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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

リアルファンタジー『名人を超える』27

2022-09-24 08:42:32 | 創作

* 27 *

 

 人生は家康型なのです。

 一歩上がれば、それだけ遠くが見えるようになるけれども、一歩上がるのは容易じゃない、荷物を背負っているから。

 しかし、身体を動かさないと見えない風景は確実にある。

                         養老 孟司




「それは、子どもの頃の考えだからねぇ・・・。

 深い意味はないとは思うけど・・・」

 と、師匠は前置きして、いつものように、顎の下に右手を添える長考ポーズでしばし間をおいた。

 そして・・・

「強いて言えば、人間離れした、将棋の神様に近い最強棋士になる、っていうことかなぁ・・・」

 と、独り言のようにつぶやいた。

 カナリは、その何気なく吐かれた言葉に肝をつぶすように驚いた。

(やっぱ、カミサマなんだぁ・・・)

 そうなんだ。

「棋神」の高みを目指しているんだぁ・・・と、思うと、体から力が抜けるのを同時に感じた。

 カミサマを目指してる人に、非才な自分が「勝とう」なんて思っていた、己れの浅はかさを嫌になるほど痛感させられたのである。

「お父さん。

 もう、カミサマの領域は見えてきたんですか?」

 と、何とも、天然の娘らしい訊き様だった。

 父は、うっすら笑みを浮かべると、

「まだ、金一枚負けてるような気がするかな・・・」

(ええっ!・・・・・・)

 カナリは、引退したばかりのレジェンド「羽生永世七冠」が、現役最強と謳われし頃、記者に同じく尋ねられ

「まだ、将棋の神様に角一枚負けてます」

 と言ったという伝説を思い起こした。 

「金一枚」とは、そのさらに上を行く「人間将棋」の進化の最先端を、今ここで、自分が目撃したような衝撃だった。

 

 名人戦が始まった。

 互いに、羽織袴姿の正装に身を包み、地元の愛好家の所有する超高価な名盤と銘駒が用いられ、互いの黙礼により対局が開始された。

 初日のネット視聴者は200万人を超えた。

 将棋ファンだけでなく、観戦記者たちや芸能ライターたちの少なからずが、永世八冠の完全独走状態が何年も続き、昭和の頃の常勝「巨人軍」や、常勝「大鵬関」のように、ゲーム性ということではいくらか興味が薄らぎつつあった。 

 さりとて、人間棋神に近い「永世八冠」を向こうにして、あからさまに「ツマラナイ」とも表明し難かった。

 アンチ八冠派からは「暗黒時代」とも揶揄され、二番手以下の棋士たちの不甲斐なさに苛立ちを隠せずネットでディスる輩(やから)もいた。

 ネットの将棋雀たちからは、事実上の二番手は、八冠の弟子にして娘のカナリと目されつつあった。

 アンチ派も〈八冠キラー〉として〈獅子身中の虫〉のような意地の悪い期待感を抱いていた。

 判官贔屓(はんがんびいき)が多い日本人は、いつしかカナリを応援するようになり、すくなからず、その重圧も彼女にのしかかりつつあった。

 

 

        

 


リアルファンタジー『名人を超える』26

2022-09-23 10:23:55 | 創作

* 26  *

 自分の力で幸せを探そうとはせず、人任せで幸せという探し物をする。

 ほんとうにそこには幸せが落ちているのでしょうか。

                          養老 孟司


 *

 カナリは、折にふれて、自分は幸せ者だと、自覚するようになった。 

 ミッション系の孤児院『愛聖園』では、シスターたちによるイエス様のみ教えをずっと聞いて育ってきた。

【人はパンのみにて生きるにあらず】

 ・・・という、有名なみ教えでは、

(オカズもたべなきゃ・・・)

 と、子どもの頃は思ってたが(笑)、思春期になってみて、はじめて

(食べて、寝て・・・だけじゃ、人生じゃないんだ・・・)

 と、感じるようになった。

 もっとも、衣食住が事足りてこそ、その上に重なる幸せというものもある。

 自分は、今、そこに「将棋」という素晴らしいものと、「家族」というかけがえのないものを我が物としていた。

 これにまさる幸せがほかにあるだろうか・・・。 

 でも、華の十七歳にして、まだ異性を対象とした恋愛感情というものを彼女は未経験のままだった。 

 今の父も母も、互いに魅かれ、恋愛という心情をちゃんと体験されている。

 妹のサトちゃん、弟のリュウちゃんも、いずれ成長とともに自然に恋をするのかもしれない。

 でも、自分は、ずっと、恋心を知らない少女だった。

 小中生の頃、クラスにも男子はいたし、研修会、奨励会は男子ばかりだった。

 でも、どうしてだろう。

 自分は、いまだかつて、誰ひとりとして恋心を抱いたことはないのである。

 やっぱり、どこかおかしいのだろうか・・・。

 何かが、欠けているのだろうか・・・。

 と、カナリは、時折、寝しなに床中で考えあぐねることがあった。

 でも、そのたびごとに、父や母から言われた、「ネガティヴな事は考えちゃダメ」という言葉を思い出し、「そうだ、そうだ・・・」と自分に言い聞かせて得心させた。

 わたしは将棋に恋してるんだ。

 それで、十分じゃないか・・・とも、思った。

 それに、父、母、妹、弟、はじめ、園の人たちや将棋仲間・・・と、大勢から愛されているし・・・。

 だとしたら、恋も、愛も、満たしてるじゃないか・・・と、腑に落ちるものがあった。

 

          

 

 カナリは十八歳の誕生日に九段に昇級し、同時に、「A級棋士」としての頂上を極めた。

 それは、すなわち、「名人位」にある父への挑戦権を得たのである。

 まだ、公式戦で一度も勝てていない「名人」に対して、今度こそは一矢報いるべく隠れた闘志をみなぎらせていた。

 いつまでも、巨象に対して爪楊枝いっぽんで闘うような徒手空拳では「棋士」としての名折れであった。

 師匠の天才ぶりについて書かれた書籍は山ほどあった。

 当人は、まったく関心もなかったようだが、将棋会館ではほぼ全てが販売コーナーに置かれていた。

 カナリは買うまでもなく、師匠宅には出版社からの贈呈本がひとそろいあり、だいたいのものに目を通した。

 師匠の小4の時に書かれた色紙の写真も見た。

 そこには《名人をこす》と書かれてあった。

「名人を超す?・・・

 ・・・それって、どういうこと?」

 とカナリは怪訝に思った。

 名人を超したら、どうなるんだろう・・・。

 何を意味して書いたのか、いちど父に尋ねてみようと思った。

 

           


リアルファンタジー『名人を超える』25

2022-09-22 10:04:59 | 創作

* 25 *

 もし、あと半年の命だよと言われたら、咲いている桜が違って見えるだろう。

 では、桜は変わったのか。

 そうではない。

 それは自分が変わったということに過ぎない。

 「知る」というのはそういうことなのだ。

                         養老 孟司




 カナリは中一でデヴヒューして以来、師匠と同じく、一年ごとに昇段していった。

 それは、棋界では稀有なる出世で、数ある棋戦で勝ち進まなくては為し得ない奇跡でもあった。

 そして、高校にこそ進まなかったが、花も実もあるセヴンティーンとなった。

 JKなら2年生である。

 カナリは十代にして八段まで昇段した。


 竜王戦は2組。

 順位戦もストレートでA級入りを果たした。

 なので、「A級棋士」という一流プロの肩書が立派についた。

 ちなみに、師匠は、C級1組で一年足踏みしたので、ストレート昇級は逃していた。 

 タイトルこそ、永世八冠の師匠が〈絶対王者〉として君臨しているので、その牙城を切り崩すのは、容易ならざることであった。

 

 棋界のレジェンドである羽生「永世七冠」は、タイトル99期をもって、あと一つがついに獲れず、還暦を迎えた今季限りで引退を表明した。

 長年「天才」として棋界に君臨していた〈絶対王者〉だった。

 そこに、「四〇〇年に一人の天才」と棋界が命名したソータ師匠が登場した。

 レジェンドは、「老化」ということを口にし、自らの棋譜を汚したくないという美意識から、潔く現役棋士の身を引く決断をしたという。

 たしかに、「レジェンド」がA級から陥落して、B級、C級と降級したり、竜王戦1組から2、3・・・と、下位へと落ちていくのを見るのはファンとしては哀しいものがある。

 もっとも、もう一人のレジェンド「ヒフミン」は、降級しながらも七十六歳まで現役棋士であり続けた。

 それも、一つの生き方であり、尊いものではある。

 ソータ師匠のデヴュー戦が、この老棋士との対戦で、十四歳と七十六歳の「歳の差六十二歳」の史上初の年齢差対局となった。 

 ヒフミンは、ソータ師匠が現れるまで、棋界のあるゆる記録を持っていた。

「神武以来(じんむこのかた)の天才」という尊称があったほどの名棋士である。

 そのレジェンドのすべての記録を塗り替えたのが、ソータ師匠である。

 ヒフミンは、師匠に負けて、ハッキリと世代交代と引退の引導を渡された、と悟ったという。

 その対局は、ヒフミンが生涯をかけて追及してきた「矢倉」という伝統的戦法で仕掛け、それに真っ向勝負で挑んだ師匠が、見事に撃ち負かした。

 対局後のインタビューで、

「加藤先生に、ぜひ矢倉を教わりたいと思って指しました」

 と語ったのをヒフミンが耳にして感激し、

「自分の後継者が現れた」

 と思って、引退を決めたという。

 

 カナリは、天才たちがひしめき合う棋界で鎬(しのぎ)を削り合う身になろうとは、孤児院暮らしの頃には夢にも思っていなかった。 

 彼女が此の道にたどり着いたのは、彼女自身も「天才」であったから、という単純な理由に他ならなかった。

 しかし、自分では、そんな事は全くと言っていいほど考えた事もなかった。

 それでも、周囲やマスコミの表現に、しだいにその言葉が頻繁に語られるようになると、素直で天然な彼女は、師匠にして父に問うてみた。

「天才って、なんなんでしょうか?」

 

 将棋以外の思わぬ「新手」に、大天才も

「えっ⁈」

 と、一瞬、戸惑って、そして真面目に長考のポーズをとって、ひと呼吸おいてから応えた。

「誰よりも、将棋が好きってことかなぁ・・・」

 と、まるで自身のことを語るかのように呟いた。

 それを聞いて、カナリは腑に落ちる思いがした。

 

             


リアルファンタジー『名人を超える』24

2022-09-21 09:29:46 | 創作

* 24  *

 

 日本人は外ばっかり見ている。

 しかも、根拠もない世の中の常識に踊らされている。

 だから不安になる。            

                          養老 孟司


 

 タイトル戦において、通常なら、対戦者どうしは出先の宿に同箔するも、食事処は当然のように別々に取るのが当たり前だが、ソータとカナリは親子なので、三晩とも同室で家と全く同じように歓談しながらの夕餉としていた。

 五番勝負を三晩で終えたということは、今回のチャレンジも、〈0対3〉で師匠/父に一矢も報いることができなかった。 

 タイトル戦のみならず、公式戦で師匠と対局して勝つことを、棋界では「恩返し」と呼ばれている。
 ソータの今は亡き師匠は、早々とその恩返しをされた際

「もっと、先でもよかったんですが・・・」

 という冗句を吐いて報道陣を笑わせたものである。

 その闘いをYouTubeで見たことのあるカナリは、師匠が投了した時に、ソータ師匠がいつにもまして深々と、しかも長くお辞儀したことに感銘を受けた。

 それは、互いの黙礼ではあったが、ソータ師匠の心の中で

「これまで、ほんとうに、ありがとうございました」

 という、真の意味での「恩返しのお礼」を言われているのが、はっきりと解かったのである。

 自分は、いつになったら、恩返しができるのだろうか・・・と、カナリは強すぎる永世八冠を師匠/父に持ったことを、嬉しいながらも少しだけ恨めしく複雑な気持ちでもあった。

 

 将棋界は、「四〇〇年に一人の大天才」によって全タイトルを独占されたまま五年以上にもなり、口さがのないアンチ派からは《暗黒時代》ともささやかれていた。

 ソータ師匠は、幼いころの夢に描いたように、文字通りの「最強棋士」になられ、他の追随を許さなかったのである。

 ベテランのA級棋士や九段の猛者たちが、何年、挑戦者として果敢に挑んでも、カナリのように、あっさり一蹴されるばかりだった。

 ソータ・ファンからは、まだ三段の研修生時代に、徳川 家康公の像の前で撮った彼の一枚のスナップ写真が、あたかも、二六〇年の太平を築いた「徳川時代」のように、長期タイトル・ホルダーを予感していたのではないか、と半ば都市伝説のように語られていた。

 その牙城の一角を誰が最初に崩し、撃ち破るのか・・・というのが、二番手以下、169名の棋士たちの本願でもあった。

 カナリも弟子として、娘として、なんとか、父に追いつきたくも、目指すべき峰の頂上は、雲の遥か上にあるように思えて仕方なかった。

(高すぎる・・・。・・・遠すぎる)

 と、カナリは師匠と対局すると、ばんたびそう思わされるのだった。

 それでも、師匠を優しい父親としてだけでなく、「将棋の神様」としても頂いて、家族の利を活かして、その優しいカミサマに喰らいついて、誰よりもそのご利益に浴すことが出来ていた。

 

『カナリ研究会』は、かつての奨励会の仲良し仲間たちに請われて立ち上げたが、そこにおいてカナリは、直接カミサマから学んだ将棋の奥義と極意を惜しげもなく披露することがあった。

 それは、天上の神様からトップダウンで巫女が受けたご神託が、棋界のボトムアップを図ることにもなった。

 

                 


リアルファンタジー『名人を超える』23

2022-09-20 08:02:12 | 創作

* 23  *

 毎日がつまらない人は、

「このままでいい、世界はいつも同じだ」

 と決め付けている人なんです。            

                             養老 孟司

 



 棋聖戦の五番勝負がはじまった。

 専門誌の『将棋世界』だけでなく、スポーツ紙や大衆週刊誌まで加わって、

《師弟決戦‼》

《父を超えるか愛娘‼》

 というキャッチーで安直なコピーを打っていた。

 タイトル戦なので、全国各地の名勝地を巡り、超一流の老舗旅館や豪華ホテルが対局の舞台となる。

 そして、地元のファンを交えての親善を兼ねた「前夜祭」が行われるのも恒例であった。
 師匠はもう場馴れしたものだが、カナリは同じカードだった前回の叡王戦来だったので、まだまだ、豪華な雰囲気のパーティーやら、人前での挨拶やらに緊張を覚えるようだった。

 現地への前乗りの日。

 父娘そろって家を出る際、愛菜が竜馬を抱っこしながら、玄関でふたりを見送った。

「せっかくの温泉地なんだから、将棋以外は、ふたりで楽しんできてくださいね」

 と言うと、

「うん。そうするよ」

 とソータが言った。

 カナリは、リュウちゃんのほっぺを指先でツンツンすると、

「じゃ、リュウ坊、おねーちゃん、お土産かってくるねー」

 と、まるで、修学旅行にでも行くように嬉々としていた。

 二階からサトミがバタバタ駆け下りてくると、玄関まで走り寄ってきて、

「はい。カナちん」

 と、何やら小ちゃなフィギュアを手渡した。

 見ると、どこで入手したのか、自分を模(かたど)った海賊版物のストラップだった。

(なーに、これっ! もう、やだーッ・・・)

 と、思ったが、妹の手前、そんな顔もできず、

「うわー! すごいねー、これ!」

 と驚いて見せた。

 師匠も笑いながら

「いいお守りだね」

 と言うと、手に取って眺めていた。

 現地入りすると、スター棋士の両人は、下にも置かぬ大歓迎を受けた。

 こじんまりした温泉地のあちこちに、染め抜きの幟までが点々と立てられ、地区をあげてのお祭り騒ぎのようでさえあった。

 ネットテレビ中継も入り、各マスコミも大勢押し寄せて待機していた。

《永世八冠 VS 天才愛弟子》というのは、視聴率も稼げ、新聞部数も伸びるので、経済効果をも高めるのに貢献していた。

 師匠の方は、棋界で初めて、伝統技芸の無形文化財、すなわち「人間国宝」にもなったばかりであり、名実ともに、幼い頃のあの「泣き虫ソータ」は「国の宝」となったのである。

 他にも、国民栄誉賞やら文化勲章やら、兎に角、ありとあらゆる名誉を師匠は若くして浴することになった。

 そんな、棋界と国の宝が、我が師であり、わたしのお父さんなのだ・・・と、カナリはあらためて考えると、ものすご過ぎて、奨励会仲間たちが時々「神ってる」と口にするのも無理からぬことだと思った。