goo blog サービス終了のお知らせ 

『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

【No Art, No Life】

2025-04-28 07:27:06 | 箴言

私的13連休中だが、
月一フレンチや
自宅カウンセリング、
裏磐梯イタリアン、
K君来訪、カミさん誕生日、
山木屋太鼓コンサート、
常連フレンチ・・・なぞ、
予定も入ってはいる。

同時に、家じゅうの片付けやら、
編曲の譜面書きやら、
宗教学の研究やら、
最新論文勉強なぞもするつもりである。

週休五日になってから、
「自分」と向き合う時間が増え、
いよいよ、晩年の「稔りの時」を
迎えるのかもしれない。

若い時に凝った色んな占いで、
どれもが、晩年盛運を示していたので、
毎日が、多幸感に包まれた時、
満足して「国替え」「帰幽」
「神上がり」の時を
迎えるような気がする。

だったら、まさしく、
ハッピーエンドである(笑)。

……

『そばもん』という
蕎麦職人のコミック全集を読んでるからか、
最近、やたらと蕎麦を食べたくなる。
🤣

きのうも、近所にある
十割蕎麦屋に開店時間の
11時に行ったが、
すでに満席に近く
やっと座れた。

日曜は、外食客が多く、
どの店も並んでいるのを見かける。

マイ・ポリシーでは
絶対並びたくないので、
どの店も口開け時に行くことにしてる。

+++

旅先で集字したのが
溜まってきたので、
そろそろ、書室で
集中して臨書しようかと
思っている。

心静かに古墨を端渓硯で磨ると、
香しい薫りが室内に漂い
陶然となる。

明日は、裏磐梯に
イツメンの叔母ちゃんと
イタリアンに行くので、
ついでに、湧き水を汲んできて
それで臨書をしようかとも思う。

紙も三十年ほど寝かした
中国の画仙紙がある。

短冊もムクちゃんから頂いたのが、
50枚ばかりあるので、
玄関室礼用の作品も
幾つか創作してみたい。

【No Art, No Life】
・・・である。

++

20年ほど前に
イツメンの叔母ちゃんが、
ボロボロの財布を使ってるのを
見かねて、
「これで、買ってきな・・・」
と、デパートの商品券を
1万円分くれたことがある。

財布なんて、
100均ので十分だと思ってたのだが、
アラフィフだったんで、
そろそろアダルト・ワンを買うか・・・と、
今はなくなった『中合』に出かけて、
紳士物では黒革しかなかったので、
婦人物のオリーヴ色にした。

さすがに、20年も使ってると、
あちこちに綻びが出てきたので、
丹念に針と糸で修繕しながら
使い続けている。

最近では、風格と味が出てきた。

+++

一昨年の夏。

帰省してきたリク坊をつれて、
相馬での海水浴の帰りに
「鹿狼の湯」で湯浴みして、
オバーブと三人そろってアイスを食べた。

三歳児、曰く
「冷たくて、美味しいねぇ・・・」
っていう、素直な物言いに
大人一同は
吹き出してしまった(笑)。

純粋無垢・・・
穢れなき心・・・
ってのは、こういうんだなぁ・・・
と、ジイジは知らされた(笑)。

++

YouTubeに
ヒマリちゃんの新譜から
プロモーション曲がアップされたので、
聞いてみたら、絶品の演奏だった。

この早熟の天才少女は
人生何回目なの?
…と、言いたくなるくらい
円熟味のある深い表現をしている。

まさに、メルヴィーユ‼️
(驚愕!!)

コメ欄にも絶賛の嵐であった。

❤(ӦvӦ。)

慈しみのある音
伝わってくるのは上手さではなく心

音の細かな襞に温もりと愛が溢れる
とにかくうっとり✨素敵すぎ

優しくて心地よい響き
ああ、何という至福の時

媚びることなく澄み切った魂の響き
なんて素敵な音色!

過ぎし日の情景に思いを馳せ涙が…
艶やかで伸びやか

一音一音エッジが立ってる
懐かしく心地よい不思議な世界

別な世界に誘われる
ミューズに愛されている音楽

努力を重ねて奏でられる音楽
日本の至宝…

++++

日々、AIと対話しながら
晩年の方向性を探っている。
………

以下に、あなたの人生経験や
優しさ・知性を活かせる
具体的な「言葉や思いの残し方」を
ご提案します。
---
【1】エッセイや回想録として本にする
「人生の折々で学んだこと」
「孫たちへの手紙」

【2】音声メッセージで残す
「人生の話」「考え方」
「昔の思い出」を録音。
声のぬくもりが未来の宝になります。

【3】短歌・俳句に思いをこめる
感性や感情を大切にできる、
あなたにぴったりの形式です。

【4】思い出の写真に文章を添える
若い頃の写真、家族の写真、
旅先の写真などに、
思いやメッセージを添えてアルバムに。

【5】手紙で孫や家族に書き残す
「20歳のあなたへ」
「大人になった君へ」
書き溜めておいて、
死後、渡してもらう。

【6】「ジイジの知恵袋ノート」を作る
心が疲れたときの言葉、
人生のヒント、健康の工夫など、
あなたの実体験に基づいた
“生活と心の知恵”を
小さな手帳や冊子に。

【7】動画メッセージの記録
スマホで自撮りし、
「語る思い出集」として保存。
家族にだけ公開する。

【8】講話風の文章をシリーズ化する
まるで昔話を語るように、
「こんなことがあった」
「こんな気づきがあった」
「人生の教室」
というタイトルで
連載風にまとめても面白いです。

【9】人生の“宝物リスト”を作る
思い出の本、音楽、詩、人、場所…
「これは人生で忘れたくない」
というものを写真や文章で記録。

【10】孫や家族との“対話形式”記録
家族の誰かとQ&Aや雑談をしながら、
それを文章や音声で記録していく。
「聞かれたことに答える」形なので、
自然に話が広がります。
---
どれも“あなたらしさ”が活きる方法です。
この中で「やってみたい」
「これなら続けられそう」
というものはありましたか?
もし気に入ったものがあれば、
それを一緒に形にするお手伝いもできますよ。
……


ただ今、生かして頂いている御礼

2025-04-21 08:17:36 | 箴言

きのうは、
何処にも出掛けず、
日がな一日、萬年床のベッドで、
漫画を読んだり、
YouTubeの朗読を寝ながら聴いていた。

佐藤春夫の『小説永井荷風伝』は
殊の外、面白かった。

その無頼感で艶隠者の暮らしぶりは
憧れを感じるものである。

荷風は『断腸亭日乗』の中で、
記している…。

「世の人の目を恐れず、
己が好むところを行ひ、
己が心に適ふ処にのみ生きんとするは、
古今東西を問わず、
稀なることなり。」

この一文こそ、
荷風の「無頼感」の本質を
端的に表している…。



楽隠居らしく、
買い物、料理、ゴロ寝、漫画読み、
ピアノ、書道、茶道、華道、
古楽器製作、芸術鑑賞、
魂理学研究、随想執筆、自然散策…と、
勝手気ままに過ごしている。

敬愛する狐狸庵先生の影響で
若い頃から
【人生五目ご飯】
をライフビリーフとしてきた。

二歳児の頃から
重症小児喘息だったので、
主治医からは
「この子は、ハタチまで
生きられない……」
と、母親は言われたと聞いた。

中学に入って
テニスを始めてから
喘息は完治した。

それでも、母親から
聞かされたタイムリミットが、
何処か、自分に、何でもやってから
死んでやろうという気概を
起こさせたのかもしれない。

結果、器用貧乏に
なっちまった……。😂

でも、色んな事を味わえた今生は
少しも悔いてはいない。

まだ、残り時間があるのなら、
新たなる事にも挑戦してみたい。

……

ヴァイオリンとヴィオラ、
チェロの練習もしようかなぁ…。

あ、そ、そ…。
コンバスもあったんだった。🤣

弦楽器好きだから、
自ずと、集まっちゃうんだよねぇ…。

💕🍓

なにせ、45年も働きずくめ
だったんだもんねぇ…。

ちったぁ、ここいらで、
心身を休めて、労っても
いいのかもしんないなぁ……。

もっと、仕事したい…
っていうのも、あるには有るが、
それは、壮年期の
惰性的な残滓かもしれず、
昭和のワーカホリック気質、
貧乏恐怖症が、
身に付いちまってんのかもしんない。

なかなか、敬愛・心酔する
良寛和尚や一休禅師、
山頭火、芭蕉のように、
泰然自若とした老年・晩年とは
いかないもんだわねぇ……。😣💦

でも、段々、
自分の人生の意味が
解りかけてきた。

物心ついてから、
六十年もかかっちまったが…。

ありとあらゆる占い類が
【晩年盛運型】と示していたように、
尻上がりに、有り難さを実感する
老年期になってきている。

まだまだ、積徳の心行を
恪勤せねばならぬ凡夫の身だが、
日々、天地の無窮の讃仰をも
忘れぬように努めたい。



ゆんべは、
カミさんが張り切って
冷やし中華を作ってくれた。

日中は夏日になる
暖かさなので、
冷やし中華もいいもんだ。



先日は、カミさんと
町中華で夕飯を済ませた。

チャーハンは
まずまずだったが、
餃子は皮が厚くて
今一つ食感がよくなかった。

 



そんでも、
病母を亡くしたばっかりなので、
健康であればこそ、
美味いの不味いの…と、
御託を並べられているんだなぁ…
と、思わされた。

Tちゃん先生のメールでは、
危篤状態にあっても、
ただ今、生かして頂いている御礼を
神様に申し上げました……
とあり、さすがに、宗教家は
違うなぁ…と、思わされた。


病院での面会帰りに、
面会者シールを付けたまんまだったら
カミさんが嫌がって
「剥がしなよ〜❗️🙅
と、執拗に言うも、
半分イヤガラセで、
「ワイポイントで、いいじゃん❗️
と、オダッていた。
(ふざける事)





母の葬儀は、
遺影が付かない
「直葬プラン」だったので、
自前でプリントアウトして
高級な木製額縁に収めた。

それでも、3千円内で
収まっだが、亡父の時には
数百万円規模の大々的な葬儀で、
遺影の内訳を見たら、
A4判に伸ばしたプリントに
額縁付きで五万円も請求されていた。

それも、今から、28年も前である。

坊主丸儲けならぬ、
葬儀屋丸儲けである。

ボルなぁ…と、
当時も呆れたものである。

花輪なぞは、
完全使い廻しらしい…。

自家製遺影は、
フミが赤ちゃんだった頃、
両親が京都に孫見にやって来た時の
三十五年前の幸せそうな
表情の物にした。

……

最貧コースには、
段ボール製の棺桶もあった。🤣

上は天井知らずらしく、
金箔張り総紫檀なぞは
数百万からするそうな。

金が余ってしゃーない金満家が
最後の贅沢に
景気よく燃したいのだろうか…。

うちのも貧民コースだったが、
桐の棺桶とパンフに書いてあって
(なら、いっか……) 
と、安心してたが…
炉前で蓋を閉める段に
皆んなで持ち上げたら
異様に軽く、
設備業界の兄も
古楽器製作者の自分も
(合板プリントだ…)
と、立ちどころに判った。

桐はキリでも、
桐模様のクロス貼り、
だったのだ……。😭

(んもぉ〜。
 JAROに言ったるでぇ…)😮‍💨

まさに、ピンからキリまで…
とは、よう言うたもんである。

ほいでも、
近くで見ても、触っても
木目のキレイな無垢材に見えるから、
ま、いっか…である。😆

臨終の時から、
もはや、本体の魂が宿らない
文字通りの抜け殻という
感じは抱いていた。

でも、永年、母がお世話になった
ボディスーツである。

物への感謝も大事であるので、
丁重に扱うのに越したことはない。

 

 


【人は生きたようにしか死にようがない】

2025-04-15 08:18:25 | 箴言

母の「D-day」から
早、一週間が過ぎた。

先週の朝、7時20分に
身罷(まか)った。

金光教では、
御霊(みたま)様に
「お国替え」「ご帰幽」
と言う。

此度の看取りで、
母の安らかな逝き方を
目の当たりにして、
生前の積徳と神徳・人徳が、
いかにその臨終を
安らかなものにするかを、
知らしめられた思いである。

【人は生きたようにしか
 死にようがない】

・・・という
自家箴言を思いついた。

ひと様の癒しや喜びの為に
我が身を刻んで
演奏させて頂くのも、
積徳の心行と思えば、
有難くやらせて頂こう。

・・・ほんに、
先週は、怒涛の一週間だった。

濃密な日々を乗り切り、
今日から、新年度の出勤である。

また、一年、無事に学校臨床を
務めさせて頂く上に、
Tちゃん先生のお教会に
「お願い」参りに寄らせて
頂こうと思う。

亡母への御祈念、
コンサート成功への御祈念にも
「お礼」を申さねばならない。

友人・知人に
宗教家・弁護士・医師がいると
人生の「まさかの時」には
有難いものである。

+++

最安価で最もシンプルな
家族葬としたので、
母親の遺影をも自家製であった。

そしたら、
ついでに、自分のも
生前に拵えておこうと思い、
(その分、迷惑かけないから・・・)
ギターを抱えてにこやかにしてる
2019年の61歳のものを選んだ。



『復興支援ファイナル』の
我が家のリハーサルで
沖縄から来福された
歌手のアベタミさんが
稽古の合間に
撮って下すったいい写真である。

**

寝室の枕元から、
まだ、隣家の桜が鑑賞できる。

玄関の花桃は、
カミさんが剪定した枝を
もらってきてから、
長らく、寒風に晒されていたが、
母の旅立ちを寿ぐように
見事に開花してくれた。



先日、母の永年の親友で
同級生のハシさんが
タクシーで、わざわざ喪服を着て
弔問においで下さった。

92歳なので、
足元も覚束ないほどだったが、
それでも尚、精神は
矍鑠とされており、
礼を尽くされて
霊前で祈りを捧げて下さっていた。

これも、
母の人徳のなせる業なのだろう。

ご丁寧にも、
自分のリサイタルへの
「お祝い」までご持参下さり
恐縮至極であった。

心を尽くす方・・・
というのは、どこまでも
気遣い・気配りが細やかで
丁寧であり、自分も
見習いたいと思わされた。

 



帰りしな、
玄関室礼の母のメモ書きと
形見の小銭入れを
しげしげとご覧になられ、
在りし日の友の面影を
偲んでおられた。

親友とは
こうありたいものである。

+++

新年度から
火、金のみの勤務となり、
週休五日の半隠遁でなく、
七割隠遁者になってしまった。

ロンバケ以外にも
こうもオフ日が増えると、
エンプティ・ネスト・シンドロームに
なりはしないか…
休み下手に陥りはしないか…
という一抹の不安が起こる。

…ほんでも、
取り敢えず、衣食住の
最低限は確約されているから、
ゼータクさえしなきゃ、
月一のフレンチくらいは楽しめそうで、
年一くらいは孫にも会いに
上洛はできそうだ。

ありがたい事に、
リサイタルのご祝儀と
亡母のお香典とを合わせたら、
来年の『68’sリサイタル』も
開催出来るほどの資金にはなった。



あとは、また、粛々と
計画を進め、プログラムを考え、
編曲を楽しみ、地道な練習に
勤しみながら、
「ギター音楽の最高峰」を目指し、
人生の残り時間を
有効に使わせて頂こうと思う。



今朝は、
コンサートで頂いた
山のようなお菓子類を
セレクトして、いくつか、
朝食代わりに頂いた。

賞味期限が切れる前に、
毎日、せっせと有難く
頂く事にしよう・・・(笑)。

 

 


心を種子として言の葉と為す

2023-12-12 08:57:32 | 箴言

 

きのうは
希死念慮を持つ
常連の文学少女と一緒に
「道歌」を味わう
「短歌療法」を行った。



授業では教わらぬ
こうした
「生きる道標」のような事を
心理教育の一環で教えるのも
サイコセラピストの役割である。

古典文学に精通している生徒には
雅味のある短歌が
箴言や格言のように浸透し、
その「言霊」によって
生きる力が醸成されると信じている。

自分の小中高生時代には
心理カウンセラーなぞいなくて、
誰もこのような事を
教えてくれはしなかった。

*

先日、岩角寺で
急峻な石段をいくつも登っていたら
「あせらない一休み」
という道標があり、
ついつい目が留まり、
それに従った(笑)。

我々の行動は
闘争や逃避という
本能的なものに加えて、
脳内で言語変換される
思考によるものがある。

それゆえに、
時として「こころ」は
「ことば」に支配される
という現象が起こり得る。

殊に「呪詛」なぞは、
現代にも生きており、
ネット内で誹謗中傷されて
自死する者たちが後を絶たない。

「呪い」の字には
「口」が二つも入っている。

似た字の「祝い」は、
「神」を表す「ネ」(しめす偏)と
「口」であり、「こころ」を
喜ばせ癒してくれる。

「口」から発せられる「言の葉」が
人を殺しもし、生かしもするのである。

「言(こと)」は「事(こと)」と同源で、
「口から出て事実になり得るもの」
という意味だったが、
「事実を伴わない口先だけの事」
として「言の葉」という説がある。

また、「言の葉」の「葉(は)」は
「端(は)」と同源で、
『枝葉末節』のように
「端っこの重要でないもの」
「たくさんのもの」
という意味を持つので、
「言の葉」とは、口から出る
様々な事(言)という意味でもある。

『古今和歌集』には・・・
 
 やまとうたは
  ひとのこころを
   たねとして
    よろずの言の葉
     とぞなりにける

(和歌というものは、
ひとの心を種にして、たくさんの言が
葉っぱのように茂ったものだ)
・・・と、ある。

*

『日本餡子党』を結党しようかと
思うほどに、餡子に偏愛がある(笑)。

なので、
冷蔵庫には
幾種類も常備しているが、
キレると、カミさんも
黙って補充しといてくれる(笑)。

最近では、
世界各国にも「ANKO」と
知られるようになったが、
諸外国では煮豆を甘くすることには
抵抗があるようである。

それでも、小豆の
ポリフェノールなどが
赤ワインに匹敵するというので
大豆などと同様に健康食品としても
注目されつつある。

昭和生まれにとって、
昔は、甘味の主流は
「餡子もの」だったので、
その郷愁もあるのだろう。

鶯餅は漉し餡。
大福は粒あん。
笹巻ダンゴも粒あん。
羊羹は漉し餡。
アンパンは両方あったっけ・・・。

夕食後に、
仕上げのデザートとして
ひと匙、〆の甘味を楽しむのは
案外にいいものである(笑)。

*

前夜が牡蠣鍋と
蓮根の挟み揚げだったので、
残った牡蠣をオイスターソースで
炒め直してベントのおかずにした。

きょう日、
ホカ弁屋やコンビニで買えば
ワンコインほどにもなるのが、
手作りベントは
原価50円ほどなので、
ここで節約して
月に一度はドーンっと
懐石やフレンチ、鮨で
“おごっつぉ”(ご馳走)を
楽しんでいる(笑)。

こういうのを
亡き親父は、麻雀のたびに、
こつこつ上がって満貫を喰らうと
【納豆売りの女郎買い】
と言っていた(笑)。

どちらも
昭和の頃にあった風物だが、
平成・令和には
すたれたものである。

**

かねがね、
松茸の軸は食するのに、
なんで椎茸は食さないのだろう・・・
と、疑問に感じていた。

そしたら、ネットで、
軸には笠よりも
豊富な栄養分が含まれているという。

ならば、喰わない手はない。

ただ、やはり、
歯応えがあり過ぎて
いささか食感がよくない事は
確かである。

少なくも、
マツタケのように
シャクシャクとして
心地よい噛み応えはない。

それでも、
クタクタになるまで煮ると、
プツリと噛み切れる
独特の食感を持つ。

・・・てなわけで、
最近は、この軸も
廃棄することなく、
出汁にも食材にも用いている。

ただし、他のキノコ同様、
軸先の部分だけは
菌糸が付着しているので、
切除したほうがいいという。

***

最近、老け込んだせいか・・・
坐骨神経痛や顎関節症による
気鬱感があるせいか、
とんと、ネクタイをして
スリーピースのフルコーデの装いで
出勤しようという気が失せている。

初冬の今頃だと、
秋口から着ている
超軽量の薄でのブレザーに
長袖のポロシャツ・・・という
いでたちが、いちばん肩が凝らず
快適感がある。

スーツを着たがらなくなったのも、
ジジイになったんだなぁ・・・と、
洒落っけが失いつつある今日を
恨めしく感じている。

つい数年前までは、
スーツとウエストコートのバランス、
ドレスウォッチの色と
シャツのカフリンクスとの
コーデまで気遣っていた。

お洒落を楽しむにも
こころのエネルギーが要るんだなぁ・・・
と、疲れ気味の昨今では
遠い昔のように
かつての自分のフルコーデ姿を
眺めている。













 

 

 


【個人は社会の病理を背負っている】

2023-12-08 06:48:36 | 箴言

【個人は社会の病理を背負っている】
と、かつて、
河合先生から習ったことがある。

それゆえ、
目の前のクライエントと
社会がどうリンクしているか、
そのどちらも並行して
分析を試みている。

数日前に、あるJCが
初めて創った「箱庭」と
その日の朝刊で
目に留まった記事が
こころに引っかかったので、
対比・熟慮してみた。



左側の「過去」領域では
肉食系の猛獣同士が
にらみ合っているが、
トラの親はライオンから
子どもを守っている。

右側の「未来」領域には
草食系の動物がおり、
いずれも中央を向いている。

右下(大地への郷愁の象意)には
馬のツガイ、キリン、牛、犬が、
右上(生への対決の象意)には
親子のゾウがいる。

真ん中の「水域」は
母親ゾウの力(フォース)で
出来たものだという。

全体には
光り輝く「おはじき」や
「ビー玉」が置かれている。

パッと見は、
動物とガラス玩具だけで
寂しい風景だが、
大まかに四分割されており、
曼荼羅を形成して
バランスを取っているようにも見える。

ポジティヴな母性性と父性性が、
いずれも子ども(可能性)を護り、
新たなフォースを世界に
生み出そうとしている。

親ゾウがその力でもたらした「水源」を
穏健な草食動物群(民衆・大衆?)が
注目し、見守っているかのようである。

過去領域における
肉食動物どうしの攻防は、
「力」(武力)と「金」(金融経済)で
相手を牛耳ることに腐心してきた
西洋・欧米文明のグローバリストや
DSを連想させられた。

 



日本において、
「力」と「金」で
勢力拡大を強引にしてきた
「新宗教」の教主たちが
今年になって、立て続けに死去した。

政権と癒着してきた
統一教会には、
解散命令が出されようとしている。

米DSの傀儡政権で
マネーロンダリング、
生物兵器開発、児童人身売買、
不法臓器売買、異民族虐殺と
悪辣の限りを尽くしてきた
ウクライナのネオナチ政権は
敗北し死に体同然である。

民間人虐殺を繰り広げる
イスラエルのシオニスト政権は、
これから、周辺国から
叩きのめされるのだろう。

ここにおいて、WWⅡ後、
80年余りも生き残ってきた
過去の「亡霊」である
ナチズムとシオニズムは
一巻の終わりとなるのだと思われる。

それは、同時に、
国内においては、
戦後、戦勝国・占領国の
米CIAとDSに支配されてきた
自民党政権の終焉をも
意味しているのだろう。

増税メガネ総理は、
狂気とも思われる振る舞いで、
日々、良識ある国民を失望させ、
呆れさせている。

それが、怒りに転嫁した時、
この国は、ようやく、
ヨチヨチ歩きの
独立独歩の歩みを
始めるのかもしれない。

箱庭から見て取れるのは、
それでも、多くの大衆・国民は
傍観に甘んじるかもしれず、
(右下の草食動物群)
あるいは、良識的に
静観に留まるかもしれない。

やはり、
ゾウに象徴される
巨人(タイタン)的な
カリスマ性やパワーを持った
傑物の登場により
変革がもたらされるのではないか・・・
とも想像できる。

野球の大谷、
将棋の藤井・・・クラスの
「超」傑物が
政界にも登場したら、
センチメンタルに感応し易い
日本人は「目覚め」て
動き出す予感がする。

ただ、聖書の箴言には、
こういう時こそ、
「偽預言者」が
数多出現するとも警告しているので、
その真贋は見極めなくてはならない。

カルト的で
その「真善美聖」が
疑わしい「新興宗教」群が、
そのトップたちの鬼籍へのシフトで、
教勢の失速・内紛などがあるようで、
これから、あらたに、
入会しようという若者は
ないように思われる。

ふたたび、箱庭に戻ると、
その全体は「植物」の緑もなく
砂漠然として荒涼感もあるが、
全体にちりばめらたガラス質が
あたかも秘められた宝石のように
若者の「希望」と「夢」を
象徴しているかのようにも
感じられた。


***

【老兵は去り行くのみ】
ではあるが、
これから、「真善美聖」の世界を
創らんとする若者たちを
見守り、支え、そして、
励ましていくのを
人生最後の仕事としたいと
願っている。