父の戒め、イエスの戒め

 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

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 イエスが言う「わたしの戒め」とは何だろう。
 ヨハネ伝で何度か出てくる「あなたがたは互いに愛し合いなさい」(例えばヨハネ13:34)だろうか。
 しかしこれは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(例えばマタイ22:39)と意味が同じなので、そうすると「父の戒め」すなわち律法をイエスが改めて与えていることになってしまう。

 父の戒めすなわち律法を守ることのできる人は、ただ一人、肉に罪を宿していないイエスだけである。
 私たちはこの神の秩序に何一つ従うことの出来ない罪深き存在にすぎない。
 ところが、罪なき肉が極刑に架かって肉を処罰される。そして、その肉は復活して赦される。
 私たちが罪赦され救われるのは、このイエスを信じるからである。隣人と愛し合うから救われるのではない(それ自体は大切なことだが)。
 だから、イエスが私たちを愛して下さるのは、私たちがイエスを救い主として信じているからなのではないかという気がしてならない。

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