『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

祭り日の愉しみ

2024-10-13 06:31:20 | 生活

 

きのうは
午前・午後・夜と
3件の自宅カウンセリングがあったが、
夕方の隙間時間に街出して
「お祭り」をのぞいてきた。

なにせ、子どもの頃から
変わらずに続いてる
大きな「お祭り」なので、
その露店を見る事も
祝祭空間に身を置くことも
非日常的体験に浸ることが出来る。



*

香具師(やし/テキ屋)の物語を
たがわ靖之の作品で
読んだばかりなので、
その符牒を真似て、
(あ、セルメンだ!
 チャモだ!
 赤タンだ!)
と、ひとり悦に入っていた。

子ども達はもとより、
大の大人たちも
「お祭り」空間を楽しんで
この時季、ホコ天に集う。

百店あまりの露店は壮観で、
パイプ(店の造り)から
ネタ(商品)まで
原色に溢れ、まさに、
カーニバル空間として
見慣れた街の風景が変貌する。

そして、香具師たちの
啖呵売(たんかばい)の面白さ。

まるで、
生きた「寅さん」たちである。

 



なかでも、
「お化け屋敷」のオバチャンの
しわがれた呼び声は
見事な芸にまで昇華している。

*



毎年の露店ウォッチで
楽しみにしているのは、
新たなアイテムの発見だが、
今年は少なくて、
『10円パン』(500円)と
スマートボールを用いた
チャモ(おもちゃ屋)のみだった。



かつては、
ハンドスピナーやら
光るミッキーイアとか
いろんなネタ物があった。



*

うちのダンゴ三兄弟たちも
幼い頃より
お祭り大好き人間だったので、
毎年のように、
二千円ずつお小遣いをやり
クジやら、チョコバナナやらを
嬉々として買っていた。

今週末、
挙式を上げる
ナッちゃんは「射的キチガイ」で
眼の色を変えて興じていた。

フミも息子を連れて
温泉に行った折にも
遊技場で懐かしんで
射的をやっていた(笑)。



*

今宵は
連山車という
壮麗な曳き山車が
各町内会から
数十数基出る。

「田舎あるある」で、
今朝もはよから
6時、7時と
花火がバンバン上がっている。

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キムタク映画(笑)

2024-10-12 06:15:49 | 映画

きのうは
山の学校の勤務だった。

風邪の具合も大分よくなり、
怠さも癒えたが、
首の凝りと軽いふらつきは
まだ治りきっていない。

それでも、
この体調なら
来週末の上京しての
結婚式には出れそうである。

*

山のガッコは
家から30.3㎞の
標高560mの阿武隈高原にあるので
到着時は17℃という涼しさだった。

なので、
薄手のブレザーを着用し、
仕事場では長袖の白衣を
今季、初めて着るようだった。


*

現在、全校生徒が4人で、
その内、中3が二人なので、
来年度、入学者がいないと
二人になってしまう。

それでも、
原発事故の特別区なので
統合・廃校はせず、
国から多額の補助金が
出ているようである。

父兄の有志が
学校案内を自主的に作り、
不適応系の小学生に
率先してPRしてくだすっている。

*

きのうは
校長カウンセリングまであり(笑)、
拡大ケース・カンファありで、
フルタイムのスケジュールだった。

今日から三連休だが、
今日は久しぶりに
午前・午後・夜と
自宅にも三件予約が入っており、
月曜の祝日にも予約が埋まっている。

なので、隙間時間には
だらけて、骨休めを
するつもりでいる。

 



きのうは
暗くなった帰路、
散歩路の原っぱ前を通ると、
草刈りされた跡に
アスパラがニョキニョキと
辺りに生えていたので、
喜び勇んで車を停めて
ポキポキ摘んで廻った。

十数本も採れ、
新鮮このうえないので
家に着くや否や、
すぐさま、ソテーして食した。

まさに、
『アスペルジュ・ソバージュ』
(野生アスパラ)
の野趣あふれる
生命力を感じる味であった。



***

今日から、
恒例の稲荷神社の大祭が始まり、
露店が百近くも出店する。

きのうは、
ちょうど香具師(やし/テキ屋)の
噺である、たがわ靖之の
『おひかえなすって』が
届いていたので、
湯上りに面白く一読した。

香具師・博徒・侠客は
まったく違うものだが、
切った貼ったの暴力沙汰や
義理人情の一家組織である点では
共通しているようである。

稼業内の符牒にも
様々あって、
それが面白くもあった。

露店営業→売(ばい)
露店→パイプ
金魚すくい→赤タン
おもちゃ→チャモ
お好み焼き→オコノ
お面屋→セルメン(セルロイド面)
カルメ焼き→カルメ


*

ゆんべは寝しなに
YouTubeサーフィンをしてたら、
期間限定での
『実写版 宇宙戦艦ヤマト』が
あったので、観てみた。

そしたら、
途中からデジャヴュを感じて、
(あれ?! これ観たやつかも・・・)
と思った。

2010年作品だから
14年前にテレビかレンタルで
観ているようだった。

原作のアニメとは
大分ストーリーは違ってるが、
それでも、ヤマト感は出ていて、
名優・脇役も多く出ているが、
キムタクが目立ち過ぎて
完全な「キムタク映画」だなぁ・・・
という感じだった。

 



マドンナの森 雪役が
黒髪できつめの顔の
黒木メイサであるのに
最初は違和感を感じるが、
段々と劇中の古代ススムと
慣れ合って、深い恋仲になると
元祖ヤマトとは違う
別世界の話として成立していた。

地球・人類を救うため、
そして、恋人のために殉ずる姿は、
史実の太平洋戦争での
特攻隊や戦艦大和への
オマージュにも見て取れた。











 

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桜と団栗・・・?

2024-10-11 07:08:14 | 仕事

きのう十月十日は
かつては「体育の日」で祝日だった。

また、金光教祖が
神上がりし「祭り日」という
特別の日でもあった。

おとつい、
針とマッサージ療治を受けたせいか、
昨日の寝起きは良かったが、
午後から、やや疲れが出て、
背中の左側がやや痛みだし、
頭を下にさげたら、
クラリとめまいが起こった。

朝方は17℃まで下がり、
やっぱり、まだまだ、
風邪がスッキリとは
抜け切れていないようだ…。

今朝は、
この秋いちばんの冷え込みで
12℃まで低下したから、
寒さを感じるほどだった。



*

ナヴィが2台あるので、
1台の方は
「スカイヴュー」にして
日本列島と大陸が俯瞰できるように
設定してある。

あたかも空を飛んでるかのような
錯覚を起こさせる為でもある(笑)。

列島を逆さに見ると、
朝鮮半島との位置関係で
なんだか、馴染みの日本国のように
見えないから面白い。

そして、かつて
大陸続きだった頃、
日本海が内海だったことが
感じられもする。



**

先おとついの退勤時に、
走行中の車に
いつもとは違う異音があり、
気になりながらも様子を見ていた。

そしたら、昨日の出勤前にも
変わらず異音が発生したので、
朝一で整備工場に出向いた。

そしたら、
『ムーヴ』には
エンジン・マウントにガタが生じる
という不具合が多くあるという。

平成17年型の中古車なので、
製造されてから
およそ20年近く経ってるから、
工場長が言うには、
「電化製品ならもう寿命が来てますね」
との事だった。

エンジンは元々
この年式特有の欠陥があり、
ダイハツは頬かむりして
リコールしていないが、
オイル漏れがあり
ひと月に1ℓ燃えて無くなる。

なので、排ガス規制も
ギリギリで、再来年の車検は
通るかどうかという瀬戸際のようだ。

エアコンも1年で
ガスが丸っきり抜けるので、
たんびたんび補充している。

これも、パッキンやらの
経年劣化による緩みだろうという。

タイヤ回りの塗装膜には
内側から錆が浮き始めており、
あちこちに小さな茶色いシミが
出だしている。

そこにきて、
今回、エンジン・マウントの
ゴムが経年劣化したのだろう…
ということで、
交換するにはエンジン脱着作業という
大ががりになるので、
5万近くかかるという。

なので、またまた、
新車に交換し時かぁ…と、
逡巡させられた。



*

帰宅すると、
たがわ靖之のコミックが届いており、
湯上りにのんびり
氏の世界観を楽しんだ。

これまでの主人公との
重複を避けてか、
わざと変な表情にして
描き分けようとしている作者の意図が
隠れ見えるようだった。

*

きのうは、
バウムテストの
ブラインド・アナライシスを
AIができるのか、試してみた。

Q:
バウムテストにおいて、
桜の花が咲いているところと、
散っているところ、
そして、ドングリが
1個落ちている絵を描いた
ASDの中3女子の心理は
どう分析しますか。

ChatGPT:
いくつかのポイントが考えられます。

桜の花が咲いていること:
新しい始まりを象徴する。
希望や成長、または
ポジティブな感情を
表現している可能性があります。

桜の花が散っていること:
終わりを意味する。
不安や失望感、
過去の経験からの影響を
反映しているかもしれません。

ドングリが1個落ちていること:
ドングリは成長や
未来の可能性を象徴しますが、
1個だけというのは
孤独感や他者との関係性に対する
不安を表している可能性があります。

全体的に見ると、
彼女は希望と不安の両方を
抱えているかもしれません。

桜の花は
明るい未来の可能性を示唆しつつ、
散った花やドングリは
彼女の心の中の葛藤や孤独感を
反映していると考えられます。

ASDの特性として、
社会的な関係や感情の理解に
難しさがある場合、
彼女の描いた絵には
そのような内面的な葛藤が
表れているかもしれません。

・・・と、まあ、
大したもんだった。

 

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パチプロ 出 兵衛太(だすべえだ)

2024-10-10 06:08:13 | まんが

オフ日のきのう。

午前中は
漫画を読みながら
まったり過ごし、
午後から名人の処へ
針とマッサージの療治に出かけた。

途中、クルマに
ガタガタいう異音が発生し、
駐車場でボンネットを開けて
視認してみたが、
素人の哀しさで原因は解明しなかった。

なので、今日の朝一で、
出勤前に工場に寄って
不具合の正体を
専門家に診てもらおうと
思っている。



*

揉み療治の間、
E先生と政治や世界情勢や
昨今のエピソードについて
色々と話しをして
楽しく過ごさせて頂いた。

総選挙になり、
イシバ自民が
ボロ負けしてくれる事を
共に願った(笑)。

組織票とやらで、
またまた「裏金」議員が
再選されるようなら、
ほんに、日本もオワコンである。



*

おとつい、
フェイスブックのニュースフィードに
突然、タモリが捕まった、という
穏やかならぬ記事がアップされ、
やはり、興味をそそられて
思わず見てしまったが、
巧妙に詐欺に導く
フィッシングだった。

AIが24時間
自動で取引をして
99%の成功率で
指数関数的に初期投資額が
倍増する・・・というのを
『徹子の部屋』を舞台に
さも放送されたかのような
フェィク仕立てにされていた。

あまりに
まことしやかな創りだったので、
思わず初回の3万くらいなら・・・
と射幸心が疼いてしまったが、
よくよく読むと途中から
詐欺である事が判明した。

あのサイトは巧妙に
AIも使われている匂いが
プンプンした。

ただ、外国発らしく、
日本語としてこなれていない表記が
一か所だけあったので、
創り物と判読できた。



***

マッサージの帰りに
夕餉の買い物をし、
ついでに、切れていた
コニャックを買いに
『やまや』にも寄ってきた。

フレンチ・ブランデーでは
「安かろう薄かろう」なので、
『コニャック』産が表記された
『VSOP』
(ベリースペシャル・オールドペール)
のハーフにした。

カミさんが買ってきた
シルキーポテトを
オーヴンで焼き芋にしてから、
ミキサーでヴイヨンと合わせ、
生クリーム、バター、コニャックで
仕上げたら、フレンチ・レストランの
ような味に仕上がった。

上出来加減に
カミさんも
「香りが佳くって、美味しい・・・」
と満足げだった。



***

たがわ靖之の作品が好きで、
ちょいちょい再読している。

先日も、
書棚にあった
100円中古本を読み返していたら、
パチプロどうしの対決で、
出兵衛太(だすべえだ)という
ジジイが登場し、対決する時に
あの仮面をかぶるシーンで
腹を抱えて笑ってしまった。

なにしろ、名前が
ダサくて洒落ている(笑)。

あんまり、感激したんで(笑)、
氏の未読の作品が読みたくなり
Amazonで検索したら、
未読のレア本が出てきて、
八千両では無理だなぁ・・・と、
断念するようだった。

そしたら、
ヤフオクでは
二千両だったので、
それならば映画一本分、
CD一枚分なので、
ひと時を楽しむには適価と判断し
落札した。



*

ハットリ先生が
亡くなられた。

『料理の鉄人』で
よくお見かけしていたが、
その温厚な語り口と
庶民的な笑顔で
好感の持てる料理評論家で
あられた。


*

日曜の朝。

TVをつけたら
『大富豪同心』なる
時代劇をやっていて、
見るともなく眺めていたら、
美少女剣士が登場し
その子に目が奪わて
ついついお仕舞いまで
視てしまった。

最後のクレジットを見たら
「新川 優愛(しんかわ ゆあ)」
と出たので、
さっそくウィキってみた。

1993年12月28日 生れ。
31歳。
女優、ファッションモデル、
タレント、元グラビアアイドル。

かなりの数の作品に
出演しているようだが、
そのすべてを見た事がないので、
知りようもなかった。

『剣客商売』の
佐々木 美冬のような
美人剣士には
どうも“萌える”傾向が
あるみたいだ・・・(笑)。






 

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「ワンタイム・ワンシング」 (一時・一事)

2024-10-09 07:05:27 | 魂理学


きのうも、
予約JCが欠席したので、
生徒指導委員会のみで、
残り5時間は空いてしまった。

閑職というか
窓際族というか・・・(笑)。

ほいでも、
きちんと給与は貰えるので
申し訳なく思う。

\(_ _)

口さがのない
親しい先生からは、
クライエントの居ない日は
ボロ儲けですね、
と言われた事もある(笑)。

そういう時は
「カウンセラーと乞食は
三日やったら、やめられまへんなぁ・・・」
とか、
「カウンセラーと
保健室が暇なのは
エエ学校いうこってすわ」
なぞと
嘯いたりもしているぞなもし(笑)。

 



先日も
空き時間の有効活用法について
一考したばかりだが、やはり、
勉強と研究に充てるのが
至当であろうと
思いを改めたばかりである。

カラダには
あちこちガタが来ているし、
残り寿命もそう長くはなさそうなので、
本当に知りたい事の究明のため
時間を費やそうとは思っている。

仕事がらみでは、
臨床に役立つ新知見も
も少しは学び得たい。

「臨床・教育・研究」
の三本柱でいえば、
若い世代への指導・教育も
自分たち世代の責務である。

つい最近も、
養護教諭の方々に
経験知を伝授する機会が
幾度かあった。

不思議と
四十代へのそれが多いが、
その世代は、
高校教諭時代、最後の担任をした
世代でもある。

三十年の月日を経て、
得た学識や経験知を
その中堅世代へ伝授することが
最後の教育的なご奉公なのかもしれない。





きのうは、
届いたばかりの
ジャーナル(学会誌)に
目を通しながらも
カウンセリング室のソファで
毛布にくるまっていたら(笑)
カラダが温もるにつれて
首凝りと怠さが取れるのに気付いた。

外気温は18℃だったので、
エアコンの「自動」設定が
今季初の「暖房」を稼働させ、
室内はポカポカと23℃になっていた。

猛暑日続きだったこの夏。
35℃の外気温を
室内では23℃まで下げて
「涼しい~!!」
と、涼を感じていたのに、
同じ温度でも
「温か~い!!」
と感ずるのだから、
ヒトの感覚なぞ
いい加減なものである(笑)。



そいで、
「冷え」が自律神経失調症の
原因にもなってたんだなぁ・・・と、
実感させられた。

体内のすべての
生化学反応を媒介する
生体酵素の最適活性温度は
37℃付近である、
とは誰しも高校の『生物』で
習うことである。

また、それを
生物教師として
教えもしてきた。

だからこその
温浴効果や温泉効果が
療治的に効くのも道理である。

なので、ゆんべからは
厚手の冬用パジャマに
毛布にタオルケットを重ねて
寝てみた。

そしたら、
1時間ほどして目が覚め、
全身ビッショリの汗だくになり(笑)
下着からびしょ濡れになった・・・。

そんなにも寝汗をかたのも
久しぶりだった。

これで、新陳代謝が亢進し
スッキリしてくれれば
幸いだったのだが・・・。
今朝は更にぐっと冷え込み
17℃にもなっていたので、
凝り・めまい感が再燃した。

きょうはオフ日なので、
久しぶりに
名人に「揉み療治」をしてもらいに
出向こうかと考えている。

***

先日、11巻までを
まとめ買いした
『のぶ』を再読して、
ハートウォーミングな佳い作品だ
と再認識させられた。

レンタルで一読した時は
さほどでもなかったが、
再読で熟読玩味してみると
優れた創作物は
味わい深さを増す事にも気付いた。

これは、落語にも言える事で、
噺の筋は知っていても、
その語り口や登場人物たちの
活き活きとした様子は
繰り返し聞いても
味わいを感ずるのである。

もっとも、これは、
名人上手の語りに限るが・・・。

***
***


「私性」=「自意識」
という不可思議な現象を
「今、ここ」で刻々、体験している。

きのうは、
重い通勤鞄を携えて
雨上がりの地面を歩みながら
玄関に向かっている途中、
「ワンタイム・ワンシング」
(一時・一事)
というキーワードが
脳裏に浮かんだ。

そして、
何故に、私は貴方を体験し得ないのか・・・
という、命題にたち戻り、
今は私を生きているからだ、
という内なる応えに
納得したりもした。

そう。
今、お気に入りの
モーツァルトのCDを聴いてる時に、
同様に、お気に入りの
バッハのCDがあっても、
それは、一時に両方は
「楽しめない」のである。

物理的に、同時に、
鳴らす事は可能だが、
主体である「私」は
それを「心地よく」は
体験出来ないのである。

その喩えが、
「ワンタイム・ワンシング」
(一時・一事)
と結び付き
得心がいった。

無人の山中で
朽ち木が倒木しても、
そこに「聴き手」という
聴覚を備えた「主体」が
存在しなければ、
『音』は感知されない。

そこに在るのは
物理的な空気の振動のみである。

それでも、
倒木という現象は
「主体」なくしても
存在し得る「客体」的な現象である。

もっとも、
視認し得る観測者なしでは、
現象は可視化し得るのか・・・
という、量子力学的な
問題も生ずるが・・・。

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