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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

怪談『おかえりおかあちゃん』

2022-08-20 07:27:08 | 創作

 おとこの子は、おかあちゃんの言うことに、ワケもわからず、うなずいていました。
 そして、冷蔵庫を指さしているおかあちゃんが、すぐにでも帰ってくると思っていたのです。

 ***

「どうしても手がたりないの…」
 と、ある日、遠くの街で小さなお店を開いているオバちゃんから電話がきました。
 今まで、そんなこと一度もなかったのに、よほど困っているようでした。
「お願い! 三日だけでいいの…」
 おかあちゃんは、すがるようなオバちゃんの声に、一度は引き受けました。
 ですが、とても小さいおとこの子を一緒に連れていくことはできませんでした。
 おとうちゃんは、一年前に病気で死んだので、おとこの子はおかあちゃんと二人だけで暮らしていました。
 近所には、親戚も知り合いも誰もいませんでした。

 

 おかあちゃんは困りぬいたあげく、やはり、オバちゃんには断ろうと思いました。
 そして、受話機をとりあげたときです。
 ふと、おとこの子がときどき一人で冷蔵庫をあけて、何かを出して食べていたのを思い出したのです。
(そうだわ・・・)
 おかあちゃんは思いました。
(三日分の食べ物と飲みものを作っておいたら どうかしら・・・)
 おかあちゃんはさっそくサンドイッチとオレンジジュースを三日分用意しました。
 そして冷蔵庫を指さしておかあちゃんが帰ってくるまでこれを食べているように、と言いました。
 おとこの子は、おかあちゃんの言うことを聞いてうなずきました。
 

 その晩。
 外がしだいに暗くなりはじめました。
 いつまでたってもおかあちゃんはもどってきません。
 部屋は電灯がついていて明るく、おなかも冷蔵庫のサンドイッチで満たされはしました…。
 でも、いつまで待ってもおかあちゃんは帰ってきません。
 おとこの子は、玄関の戸をあけたりしめたり、ウロウロし始めました。
 そして、しまいにとうとう
「おかあちゃーん…」
 と、泣き出してしまいました。
 部屋に入っても涙はとまりません。

「あ~ん・・・。おかあちゃーん…」
 おとこの子は胸をドキドキさせながら、真っ赤に泣きはらした顔を、おかあちゃんの敷いてくれたお布団の上にうずめました。
 そうしているうち、いつしか寝入ってしまたのです。
 部屋の電灯は一晩中こうこうとつけられたままでした。
 

 その夜。
 おとこの子はいったいどんな夢を見たのでしょう…。

  ***

 次の朝。
 ぼんやり目を覚ましたおとこの子は、いつものように、トイレで自分でオシッコをすませると、
「おかあちゃん。パンたべるゥ…」
 といつものように甘えた声で言いました。
 そして、なかなか返事がないので、
「おかあちゃん。おなかすいたーッ!」
 と、ちょっと怒ったように言いました。
 でも、やっぱり返事がありません。
 おとこの子は仕方なく自分で冷蔵庫からサンドイッチとヨーグルトをとりだして、ムシャムシャ食べ始めました。
 

 そのときです。
 ハッとしたおとこの子は、パンをつかんだままトットットッ…と、いそいで隣のへやをのぞきにいきました。

 どこにも、おかあちゃんの姿はありません。 

 おとこの子は立ったまま、お口のなかのものを飲み込むのも忘れて、泣き出しました。
 どんなに泣いても、おかあちゃんの声は聞こえません。姿も見えません。
 おとこの子は、ふたたびくずれるようにお布団の上に泣き伏せてしまいました。
 歯型のついたパンが、畳の上に転がったままになっていました。

 ***

 お昼ごろ。 

 おとこの子はのっそりと立ち上がり、玄関の戸口に立ったまま
「おかあちゃーん…
 おかあちゃーん・・・・・・」
 と、何度も、何度も泣き叫ぶのでした。
 道行く人のなかに、おかあちゃんの姿を見つけようと、おとこの子は必死になってさがしました。
 ですが、いつまでたっても、おかあちゃんは見つかりません。
 

 おとこの子は、だんだんボーッとなってきて、フラフラしながらお部屋に入りました。
おなかの中はカラッポでした。
 でも、ちっともサンドイッチを食べる気がしません。
 ただ部屋の真ん中にすわりこんで、おとこの子はじっとどこかを見つめているだけでした。
 灯かりは昨日の夜からついたままです。
 空の色が、だんだんと青く、そして、しだいに黒くなり始めました。

 夜です…。

 また一人ぽっちの夜がきたのです。

 おとこの子はやっと立ち上がり、冷蔵庫をあけてジュースを少しだけ飲みました。
 そして明るい部屋のお布団に、頭からもぐりこんでしまいました。
 いつ、
「ガチャリ。ただいまァ!」
 という、おかあちゃんの声がするのか。
 お布団の中でおとこの子の耳は少しの音も聞きもらすまいと、ピンと、とがっていました。
 そして、おとこの子の頭のなかでは、何度も、何度も
「ガチャリ。ただいまァ…」
「ガチャリ。ただいまァ…」
 という、おかあちゃんの声が繰り返し聞こえていました。
 でも、お布団から顔を出してみると、誰もいないのです。
 とうとう、本物のおかあちゃんの声を聞く前に、おとこの子は眠ってしまいました。

 ***

 つぎの朝。
 外は雨でした。

 おとこの子は上をむいたまま目をさましました。
 ぼんやりしていました。
 横をむいても、おかあちゃんはいませんでした…。
 お布団が冷たいと思ったら、オネショをしていました。
 もう、ずいぶん前に
「おにいちゃんになってオネショしなくなったね」
 とおかあちゃんにほめられたのでしたが…。
 

 おフロに入っていなかったから、からだが汗でベタベタしていました。
 おとこの子は台所で、蛇口に口をあてて水をガブガブ飲みました。
 おなかが破裂しそうなくらい飲んで、サンドイッチをいっぺんに口におしこみました。
 そして、ゲーッと、ぜんぶ戻してしまいました。
 おとこの子は
(くるしい…)
 と感じました。

(おかあちゃん…)
 と、そう心で叫んでみても、声にはなりませんでした。
 おとこの子はからだと心のありったけの力をふりしぼって立ちあがりました。
 そして、よろよろと歩いて、タンスの一番したをあけて、おかあちゃんの服を何枚も何枚もとりだしました。
 色とりどりの服が小さな山のようにこんもりとなると、おとこの子はその山を抱きしめるようにして、顔をうずめて泣きました。
 涙はでませんでした。
 小さな肩だけがクスン、クスンと揺れていました。
 ほんのりと、おかあちゃんの香りがする服を抱きしめたまま、おとこの子は明るい部屋の中でウトウト寝てしまいました。
 外が暗くなっても、電灯はつけられたままで、部屋の中は昼も夜もありませんでした。

 

 夜が明けました。
 

 おとこの子は、明るい電灯の下で服を抱いたまま、じっと横になっていました。
 お布団のオネショは、もう、とっくに乾いていましたが、おとこの子はタンスの前を動こうとはしませんでした。
 おかあちゃんの服を体じゅうに巻きつけるようにして寝ていました。
 おとこの子はもう、サンドイッチもジュースも、食べたり飲んだりすることができませんでした。

  ***

 その夜です。
 カン、カン、カン…と、鉄の階段をのぼる音がして、カツ、カツ、カツ…という聞き慣れた足音が近づいてきました。
 そして・・・
 ガチャリ!…と。
 

 そうです!
 おとこの子が、あれほど待ちこがれていた玄関の戸が開く音がしたのです。
 ガチャリ!
 …と。
 

 おかあちゃんです!
 

 おかあちゃんが、帰ってきたのです!

「おかえりーッ!
 おかあちゃんッ!」
 

 元気のいいおとこの子の声が、部屋の奥から聞こえてきました。
 おかあちゃんも、嬉しそうに急いで部屋にあがりこみました。

「あら?
 かくれてるの?」
 

 服をグルグルに巻きつけたおとこの子を見て、おかあちゃんは
「みィつけたッ!」
 と、顔をのぞきこみました。
 

 でも…
 小さなからだは、もう冷たくなっていて、ほんの少しも息をしていませんでした。

          

 

 

*

 

 

 

 

 

 


怪談『雪の夜』

2022-08-19 08:50:30 | 創作

 ウチとミドリの母親は、幼馴染の親友どうしで、必然的にウチらも、幼い頃から彼女たちに連れられているうちに幼馴染になってしまった。
 

 小中高一貫のキリスト教系「女子高」に通学したウチらのもっかの悩みは、どうしてもイケメンとの出会いがない、ということにつきた。
「清く正しく美しく」
 と、十二年間もシスターたちに耳タコになるほど言われてきた清純無垢なウチらだって、お年頃ならオトコも欲しくなるというものだ。
 誰もが、未婚のシスターのような生涯だったら、人類は滅びてしまう。

 ウチんとこも、ミドんちも、どっちも離婚していて、母一人娘一人の母子家庭である。
 だから、いまだに家族同様に仲がいい。
 母親どうしは節子、千津、と呼び合っていた。   

 ***

 イヴの晩。
 私たちふた家族は、ウチで女4人での乱恥気パーティーをやった。
 河原町のディスカウント酒屋に勤めてるウチの節子が、ヴーヴなんちゃらいう高級シャンパンを店員価格で安く2本もせしめてきたのを4人で景気よく開けてしまったのだ。
 シャンパンって、カンチューハイよりも、けっこう効くものだ。

「それーッ!
 カナエーッ! グーッと、いけーッ!」
 と節子はもう単なる酔っ払いオバハンに変身していた。
「あかんわ。
 ウチのオバン、もー、キレてるわ・・・」
 呆れてミドに言うと
「ウチのかて、見てみぃ。
 完熟トマトやでぇ。
 真っ赤っかな顔してからにィ・・・。
 なんや、オトンらが出てったのも分かる気ィせーへん?」
「ハハ・・・」

 オバハンどうしは盛り上がるだけ盛り上がると、彼女たちの小中学時代のアルバムをどっからか引っ張り出してきて、あの子がよかった、とか誰君がイケてた・・・と、オトコたちの想い出話にも酔っていた。
「アホくさ・・・。
 自分らだけ、共学に行っとって、ウチらは母子家庭やから不良にならんよう・・・って、女子校に十二年も押し込めよって・・・」
「せやせや。ムカツクのう、ほんま・・・」
「この歳で、しっかり彼氏歴0なんて、信じられへん」
「ウチら今時のJKとちゃうな・・・」
「ほんまや」

 夜も更けて、ミドら親子は帰りじたくをはじめた。
「ほんまにエエの? これ」
「エエって、エエって・・・」
 節子が千津ママに、何やら古びた卒業文集らしきものを手渡していた。
「じゃ、大晦日までには返すし・・・」
 と、几帳面で生真面目な質(たち)の千津ママが言うと
「何言ってんの・・・。んなの、いつでもエエがな・・・」
 と、万事にエーカゲンな節子が笑った。
「じゃね・・・」
 と言って、二人は帰っていった。

  ***

 冬休みに入ってから、ミドとはいっぺんだけ河原町で映画を観に行って、あとはゴロゴロと毎日、DVDを見たり、なんとなくトロンボーンの練習をしたりして過ごしていた。
 ラインのやりとりだけは毎日、何本かしていたが、同じブラバンのミドも同様に退屈でトランペットを吹いているという。
 

 二人ともリッチやないんで、金のかかる遊びは、いっさい出来ひんく育ってきた。
 もっとも、ウチらのお堅いガッコは、バイトを絶対禁止にしているし、見つかれば即退学なので、危険を冒してまでやる子はほとんどいなかった。
 もっとも、お嬢私学だけあって、リッチな家の子が多く、ウチらとは生活レベルがケタ違いのもいる。
 なにせ、冬休み中は、海外で過ごすという家族がクラスに何人もいるんだから嫌んなる。
 ウチらは狭いマンションで、ごろ寝の毎日である。

「加奈恵ーッ。行くよーッ!」
 節子が玄関から怒鳴るので、重いお尻をオババン口調で
「ヨッコラショッ!」
 と上げた。

 夕方の錦市場は、大晦日とお正月の買い物客で、ゴッタかえしていた。
 私は節子につきあわされて、渋々ついてきたので、歩きながらミドにラインを送っていた。
「あんた。ちゃんと前見て歩かな、人にぶつかんでぇ~」
 節子がやかましく言った。
 私はシカトしながら送信をすませると、1分もしないうちにレスがきた。
「ふーん・・・。
 ミドんとこ、もう買いもんすましたって・・・」
「そうなん。
 でも、店じまい前やったら、なんぼか安なるし、値切れるかもしれへんやろ・・・」
「さっすがぁ・・・」
 

 私は節子に仰山の買い物袋を両手に持たされて、ふうふう言いながらマンションに戻った。
 節子の好きな恒例の『紅白』がもう始まっていて、テレビの音量を上げながら夕飯の支度をしていた。
 私は寝室のベッドで夕飯の声がかかるまで、ごろ寝しながらミドに借りた冒険ファンタジーの続きを読んでいた。

「ご飯でけたでぇ・・・。
 ・・・・・・
 あら、雪とちゃう?」
 見ると、白いものがベランダの手すりに薄っすらと積もっていた。
「やっと降ったねぇ・・・。
 なんや、えらい寒いと思たわ」
「ほんに・・・。よかったし。はよ、帰って来て・・・」
 

 母子ふたりのちょっとばかり豪華な夕飯を、紅白を見ながらのんびりと食べていた。
 節子は買ってきたばかりの「発泡濁り酒」というピリピリ泡の立つ白い日本酒を、小さなグラスに注いで、美味そうにオセチをアテにチビチビやっていた。
 紅白も赤が勝って、さて、そろそろ風呂にでも入ろうか、という時間にチャイムがなった。


「なんや、今時分、誰やろ?」
 と節子がコタツから面倒そうに這い出た。
 カチャリとロックを開けると
「あら、千津ぅ。どーしたん?」
「ごめんな、遅くに・・・ 」
 と言って千津ママはパッパッと、粉雪を払いながら古びた卒業文集を差し出した。

「なんやのん・・・ あんた。
 こんなん、わざわざ持ってけーへんでもエエのに・・・ 」
 節子が呆れたように言うと、千津ママは笑って
「ウチ、委員長やさかいな・・・ 。
 約束はきちんと守らな・・・」
 と言った。


「ほんまに、あんたの几帳面はビョーキもんやなぁ・・・。ちょっと、上がったりぃな」
「うん。そないしたいけど、遅いし、ミドリも一人で待ってるさかい・・・。帰るわ」
「そーか。んな、よいお年をお迎えください」
「おおきに・・・ 。
 じゃ、カナエちゃん、おやすみね・・・」
「はーい。よいお年をー!」
 節子は古い文集を片手にコタツに戻ってきた。

「千津ったら、頭、真っ白けにして・・・。
 ほんまにもう・・・」
「雪やんだみたいやね・・・」
「そーね」
 さて、あらためて風呂にでも入りますか・・・と、コタツを出ようとした時だった。
 ブーン、ブーン・・・と、卓上にあったケータイが、激しく振動した。
 

 ミドからだった。

「エッ? うそっ・・・」
 私は絶句して、サーッと、頭から血の気が引いた。

「どしたん? ミドリちゃん?」
「・・・・・・」
 

 節子は怪訝な顔でスマホをのぞきこむと、
「エーッ!」
 と大きな悲鳴をあげた。

  **********

 オカンが9時頃倒れてん。  
 救急車で京大病院に来てんけど  
 さっき、「もうアカンて」  
 お医者さんが言わはってん。 
 クモ膜下出血っていうんやて。
 ウチどないしよう。   
 どないしていいか、わからへん。
 たすけて、カナエ。   
 な、たすけて。
 
 **********

 ウチら母子は絶句したままだった。

「9時に倒れてんのに・・・
 なんで、今、来れんの?」
 ウチは一瞬、頭がヘンになりそうやった。

「ウワーッ!」
 と叫びながら、玄関めがけて走ると、ガチャガチャッと乱暴にチェーンロックを外して扉を開けた。

 

 そして、ゾッとした。
 

 うっすらと雪の積もっている外通路のどこにも、千津ママの足跡はなかった。

    

 

 

 

 

 

*


怪談『カスの忠告』

2022-08-18 09:07:00 | 創作

 

 世の中には「縁起かつぎ」が、あんがい多いものだ。
 

 かつての私もそうだった。
 ローカル新聞の「今日の運勢」蘭に、かならず目を通してからでないと出社できなかった。
 後年、その習慣が自分でも嫌になって全国紙に換えることにした。

  ***

 私の同僚・山岸 豊和は「縁起かつぎ」を通り越して、ほとんど強迫神経症の領域といってよかった。
 彼はあらゆることを気にし、それゆえの神経衰弱で、たえず胃を患っていた。
 彼のクダラナイ自慢のひとつに心療内科の待合室で青年コミック誌と少年コミック誌をタダで三年も読んだというのがある。
 こんな人物だから女子社員はモチロンのこと、男子社員からも、ほとんど相手にされなかった。
 シャツの下から二番目のボタンのように、あってもなくてもいいような存在だったのだ。
 

 そんな「河童の屁」のような、なんの魅力もない豊和は、私とは小中高と何の因果か、一緒の幼馴染みであった。
 さりとて、この男に異性として惹かれたことは、一秒たりとてないが、悪縁というか、ワキガ臭のように、嫌でも自分にまとわりつくこの腐れ縁の男が、あっけなく事故で逝ってくれた時は
(ありがとう。トヨカス・・・)
 と、つい内心よろこんでしまった。
 

 口に出して
「いなくなってくれて、ホッとしたわね・・・」
 と囁いた女子社員だっていたのだから、私なぞまだ、モラリストの部類だろう。
 ちなみに、彼のアダ名は小ガッコ以来「トヨカス」である。
 ひどい奴になると略して「カス」と呼んで、みんなでいじめていた。
 

 この何でも気にする男で最高傑作だったのは、
『リング』というホラー映画をテレビで見たときだった。
 劇中に出てくる「呪いのビデオ」を自分も見てしまったので(テレビ放映で)ほんとうに一週間後に貞子がテレビから出てくると思って(笑)、自分の部屋のテレビを捨てに行った、というから見事な馬鹿である。
『名探偵モンク』も似たようなキャラだが彼にはアスペ特有の超人的推理力があるがトヨカスは名前のとおりスカスカの「カス」なのだ。

   ***

 こんなカスを、蛇蠍(だかつ)のごとく嫌っていたのが親友の祐子だった。
 その卑屈な態度はもとより、猫背で、ガニ股で、奥目で、出ッ歯・・・という、救いがたいほど醜い容貌を、社内一美貌のユッコは、まるで人類ではないかのように見下げていた。
 

 ある日。 

 カスが私の処にやってきて、コソコソと耳打ちをした。
「あのさ。オトちゃん。
 ユーコさんの誕生日って知ってるかい?」

「なにッ? おまえ、ユッコの誕生日知って、どーすんだよ?」

「いや、別に・・・」
「てめぇ、変な色気だすんじゃねーぞ。
 カスがぁ・・・」
 

 私はつい、クソ男子社員につけられたアダ名どおり「オトコ女」の口調になってしまった。本名は乙葉なのに…(😿)。
 

 カスは醜い顔をすこし赤らめた。
 私は、親友の誕生日は、口が裂けても言わん! と、カスに、はっきり言ってやった。
 カスはしょぼんとしながらも、自己憐憫のようなキショイ笑みを浮かべて去っていった。

(馬鹿タレッ! 分を識れッ!)
 と、私は内心で毒突いた。

   *** 

 それから幾日かして給湯室にいた私の背後から、また、カスが声をかけてきた。
「オトちゃん。今いいかい?」
「なーにッ!?
 また、ユーコちゃんのことぉーッ!」
 私はわざと大声で言ってやった。
 カスはシドロモドロになりあたりをキョロキョロ見まわした。

(ふん。この小心者!)
 私は背後に立つカスを、忌まいましく感じながらも、せっせと二つのポットに水を入れていた。
「あのさ・・・。
 ちょっと小耳に挟んだんだけど、ユーコさんのホロスコープを見た康夫君が言ってたんだ・・・」
「なによ? そのホロスコなんとか、って・・・」
 私はお尻で問い返した。

「ああ・・・。それね、パソコンでやる星占いなんだよ」
「それが、どーしたのよ?」
「それはね、生まれた日と時間で占うんだ・・・」
「あんた、ユッコの誕生日、盗み聞きしたのね。ヤスから・・・」
「ちがうよッ! 聞いたんじゃないよ。聞こえたんだ・・・」
 カスはチビなりに大げさな振舞いで否定した。

「それより、心配になって・・・」
「えーッ? いったい、何が心配なのよッ!
 カスのあんたが・・・」
 カスはいつもの卑屈な笑いを浮かべると、もやもやと言った。

「ユーコさん、1月9日の夕方の4時59分に生まれたんだって・・・」
(チッ・・・)
 私は心ん中で舌打ちした。
 反吐より汚い、と思っている男に、自分の誕生日を時間まで知られていることをユッコが知ったら、どーしよう、と思った。
「その誕生日の何が心配なのよッ!」
 私の一言ひとことにはすべて怒気を孕んでいた。
 

 カスは私の毒気に気押されたのか、恐るおそる自説を開陳しはじめた。
「あのですね・・・。
 1月9日の4時59分はですね、語呂合わせでは『逝く時刻』となるんです。
 占い者によっては『生き地獄』という人もいますが・・・」
「てめェ、いっぺん殺したろかぁーッ!」
 私はトヨカスの首を本気で締めにかかった。

「ホゲホゲ・・・。ぐめんらはい・・・ぐめんなはい・・・」
 奴の顔が十分に充血したところで乱暴に解いてやった。
 157センチのオンナ男を、175センチのオトコ女が、締め落とすのはワケなかった。まして、私は柔道三段である。
「おまえ、腐った頭で、んなことばっかり考えてっから、いつまでたってもイジメられんだぞ。
 いっぺん、脳ん中の水とりかえろッ!」
 そう言っても、まだ腹のムシが収まんなかった。
 両手に持った水入りポットの片っ方で、モジャモジャ頭をガキッと思い切りぶっ飛ばしてやったら、奴がかがみこんだので、ようやくスッキリした。

「このタコッ!!」
 そう罵声をノータリンに浴びせて、私はオフィスにもどった。
 総務課の窓際席では、ユッコが眉間にしわを寄せて、カチョカチョ…と、PCのキーを叩いていた。

 それから数週間は何事もなかったが・・・

 今日の昼休み、またまた、カスが声をかけてきた。
 

 私が露骨にグイと睨みつけると、カスは女子中高生がやるような、複雑に折った手紙のメッセージを、だまって私の机におくと、ぴゅうと飛んで出ていった。
 めっちゃ、うっとかったが、そいつをピラピラと開いてみた。

 ***********

 オトちゃん。
 しつこくてゴメン。
 これが最後だと思ってどうか捨てないで読んでください。お願いします。
 やっぱり祐子さんのことがどうしても気になって・・・。
 

 こないだのこと、まだ祐子さんにはお知らせしてないと思いますが・・・。
 こないだ言いたかったことは、僕の知っている霊能者の先生が、祐子さんの誕生日と時間をみて
「この人は車を運転しない方がいい。
 そうでないと、命にかかわる事故に遭うかもしれない」
 と言ったからなんです。
 笑わないでくださいね。
 

 この先生は、普段はふつうのサラリーマンなんだけど、透視能力があって、難病の人を何人も霊視で治したり、倒産しそうな会社をいくつも立て直したりして、今はまだマイナーな人なんだけど、「鎌田の生神様」って呼ばれてる人なんです。
 その人がたまたま、母の知り合いでウチに遊びにきた時に、ちょっとした悪ふざけのつもりで
「この人は、どんな人と結婚するんですか?」
 って、祐子さんの誕生日の数字だけ見せたんです。
 

 そしたら、イキナリさっきの答えだったんで驚いたんです。
 ほんとにバカみたいな話ですけど、オトちゃんも祐子さんの親友なら、どこか心に留めておいてもらいたくて、手紙を書きました。
 ほんとに、気を悪くしたら、ゴメンね。

 *********

 なんだか、あまりにクダラナイ内容で、私は読んだことを後悔して、いささか脱力気分になった。
(馬鹿は死ななきゃ治らない、か・・・)
 ホントにそう思った。

 その手紙から一週間後、トヨカスは海沿いの国道で、酔っぱらい運転のダンプに正面衝突されて、あっけなく車ごとペチャンコになって死んだ。
 トヨカスの訃報を会社で聞くと
(なんでぃ・・・。
 おっ死んだのは、てめぇの方じゃん・・・。
 バッカでぃ・・・)
 と真っ先に思った。
 

 そして、会社では何事もなく、ふた月が過ぎた一月九日の日曜日だった。
 その晩は、ユッコの誕生パーティーが、小さなフレンチ・レストランを借り切ってやることになっていた。
 ユッコは、夕方近く、わざわざ私んちに寄って、車で拾ってくれた。
「ねぇ、まだ時間があるから、ちょっと遠回りして、海でも見てから行かない?」
 とユッコは言って、街外れの国道に向かった。
 

 三十分ほど走ると、ちょうど日没で、オレンジ色の硝子の粉を一面に散らしたような眩い海を見ることができた。

 

     

「キレイね・・・。
 なんだか、誰かに素敵な誕生日プレゼントをもらったみたい・・・」
 ユッコはウットリしていた。
「そうね。
 二十五年まえの今頃・・・。あんた、この世に出て来たのね・・・」 

 と私が言うと
「ひとをウンコか、貞子みたいに言わないでよ!」
 と笑った。
 

 車は郊外のレストランに向けて、海岸通りを走っていた。
 窓を全部あけ放って、潮風を全身に浴びながら走るのは、爽快感そのものだった。
 ふたりの髪が、疾駆するプジョーの車内で、サワサワとなびいていた。

 次の瞬間。

 対向車線を走っていた大型トレーラーが、中央分離帯からユラリと外れたかと思うと、プジョーの鼻先に突っ込んできた。

 ドガーンッ!!  ボゴンッ!!   ※○×▲××× ・・・・・・

 

     



 私が気がついた時は、すでにレスキュー隊が到着していて、つぶれた車内から二人を引っ張り出そうと、バーナーでボデイを焼き切る作業をしていた。
 

 居眠り運転のトレーラーは、運転手側のドア近くに衝突したらしく、ユッコの体はメチャメチャになっていて、ほとんど人の形を成してなかった・・・。
 

 私は顔面からおびただしい出血をしており、右手、右足は複雑骨折したようで、ブラブラ状態だった。それでもまだ、痛みを感じるだけの意識があった。
 頭も動かせない状態で、目だけが、辛うじて動かせた。
 私の膝の上に、ユッコの千切れた左手首が、ゴロンとのっていた。
 金のブレスレット時計は、ガラス板が粉々に砕け散って、文字板が露出していた。
 時間は4時59分で止まったままだった。


 1月9日4時59分・・・。
 

 カスが言っていた「逝く時刻」・・・

「生き地獄」・・・

 私の動かない右の足元には、スピードメーターが転がっていた。
 かすみがちな目に、トリップ・カウンターの数字が、見えた。
 

 422194

 それは、
「死にに行くよ・・・」
 と読めた。

 

 

 

*

 


怪談『還ってきた妻』

2022-08-17 08:22:28 | 創作

 一人娘の友里恵が高2になる頃には、妻とはすっかり家庭内別居状態になっていた。
 

 妻は下の六畳の洋間に、私は二階の和室にと、それぞれベッドも仕事机も置いて、まるでアパート内の他人どうしのように暮らしていた。
 たまさか、どうしても娘のことで用事のあるときだけはお互いの部屋をノックして「訪問」し、さっさと事務的に用件だけすませるのが常だった。
 しかし最近では、それすら滅多にないことだった。 

 娘の部屋は妻の隣にあった。

 ノックの音がした。
「わたし・・・」
 妻だった。
 

 私は瞬時に重々しい気分になった。
「どうぞ・・・」
 妻は静々と入ってきて言った。

「友里恵が明日から沖縄に行くからお小遣いを渡してほしいの」
「いくら?」
「わたし、銀行でおろしてくるの忘れたのよ・・・」
「だから、いくらだって?」
「そーね。ほんとは二万までなの。
 でも、あの子、三万くらい持っていきたいんじゃないの」
「あー。わかった」
 と言って、私はぶっきら棒に財布から漱石を三枚手渡した。

 ただそれだけの事なのだが、なんだかちょっとムッとした。
「あと、先月の固定資産税の未納通知が来てたから、入金しておいてね」
 と妻は言い捨てるように部屋を出ていった。
(まったく、金、金って・・・)
 と私は苦々しく感じた。
 

 ここ数年、会話がなくなったのは、そもそもは妻が
「もっとお父さんに稼ぎがあればねぇ・・・」
 と何気ない一言を晩餐の食卓で洩らしたのが切っ掛けである。
 さすがに、娘もそれを聞き咎めて
「お母さん。
 それってお父さん可哀想じゃない。
 あたしまで嫌な気分になるわよ」
 と窘めてくれた。
 娘の方が、よほど気がついてデリカシーがあるのだ。
 

 妻も英文科卒のキャリアを活かし、自宅に篭もっては日がな一日、翻訳の仕事をしていた。
 私はフリー・ライターで、いろんな雑誌から仕事をもらってはルポを書いている。
 たしかに、公務員や企業のサラリーマンに比べたら収入は不安定だし、実入りの少ない月もある。
 それでも、どうにかローンで郊外に小さな一戸建てを買うことだって出来た。もっとも、築20年というおそろしく古い中古物件だが・・・。

 

 娘が
「行ってきまーす!」
 と修学旅行に出かけた晩だった。
 仕事がノッてきた深夜の一時頃、ノックの音がした。妻の他には誰もいない。
 二日も続けて来るなんて我が家では椿事だった。
「ごめん。仕事中・・・。
 またで悪いんだけど、今日、電気代の未納通知が来たんだけど、こないだ出張に行ったとき出先で振り込むって言ってたんじゃなかったのッ」
 妻のやや強い責め口調に私は少しムッとした。
 まるで、人のことを甲斐性なし、とでもナジッているようにも感じられたのだ。
「忘れたんだッ!」
 と私は怒気を含めて答えた。
「なによ。そんな怒鳴らなくてもいいじゃない・・・」
 妻もムカツいたらしかった。
「金、金って、ウルセーなッ!
 今、忙しいんだ! 

 とっとと、出てってくれッ!」

 そうワメき散らすと、妻は無言のまま、バッカーンッ! と、すさまじい音を立てて戸に八つ当たりしたまま階下に降りていった。

(ドブス野郎ッ!)
 と、私は内心で口汚く罵った。
 せっかくノッていた筆が乱れた心のせいでピタリと止まりまったく進まなくなった。
 私は忌まいましい気分をもてあまし、アルマニャックの瓶から底に残っていた僅かな琥珀の液体をブランデーグラスに全部そそいだ。
 酒までも切れて忌まいましい気分はいっそう倍加した。

(クソったれが・・・)
「悪いことは、いっぺんに起こる」という『マーフィーの法則』がある。
 その時、ブルルッとケータイのバイブが鳴った。
 メールが一件入った。妻からだった。

*************
*なによ。自分で払うって*
*言っといたクセに、ちっ*
*とも払わないで。私だっ*
*てしっかり働いて友里恵*
*の学費はらってんのよ。*
*滞納なんてしたことない*
*わ。よく恥ずかしくない*
*わね。もうあなたとは離*
*婚したい。私は友里恵と*
*ここに住みたいから、あ*
*なたが出ていってくれな*
*いかしら。その条件なら*
*養育費はいらないわ。 *
*明日まで返事くれるかし*
*ら。         *
*************

 私は怒りで吸いかけのタバコを噛みちぎりそうになって吐き捨てた。
 

 ⁂

 

 しばらくして、気がつくと、妻は後頭部からボルドーの赤ワインのような鮮血をドクドクと勢いよく溢れさせていた。
 私の右手のバカラ製アルマニャック瓶からも透明な赤色が筋となって垂れていた。
 これが妻への「返事」だった。
 

 一撃で飽きたらず私は怒りに任せて夢中で数回も殴打したらしい。
 撲殺した妻からの返り血が私のシャツの胸と袖口あたりに真紅のシミとなって点在していた。
 妻は完全に絶命していた。
 さっきまで『世田谷主婦殺し』のルポルタージュ執筆をしていた自分が今、『沼津主婦殺し』の当事者になっていた。
 なんという人生の皮肉だろう・・・。
 妻の人生も哀れだ。私に殺される運命にあったのだから。

 ほとんど素面の私は
「ホトケの始末は、思ったよりも厄介なんですよ」
 という『刑事コロンボ』のセリフを思い出していた。
 さあ、この屠殺した肉の塊をどう処理したらいいものか・・・
 私は思案にくれた。
 勝負は夜明け前までだ。
 とっさに、そう思った。
 

 私は出来るだけ濃い目の毛布を家中に探した。
 しばらくして、こげ茶色の毛布で包まれ、紐でグルグル巻きにした巨大な焼豚状の物体が一丁できあがった。
 私は家中の灯かりをすべて消すと、このモスラの幼虫のような奇態な屍骸を甲斐がいしくも「お姫様抱っこ」をしてガレージに運んだ。
 

    

 

 車のトランクに「荷物」を積んで家を出てから、どれほど走ったろうか。
 あたりにゴルフ場が点在する人気のない山間で妻を降ろした。
 暗闇と未知の場所なので勝手がわからなかったが、どうにか木立のあるところまで運びおおせることができた。
 

 それからが大変だった。
 深夜の埋葬作業となった。
 いや・・・。
 正確には、死体遺棄作業、あるいは証拠隠滅作業なのだろう。
 まさか、今夜、自分がサスペンス映画やミステリー小説の犯人役のような苦労をするとはよもや思いもしなかった。
 絞れるほど汗をかいた甲斐があってどうにか妻は大地に還ってくれた。
 良心の呵責や恐怖心よりも安堵感だけが全身にあふれていた。

 家に戻れたのは三時半過ぎだった。
 あと数時間後には夜が明ける。
 眠る前には、まだやらねばならないことが残っていた。
 血糊を濡れ雑巾でふき取らねばならなかった。
 熱湯と洗剤でしっかり落とさないとルミノール試験で、警察の血痕鑑識にひっかかってしまう。
 職業上の知識がこんなときに役に立った。
 

 後は、娘や近所、妻の親族にどう辻褄の合う「失踪事件」のシナリオを完成させるかである。
 失踪ルポは、これまで何十本書いたかわからないのでこの方面は全く心配がなかった。
 妻の存在をまったく感じない四日間は久しぶりに晴れ晴れとした胸のつかえが取れたような爽快な気分であった。
 数日前の凄惨な出来事はまるで毎日繰り返し放映されているテレビの陳腐な殺人シーンでも見たくらいの感覚になっていた。

 ひとり晩飯を済ませるとカチャリと玄関の開く音がして
「ただいまぁ・・・」
 と、娘が薄っすらと日焼けした顔で帰ってきた。
「おかえり・・・」

「あー。疲れたァ・・・」
「飛行機、時間どおりに着いたのか?」
「うん。お風呂わいてる?」
「ああ」
「じゃ、先に入るね」
 そう言うと、娘は浴室に直行した。

 娘が帰宅してから三日も過ぎたが、お母さんどうしたの? の一言もないのが不思議だった。
 隣の部屋なのに・・・。
 私にも土産を買ってきたのだから、とうぜん妻にも土産があったはずである。

 

 ⁂


 土曜になった。
「アッキーのところにお泊まり行ってくんね・・・」
 と出かけようとして階下から声をかけた娘をつかまえて私は訊いた。
「お母さんにも言ったか?」
「うん」
(エッ・・・)

「お母さん、なんて言った?」
「お父さんにも、言っていきなさい、って」
(なに?・・・)
 私はゾクッとした。
 

 バタンと勢いよく玄関の扉を閉めると娘はさっさと泊まりに出かけた。
 私は娘の隣の部屋にまだ妻がいる・・・という信じがたいことに両足が硬直して動けなくなった。
 ましてや、その部屋のノブを廻して中を確認する勇気なぞなかった。
 しだいに日が暮れ夕闇は濃紺から漆黒へと遷ろった。
 生まれて初めて夜を怖いと思った。

 私は、自分の部屋を出ることさえ不可能なほどに怯えていた。
 そして、寝るに寝られず仕事机に向かって懸命に書きかけの原稿の升目を埋めていった。
 執筆に没頭することが唯一、恐怖から逃れる術であった。
 

 そんな逃避対象の原稿があらかた仕上がりかけてくるのが気鬱になり煙草に火をつけ一服吐き出した時だった。
 ミシリ・・・という築二十年の古い木製階段が軋む音がした。
 

 とたんにビクンと腹のあたりの筋肉が痙攣を起こした。
 

 ミシリ・・・、ミシリ・・・と軋みはゆっくりと等間隔に二階に上がってきた。
 

 私は恐怖のあまり、ドアを開けることは勿論のこと、二階から飛び降りることさえできなかった。
 

 軋みは、ドアの真ん前で、ピタリと止まった。
 私は震えるようにして、燃える煙草の赤い火の一点だけを、凝視した。

 その時、ノックの音がした。

 ・・・・・・

 

  

 

*

 

 

 

 

 

 


怪談『ヤケドの跡』

2022-08-16 07:23:19 | 創作

 大阪で高校教員になってから何年目かの冬だった。
 

 私は2回目の1年生の担任になり、2度目の「スキー訓練合宿」の引率で4泊5日のM温泉スキー場に行った。
 そこは大阪からバスで延々十五時間もある山ん中である。
 

 その騒ぎは、最終日の就寝時間後の十一時ごろにおきた。
「先生ェ! 大変ですッ!」
 血相を変えながら飯島がロビーに慌ててやってきた。
「どないしたんや?」
「川島が、なんだか変なんです!
 霊に憑かれたみたいになって・・・」
「レーエー?」
 一緒にいた数人の先生たちは鼻で笑った。
「何、言うてんねん。アホか・・・」
 気の毒に、せっかくご衷心にも教員に報告に来てくれた真面目な飯島はアホ呼ばわりされてしまった。
 

 男子生徒の202室に入ると5人部屋の真ん中の布団で川島が眠っているのでなく、ノビているふうであった。
「おい、川島。どないしたんや?」
 と呼びかけると、歯をカチカチと震わせて
「すぐそこに、いてんねん・・・」
 と窓の方をやっと指さした。
 どうも窓の外に霊なるものが、へばりつくようにいるらしい。
 見れば、しっかりカーテンが閉まっているし、だいいち、そこは二階の窓でべランダもない。

(なに寝ぼけてるんや)
 と思ったが・・・
「誰がいるんや?」
 と訊いてみた。
 川島は意識はしっかりしていて
「男と女のアベック・・・」
 と応えた。
「ほお・・・。で、どんな格好の?」
「どっちもスキーウェアやねん」
「色は?」
「男は白っぽい・・・。女は黄色みたいな・・・」
「ふん。で、顔は?」
 と訊くと、川島は眼をしっかりつぶるとカチカチ歯を鳴らしながら言った。
「睨んでる・・・。俺のこと、睨んでる・・・」

「なんで?」
「しらん・・・」
「女もか?」
「うん・・・」
「どんな女や?」
「めっちゃ髪長い・・・」
「あと?」
 川島はそこで押し潰されるような声を出した。
「顔の半分がヤケドしてるし・・・」
「どっちの半分?」
「右っ側・・・」
「どんな色に?」
「黒っぽい・・・」
 

 そこで確認してみた。
「いまも窓にへばりついて、お前を睨んでるんか?」
「・・・・・・」
 ちょっと間をおいて応えた。
「少し離れた・・・」
「どのくらい?」
「5メーターぐらい・・・」
「ほお・・・。なるほど。でも、まだ、いてんねんな?」
 川島はあいかわらず眼をしっかり閉じたままで黙ってうなずいた。
 

 その時、畳の上に白いものがパラパラと乾いた音を立てて落ちた。
「ん?・・・」
 見ると、飯島が左こぶしの中から塩をつかんでは窓や川島めがけて投げつけていた。
「おまえ、何しとん?
 だいいち、その塩・・・どっから持ってきてん?」
「・・・し、食堂の調理場から・・・」
「勝手にパチッてきよったん?」
 私は、笑いたい気分を抑えながらも、それでも、これも友情なんだろうな、と思うことにした。
 他の同室の男子もかわいそうに、この騒ぎで寝るどころではなかった。

 眠そうな眼をこすりながら壁によりかかっている者もいる。

「おい、飯島。
 おまえ、川島の左の目蓋ぁ、指で開けいッ!」
 と私はとんでもない指示をした。
 飯島は驚きながらも
「早くせいッ!」
 と脅かされたんで、私が右の目蓋を開けるのと同時にやった。
「おい、川島。
 眼ぇつぶらんと、天井の蛍光灯の光を見てみぃ。
 眼ぇつぶったら、誰でも真っ暗闇になるさかいな・・・」
 川島は目蓋をピクつかせながらも頭上の蛍光灯に眼の焦点を結ぼうとしていた。
 

 三十秒ほどそうしておいてから
「どうや? まだ、アベックいてるか?」
 と訊いてみた。
 川島は目の玉を開かれたまま小さくコクコクと首を折った。
「さっきと同んなじあたりにおってか?」
 目ん玉男は今度は首を横にふった。
「どのあたりや?」
「10メーターくらい向こう・・・」

(ずいぶんシツコイ霊やのぉ・・・)
 と私は内心ひとりごちた。
 そして、とっておきの「お守り」を出した。
 タネを明かせば、何の事はない。それは白いメモ用紙を四つ折りにしただけのものである。
 それを目玉男に腹の上で握らせた。
 どーせ見えっこないし。
「これはな、先生がいつも肌身離さずつけてるお守りなんや。

 これ手に持っといたら、どんな悪霊でも退散するさかいな。

 しっかりグッと握ってみぃ!」
 そう暗示にかけると、目玉男は腹の上で護符を握りしめた。
「悪霊退散―ッ!!
 って、大きな声出して言うてみぃ!」
 そうけしかけると
「あーくりょ~・・・
 た~いさ~ん・・・」
 と震えながら弱っちい声をあげた。

「よっしゃ。これで、もう大丈夫やで・・・。
 どや? まだ、ヤケドのネーチャンおるか?」
 川島は眼ン玉を剥き出しにしたまま震えるように首を振った。
「もう、いーひんのやな?」
 確認するとコクンとうなずいた。
(はぁ~。やれやれ・・・
 やっと「除霊」が終わった・・・)
 と思った。
 その晩は、特別、蛍光灯をつけたまま寝ることを許可して、男子の部屋をあとにした。

 0時の最終「部屋廻り」を終えてロビーでの教員ミーティングも終わりかけた1時頃だった。
 今度は、何やら女子棟の部屋から悲鳴があがった。それも一部屋や二部屋ではなく、1学年女子の全部屋で悲鳴やら鳴き声やらでパニック状態になった。
(もう勘弁してくれや・・・)
という気分で、ドッと疲れが押し寄せてきた。
 

 各担任はそれぞれクラスの部屋に駆けつけた。
 私も105の我がクラスの処へと。
 ノックして入ると、どうだろう。それは、まるで2時間前に男子の202室で見たのとほとんど同じシチュエーションだった。
 違ったのは、和木という女の子が白目をむいて仰向けに寝ているまわりで、4人の子がオンオン泣いているのだ。
 

 私は、クラッと、軽い目まいを覚えた。
 が、気を取り直して
「どしたん?」
 と訊いた。
 すると、中島という子が泣きながら言った。
「先生。和木ちゃんなぁ、急になぁ、寝てたらなぁ、大声出して暴れ出してん・・・。
 そんで、みんなで抑えてんけど、すんごい力してはって・・・。4人とも飛ばされんねん・・・」
「そんなに力あるん? この子・・・」
 

 すると、べそをかきながら弱っちそうな明美が言った。  
「ちゃうねん。和木ちゃんだけの力とちゃうんや」
「ヘッ? なんやそれ?」
「だからなぁ、誰か別の人が入ってはんねん・・・」
「別の人って、誰や?」
 中島が応えた。
「いつもの和木ちゃんの声と違うんや。
 ふっとい声でな・・・。男みたいやねん。その声が・・・」
「そうなん?」
 とまわりで泣いてる子にふると、みんな可愛らしいパジャマ姿のままコクコクとうなずいた。
 

 明美が続けた。
「それと、変なんやわ、先生。
 あたしが、あんた誰? って訊いてん」
(・・・んなの、訊くなやアホ)
 私は内心で舌打ちした。
「そしたらな、今度は女の子の声で、和木ちゃんと違う声でなぁ、
『マーくん。マーくん』

 とか言わはんねん・・・」
「なんじゃ、それッ?」
「でな、ウチがな、マーくんて、誰? って訊いてん。そしたらなぁ、
『私はマーくんといっしょに死ぬ』
 って言わはってん・・・。
 それが、東京弁で言わはるんやで。
 和木ちゃん、生まれも育ちも大阪なのに」
 

 私はただでさえ疲れと眠気で頭がウニ状態だったが、この憑依騒ぎでトドメを刺された感じだった。きっと、まだ若かったから凌げたのだろう。
 肝心の和木自身は今度は川島の比ではなく、呼べども肩を揺すれども応答はなく、ほとんど人事不省で意識なし。
 ただ、呼吸はしっかりしており、顔はいくぶんか紅潮していたので救急車を呼ぶレベルの病態とは違うと判断できた。
 私の脳裏では、集団ヒステリーによるハイベン(ハイパー・ベンチレーション=過呼吸症候群)だろうと察していた。合宿や修学旅行での隔離状態や蓄積疲労により、それが起こりやすいという事を私は新任研修で習っていた。
 とうとうその晩、和木は正気に戻ることがなかった。しかたなく、そのまま寝せることにして他の子たちにも男子と同じく灯かりをつけたたまま寝てよいことを告げて、ようやく自分の布団にもぐりこめたは午前2時過ぎだった。

 翌朝、朝食時間ギリギリにやっと眼を覚まし布団の中から枕もとのファイルをはさんだバインダーに手を伸ばすと何やら指先に触るものがあった。
 妙な感触なので目を凝らしてよく見るとそれは長い長い髪の毛であった。どう見ても女の毛のようだ。それもご丁寧に蛇のようにグルグルととぐろを巻いている。
 端をつまみ上げてみると裕に片腕分ほどの長さがあった。部屋には一度たりとて女生徒が入ったことはないし、都会のホテルでもないこの宿にルーム・メイドが来るわけもなかった。
(なんでやねん? ・・・)
 と思ったが、気色悪かったのでポイとゴミ入れに放かした。
 

       

 

 400名ちかい一行は朝食を終えると、各部屋の清掃を済ませてバスに分乗しはじまった。
 私はロビーにいた温厚そうな初老の番頭さんとお礼挨拶がてら雑談をしていた。
「いや~。ゆんべはエライ目に遭うたんですよ・・・」
 と、ふと昨晩の騒ぎを話した。
 すると番頭さんは
「エッ?」
 と驚いたような顔をしたかと思うと
「ちょっと、お待ちいただけますか・・・」
 とそそくさと受付カウンター奥の事務室に走り、しばらくして一冊の分厚い青ファイルを持ってきた。
 

 それは新聞のスクラップ・ファイルらしくどうやらM温泉関連の記事を全部ストックしているらしかった。
 番頭さんは、私の目の前でペラペラとしばらくファイルをスキャンしていると、十数年前くらいのかなり古い記事を指さした。
 見ると、それは地元のローカル紙で、そこには男女の顔写真が小さくそれぞれ載っていた。
 写真の下には細かい字でそれぞれ
「杉本亜矢さん(19才)」
「橘 正人さん(20才)」
 という名が出ていた。
(マサト・・・って、マーくん? んな、アホな・・・)

「S山の火口付近で心中したんです」
 番頭さんが言った。
「当時、ちょっとした騒ぎになったので覚えているんですよ」
 M温泉の「生き字引」らしい風貌の番頭さんの言葉にはどこか真実味があった。
「新聞には載ってませんが、駐在さんに聞いた話では、二人とも東京の理科大の学生さんで、実験中に薬品の爆発事故があったらしく、女学生のほうが火傷したみたいで・・・」
「顔を?」
「ええ・・・」
「遺体確認の時、駐在さんも驚いたそうですよ。
 まるで溶岩にでも焼かれたようだった、って・・・。
 右半分がドス黒くて、まるで『四谷怪談』のお岩様みたいだったそうです」
「・・・・・・」
「まだ、若いのにねぇ・・・。気の毒に・・・。
 で、きっと世をはかなんで恋人といっしょに自殺したんでしょうよ・・・」
 私は咽の奥が枯れてヒリリとしたので慌てて唾を呑み込んだ。
 

 その時、副担のK子先生のひと際明るく元気な声が玄関外の向こうから伝わってきた。

「S先生ェ~!
 2組全員、乗車完了しましたぁーッ!」

 出発の時間だった。

 私は、番頭さんにあらためてお礼の言葉を述べると嫌な後ろ髪をひかれる気分を断ち切るように
 ササッとバスに乗車した。
 見ると、真ん前の教員席のすぐ後ろのシートに和木がニコニコしながらチョコを頬張っている。
(こいつ、ゆんべの騒ぎ覚えてへんのかいな・・・)
 と私は少しばかりムッとした。
 バスは何事もなかったかのように高原の温泉ホテルを後にした。

        

 それから2時間ほど走り、最初のトイレ休憩パーキングで友達と和気あいあいとくっちゃべっている和木を見つけて私はバス内に呼んだ。
「なんやのん、先生?」
「おまえ、ゆんべのこと覚えてへんの?」
「ゆうべの何?」
「夜中に大騒ぎしたことや・・・」
「えっ? ウチ、寝ぼけて絶叫寝言でも言うたん?」
「・・・・・・」
(あかん。こいつ、知らへんのやわ・・・)

「ちゃうちゃう。誰からか朝飯んときに聞かへんかったんか?」
「せやから、何をッ?」
 和木は訝しげな顔をして私の顔をのぞきこむように言った。
「じゃ、おかしな夢とか見いひんかったか? ゆんべ・・・」
 和木は一瞬ポカンとしたが
「ううん」
 と首を振った。

「そーいえば、夢とちゃうけど何だかバスに乗ってから変な女の人の顔が頭ん中に浮かぶんや・・・」
「女の顔ぉ?」
「うん」
「まだ、消えてないか、その顔?」
「うん」
 

 私はとっさにバインダーからA4の白紙を取り出すとポケットのボールペンを添えて和木に渡した。
「これに描いてみぃ。その女の人いう顔を・・・」
「ええで」
 そういうと和木はサッサカさっさかボールペンを走らせた。
 はなからそれを目で追うとA4の紙いっぱいに女の全身像が描かれスキーウェアらしい姿となり、髪が腰の辺りまで長くて目が少し吊り上っていた。
 そして、最後に何をするのかと思いきや顔の右半面にシャッシャッと斜線を入れはじめた。
「なにしとんの? おまえ・・・」
 和木は首をひねりながら
「なんやか知らんけど、顔半分にヤケドみたいのがあるんやわぁ・・・。
 この人・・・」

 

 

 

 

 

*