

  ***

 私は奈緒美に「オギノヤスキチ」なる人物を知らないか尋ねてみたが、案の定、知る由もなかった。
 ミマサカ・・・つまり「美作」は、今の岡山県北東部に相当するあたりだと思うが、これについても奈緒美は何の知識も持たなかった。
 私は、催眠中、彼女が人格交代したことについてはいっさい告げなかった。

 パキシル10mg 3T
 ソラナックス20mg 3T
 レンドルミン20mg 1T

 それぞれ1週間分の処方箋と次回の診察予約表を彼女は渡されて帰っていった。

 あの声は、一体なんだったんだろう。

  *** 

 

 私は、土日の休診を利用して、名古屋から新幹線で岡山まで来ていた。
 お昼は、有名な「魚嘉」という鮨屋で軽く一杯やった。
 それから、タクシーに乗り旧美作藩のある辺りの古刹を尋ねてみた。
 何のアポもなく飛び込みで寺の社務所を訪れてみたが、思いのほか、ご住職や寺男さんが親切に対応してくれた。
 

 私の目的は人別帳の調査にあった。
 もしも檀家であれば、そこには亡くなった人たちの名前が古くは江戸時代くらいまで記録されているはずである。
 私は、その閲覧を申し出ると、ご住職はさして深いワケも尋ねずに庫裏から埃のかぶった和綴じの冊子の束を寺男に持ってこさせた。
 私は恐縮しながら本堂の隅をしばらく借りて分厚く茶色に染み焼けた幾冊もの紙束と格闘しなければならなかった。
 毛筆の走り書きはそれぞれ代々の住職の癖もあり判読に骨を折ったが、一日目は、たいした収穫もなかった。
 私はご住職に事の顛末を正直に話して本堂の片隅に一夜の宿泊を許された。
 
 翌朝は、寺男さんの差し入れてくれた特大握り飯と厚切りの沢庵を頬張りながら、さっそく検索作業に精を出した。
 今日中に帰らねば明日の診療に差し支えるので、祈るような気持ちで私は膨大な資料の頁を繰っていった。
 そして、ちょうど昼頃。
 とうとう私は「中野郡 荻野 安吉」なる実在の人物を発見した。
 

 寛永5年とあった。
 しかも、「慙死」と一筆あった。
 どうも下級武士のようである。
(殺されたんだ・・・。この人)
 ナカノゴオリというのは、今では全くないが、当時のこの近辺にあった郡らしい。

  ***

 私は、お寺の方々に厚くお礼を述べると、調査結果に満足して帰京した。
 道すがら『のぞみ』の中で、慙殺された下級武士・荻野 安吉と水島 奈緒美のラインが、いかにして結びつくのか、どう考えても分からなかった。
 
 奈緒美が2回目のセラピーにやってきた。
 だいぶ夜、休めるようになったという。
 気分も少し、落ち着いたらしい。
 抗鬱剤は通常、3週間くらいで効くものだが、安定剤が思いのほか奏効したようだ。


「この一週間で何か変わった事がありましたか?」
 奈緒美はちょっと間を置いて
「こないだの催眠をしてから何度か変な夢を見たんです」
 と言った。
「どんな?」
「はい・・・。
 なんだか、汚い着物を来たお侍さんが町人の夫婦を刀で斬って殺してしまうんです・・・」
「どういう場面なの?」
「さぁ・・・。よくは覚えていないんですが・・・。
 なんだが、夫婦ものは駆け落ちしようとしている感じで・・・」
「じゃ、侍はその女性に振られた腹いせみたいなのかしらん・・・」
「ああ・・・。そんな、感じみたいでした・・・。
 なんか、嫉妬の感情のような・・・」
「ほぉ・・・。
 それを感じました?」
「いや・・・
 夢ではそう思いませんでしたが、今、当てはめてみるとなんとなく腑に落ちるような気がして・・・」
「なるほど・・・」
 

 ここで私は切り込んでみた。
「水島さんがこないだ言ってた、昔、前世は侍だった・・・という、拝み屋さんの言った侍と、夢に出てきた侍はどこか関係ありそうですか?」
「・・・・・・・・・」
 奈緒美は急に絶句して、うつむいた。

「水島さん・・・」
 返事がなかった。

「奈緒美さん・・・」
 そう呼びかけると、ギロリと鋭く目をむいた奈緒美が、顔をあげ
「だから、殺してやったんだ・・・」
 と、荻野 安吉に、豹変して、笑った。