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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ギター・ライフの総決算

2022-08-22 06:49:04 | ギター

きのうの正午のニュースで、
「中3少女」が
路上で母子を刺すという
禍々しい事件が耳に飛び込んでみた。

逮捕されての動機が
「死刑になりたくて・・・」
というのには、
唖然とした。

黙って自殺するのではなく、
劇場犯罪的に
社会的な承認欲求を満たしてから、
おカミの手で
「殺してもらおう・・・」
と考える・・・。

未成年は死刑にならない、
という事する認知してないのでは、
と思うと、あるいは彼女も
「グレーゾーン」の子だったのでは、
と疑われる。

*

かつては(1965~74頃)、
WHOによるICD(国際疾病分類)では、
IQ(知能指数)の「70~84」までが
「境界線」知的障害と定義されていた。

その後、それは改められ、
知的障害は現在の
IQ70未満に変更された。

変更の背景には、
IQ70~84まで含めると
人口の約14%
(日本なら約1.700万人)
が相当することになり、
「7人に1人」が
グレーゾーン』になるからである。

学校社会に40年以上いるが、
今も行われている知能テスト
(本人・保護者に知らされない)の
結果を知ってる教員やSCは、
これが実際問題であることを
肌身で感じている。

統計的にも、
正規分布の中央値から
左に偏向している一群は
当然、存在するものである。

彼・彼女たちは、
発達障害とはまた別に
人生の初期から
「生きづらさ」を抱え、
時に、自傷他害を行う事も少なくない。

一見「健常」に見える
グレーゾーンであるがゆえに、
子どもの頃から気づかれる事もなく、
適切な教育的配慮や支援を
受けていないケースがほとんどである。

それゆえ、
仕事が続かなかったり、
引きこもったり、
犯罪に行動化する場合もある。

刑務所に何度も
出たり入ったりするケースでは、
このグレーゾーン領域の人たちが
多いという。

***

 

今日から、
市内の小中校は
「始業式」である。

自分は明日から
2学期の勤務がはじまる。

なので、今日が
「夏休み」最後の日となる。

この一か月、
軽い熱中症には
ニ、三度なったが、
幸いに、「暑熱順化」後は
悪化することもなかった。

2/7から始めた
Facebookでの
『リュート・マラソン』も
途切れることなく毎日続いており、
弾きたい曲、弾くべき曲が、
まだ数百曲もある。

この分でいくと、
一年365日は続きそうである。

最近では、
「ギター・ライフの総決算」
という感じになってもきた。

指の変形性関節症が
年々進んでいるので、
昨日なぞは難しい曲を弾いてて、
思うように指が押さえられず、
思わず涙がでそうなほど
泣きたくなった。

カラダの経年劣化、
老化、病状進行により、
もうギターが弾けなくなる日も
そう遠くはない・・・と、
嫌でも思わされた。

だからこその
最後の"いのちの灯"を
燃え盛らせているのだろう。

よく、コンサートなどで、
気障ったらしく
「命を削って弾いてます」
なぞとコメントすることがあるが、
聴き手は冗談と思って
笑ってくだすっているが、
ほんとの処、
ジョーダン事ではないのである(笑)。

Facebookでは、
友人・知人・身内「限定公開」
にしているので、
見知った人たちが、
拙い演奏に「いいね」を下さり、
それが練習や録画録音の
励みにもなっている。

そういう意味では、
「SNS」の
ソーシャル・ネットワークの
恩恵を受けている感がある。

先日も、
小学生の頃、
懸命に練習していた『練習曲』を
50数年ぶりに弾いてアップしたら、
意外にも、9人もの方々から
「いいね」を頂戴して、
驚きもした。

クラシックギター音楽という
限られた特殊な世界の、
しかも「練習曲」に、
これらの方々が反応して下さったのは
驚き以外の何ものでもない。

著名な
『禁じられた遊び』や
『アルハンブラの思い出』なら
まだしも・・・。

なので、これに気を良くして、
むかし、あまり手掛けてこなかった
アグアドやらジュリアーニ
といった作曲家の佳曲も
『リュート・マラソン』の
爼上に採り上げている。

***

 

居間と洗面所の
白熱灯が、
ちょいちょい点いたり消えたりして
鬱陶しく思ってたので、
ジョイント自体を
新品に換えてみたら、
なんとか不快な症状がなくなってくれた。

まさしく、
【金で解決できるものは
 金で解決せよ】
である(笑)。

 

 

 

 

 


終活の一環

2022-07-23 06:44:00 | ギター
【7月31日で
「ティーカップ」サービス終了
(接続不可)の為、
goo blogに引っ越します!!】

https://blog.goo.ne.jp/liqbeau2020/0


2004年から
18年間も毎日続けてきた
「ティーカップ」のブログも
運営を終了するというので
当惑もしたが、
【始め在るものは終わり在り】
という世の習いだから
仕方ないや、と粛々と
「goo blog」に
引っ越しの手続きを進めている。







Facebookにおいては、
2月7日から
毎日一曲をアップするという
『リュート・マラソン』を
今も続いている。

来月の7日で
早くも半年となり、
のべ180曲を
アップしてきたことになる。

当初はプチ・マイブームと
思っていたが、
半年も続いてるのを見ると、
どうやら、本腰を入れて
ライフワークでもある
ギター音楽の追求を
極めようとしているのかもしれない。

そして、
まだまだ、これから
弾く予定の曲がいくらもある。

かつて公演した曲ばかりでなく、
この機会に新たに
取り組んだり、
発見した曲もある。

ゆんべも
YouTubeサーフィンをしてたら、
メルリンという作曲者の
『想い出の組曲』から
『エヴォカシオン』という
ベタな演歌調の曲を見つけた。

ちょっと気恥ずかしくなるような
甘々の旋律だが、
YouTubeでは、けっこう外人奏者が
真面目な顔でロマンティシズムに
浸っている。






初見でも
スラスラ弾ける程度の曲だが、
録画録音となると、
ある程度は練習も要るだろう。

『リュート・マラソン』をやってて、
これも終活の一環なんだなぁ・・・と、
最近では感じてきた。

そう。
ライフワークへの
最後の命の時間の投入・・・
といった感じである。

もう体力的にも劣ってきて、
ゆんべなぞ
風邪気味でやってたら、
具合がわるくなり、
しばし寝養生してから
また取り組むようだった。

指の変形性関節症も
年々ひどくなり、
また指を酷使すればするほど
悪化する・・・(😿)。

それでも、
やらねば・・・という、
強い意志がどこからともなく
湧いて来るから、
それに従っているだけである。

重度の喘息少年だった自分に
ギターが
音楽する喜びをもたらしてくれ、
延々、半世紀も付き合ってくれた。

もはや、
"ベター・ハーフ"とも形容したい
ギターは有形の、
音楽は無形の、
欠かせぬものである。



二十代の頃、
いっ時、占い類に凝って、
ありとあらゆる事に
ひと通り手を染めてみたことがある。

その折、
不思議な事に、
どの占いでも、
「晩年運」と出て、
喜び、幸福感のなかで
生涯を閉じる・・・とあった。

ワルクない
エンディングだなぁ・・・
と思ったことがあるが、
最近では、『リュート・マラソン』を
走り切って、もう弾きたい曲もなくなった、
という充足感、満足感に包まれたら、
その時に"事切れる"のかなぁ・・・と、
ふと思ったりもした。

それも、わるくないなぁ・・・と、
正直、思っている。

「おとーさん。
ギターを抱いたまま
眠ってるようだったよ・・・」
というのは、
ドラマチックで、
カッコいい(笑)。

念願だった孫にも会えたし、
この手で抱くことも出来た。

亡き父の名言だった
「もう十年生きててほしかった・・・と、
言われる当たりで死にたい・・・」
という
惜しまれる去り方も
「有終の美」っぽくて素敵だなぁ・・・。

こんな風に考えるのも
「終活」を生きる、
という夏休みの日常なのかもしれない。



とりあえずは、
来年5月27日に、
『福大ギター部』が無くなるのを
追悼するような気持ちで、
音楽堂の舞台に
また立つ日まで、
ギター音楽を自分なりに
極めていくつもりである。

そのあたりで、
キレイに人生を終わっても、
何の悔いもない。

むしろ、
いい人生だった、
オモシロイ生涯だった、
神様、ありがとうございました、
とお礼を申して、
肉体の衣を脱いで
天上に還りたい。

もっとも、
金光教祖のみ教えには
「死ぬ用意をするな。
 生きる用意をせよ」
という
重々しい言葉がある。

寿命もまた
天命かもしれぬので、
それが自ずと尽きるまでは
生きねばならないのかもしれない。

***

3.11の時は、
原発が爆発した翌日に、
ブログ上で、
一度、皆さま方へ、
最後のご挨拶をしたことがある。

「ご迷惑をおかけしました皆さま方。
 誠に申し訳ございませんでした。
 心よりお詫び申しあげます。
 
 お世話になりました皆さま方。
 誠にありがとうございました。
 心より感謝申しあげます。
 
 思えば、よい人生でした。
 どうぞ、お元気でお過ごし下さいませ。
 また、いずれ、あの世とやらで、お会い致しましょう。
 
 ありがとうございました。」

これなら、いつでも、
通用するだろう(笑)。





仏教学の泰斗・
中村 元(はじめ)先生は
「いずれは、文明が発展して、
人は生き物を殺さずとも、
栄養を摂取できる日が
くるかもしれません」
と仰っておられた。

生化学的には、
C₆H₁₂O₆(ブドウ糖=ご飯)、
H₂O(水)、
Nacl(塩化ナトリウム=塩)、
さえ摂取できれば、
植物人間が生存できるように
生きる事は可能なのである。

これに、
必須アミノ酸や
ヴィタミン類や
微量元素類が
サプリでも摂取できる。

そうなりゃ、
ヴェジタリアンやビーガン
どころのハナシではなく、
まったく生物由来の栄養は
必要なくなるのである。

ただし、
そうなると「食文化」なるものは、
完全に廃れて、同時に、
「美味しく食べる」
という本能的な快楽行為も
閉ざされてしまう。

そんな、愚にも付かない
妄想チックなことを考え乍ら
『ロティ・ド・ポール』
(カナダ産ポークのロースト)
の肉塊をナイフでカットしていた(笑)。

おとつい
880円でツタヤで買ってきた
ピンクベージュのプレートが
セカスト(古物店)で買った
100円のプチ・アシェット(小皿)と
いいマリア―ジュであった。








オフ日のたびに
"ぼっちフレンチ"を作ってるので、
そのアップした画像も
溜まりにたまって
数百点にもなった。

いずれ、
自分用に製本して
『ぼっちフレンチ』とでも
タイトルをつけて、
懇意の方々への
何かの返礼品にでもしようかしらん(笑)。

これも、
自分がこの世に残した
足跡であるのだなぁ・・・と、
風邪気味でシンドイせいか、
妙に「人生総括」モードになっている(笑)。

グダクダ言ってる奴が、
いちばん長生きする・・・
っていうのも世の習いであるなぁ・・・(笑)。

〜(˘・з・˘)〜 グテグデ

夏休み四日目にして、
はやくも"人格崩壊"の傾向が
はじまった・・・(笑)。

ハテ (・_・?) キョウハ ナンヨービダ?  






カミさんが、
教員を退職して
家業の農家をされている親友から、
摘みたてのブルーベリーを
三パックも頂いてきたので、
自分もおすそ分けに与り、
毎日、ちょっとずつ
頂いている。

ブルーベリーは
ヴィタミンAが豊富で、
目に良い・・・
という成分抽出サプリの宣伝を
よく新聞広告で見る。

高校の生物の授業でも
「視紅(visual purple)」
という色素タンパク質について
教えたことがあるが、
それは近視・遠視の
視力改善には無縁なのである。

生物のテストでも
「視紅」=「ロドプシン」
について出したことがある。

久しぶりに、
ちょいと問題を作ってみようかしらん(笑)。

1.
網膜の杆状体の外節に含まれる
紫紅色の色素タンパク質で、
光受容体として機能するものを
何というか答えよ。

(       )

2.
網膜には2種類の視細胞があるが、
それは(    )と杆状体で、
前者は強い光に反応して
色覚をつかさどり、
後者は弱い光のもとで
(   )を識別する。

答え・・・(錘状体)(明暗)







名曲発見

2022-07-19 06:09:00 | ギター
ゆんべは
夢見がよくなかったせいか、
今朝は寝起きが
やや風邪ッぽい。

家族と反目して家出し、
知人の女性宅に
泊まらせてもらうも、
寝ていると足元が下がって、
書棚の本が倒れ、
地盤沈下が起こりそうで
飛び起きる。

外に出てみると、
地下駐車場の大規模な
掘削工事をしており、
こりゃヤバイと思って、
慌てて、その場から
遠くに逃げようとしている。

なぜか、
柳町の生家に忍び込み、
親がいないのを確認して
サンダルを持ち出す。

すると、寝ていた兄に見つかる。

・・・なんちゅう夢なんやろ(笑)。

風邪気味で
分析する気力もないが、
記号的解釈・連想をすれば・・・

「地下工事」
無意識が賦活する心的作業。
危険を伴う。

「家出」
出家と見れば、
より形而上的な心の自立。

「サンダル」
足元に注意。
軽快で飾らずに。

「女性宅」
アニマ=内的異性性。
創造性をもたらす。

きのうは、
クルマのエアコンかび臭を
DIYでなんとかしようとして、
エアコン内部に
ホースで放水してみたが、
あまり効果がなく、
車内が水浸しになって
散々な思いをした(笑)。

ついでに、
空になりかけてた
エンジン・オイルを足して、
近所のクルマ屋に
洗浄依頼にでかけたが、
帰りに、国道で急に
エンジンに不調を来し
加速しなくなり、
警告灯がつくも
どうにか正常にもどって
やっと帰宅してきた。

今朝も警告灯が
きえてなかったら、
朝一で、整備工場で
みてもらうようである。

エアコン内部への放水で、
なにかセンサー類が濡れて
異常を起こしたのかもしれない。

これでエンジン・メンテになったら
また事であるなぁ・・・(😿)。





ネットサーフィンをしてたら、
久しぶり、弾いてみたくなるような
曲を見つけた。

ギド・サントルソラの
1945年の『古典的組曲』というが、
全体を聴いてみたら、
『プレリュード』だけが
よさげであった。

たいして難しくもなさそうなので、
今日から練習して
『リュート・マラソン』用に
録画してみたいと思っている。









南ヨーロッパでは
熱波が襲っているようで、
ポルトガルで47℃、
スペインで45℃、
というから、
尋常な暑さではない。

フランスでは
老人が千人も亡くなったという。

地中海気候の
乾いた暑さということもあって、
冷房を使う習慣がない
南ヨーロッパでは、
熱中症が急増しているらしい。

日本も、6月で
40℃越えの箇所が
数か所あったが、
いずれ、40数℃という夏も
到来するやもしれぬ。

気候変動、温暖化は、
まさに待ったなしの
環境問題である。








小中生の不登校が、
2012年より
右肩上がりが続いている。

2020年には、
前年度比の8.2%増で
19.6万人にもなった。

SCになって26年だが、
長らく「12万人」で
横ばいだったのが、
ここ10年でいっきに
8万人強の増加となった。

3.11が2011年なので、
その後に漸増傾向が
始まったとも考えられる。

これには、
ケータイ、スマホの普及も
関連しているのだろう。

ゲーム依存傾向の増加も
正の相関を見せている。

そこへきてコロナ禍が
平穏な日常を破壊した。

SC職が多忙なのは
決して喜ばしい事ではないのである。




指ボロボロ…( ;∀;)

2022-07-12 06:33:00 | ギター
2月7日から
『リュート・マラソン』と銘打って
毎日、Facebookに
ギター曲を投稿している。

ブログ同様に
偏執者らしく
しつこく続いている(笑)。

自分でも、
もうそろそろ
飽きるかと思っていたが、
事が自分の中核に近い
「ギター音楽の追求」なので、
かえってのめり込んでいる風である。





スマホとOBS(動画ソフト)と
スクール・リバーブ(残響アプリ)の
三点セットでの素人作りだが、
それでも、自己満足できる
ていどには撮れている。

ただし、演奏ミスだけは
どうにもならないが…。

あんまり、
しつこく、撮り直しなぞすると、
嫌気がさしてくるので、
ミスも許容範囲と割り切っている。

「ミス」については、
公開演奏するに当たって、
ずいぶん悩んできたが、
最近、ようやく
開き直れるようになった。

それには、
フジコ・ヘミングの言葉が
勇気を与えてくれた。

「間違えたっていいじゃない。
 機械じゃないんだから」

「私はミスタッチが多い。
 直そうとは思わない。
 批判する方が愚かしい」

「ぶっ壊れそうな鐘があったって
 いいじゃない…」
(『ラ・カンパネラ』について)

「超絶技巧に中身
(人間的、愛、頭)がなければ、
 うつろな響きしか出ません。
 そんなものは機械でやった方が
 良いでしょう。
 演奏家の人格と頭脳は、
 必ず演奏に表れます」

「一つ一つの音に色をつけるように弾いている」




「初心者はピアノを弾くための
 指の練習なんかしないほうがいい。
 曲の中には、とんでもなく
 難しい部分があるでしょ。
 私はその曲の中で、
 指の練習をすることにしているの。
 人生は、指の練習をしているには
 短すぎるし、第一、意味がないもの」







「ピアニストは
 綺麗な手をしている人が多い。
 手をとても大事にしているから。
 私の手はちっとも綺麗じゃないけれど、
 表情に満ちている」







通読している『ゴルゴ13』の
新刊を買って、
レンタルでも新刊を3冊ほど
借りてきた。

高温多湿環境と
エアコンによる
低音少湿環境を
頻繁に出入りしているせいか、
自律神経が、いささか失調気味である。

それが、カラダの怠さや
背中の痛み、胃腸の不快感などに
現れ来つつある。

つくづくHSPの
過敏な面が
恨めしくもある。

でも、生きてる限り、
仕方ないと思って、
それなりに対処している。

スピリチュアルな解釈では、
これらを含めて
「すべて」を体験するために、
受肉して、この世にやってきた
「魂」だもんね(笑)。

純粋な精神性や意識性、
魂だけの存在では、
無感覚・安楽に過ぎて、
やっぱり、この感覚に満ちた
肉体世界・物質世界が
懐かしくなるのかもしれない。






いろんな「耳学問」を求めて
YouTubeをサーフィンしているが、
今朝、引っかかったのは、
東大の数理研で発表された、
「ホログラフィック説」である。

これは、
あの天才ホーキングが、
ブラックホールの表面には
情報が書き込まれている
という事を証明したことにより、
それをさらに数式で発展させて、
我われの世界は二次元情報が
「量子もつれ」によって
投影されたホログラムである、
という説である。

超天才のアインシュタインが
気付いていながら
認め難かった「量子もつれ」が
今日では実験で証明されており、
それが、じつは宇宙と存在の謎を解く
核心的なパスルのピースである事が
解ってきたのである。

宇宙は「量子真空」という
エネルギーに満ちた「特異」な状態から
ビッグバン→インフレ―レーションを経て
今日の時空や物質界が誕生した。

「E=mc²」
(エネルギー=物質×光速の二乗」
という公式から、
エネルギーは物質に転換するものであり、
逆も然りである。

生物を含む物質は全て
原子やそれを構成する素粒子から
出来ており、それらは、
量子的な特異的な振る舞いをする。

特徴的なのは
「粒子」と「波」の両性質がある、
ということである。

そして、波動関数や
波動方程式から導かれたのは、
あらゆる「物」は、
波のようなエネルギー状態で
存在しているが、
観測された瞬間に
粒子に姿を変える、
ということである。

我われが目をつむっている間は、
世界は存在せず、
ただ波動エネルギー状態にあるが、
目を開けた瞬間に
世界として現前化するのである。

これを、
ゲーム画面で説明した動画があった。

つまり、ある動的なゲームの
瞬間の画面は、都度都度に
「0」「1」のデータが
画素(粒子)に変換されるのであって、
最初っから、すべての画面が
あるのではない、というのである。

別な喩えで言えば、
列車の最後尾に立って、
後方の景色を見ていると、
次から次へと風景が変わるが、
これは、前もって
景色が出来ているのではなく、
「観る」というアクティヴな行為により
初めて、景色がそこに立ち上がってくる、
ということでもある。

この思考実験は、
「決定論」でも、よく使われるが、
その場合は、未来までの全ては
すでに決定しており、
「列車が進む」という
「時間」の流れによって、
決まっている景色が観れるに過ぎない、
という説明である。

また、これは、
初期条件が未来を全て決定する、
ということで、
ビリヤードの最初のブレーク
(セットした玉をはじくこと)が、
何秒後かの状態(未来の結果)を決定する、
という説明もよく使われる。

ここにパラレル宇宙説を持ち込むと
「初期値」(ビッグバンの仕方)が違えば、
ありとあらゆる無限の結果(宇宙)が
創生される、ということになる。

さらに、そこに、量子力学の
「重ね合わせ」の理論を
誤用かこじつけると、
それらの宇宙はすべて
重ね合わさられて存在している、
と考えることもできる。

スピリチュアル本には
そのような宇宙観を説くものも
少なくない。

深層心理学的や臨床心理学的に
それらにコメントするならば、
そのような「ファンタジー」や「物語」が
自我(意識)に「安寧」や「安心立命」感を
供与するのであれば、
それはそれで結構…
というスタンスである。

それを宗教では…

【信ずる者は救われる】

【イワシの頭も信心から】

・・・と、言ったのかもしれない(笑)。





猛暑・避暑・練習

2022-07-02 05:55:00 | ギター
気が付いたら、
今年も上半期が終わり、
一年の折り返しとなった。

早いものである・・・。

時間の砂が
サラサラとガラス管の中を
惜しむことなく
容赦なく
流れ落ちるようだ。

【メメントモリ・カルペディエム】
(死を忘れな・今を生きよ)
・・・と、
常々、自分に言い聞かせている。

なにせ今生の残り時間が
少なくなってきたので、
本質的に生きようと
努めている。

なので、
自己本位な人、
いい加減な人、
不勉強な人、
どうでもいい人とは、
一線を引いて
付き合いを絶った。

あたしゃ、
もう残り時間が少ないんで、
あんたなんかと
付き合ってらんないんだよ・・・
という心境である。

家族やごく少数の
大事な人との
付き合いを濃くした方が
いいに決まってるもんねぇ(笑)。





「史上最速の梅雨明け」やら
「史上最多の40℃超え」だの、
この夏は異常づくめである。

そのせいか、
自分もふくめ、
周囲に気象病と思われる
ケースがちらほら見られる。

ゆんべも知人から
そのような連絡を頂いた。

CKD(慢性腎臓病)中等度なので、
この夏は、もう二度も
プチ熱中症になり
危うい思いをしている。

3.11やコロナ禍で助かって、
熱中症で死んじゃっちゃ、
シャレんなんないや(笑)。

「温暖化はウソ」
地球は寒冷化に向かい、
氷河期が来る、
って言ってた
YouTubeのトンデモ陰謀論者に
この猛暑をどう説明すんだよー!!
とコメントしたろうかしらん(笑)。





私的五連休中なので、
朝4時には目覚め、
朝刊・朝食を済ませてから
ブログを書いて、
連ドラを見たら、
朝の8時から練習を始めている。

ただ、東向きの窓からは
強い朝日が入って来て、
あっという間に室温が上がるので、
遮光カーテンをして、
昏い中、枕灯をつけてやっている。



新しいフラメンコギターが
到着したので、
さっそく試奏しているが、
なかなか満足のいく音量・音質である。

来年5月27日の
『福大ギタクラOBOGコン』には、
このギターで
「パコ物」をやろうか・・・と、
薄々考えている。

『リュート・マラソン』を
4ケ月もやってきて、
100曲を越したので、
レパートリーに不足はなく
どれに絞ろうか迷ってたが、
新しいフラメンコギターで
今研究しているパコ・ピカードを
完成させて発表するのが
真っ当な線だなぁ・・・と思う。





午前の練習は
9時半でいったん切り上げて、
スーパーの開店時間に
涼しいうちに
出かけてくる。

そして、
再度、練習に励み、
11時頃には切り上げて、
キッチンに下りて
"ぼっちフレンチ"を創る。

きのうは、
『ロティ・ド・ポール・ソース・ムータルド』
(カナダ産ポークのマスタード・ソース)
をこしらえた。

セルクル(丸型)に
昆布のジュリエンヌ(細切り)、
スプラウトを重ね、
メロンもトッピングした。

クールジェット・ジョーヌ
(黄色ズッキーニ)
をメダイヨン(メダル状)にソテーして
ガルニチュールにした。

ソースは
チューブの洋ガラシを
生クリームとマヨネーズで伸ばし、
ロティスールした時に出た
ポールのジュ(肉汁)を加えた。

オーヴンで70℃50分の
低音火入れをし、
半時ほどルポゼした(休ませる)。

狙い通りの
ヴィアン・ロゼの
セニャン(ミディアム・レア)に
焼き上がり、
ヴィンテージ・ポルトーとも
ヴィアン・マリアージュだった。



自分のブログ・スタイルは
前日の振り返り日記でもあるので、
出来るだけ、過ごした時系列に沿って
書くことにしている。

それと、
頻繁に改行するスタイルは、
幼い頃から長年
マンガに親しんできたので、
「吹き出し」のように
ビジュアルに言葉の流れを
文節で捉えられるようにしている。

それと、
散文形式でありながら、
時折、詩的な表現ができるので
このスタイルが気に入っている。

・・・

時間の砂が
サラサラとガラス管の中を
惜しむことなく
容赦なく
流れ落ちるようだ。

・・・

…というような文章では
効果的だと思っている。

そしたら、
さる御仁から、
「スクロールするのが面倒くさい」
と言われたが、
だったら、
読まなければいいだけのハナシだ(笑)。

普段、ビッシリ書かれた
ジャーナル(学会誌)の
学術論文を読んでいるので、
気ままなブログぐらい
マンガ的な散らし書きで書かなきゃ
気も詰まるというものである(笑)。






・・・てな、わけで(笑)、
(志ん生の名フレーズ)。

"ぼっちランチ"後に
いっぷくしたら
午後の練習である。

『二十歳(ハタチ)のリサイタル』で
初めて弾いたソルの
『「私が羊歯だったら」の主題による変奏曲』
を久しぶりに
楽譜庫から取り出してみた。

45年も前に、
一度は暗譜した曲なので、
"自転車乗り"や"九九の暗算"
と同じように
指は覚えていたが、
今回は、ほぼ半世紀を経て、
今の音楽的素養でもって
深くアナリーゼし直した。

この曲は、
やはり、『魔的の主題による変奏曲』と
双璧を為すソルの傑作である。

どの変奏もよく書かれていて、
緊張と緩和のバランスが見事である。

主題の旋律もリリカルで
美しいが、その上素材を
ソルが巧みに調理している。

原曲の
「Que ne suis-je la fougère」は
18世紀頃のパリ市民の間で歌われた
抒情的な歌謡曲らしい。

 僕が羊歯だったらいいのに!
 美しい一日の終わりに 
 愛しい羊飼いの娘が
 身を休め 敷いて憩う
 愛しく見守る
 あの羊歯にだったらいいのに

 僕がそよ風だったらいいのに!
 あの子の身に涼しくそよぐ
 あの風だったらいいのに
 その唇が吸い込む
 息だったらいいのに
 足元に咲く
 花だったらいいのに

・・・という、
かなり妄想癖の強い(笑)
恋するオトコの子の
切ない想いみたいだねい(笑)。

長調に転調する第3変奏は
「Lent_Cantabile」で、
たしかにこの歌詞の内容には
相応しい甘美さがある。

問題は、技巧的にムズイ
第4変奏(終局)である。

天才・山下君は、
これを16歳の時に、
パリコンで完璧なテクで弾いて
優勝した。

それに刺激を受けて、
ハタチの大学生アンちゃんも
挑戦したのである(笑)。

還暦過ぎのジジイには、
ちと荷が重いかもしれない。






パコの演奏テクニックを
中学時代から研究しているので、
YouTubeでの60年代の…
彼が20代の頃の
モノクロ・ビデオも見ている。

その頃から、
歌と踊りの伴奏をしっかりつとめ、
半端ないリズム感と
トーケ(演奏)の技術を
身に着けたことがよく解る。

パコのピカードを
物にするために、
わざわざその音質に近いという
ギターを新調したのである。








金曜の晩は、毎週、
カミさんがテニス・スクールなので、
"ぼっちメシ"
"ぼっちフレンチ"
"ぼっちディナー"
となる。

まだ、
ミカちゃんが贈ってくれた
イベリコ豚の生ハムの塊があるので、
ジュリエンヌ(細切り)にして、
カミさんが買ってきた
メロンとドレッセしてみた。

定番の「生ハム・メロン」を
カット・メロンに
ベロンと生ハムを乗っけた
お決まりのスタイルから
なんとか崩したかったので、
セルクル(丸型)を三つ用いてみた。










グラス・チェスボードを
アシェット・キャレ(四角皿)に
見立てて、
フュメ・ド・ソーモン
(スモーク・サーモン)を
茶懐石の八寸の要領で
「海の物」「山の物」
と対角にドレッセしてみた。

エクストラ・ヴァージン・オリーヴ・オイルに
漬け込んだホワイト・キャビアの香りと
フュメの薫香が相まって、
ソーテルヌの貴腐ワインとの相性も
「王宮的」「高貴な」と
形容したいような
ノーブルさであった。

「☆☆☆‼」

モゥ…ヾ(_ _。) ノ ㇻメ~♡ ガクッ