おとこの子は、おかあちゃんの言うことに、ワケもわからず、うなずいていました。
そして、冷蔵庫を指さしているおかあちゃんが、すぐにでも帰ってくると思っていたのです。
***
「どうしても手がたりないの…」
と、ある日、遠くの街で小さなお店を開いているオバちゃんから電話がきました。
今まで、そんなこと一度もなかったのに、よほど困っているようでした。
「お願い! 三日だけでいいの…」
おかあちゃんは、すがるようなオバちゃんの声に、一度は引き受けました。
ですが、とても小さいおとこの子を一緒に連れていくことはできませんでした。
おとうちゃんは、一年前に病気で死んだので、おとこの子はおかあちゃんと二人だけで暮らしていました。
近所には、親戚も知り合いも誰もいませんでした。
おかあちゃんは困りぬいたあげく、やはり、オバちゃんには断ろうと思いました。
そして、受話機をとりあげたときです。
ふと、おとこの子がときどき一人で冷蔵庫をあけて、何かを出して食べていたのを思い出したのです。
(そうだわ・・・)
おかあちゃんは思いました。
(三日分の食べ物と飲みものを作っておいたら どうかしら・・・)
おかあちゃんはさっそくサンドイッチとオレンジジュースを三日分用意しました。
そして冷蔵庫を指さしておかあちゃんが帰ってくるまでこれを食べているように、と言いました。
おとこの子は、おかあちゃんの言うことを聞いてうなずきました。
その晩。
外がしだいに暗くなりはじめました。
いつまでたってもおかあちゃんはもどってきません。
部屋は電灯がついていて明るく、おなかも冷蔵庫のサンドイッチで満たされはしました…。
でも、いつまで待ってもおかあちゃんは帰ってきません。
おとこの子は、玄関の戸をあけたりしめたり、ウロウロし始めました。
そして、しまいにとうとう
「おかあちゃーん…」
と、泣き出してしまいました。
部屋に入っても涙はとまりません。
「あ~ん・・・。おかあちゃーん…」
おとこの子は胸をドキドキさせながら、真っ赤に泣きはらした顔を、おかあちゃんの敷いてくれたお布団の上にうずめました。
そうしているうち、いつしか寝入ってしまたのです。
部屋の電灯は一晩中こうこうとつけられたままでした。
その夜。
おとこの子はいったいどんな夢を見たのでしょう…。
***
次の朝。
ぼんやり目を覚ましたおとこの子は、いつものように、トイレで自分でオシッコをすませると、
「おかあちゃん。パンたべるゥ…」
といつものように甘えた声で言いました。
そして、なかなか返事がないので、
「おかあちゃん。おなかすいたーッ!」
と、ちょっと怒ったように言いました。
でも、やっぱり返事がありません。
おとこの子は仕方なく自分で冷蔵庫からサンドイッチとヨーグルトをとりだして、ムシャムシャ食べ始めました。
そのときです。
ハッとしたおとこの子は、パンをつかんだままトットットッ…と、いそいで隣のへやをのぞきにいきました。
どこにも、おかあちゃんの姿はありません。
おとこの子は立ったまま、お口のなかのものを飲み込むのも忘れて、泣き出しました。
どんなに泣いても、おかあちゃんの声は聞こえません。姿も見えません。
おとこの子は、ふたたびくずれるようにお布団の上に泣き伏せてしまいました。
歯型のついたパンが、畳の上に転がったままになっていました。
***
お昼ごろ。
おとこの子はのっそりと立ち上がり、玄関の戸口に立ったまま
「おかあちゃーん…
おかあちゃーん・・・・・・」
と、何度も、何度も泣き叫ぶのでした。
道行く人のなかに、おかあちゃんの姿を見つけようと、おとこの子は必死になってさがしました。
ですが、いつまでたっても、おかあちゃんは見つかりません。
おとこの子は、だんだんボーッとなってきて、フラフラしながらお部屋に入りました。
おなかの中はカラッポでした。
でも、ちっともサンドイッチを食べる気がしません。
ただ部屋の真ん中にすわりこんで、おとこの子はじっとどこかを見つめているだけでした。
灯かりは昨日の夜からついたままです。
空の色が、だんだんと青く、そして、しだいに黒くなり始めました。
夜です…。
また一人ぽっちの夜がきたのです。
おとこの子はやっと立ち上がり、冷蔵庫をあけてジュースを少しだけ飲みました。
そして明るい部屋のお布団に、頭からもぐりこんでしまいました。
いつ、
「ガチャリ。ただいまァ!」
という、おかあちゃんの声がするのか。
お布団の中でおとこの子の耳は少しの音も聞きもらすまいと、ピンと、とがっていました。
そして、おとこの子の頭のなかでは、何度も、何度も
「ガチャリ。ただいまァ…」
「ガチャリ。ただいまァ…」
という、おかあちゃんの声が繰り返し聞こえていました。
でも、お布団から顔を出してみると、誰もいないのです。
とうとう、本物のおかあちゃんの声を聞く前に、おとこの子は眠ってしまいました。
***
つぎの朝。
外は雨でした。
おとこの子は上をむいたまま目をさましました。
ぼんやりしていました。
横をむいても、おかあちゃんはいませんでした…。
お布団が冷たいと思ったら、オネショをしていました。
もう、ずいぶん前に
「おにいちゃんになってオネショしなくなったね」
とおかあちゃんにほめられたのでしたが…。
おフロに入っていなかったから、からだが汗でベタベタしていました。
おとこの子は台所で、蛇口に口をあてて水をガブガブ飲みました。
おなかが破裂しそうなくらい飲んで、サンドイッチをいっぺんに口におしこみました。
そして、ゲーッと、ぜんぶ戻してしまいました。
おとこの子は
(くるしい…)
と感じました。
(おかあちゃん…)
と、そう心で叫んでみても、声にはなりませんでした。
おとこの子はからだと心のありったけの力をふりしぼって立ちあがりました。
そして、よろよろと歩いて、タンスの一番したをあけて、おかあちゃんの服を何枚も何枚もとりだしました。
色とりどりの服が小さな山のようにこんもりとなると、おとこの子はその山を抱きしめるようにして、顔をうずめて泣きました。
涙はでませんでした。
小さな肩だけがクスン、クスンと揺れていました。
ほんのりと、おかあちゃんの香りがする服を抱きしめたまま、おとこの子は明るい部屋の中でウトウト寝てしまいました。
外が暗くなっても、電灯はつけられたままで、部屋の中は昼も夜もありませんでした。
夜が明けました。
おとこの子は、明るい電灯の下で服を抱いたまま、じっと横になっていました。
お布団のオネショは、もう、とっくに乾いていましたが、おとこの子はタンスの前を動こうとはしませんでした。
おかあちゃんの服を体じゅうに巻きつけるようにして寝ていました。
おとこの子はもう、サンドイッチもジュースも、食べたり飲んだりすることができませんでした。
***
その夜です。
カン、カン、カン…と、鉄の階段をのぼる音がして、カツ、カツ、カツ…という聞き慣れた足音が近づいてきました。
そして・・・
ガチャリ!…と。
そうです!
おとこの子が、あれほど待ちこがれていた玄関の戸が開く音がしたのです。
ガチャリ!
…と。
おかあちゃんです!
おかあちゃんが、帰ってきたのです!
「おかえりーッ!
おかあちゃんッ!」
元気のいいおとこの子の声が、部屋の奥から聞こえてきました。
おかあちゃんも、嬉しそうに急いで部屋にあがりこみました。
「あら?
かくれてるの?」
服をグルグルに巻きつけたおとこの子を見て、おかあちゃんは
「みィつけたッ!」
と、顔をのぞきこみました。
でも…
小さなからだは、もう冷たくなっていて、ほんの少しも息をしていませんでした。
*