聖霊は栄光の管

 「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
 御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
 父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。」(ヨハネ16:13-15)

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 「やがて起ころうとしていることをあなたがたに示す」という訳出は、ちょっと分からない。
 「(既に)起こったこと」を示すのであれば、意味はすんなりと通る。

 よく聖霊降誕と言われるが、おそらくそのこと「自体」には意味はないような気がする。
 聖霊が降誕したとして、その聖霊を通してイエスが私たちに何を明らかにしてくれるのか、それが大切なことだろう。

 「通りよき管」という言葉があるが、ここでいう聖霊とは正に通りよき管のようだ。
 復活のイエスと私たちとの間をつないで十字架と復活、すなわち既に起こったこととその意味を知らせてくださる。
 そういう管なので、聖霊は「自分から語るのではなく、聞くままを話」すのである。

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