『ことばや口先』の時代

 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。
 それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。」(1ヨハネ3:18-19)

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 アメリカのある文化史学者は、20世紀になってからのアメリカは、「人格の文化」から「性格の文化」へと変容したと言っている。
 興味深いこの話を引用するのは長くなるので省略するとして、結論としては、人々は、「行ないと真実」からむしろセールスに必要な「ことばや口先」へと変わったのだそうだ。

 そうすると、「ことばや口先」へと変化してから100年経つ。
 この「ことばや口先」というのは、うわっつらなきれい事のことで、つまり実質がない。
 「ことばや口先」の時代は飽和している感があるが、実質の伴う「行ないと真実」へと単に再び変化するというのも難しそうだ。
 だから、実質それ自体を私たちは必要としている。それは勿論御父と御子である。
 「神の御前に心を安らかにされる」というのは実質に基づくものであり、誰にも確かなことである。
 そして私たちが「行ないと真実」で接するとき、心が通じるこころよさという、やはり誰にも確かなものが得られる。この「行ないと真実」も実質に基づくものであるが、もし「ことばや口先」で接するのなら、「絆」というあのスローガンに堕して実質がなくなる。

 本当に大切なものが見えづらい時代だが、私たちにとって最も根源的なものが何かを確かめ続けていきたい。

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 健やかな一日をお祈りします!

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