善行について

 「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。」(ガラテヤ6:9-10))

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 善とは何であろうか。善を行なうとは、たとえば何をすることだろうか。
 もしも「時期が来て、刈り取る」ための行ないだとすれば、善を行うとは、もっぱら自分のための行為であって、相手のことなど実はこれっぽっちも考えていないということになるだろう。
 この場合、善というよりは独善的でひとりよがりに陥りやすい。
 誰からも嫌がられる、あのおせっかいにもなりやすい。

 そうではない善がある。
 相手に喜んでもらえることである。
 このとき、「時期が来て、刈り取る」ことなど、頭から消えている。
 善を行なったこと自体、忘れてしまう。
 そしてやがて時期が来て、喜びが訪れるに違いない。

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 健やかな一日をお祈りします!

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