サービス

 「 しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10:43-45)


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 神の子イエスは、人間と同じ肉をまとってこの世に来られた。
 それはなぜだろう。
 「仕えられるためではなく、かえって仕えるため」、この罪深い人間にサービスするためだという。
 どのようなサービスかというと、「贖いの代価として、自分のいのちを与え」ることを通して、「多くの人」をその罪深さから解放する、そういうサービスである。
 神ご自身が犠牲になることで、人間を救う。
 このやり方、この道が、イエスの道なのだ。

 復活のイエスに出会って解放された人は、イエスが切り開いたこの道を自分も歩むことになる。
 他に選択肢はない。
 そうすると、しぶしぶではあっても、みなに仕える存在、みなのしもべとならざるを得なくなる。サービスせざるを得なくなる。
 そうなるのはイエスに出会ったことによる必然なのであり、単に聖書に書いてあるとおりに行ないとしてやってみよう、という類のものではない。
 もし行ないとしてやっていたら、これほど痛々しいことはないし、周りじゅうから偽善者呼ばわりされるだけだろう。

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