きのうは、
何処にも出掛けず、
日がな一日、萬年床のベッドで、
漫画を読んだり、
YouTubeの朗読を寝ながら聴いていた。
佐藤春夫の『小説永井荷風伝』は
殊の外、面白かった。
その無頼感で艶隠者の暮らしぶりは
憧れを感じるものである。
荷風は『断腸亭日乗』の中で、
記している…。
「世の人の目を恐れず、
己が好むところを行ひ、
己が心に適ふ処にのみ生きんとするは、
古今東西を問わず、
稀なることなり。」
この一文こそ、
荷風の「無頼感」の本質を
端的に表している…。
…
楽隠居らしく、
買い物、料理、ゴロ寝、漫画読み、
ピアノ、書道、茶道、華道、
古楽器製作、芸術鑑賞、
魂理学研究、随想執筆、自然散策…と、
勝手気ままに過ごしている。
敬愛する狐狸庵先生の影響で
若い頃から
【人生五目ご飯】
をライフビリーフとしてきた。
二歳児の頃から
重症小児喘息だったので、
主治医からは
「この子は、ハタチまで
生きられない……」
と、母親は言われたと聞いた。
中学に入って
テニスを始めてから
喘息は完治した。
それでも、母親から
聞かされたタイムリミットが、
何処か、自分に、何でもやってから
死んでやろうという気概を
起こさせたのかもしれない。
結果、器用貧乏に
なっちまった……。😂
でも、色んな事を味わえた今生は
少しも悔いてはいない。
まだ、残り時間があるのなら、
新たなる事にも挑戦してみたい。
……
ヴァイオリンとヴィオラ、
チェロの練習もしようかなぁ…。
あ、そ、そ…。
コンバスもあったんだった。🤣
弦楽器好きだから、
自ずと、集まっちゃうんだよねぇ…。
💕🍓
なにせ、45年も働きずくめ
だったんだもんねぇ…。
ちったぁ、ここいらで、
心身を休めて、労っても
いいのかもしんないなぁ……。
もっと、仕事したい…
っていうのも、あるには有るが、
それは、壮年期の
惰性的な残滓かもしれず、
昭和のワーカホリック気質、
貧乏恐怖症が、
身に付いちまってんのかもしんない。
なかなか、敬愛・心酔する
良寛和尚や一休禅師、
山頭火、芭蕉のように、
泰然自若とした老年・晩年とは
いかないもんだわねぇ……。😣💦
でも、段々、
自分の人生の意味が
解りかけてきた。
物心ついてから、
六十年もかかっちまったが…。
ありとあらゆる占い類が
【晩年盛運型】と示していたように、
尻上がりに、有り難さを実感する
老年期になってきている。
まだまだ、積徳の心行を
恪勤せねばならぬ凡夫の身だが、
日々、天地の無窮の讃仰をも
忘れぬように努めたい。
…
ゆんべは、
カミさんが張り切って
冷やし中華を作ってくれた。
日中は夏日になる
暖かさなので、
冷やし中華もいいもんだ。
…
先日は、カミさんと
町中華で夕飯を済ませた。
チャーハンは
まずまずだったが、
餃子は皮が厚くて
今一つ食感がよくなかった。
そんでも、
病母を亡くしたばっかりなので、
健康であればこそ、
美味いの不味いの…と、
御託を並べられているんだなぁ…
と、思わされた。
Tちゃん先生のメールでは、
危篤状態にあっても、
ただ今、生かして頂いている御礼を
神様に申し上げました……
とあり、さすがに、宗教家は
違うなぁ…と、思わされた。
…
病院での面会帰りに、
面会者シールを付けたまんまだったら
カミさんが嫌がって
「剥がしなよ〜❗️」🙅
と、執拗に言うも、
半分イヤガラセで、
「ワイポイントで、いいじゃん❗️」
と、オダッていた。
(ふざける事)
…
母の葬儀は、
遺影が付かない
「直葬プラン」だったので、
自前でプリントアウトして
高級な木製額縁に収めた。
それでも、3千円内で
収まっだが、亡父の時には
数百万円規模の大々的な葬儀で、
遺影の内訳を見たら、
A4判に伸ばしたプリントに
額縁付きで五万円も請求されていた。
それも、今から、28年も前である。
坊主丸儲けならぬ、
葬儀屋丸儲けである。
ボルなぁ…と、
当時も呆れたものである。
花輪なぞは、
完全使い廻しらしい…。
自家製遺影は、
フミが赤ちゃんだった頃、
両親が京都に孫見にやって来た時の
三十五年前の幸せそうな
表情の物にした。
……
最貧コースには、
段ボール製の棺桶もあった。🤣
上は天井知らずらしく、
金箔張り総紫檀なぞは
数百万からするそうな。
金が余ってしゃーない金満家が
最後の贅沢に
景気よく燃したいのだろうか…。
うちのも貧民コースだったが、
桐の棺桶とパンフに書いてあって
(なら、いっか……)
と、安心してたが…
炉前で蓋を閉める段に
皆んなで持ち上げたら
異様に軽く、
設備業界の兄も
古楽器製作者の自分も
(合板プリントだ…)
と、立ちどころに判った。
桐はキリでも、
桐模様のクロス貼り、
だったのだ……。😭
(んもぉ〜。
JAROに言ったるでぇ…)😮💨
まさに、ピンからキリまで…
とは、よう言うたもんである。
ほいでも、
近くで見ても、触っても
木目のキレイな無垢材に見えるから、
ま、いっか…である。😆
臨終の時から、
もはや、本体の魂が宿らない
文字通りの抜け殻という
感じは抱いていた。
でも、永年、母がお世話になった
ボディスーツである。
物への感謝も大事であるので、
丁重に扱うのに越したことはない。
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