『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

心を種子として言の葉と為す

2023-12-12 08:57:32 | 箴言

 

きのうは
希死念慮を持つ
常連の文学少女と一緒に
「道歌」を味わう
「短歌療法」を行った。



授業では教わらぬ
こうした
「生きる道標」のような事を
心理教育の一環で教えるのも
サイコセラピストの役割である。

古典文学に精通している生徒には
雅味のある短歌が
箴言や格言のように浸透し、
その「言霊」によって
生きる力が醸成されると信じている。

自分の小中高生時代には
心理カウンセラーなぞいなくて、
誰もこのような事を
教えてくれはしなかった。

*

先日、岩角寺で
急峻な石段をいくつも登っていたら
「あせらない一休み」
という道標があり、
ついつい目が留まり、
それに従った(笑)。

我々の行動は
闘争や逃避という
本能的なものに加えて、
脳内で言語変換される
思考によるものがある。

それゆえに、
時として「こころ」は
「ことば」に支配される
という現象が起こり得る。

殊に「呪詛」なぞは、
現代にも生きており、
ネット内で誹謗中傷されて
自死する者たちが後を絶たない。

「呪い」の字には
「口」が二つも入っている。

似た字の「祝い」は、
「神」を表す「ネ」(しめす偏)と
「口」であり、「こころ」を
喜ばせ癒してくれる。

「口」から発せられる「言の葉」が
人を殺しもし、生かしもするのである。

「言(こと)」は「事(こと)」と同源で、
「口から出て事実になり得るもの」
という意味だったが、
「事実を伴わない口先だけの事」
として「言の葉」という説がある。

また、「言の葉」の「葉(は)」は
「端(は)」と同源で、
『枝葉末節』のように
「端っこの重要でないもの」
「たくさんのもの」
という意味を持つので、
「言の葉」とは、口から出る
様々な事(言)という意味でもある。

『古今和歌集』には・・・
 
 やまとうたは
  ひとのこころを
   たねとして
    よろずの言の葉
     とぞなりにける

(和歌というものは、
ひとの心を種にして、たくさんの言が
葉っぱのように茂ったものだ)
・・・と、ある。

*

『日本餡子党』を結党しようかと
思うほどに、餡子に偏愛がある(笑)。

なので、
冷蔵庫には
幾種類も常備しているが、
キレると、カミさんも
黙って補充しといてくれる(笑)。

最近では、
世界各国にも「ANKO」と
知られるようになったが、
諸外国では煮豆を甘くすることには
抵抗があるようである。

それでも、小豆の
ポリフェノールなどが
赤ワインに匹敵するというので
大豆などと同様に健康食品としても
注目されつつある。

昭和生まれにとって、
昔は、甘味の主流は
「餡子もの」だったので、
その郷愁もあるのだろう。

鶯餅は漉し餡。
大福は粒あん。
笹巻ダンゴも粒あん。
羊羹は漉し餡。
アンパンは両方あったっけ・・・。

夕食後に、
仕上げのデザートとして
ひと匙、〆の甘味を楽しむのは
案外にいいものである(笑)。

*

前夜が牡蠣鍋と
蓮根の挟み揚げだったので、
残った牡蠣をオイスターソースで
炒め直してベントのおかずにした。

きょう日、
ホカ弁屋やコンビニで買えば
ワンコインほどにもなるのが、
手作りベントは
原価50円ほどなので、
ここで節約して
月に一度はドーンっと
懐石やフレンチ、鮨で
“おごっつぉ”(ご馳走)を
楽しんでいる(笑)。

こういうのを
亡き親父は、麻雀のたびに、
こつこつ上がって満貫を喰らうと
【納豆売りの女郎買い】
と言っていた(笑)。

どちらも
昭和の頃にあった風物だが、
平成・令和には
すたれたものである。

**

かねがね、
松茸の軸は食するのに、
なんで椎茸は食さないのだろう・・・
と、疑問に感じていた。

そしたら、ネットで、
軸には笠よりも
豊富な栄養分が含まれているという。

ならば、喰わない手はない。

ただ、やはり、
歯応えがあり過ぎて
いささか食感がよくない事は
確かである。

少なくも、
マツタケのように
シャクシャクとして
心地よい噛み応えはない。

それでも、
クタクタになるまで煮ると、
プツリと噛み切れる
独特の食感を持つ。

・・・てなわけで、
最近は、この軸も
廃棄することなく、
出汁にも食材にも用いている。

ただし、他のキノコ同様、
軸先の部分だけは
菌糸が付着しているので、
切除したほうがいいという。

***

最近、老け込んだせいか・・・
坐骨神経痛や顎関節症による
気鬱感があるせいか、
とんと、ネクタイをして
スリーピースのフルコーデの装いで
出勤しようという気が失せている。

初冬の今頃だと、
秋口から着ている
超軽量の薄でのブレザーに
長袖のポロシャツ・・・という
いでたちが、いちばん肩が凝らず
快適感がある。

スーツを着たがらなくなったのも、
ジジイになったんだなぁ・・・と、
洒落っけが失いつつある今日を
恨めしく感じている。

つい数年前までは、
スーツとウエストコートのバランス、
ドレスウォッチの色と
シャツのカフリンクスとの
コーデまで気遣っていた。

お洒落を楽しむにも
こころのエネルギーが要るんだなぁ・・・
と、疲れ気味の昨今では
遠い昔のように
かつての自分のフルコーデ姿を
眺めている。













 

 

 


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