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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

リアルファンタジー『名人を超える』32

2022-09-29 06:59:41 | 創作

* 32 * 

 そもそも人間、悩むのが当たり前なのです。
 悩むのも才能のうちです。
 悩めない人間だってたくさんいます。
 そういう人がバカと呼ばれるわけです。           
                          養老 孟司

 *

 それは、王位戦「七番勝負」の開催初日の出来事であった。
 熱しやすく醒めやすい国民性もあり、ソータブームもカナリブームもとうに去って、平穏な棋界のムードが戻ってきた時である。
 対局は、タイトル100期超えを為して棋界の記録を更新したばかりの永世八冠と、デヴュー来、絶対王者の父にタイトルを独占され続け無冠のままの挑戦者であり続けているその娘である。
 食傷気味な世間では、いつもの事なので、他の娯楽に興じるのに忙しく、棋界のことなぞ歯牙にもかけていなかった。
 それでも、熱烈なニッチ的ファンに支えられ、ネット中継は続いていた。
 当人どうしは互いの深い研究を闘わす真剣勝負を盤上に展開していた。

 その終盤間際の八十六手目であった。
 奨励会員の若い記録係も対局者のカナリもアッと言って、息を呑んだ。
 絶対王者がカナリの猛攻に対して「2一歩」という守備の定石である「金底の歩」を打った。
 なんと、それが、反則手の「二歩」だったのである。 
 ネットで観戦していた数千ものファンも、あまりの驚愕に息を呑んだ。
 永世八冠たる「将棋の神様」が、うっかりにせよ打つはずもない反則手を打ってしまったのだ。
 大仰に言えば、世界各地でこれを目撃した将棋ファンは心臓がとまるほどの衝撃を受けた。
 

 そして、さらなる衝撃が人々の目を釘付けにした。
 王位は、両手を盤上に着くと前のめりになって身を崩した。
「お父さんッ!」
 と、いちはやくカナリが立ち上がった。
 

 救急車が呼ばれ、カナリは同乗して救急外来に搬入されるまで、ずっとその手を握りしめていた。
 ソータは意識がなく、まるで眠っているかのようであった。
 救急隊員はずっと酸素マスクをその口に押え続けていた。
 ネット中継をつけたまま家事をしていた愛菜も、この異変に気付き、すぐさまカナリに連絡を入れて病院に直行した。
 
 クモ膜下出血であった。

 愛菜の連絡で、小学5年と3年になったサトミとリュウマは、実家の母が学校から連れてきてくださった。
 家族5人にソータの母親が病室に揃った時、バイタル装置のアラーム音が鳴り響き、医師や看護師たちがわらわらと蘇生措置を懸命に施していたが、やがてオシログラフの波形がフラットになると、スタッフの処置もしずかに打ち切られた。

 午後3時35分だった。

 家族と母親に見守られてソータは逝った。

                         


リアルファンタジー『名人を超える』31

2022-09-28 07:02:22 | 創作

* 31 *

 自分が変わっていなかったら、何も学んでいないと思えばいい。           

                        養老 孟司

 将棋界は、ソータ・ファンには『徳川時代』と、アンチ派には『暗黒時代』と喩えられるように「四〇〇年に一人の天才」により長期独占時代が続いていた。
 もうひとつ変わらぬことは、嘘のようなハナシだが、八大タイトルのほぼすべてで、永世八冠の娘が毎回のように挑戦者となり、そのたびごとに敗れ、牙城の一角を崩すことが出来ずにいた。
 これは、ある種の「停滞」でありマンネリズムであった。 
 そうなると、いかなる世界でも活況を失わざるを得ない宿命がある。
 

 ファンの一部は、「どーせ、勝てないんでしょ」と「どーせ、また勝つんでしょ」という、結末の見える物語を読まされているような失望感で、離れていったのも事実である。
 それは、棋界の発展を誰よりも望んでいたソータとカナリにとっても由々しき事と思われていたが、如何ともし難い状況ではあった。
 相撲やプロレスのように、いっさいの八百長のない「真剣勝負」の世界だから、弱いものはどうしたって強いものには勝てない。
 まして、ボードゲームのようなたぐいでは、オリンピック・ゲームのように、当日の好不調というコンディションによって勝負の行方が左右されるということは滅多にない。
 タイトル戦では、高熱や急病であれば、対局が延期される。
 それで、不戦敗とはならないのである。
 相撲界のように、横綱が八場所連続休場というような事態も棋戦史にはない。
 

 世間には「四〇〇年に一人の天才」が加齢による老衰現象で弱くなるまで、リアルタイムで棋界を見守っていくという酔狂さもなかった。
 娯楽は他に山のようにあるのである。
 ある世界に、「絶対王者」が出現するという事は、「パンタレイ(万物は流転する)」という理法に反し、「定常が続く」という事で、すなわち砕いて言えば「何も始まらない、何も終わらない」という退屈さを招来するという事にもなるのである。
 それでも、V9時代の「常勝巨人軍」や大横綱の「大鵬関」には根強いファンが存在し、「巨人・大鵬・卵焼き」という俗言があったくらいである。
 贔屓チームや贔屓力士が勝つのを楽しみにしている、という国民も少なくはなかった。

 しかし、この世は、やはり理法どおりに・・・
 諸行無常
 諸法無我
 ・・・であった。
 万物は流転する、のである。
 

 絶対王者の永世八冠が、タイトル100期を超え、引退したレジェンドの羽生永世七冠の「99期」の記録を更新した年の夏、それは起こった。

 世間は信じられない出来事にアッと言って、息を呑み、そして肝を潰した。

 

            

 

 

 


リアルファンタジー『名人を超える』30

2022-09-27 06:56:25 | 創作

* 30 * 

 

 自分の好きなものを追求していくと、どんどん自分が変わる。

 そして変わるということは、成長するということです。 

                           養老 孟司




 愛菜ママが倒れた。 

 急性虫垂炎だった。 

 急遽、入院となって、手術となった。

 幸いにして、夫と娘の棋戦の合間だったので、子どもたちの面倒はふたりが見ることになった。

 カナリは、着替えやら身の回り品やらをテキパキとひとまとめにして病室に届けた。 

「ありがとね。カナちゃん。

 いろいろと、ごめんなさいね」

「ううん。

 ちっとも、大丈夫ですよ。

 ご飯のしたくも洗濯もちゃんとやれますから。

 それに、お父さんが、ふたりの面倒をちゃんと見てくれてますので、安心して休んでてくださいね」

 娘にはなったというものの、まだ、どこかに師匠の奥様に対するような他人行儀な口調が残っていた。

 それでも、それがカナリにとっての今の距離感なんだ・・・と、愛菜は思い、あえて「水臭いわね」とも言わなかった。

 しばらく、家の中での家族のささいな事を話して、病人を笑わせると

「イタタ・・・。

 あんまり、笑わせないで・・・」

 と、元女優らしくコミカルに演じてみせた。

 すると、生真面目な娘は

「あ、ごめんなさい・・・」

 と、素直に騙された。

 そんな、オロオロする娘の様子を見て、

(らしいなぁ・・・)

 と、心の中で愛菜は反応を楽しんだ。

 

 抜糸も済み、五日ほどで退院となった。

 ソータもカナリも免許を持たなかったので、タクシーでの帰宅となった。

 サトミとリュウマは、お見舞いで病院で会っているものの、久しぶりのお母さんの無事ご帰還に喜びはしゃいで玄関まですっ飛んできた。

「おかえりー!」

 という姉を真似して

「りぃー!」

 とリュウ坊も唱和して腕をパタパタして抱っこをせがんだ。

 カナリが

「リュウちゃん。お母さん、ポンポンいたたで、抱っこできないのよ」

 と言って、自分でヒョイと弟を抱き上げた。

 愛菜は息子のホッペにぴとりと自分のホッペをひっつけて、

「リュウちゃん。ただいまーっ!」

 と言って、首をグリグリ動かすと

「キャキャキャ!」

 と大喜びだった。

 両手に紙袋やら着替えの入ったボストンを持った師匠が、いつに変わらぬ平和な家族の姿を目にすると思わず相好を崩した。

 カナリもそんな家族のふれあいに、涙が出そうになるくらい幸福感を感じていた。

 愛菜は、懐かしの我が家のリヴィングに腰を下ろすと、自分の帰るべき安住の場はもはや実家ではなく、ここなんだということを改めて実感した。

 カナリの入れてくれた紅茶とシフォンケーキで一服すると、台所も、洗面所も、入院前とは寸分も違わずキチンと整理整頓されていたのに愛菜は驚いた。

 今更ながら、よくできた子だと、娘を褒めてあげたい気がした。

          

             

 

 

 

 

 


リアルファンタジー『名人を超える』29

2022-09-26 08:12:41 | 創作

* 29 * 

 インターネットの中にあるのは、全部過去の遺物です。

                          養老 孟司


 

「赤ちゃんポスト」に捨て置かれ、「愛聖園」で拾い育てられたカナリにとって、園こそがマイホームであり、文字通りの実家でもあった。 

 今の師匠宅にやって来るまで、そこが彼女にとっては世界のすべてであった。

 無論、学校にも将棋道場にも行きはしたが、自分がほんとうに憩え安らげる場は、母代わりの園長先生や姉代わりのシスターたちのいる聖なる園なのであった。

 ホールは礼拝堂も兼ねていて、檀上の奥には、マリア様に抱かれたイエス様の聖母子像が安置されていた。

 その聖なるおふた方は、カナリにとって、まさにスピリチュアルな母と父でもあった。

 

「うん。いいね・・・」

 師匠でもある父が、快く引き受けて下さった。

 カナリは、かねてより恩返しの一環として、園において「将棋祭り」のようなイヴェントを催したいと考えていた。

 自分と同じ境涯の子どもたちに、将棋の楽しさを教えてあげたいという彼女の願いを父は聞き届けて下さり、ヴォランティアで赴いてくださった。

 カナリの棋士としての活躍は、園全体の喜びでもあり、「カナリおねえちゃん」を慕っていたチビッ子の少年少女たちにとって、彼女は、まさしくヒロインであり、誇るべきスターであった。 

 そしてまた、その彼女が地上最強棋士の永世八冠に養女として引き取られ、父娘でタイトル戦を競っている、というドラマのような現実は、子どもたちにとって夢みたいなシンデレラ・ストーリーであった。



 カナリとソータが園に到着すると、子どもたちの熱狂ぶりは尋常ならざるものがあった。

 興奮しすぎて鼻血を出す子、飛び跳ねすぎて足をくじく子、抱き合って互いのアタマをかじり合う男の子(笑)・・・。

 それはもう、悲鳴のような歓声とともに狂喜乱舞のよろこびようだった。

 園長はじめシスターたちも、テレビでしかお目にかかれない国民的スターの生ソータ師匠をお迎えすると、そのオーラに打たれてメロメロ状態でアガリっぱなしだった(笑)。

 カナリは、父にして師匠のカリスマ性をあらためて感じさせられた思いがした。

 サトちゃん、リュウくんのお父さんでもある師匠は、子ども好きなので、子どもたちの笑顔や歓声に囲まれて、ほんとに幸せそうであった。

 

カナリの活躍と彼女の多額の寄付により、園にも人数分に見合う将棋セットが揃えられていた。

 そして、どの子も、遊びのなかでルールを覚えて、さながら、将棋道場のように、日常的にあっちでもこっちでも「しょうぎあそび」の風景が見られた。

 

 一般の将棋ファンにとっては垂涎の的になりそうな、カナリとソータの「公開対局」や、ふたりによる子どもたち全員との一対一の多面指しなど、それは将棋好きの子にとっては夢のような時間だった。

 当人との直対局なぞ、全国のカナリ・ファン、ソータ・ファンでも、生涯に一度体験できるかどうか、というレアなイヴェントである。

 愛聖園では、爾来、この「しょうぎまつり」は、年に一度の恒例行事となった。 

 将来、この中から、棋界に旋風を巻き起こすような才気有る棋士がでないとも限らない。

 それは、カナリとソータの夢でもあった。 

             

            

 

 

 

 

 


リアルファンタジー『名人を超える』28

2022-09-25 08:35:25 | 創作

* 28 *


 たしかに、自分を変えるのは怖いかもしれない。

 どうなるかが、予想できなくなるからです。

 だからこそ、勇気が意味を持ってくる。 

                            養老 孟司


 

 名人戦初戦は、当然のように、名人の父が挑戦者の娘に圧勝した。 

 感想戦でも、気を緩めて、家に居るときのような父娘に戻るわけにはいかなかった。

 なにせ、日本国民の目が注がれているのだから、ちょっとでも笑顔を漏らそうものなら、そんな気迫だから勝てないんだ、と誹謗を受けかねなかった。

 ヘイト・スピーチやヘイト・クライムが跋扈(ばっこ)する嫌な世の中なのである。 

 ネットで、不平不満を漏らしたが為、いわゆる炎上し、自殺に追い込まれた若い女子プロレスラーの悲劇もあった。

 この事件を、養老先生は、

「現代にも呪詛が生きている、という証拠です・・・」

 と、いみじくも指摘なさった。

 文明が進歩したように見えても、まだまだ、プリミティブな精神世界が人々をマインドコントロールする「野蛮な世の中」なのである。

 幸福そうで、勝ち組っぽい奴なら誰でもよかった、という動機で、無差別殺傷事件を起こす輩(やから)も後を絶たない。

 ソータ師匠の人間離れした活躍をやっかみ、殺害予告をした男が逮捕されるという事件まであった。

 爾来、この国の宝には、タイトル戦においては、公人並みのシークレットサービスが付くようになった。

 さもありなん。

 Very Important Person なのだから・・・。


                      

 

 カナリの初挑戦の名人戦は、叡王戦と同じく、「0対4」のストレート負けであった。 

 当然と言えば、当然の結果だった。 

 その事は、誰よりも、カナリ自身が自覚していた。

 何故ならば、「四〇〇年に一人の天才」と称される父は、努力の人でもあった。

 そのことは、起居を同じくしている家族として誰よりも知っていた。

 多くの棋士たちが嘆くように、まさに「天才に努力されては敵うはずもない」のである。

 もはや、永世八冠を独占し続ける父に、棋界の残り169人もが、どうやっても太刀打ちができない処まできてしまったので、それを「暗黒時代」と陰口を叩かれる始末なのである。

 名人・竜王の棋力が自ずと落ちるはずもなく、あるとすれば、加齢とともに「読む力」の衰弱を待つよりなかった。

 それまでは、徳川時代になぞらえられるように「安定長期政権」が続きそうな棋界の現状であった。

 それでも、古代中国の歴史ではないが、暴君や人格破綻者ではなく、聖人君主であるから、まだ棋界の名誉は保たれていた。

 それにふさわしい人物が、最高位に就いているのだから。

 棋界の次世代層で、この〈絶対王者〉を倒せそうな傑出した天才といえば、その愛弟子にして娘であるカナリをおいて他に見られなかった。

 己れの在籍中に、タイトルへの望みなし、と踏んだ壮年層の棋士からは、早々と現役を引退し、普及活動や芸能活動に転身する者もあらわれた。

 ・・・ある意味、嘆かわしい現象ではあったが、厳しい勝負の世界では、結果がすべてなのである。

 むしろ、まだ奨励会以前の若年層のチビッ子たちや少年少女たちにこそ、絶対王者を倒そう、みずからもそうなろう・・・という意気込みが感じられたのは、棋界にとっても明るい兆候ではあった。